青森県画像: Wikimedia Commons

青森県

本州最北端に位置し、津軽・南部という異なる文化圏を内包する地域。江戸期に弘前藩の産業振興策から生まれた津軽塗や、寒さをしのぐ知恵から育まれた津軽こぎん刺し・南部菱刺しといった刺し子文化など、対照的な二つの地域性が織りなす工芸が豊富。食では、鱈やホタテ、ウニ・アワビなど陸奥湾・太平洋の海の幸を活かした汁物、南部せんべいを使った独自の粉食文化、戦後の屋台文化から生まれたご当地グルメまで幅が広い。青森ねぶた祭・弘前ねぷたまつり・八戸三社大祭という県内三大祭りが夏を彩る。

津軽塗津軽こぎん刺し南部菱刺しせんべい汁いちご煮十和田バラ焼き

青森の伝統工芸

あけび蔓細工
木工青森

あけび蔓細工

Akebi-tsuru Zaiku

あけび蔓細工は、江戸時代末に岩木山麓の嶽温泉で湯治客向けの土産物として、周辺の山野に自生するあけびの蔓を使った炭籠や手提げ籠が作られたことに由来する津軽の編組工芸です。八甲田・十和田湖周辺や岩木山一帯で採れるあけびの蔓、また山ぶどうの皮を材料とし、蔓の選定から陰干し乾燥、水漬け、編み上げまで、すべての工程を職人が手作業で行います。丈夫で巧みな編目と自然な光沢が特徴で、使い込むほどに艶が増し手になじんでいくのが魅力です。明治期以降は国内外の展覧会にも出展されて評価を広げ、平成8年3月には青森県伝統工芸品に指定されました。現在も弘前市を中心に、山野で採れる自然素材ならではの風合いを生かした手提げ籠やざる、盆などが作られ続けています。

下川原焼土人形
陶器青森

下川原焼土人形

Shitakawara-yaki Tsuchi-ningyo

下川原焼土人形は弘前市下川原の地で焼かれてきた素朴な土人形で、文化年間(1804〜1814年)に9代藩主・津軽寧親が津軽の地に玩具が少ないことを憂い、下川原にあった藩窯の陶師・高谷金蔵、太田粂次郎らに作らせたのが始まりと伝えられています。赤土と砂を調合した粘土を石膏型で成形し、約800度で焼き上げたのち、すべて手作業で色付けを施すため同じ表情のものは一つとしてありません。中でも「ホー」という優しい音色を奏でる鳩笛は代表的な製品で、干支人形をはじめ数百種類の土人形が作られてきました。明治以降も弘前の郷土玩具として親しまれ、青森県伝統工芸品にも指定されています。現在は弘前市内にわずかに残る窯元が、二百年以上続く技法を受け継いでいます。

津軽こぎん刺し
織物青森

津軽こぎん刺し

Tsugaru Kogin-zashi

津軽こぎん刺しは、青森県弘前市を中心とする津軽地方に伝わる刺し子の技法です。江戸時代、津軽藩では農民の衣服は麻布に限られ木綿の着用が許されていなかったため、寒さの厳しい津軽の女性たちは野良着の麻布に木綿糸で目を刺し埋めることで、保温性と丈夫さを高める工夫を重ねました。縦の織り目を一・三・五と奇数目で数えながら幾何学模様を構成していく点が最大の特徴で、作られた地域によって大柄が特徴の「東こぎん」、横縞で模様を区切る「西こぎん」、太い三本縞が入る「三縞こぎん」の三系統に分かれます。明治以降、木綿が普及すると一時衰退しましたが、昭和初期の民藝運動の中でその造形美が再評価され、現在も弘前を中心に技術が受け継がれています。青森県を代表する刺し子文化として、菱形文様を特徴とする南部菱刺しとしばしば対比されます。

津軽びいどろ
ガラス青森

津軽びいどろ

Tsugaru Vidro

津軽びいどろは青森県青森市の北洋硝子が生み出すハンドメイドガラスの工芸品です。北洋硝子は昭和24年(1949年)、漁業用のガラス製浮き玉を製造する工場として創業し、丈夫な浮き玉づくりで培った「宙吹き」の技法で全国トップクラスの生産高を誇りました。しかしプラスチック製浮き玉の普及により需要が減少したことをきっかけに、職人たちは培った技術を活かして食器や花器づくりへの転換を進め、昭和52年(1977年)に「津軽びいどろ」が誕生しました。津軽の七里長浜の砂を原料に加えたところ深みのある緑色に発色したことから色ガラスづくりが本格化し、現在では100種類以上ともいわれる色ガラスを自社で調合しています。平成8年(1996年)3月には青森県から伝統工芸品の指定を受け、青森の自然を映すガラス工芸として国内外で親しまれています。

津軽系こけし
木工青森

津軽系こけし

Tsugaru-kei Kokeshi

津軽系こけしは、東北6県に伝わる伝統こけし11系統の一つで、青森県黒石市の温湯温泉を中心に大鰐町にも産地を広げています。大正時代の初め頃、温湯温泉の木地師・盛秀太郎が湯治客向けに作り始めたのが起こりとされ、大鰐町の長谷川辰雄とともにその礎を築きました。ほかの系統に比べ成立が新しい分、徒弟制度に縛られない自由な作風が育まれ、頭と胴を一本の木から作る「作りつけ」の技法や、裾が広くふくらんだ胴の形、津軽藩の家紋である牡丹文様やアイヌ模様、ねぶた絵の影響を受けた模様など、他の産地にはない個性的な意匠が特徴です。黒石市には1988年に津軽こけし館が開館し、津軽系こけし工人による製作実演や絵付け体験を通じて、今もその技と魅力が伝えられています。

津軽打刃物
金工青森

津軽打刃物

Tsugaru Uchihamono

津軽打刃物は、藩政時代の弘前城下に軒を連ねた刀鍛冶・農具鍛冶の技を起源とする鍛造刃物です。江戸初期の弘前には「鍛冶町」という町名が残るほど多くの鍛冶職人が集まり、刀や大砲づくりの技術が、時代とともに鎌や鍬、和包丁といった暮らしに根差した道具づくりへと受け継がれてきました。伝統的な「火造り」と「泥塗り」による焼き入れ技術で鍛えられた刃は、優れた切れ味と耐久性を兼ね備えています。青森県はりんごの一大産地であることから、剪定や摘果に用いる鋏やのこぎりも津軽打刃物の重要な製品となっており、弘前のりんご栽培を支える道具としても発展してきました。平成8年3月には青森県伝統工芸品に指定され、現在も鍛冶場では火造りから仕上げまで一貫した手仕事が続けられています。

津軽塗
漆器青森

津軽塗

Tsugaru-nuri

津軽塗は青森県弘前市を中心に作られる漆器で、青森県で唯一の経済産業大臣指定伝統的工芸品です。江戸時代中期、弘前藩四代藩主・津軽信政が産業育成のため若狭国から塗師・池田源兵衛を招いたことに始まり、その子・源太郎が江戸で青海波塗の技法を修め、津軽の地で独自の漆器を作り上げました。以来約300年の歴史の中で「唐塗」「七々子塗」「紋紗塗」「錦塗」という四つの技法が確立し、いずれも漆を幾重にも塗り重ねては研ぎ出す工程を繰り返すため、完成までに約50もの工程と長い年月を要します。その手間のかかりようから通称「馬鹿塗」とも呼ばれ、明治6年(1873年)のウィーン万国博覧会に出品されたことをきっかけに「津軽塗」の名が広く知られるようになりました。昭和50年(1975年)には経済産業大臣指定伝統的工芸品に指定され、現在も弘前市を中心に多くの職人が伝統の技を受け継いでいます。

南部菱刺し
織物青森

南部菱刺し

Nanbu Hishizashi

南部菱刺しは青森県南部地方、八戸市を中心に受け継がれてきた刺し子の技法で、津軽地方のこぎん刺しと並び青森県を代表する刺し子文化の一つです。江戸時代、木綿の着用を禁じられていた農村の女性たちが、麻布を丈夫にし寒さをしのぐために木綿糸で刺し重ねたことに始まるとされ、およそ200年前に八戸を中心とする南部地方で生み出されたと伝わります。こぎん刺しが縦の織り目を奇数目数えるのに対し、菱刺しは偶数目を数えながら刺し進める点が大きな違いで、「梅の花」「雉の足」などと呼ばれる横に長い菱形文様の幾何学模様を織りなします。現在は前掛けや卓布といった伝統的な品に加え、ネクタイやタペストリーなど現代の生活に合わせた製品にも応用され、八戸市内の工房や教室で技術が受け継がれています。同じ青森県内でも津軽と南部で異なる刺し子文化が育まれてきた点も興味深いところです。

南部裂織
織物青森

南部裂織

Nanbu Sakiori

南部裂織は青森県十和田市を中心に伝わる手織りの技法で、着古した木綿布を細く裂いて緯糸とし、麻糸や木綿糸を経糸にして織り上げる再生織物です。江戸時代、寒冷な南部地方では木綿布が大変貴重であったため、着られなくなった古布も裂いて糸にし、着物やこたつ掛けなどに仕立てて最後まで使い切る知恵として発展しました。昭和23年(1948年)の大麻取締法制定により経糸に用いていた麻の栽培ができなくなったことなどから一時は技術の継承が途絶えかけましたが、昭和50年(1975年)に十和田市出身の菅野暎子氏が南部裂織保存会を設立して教室を開き、技法の掘り起こしと普及に努めたことで復興を遂げました。古布を無駄にせず新たな布へと生まれ変わらせるその手法は、現代ではサステナブルな工芸としても改めて注目されています。

八幡馬
木工青森

八幡馬

Yawata-uma

八幡馬は青森県八戸市を中心とする南部地方に伝わる木彫りの馬の郷土玩具で、福島県の三春駒、宮城県の木下駒と並ぶ「日本三駒」の一つに数えられています。かつて名馬「南部馬」の産地であった南部地方で、八戸市八幡にある櫛引八幡宮の例大祭に集う参詣者向けの土産物として木彫りの馬が売られたのが始まりとされ、地名の「八幡」にちなんで八幡馬と呼ばれるようになりました。台座に乗った素朴な馬体に赤や青の華やかな模様を施した姿は、農村の嫁入り道中を彩った盛装馬の様子を映したものともいわれています。明治以降は玩具から祝い事の記念品へと役割を広げ、現在は結婚や新築、出産などの贈答品として親しまれています。平成8年3月には青森県伝統工芸品に指定され、木取りから絵付け、たてがみを植える毛すげまで、一貫して職人の手作業で仕上げる技が受け継がれています。

青森の郷土料理

いちご煮
海鮮青森

いちご煮

Ichigo-ni

いちご煮は、青森県八戸市や三戸郡階上町など太平洋沿岸に伝わる郷土料理で、ウニとアワビを塩味のだしでさっと煮た吸い物です。もともとは漁師たちが浜で獲れたてのウニやアワビを豪快に煮て食べた「漁師飯」がルーツとされています。乳白色に濁ったアワビの出汁の中に黄金色のウニが沈む様子が、朝もやにかすむ野いちごのように見えたことから「いちご煮」と名付けられたと伝わります。大正時代には地元の老舗割烹旅館の主人がこれを椀に美しく盛り付けて客に提供したことをきっかけに、来客をもてなす際のごちそう料理として広まりました。1980年には地元の食品会社「味の加久の屋」が日本で初めていちご煮の缶詰化に成功し、全国的に知られる青森土産としても定着しています。

けの汁
鍋料理青森

けの汁

Keno-jiru

けの汁は、津軽地方を中心に食べられてきた具だくさんの汁物で、小正月(1月15日)の行事食として知られる郷土料理です。大根・にんじん・ごぼうなどの根菜、わらび・ぜんまいなどの山菜、油揚げや凍み豆腐といった乾物を、賽の目よりさらに細かく刻んで昆布出汁でじっくり煮込み、味噌や醤油で味付けします。名前は津軽弁で粥を「け」と呼んだことに由来するという説があり、他にも複数の語源説が伝えられています。正月に忙しく働いた女性たちが小正月に里帰りする際、残される男衆のためにまとめて作り置いたのが始まりとも言われ、大鍋で数日分をこしらえ、日を追うごとに味が染みていくのを楽しむ食文化として今に受け継がれています。

じゃっぱ汁
鍋料理青森

じゃっぱ汁

Jappa-jiru

じゃっぱ汁は、青森県津軽地方に伝わる冬の郷土料理です。「じゃっぱ」は津軽弁で魚の「あら」を意味し、鱈の頭や骨、皮、内臓などを大根や人参、ねぎといった野菜とともに味噌仕立てでじっくり煮込みます。津軽地方では鱈は正月を迎えるための「年取り魚」として尾頭付きで一尾丸ごと買い求める風習があり、身は刺身や鍋に、そして通常なら捨てられてしまうあらの部分もじゃっぱ汁として無駄なく使い切る、雪国ならではの知恵が息づく料理です。冬の厳しい寒さのなかで体を芯から温めてくれる家庭料理として、津軽地方の食卓に古くから根付いています。

せんべい汁
鍋料理青森

せんべい汁

Senbei-jiru

せんべい汁は、青森県八戸市を中心に、青森県南部から岩手県北部にかけて食べ継がれてきた郷土料理です。鶏肉や魚、きのこ、野菜などでとった出汁に、汁物専用に焼き上げた「おつゆせんべい」と呼ばれる南部せんべいを割り入れて煮込みます。せんべいはやわらかくもちもちとした食感になりながらも煮くずれしにくく、出汁を吸ってじんわりと旨みを含みます。冷害に見舞われやすく稲作が難しかったこの地域では、小麦を原料とする南部せんべいが米に代わる主食・保存食として発達し、その延長線上でせんべい汁が生まれました。2003年結成の「八戸せんべい汁研究所」の活動やB-1グランプリでの受賞を機に全国的な知名度が高まり、2022年度には文化庁の「100年フード」にも認定されています。

一升漬け
発酵食品青森

一升漬け

Isshozuke

一升漬けは、津軽地方で古くから作られてきた発酵万能調味料です。津軽藩の初代藩主・津軽為信が京都から持ち帰らせたと伝わる在来種の唐辛子「清水森なんば」を用いるのが特徴で、青唐辛子・米麹・醤油を一升(約1.8リットル)ずつ同じ分量で漬け込むことからこの名がついたとされます。清水森なんばはカプサイシンの含有量が少なく、辛みが穏やかで甘みが強いのが特徴で、冬の一番寒い時期に仕込み、2〜3年ほど熟成させると角が取れて味わいが深まります。肉・魚・野菜・豆腐・ご飯など何にでも合わせられる万能調味料として、焼き物や炒め物の薬味、鍋物のたれなど幅広い料理に使われてきました。2020年には清水森なんばが地理的表示(GI)保護制度に登録され、2022年には清水森なんばの一升漬けが文化庁の「100年フード」に青森県内で初めて認定されるなど、地域の食文化として改めて注目を集めています。

貝焼き味噌
海鮮青森

貝焼き味噌

Kayaki-miso

貝焼き味噌は、青森県の津軽・下北地方に伝わる郷土料理で、ホタテの大きな貝殻を鍋代わりに使い、だし汁と味噌でホタテや魚の切り身、野菜などを煮て溶き卵でとじたものです。古くからホタテの産地として知られた津軽湾周辺では、江戸時代からすでに貝殻を鍋にしてイワシやサバと自家製味噌を焼く素朴な漁師料理として食べられていたと伝わります。後に卵を入手できるようになると溶き卵でとじる今の形に近づきましたが、卵は当時貴重品だったため、体調を崩した人や妊産婦だけが口にできる特別な滋養食でもありました。津軽出身の作家・太宰治は小説『津軽』の中で、幼い頃に風邪をひいた際に食べた卵入りの貝焼き味噌への憧れを綴っており、津軽の人々の記憶に深く結びついた料理としても知られています。

弘前アップルパイ
甘味青森

弘前アップルパイ

Hirosaki Apple Pie

弘前アップルパイは、りんごの生産量日本一を誇る青森県弘前市で親しまれるご当地スイーツです。2009年頃、市の観光案内所にりんごスイーツの問い合わせが増えたことから、スタッフが市内の菓子店を独自に調査したところ、アップルパイを提供する店舗が40軒以上見つかり、2010年に「弘前アップルパイガイドマップ」として発信されたのが「アップルパイの街・弘前」の始まりです。和菓子屋、洋菓子店、ベーカリー、南部せんべい店、喫茶店、ホテルなど多様な業種の店がそれぞれ独自レシピを競い合っており、使用するりんごの品種や、丸ごと1個・ざく切り・スライス・ペーストといった加工方法も店ごとに個性豊かです。ガイドマップは版を重ねるごとに紹介店舗数を増やし、現在では50店舗を超えるまでに成長しました。食べ歩きを楽しむ観光客も多く、弘前を訪れたら外せないご当地グルメの一つとなっています。

黒石つゆやきそば
麺類青森

黒石つゆやきそば

Kuroishi Tsuyu Yakisoba

黒石つゆやきそばは、青森県黒石市で生まれたご当地グルメで、太くて平たい「太平麺」を使う黒石やきそばに、そばつゆをかけて食べるのが特徴です。昭和30年代後半、黒石市内にあった食堂「美満寿(みます)」が、寒い日でも温かく食べられるようにと焼きそばにつゆをかけた「つゆそば」を考案したのが始まりとされています。美満寿は後に閉店しましたが、当時の味を懐かしむ地元の飲食店有志によって「黒石つゆやきそば」としてメニュー化され、話題を呼びました。現在は黒石市内の複数の店舗で提供されており、店ごとに麺の太さやつゆの味わいが異なる、黒石を代表するB級グルメとして親しまれています。

十和田バラ焼き
肉料理青森

十和田バラ焼き

Towada Barayaki

十和田バラ焼きは、牛のバラ肉と大量のタマネギを甘辛い醤油ベースのタレで鉄板焼きにする、十和田市民のソウルフードです。1950年代、隣接する三沢市の在日米軍基地前に立ち並んだ屋台で誕生したと伝えられています。当時、米軍関係者が食用に飼育していた牛のうち、ステーキ用の赤身肉を取った後の脂の多いバラ肉やモツが安く払い下げられ、それを朝鮮半島にルーツを持つ人々がプルコギを参考にタマネギをふんだんに使って調理したのが始まりとされます。1958年の地元紙広告には「牛肉のバラ焼き」の記述が見られ、その後十和田市へと伝わり爆発的に広まりました。現在では市内40店舗以上で提供され、店ごとに異なるタレの味わいを楽しめます。

青森生姜味噌おでん
鍋料理青森

青森生姜味噌おでん

Aomori Ginger Miso Oden

青森生姜味噌おでんは、青森県青森市を中心に津軽地方一帯で親しまれるご当地おでんです。昭和20年代、青森駅から古川にかけて建ち並んだ屋台で、青函連絡船に乗る船客の体を温めようと、あるお店が味噌だれにすりおろした生姜を加えたのが始まりと伝えられます。津軽味噌(赤味噌)に酒・みりん・だし汁を合わせて煮立て、生姜をたっぷりすりおろして仕上げるのが特徴で、大根やたまごのほか、薄く大きな「大角天」やボタンの花びらのような焼き目が入る「ぼたん焼ちくわ」、陸奥湾特産のつぶ貝など、青森ならではの具材が使われます。現在では青森市内および津軽地方で「おでん」といえばこの生姜味噌だれを指すほど定着しており、「青森おでんの会」が加盟店を紹介する「おでんMAP」の発行や標準レシピの制定、おでん缶の商品化などを通じて、当地の食文化として全国へ発信する活動を続けています。冬の定番として親しまれる一方、通年提供する店も多く、青森を訪れたら味わいたいご当地グルメの一つです。

南部せんべい
郷土菓子青森

南部せんべい

Nanbu Senbei

南部せんべいは、青森県南東部から岩手県北部にかけての旧南部藩領で古くから作られてきた小麦粉の焼き菓子です。小麦粉に塩と水を混ぜた生地を、鶴亀や松竹梅などの模様が入った鉄製の丸い焼き型に挟んで両面をパリッと焼き上げます。起源には諸説ありますが、南北朝時代に南朝方の長慶天皇が南部の地を訪れた際、家臣・赤松助左衛門が鉄兜を鍋代わりにそば粉と胡麻を焼いて献上したという伝承がよく知られています。冷害が多く米の収穫が安定しなかった南部地方では、日持ちのする小麦・そば粉を使ったせんべいが貴重な保存食・主食として重宝され、明治期には八戸周辺だけで140軒もの製造店があったといわれるほど暮らしに根付きました。胡麻やピーナッツを練り込んだ豆せんべいなど種類も豊富で、そのままはもちろん、汁物に入れて煮込む郷土料理「せんべい汁」の主原料としても欠かせない存在です。

味噌カレー牛乳ラーメン
麺類青森

味噌カレー牛乳ラーメン

Miso Curry Milk Ramen

味噌カレー牛乳ラーメンは、青森市で生まれたご当地ラーメンで、味噌ラーメンをベースにカレーと牛乳を加えたコクのある一杯です。八戸市発祥と誤解されることもありますが、正しい発祥地は青森市です。昭和43年(1968年)、札幌ラーメン横丁で修業した佐藤清氏が青森市に店を構えたのが始まりとされ、当初は味噌・塩・醤油ベースのラーメンを提供していました。昭和50年代、中高生の間でラーメンにさまざまな調味料を加えて食べる遊びが流行し、その中から「味噌ラーメンにカレーと牛乳を入れると美味い」という評判が広がったことで正式メニューとなり定着しました。平成20年には「青森味噌カレー牛乳ラーメン普及会」が設立され、市民のソウルフードとして全国に知られるようになりました。

モデルコース

弘前で津軽の工芸と味を巡る一日コース

弘前市内の窯元・工房で津軽塗の研ぎ出し体験やこぎん刺しの手仕事に触れたのち、市内の郷土料理店でけの汁や貝焼き味噌を味わう。仕上げに弘前アップルパイの食べ歩きを楽しむ、津軽の職人文化と食文化を一日で体感できるコース。

八戸・南部地方で刺し子と海の幸を味わうコース

八戸市内で南部菱刺しの体験教室に参加したのち、陸奥湊で獲れたてのウニ・アワビを使ういちご煮や、南部せんべいを使ったせんべい汁を味わう。津軽とは異なる南部地方ならではの手仕事と海の幸をめぐるコース。

十和田・黒石でご当地グルメを食べ比べるコース

十和田市で市民のソウルフード・十和田バラ焼きを味わったのち、黒石市に移動して太平麺が特徴の黒石つゆやきそばを食べ比べる。青森市に戻り、味噌カレー牛乳ラーメンで締めくくる、戦後生まれのご当地グルメを巡るコース。

イベント

青森ねぶた祭

毎年8月2日〜7日 / 青森市中心部

弘前ねぷたまつり

毎年8月1日〜7日 / 弘前市街地(土手町コース・駅前コース)

八戸三社大祭

毎年7月31日〜8月4日 / 八戸市中心部(おがみ神社・新羅神社・神明宮)

地図