伝統工芸ジャンル
漆器
全国各地の漆器を横断的に紹介します。
地域(複数選択可)
30 件
会津塗
Aizu-nuri
会津塗は福島県会津若松市を中心に受け継がれてきた漆器で、国から経済産業大臣指定伝統的工芸品に指定されています。天正18年(1590年)に会津の領主となった蒲生氏郷が、産業振興のため漆工芸を奨励したことで本格的に根付いたとされ、400年を超える歴史を誇ります。木地師・塗師・蒔絵師がそれぞれ専門の工程を分業で担う点が特徴で、丸物(椀など)と板物(重箱など)で塗師が分かれているのも会津ならではです。江戸中期の藩政改革では消粉蒔絵など新たな加飾技法が導入され、螺鈿・漆絵・乾漆・沈金など多彩な技法が今日まで継承されています。鶴亀や松竹梅といった縁起の良い意匠を用いた華やかな加飾と、花塗(塗り立て)による温かみのある艶が魅力で、椀や重箱から現代的なアクセサリーまで幅広い製品が作られています。

甲州印伝
Koshu Inden
甲州印伝は、山梨県甲府市で作られる鹿革の工芸品です。なめして染めた鹿革に型紙を置き、漆を刷り込んで模様を付けるのが最大の特徴です。「印伝」の名は、南蛮貿易の頃にインドから伝わった装飾革に由来するといわれます。江戸時代後期、甲府の上原勇七が鹿革に漆付けする技法を考え出したことが、甲州印伝の始まりとされています。江戸時代には各地で印伝が作られましたが、その製法が今に残るのは甲州だけです。技法には漆付けのほか、藁を焚いた煙で革を色付ける「燻べ(ふすべ)」と、色ごとに型紙を替えて多色の柄を表す「更紗(さらさ)」があります。鹿革は柔らかく丈夫で軽く、使うほど手になじみます。漆の模様は時がたつほど色が冴え、深みのある光沢を帯びていきます。1987年に国の伝統的工芸品に指定されました。甲府市の印傳屋本店2階には、印伝の歴史と模様を紹介する印傳博物館があります。

輪島塗
Wajima-nuri
輪島塗は石川県輪島市で作られる漆器で、堅牢な下地作りと多彩な加飾技法を特徴とする日本を代表する漆工芸品です。起源には諸説あるものの、文明8年(1476年)には輪島に塗師がいたことが史料から確認されており、桃山時代の天正10年(1582年)には既に輪島独自の下地材である「地の粉」が使われていたと伝わります。木地の弱い部分に麻布を貼って補強する「布着せ」と、珪藻土を焼成した地の粉を漆に練り込んで塗り重ねる本堅地技法により、割れやすい欠点を克服した頑丈な漆器として発展しました。江戸後期には椀講と呼ばれる訪問販売の仕組みが確立し、全国に販路を広げます。18世紀に完成した加飾技法「沈金」、19世紀初めに会津から伝わった「蒔絵」も輪島塗の代名詞となり、1975年には国の伝統的工芸品に、1977年には重要無形文化財に指定されました。塗り上げまでに20以上の工程、総手数では100を超える手仕事を経て作られる、堅牢さと華やかさを兼ね備えた漆器です。

川連漆器
Kawatsura Shikki
川連漆器は、秋田県湯沢市川連町(旧・稲川町)一帯で作られる漆器で、約800年の歴史を持つとされます。伝承によれば、1193年に源頼朝の家臣で稲庭城主・小野寺重道の弟である道矩公が古四王野尻に館を築いた際、家臣に命じて刀の鞘や弓、鎧などの武具に漆を塗らせたのが始まりとされ、その後は日用の椀づくりへと発展していきました。江戸時代初期の元和年間(1615年頃)から元禄期にかけて川連村を中心に約26戸が椀師稼業を営むようになり、江戸時代後期には藩の許可を得て販路を拡大、椀・膳・重箱など幅広い漆器がつくられ、沈金や蒔絵の装飾も加わって産業としての基盤を築きました。上塗り後に研ぎ・磨きを行わず刷毛目を生かしてそのまま仕上げる「花塗り」の技法と、堅牢な下地作りが最大の特徴で、実用性の高い日用漆器として親しまれています。国指定の伝統的工芸品です。
鳴子漆器
Naruko Shikki
鳴子漆器は宮城県大崎市の鳴子温泉郷で作られる漆器で、江戸時代初期の寛永年間(1624~1644年)頃に創始されたと伝わります。岩出山領主・伊達敏親が塗師や蒔絵師を京都へ派遣して技術を学ばせたことが基盤となり、湯治客の土産物として発展しました。1982年12月1日に宮城県知事指定、1991年5月20日には経済産業大臣指定の伝統的工芸品となっています。最大の特徴は木地の美しい木目を透明感のある琥珀色の漆で活かす「木地呂塗」と、墨流し技法による幻想的な模様が浮かぶ「竜文塗」の2つの塗り技法です。欅(けやき)や栃(とち)などの木地をろくろで挽き、下地から上塗りまで手間をかけて仕上げるため、使い込むほどに木目や色合いに深みが増していきます。汁椀や重箱、盆など日常づかいの器が多く、鳴子こけしの里としても知られる温泉地の暮らしに根づいた実用の漆器です。

木曽漆器
Kiso Shikki (Kiso Lacquerware)
木曽漆器は、長野県塩尻市の木曽平沢・奈良井を中心に作られてきた漆器です。17世紀初頭、木曽ヒノキなどの豊かな森林資源を生かした白木細工に漆を塗り、中山道を行き交う旅人の土産物として売り出したのが始まりといわれます。明治の初め頃、奈良井で鉄分を多く含む粘土「錆土(さびつち)」が見つかりました。この錆土を漆に混ぜる下地塗りの技法により、堅牢な漆器の産地として名を高めます。木目を生かす「木曽春慶」、まだら模様を表す「木曽堆朱」、色漆で幾何学模様を描く「塗分呂色塗(ぬりわけろいろぬり)」が代表的な技法です。1975年に国の伝統的工芸品に指定されました。木曽平沢の町並みは「漆工町」として国の重要伝統的建造物群保存地区に選ばれています。

越前漆器
Echizen Shikki
越前漆器は、福井県鯖江市の河和田(かわだ)地区を中心に作られている漆器です。約1500年前、のちの継体天皇が皇子だった頃、傷んだ冠の塗り替えを片山集落の塗師に命じたことが始まりと伝えられています。塗師は冠とともに黒塗りの椀を献上し、その出来栄えに感動した皇子が漆器づくりを奨励したといいます。堅牢な下地に漆を丁寧に塗り重ねた、艶やかで丈夫な仕上がりが特徴です。江戸時代末期には京都から蒔絵、輪島から沈金の技法を取り入れました。明治時代以降は旅館などで使う業務用漆器の販路を広げ、現在では外食分野で使われる漆器の大半を生産する産地となっています。1975年に国の伝統的工芸品に指定されました。
駿河漆器
Suruga Shikki (Suruga Lacquerware)
駿河漆器(するがしっき)は、静岡市で作られている漆器です。江戸時代の寛永年間、静岡浅間神社の造営のために全国から腕のよい漆塗職人が集まりました。造営後も静岡に残った職人たちが技を伝えたことで、漆器づくりが根付いたといわれます。最大の特徴は「変わり塗(かわりぬり)」です。漆塗りの基本技術を応用し、さまざまな材料や技法を用いて独特の模様や手触りを表します。大正時代に考案された「金剛石目塗(こんごういしめぬり)」は、下地に川砂を使う技法で、静岡県の無形文化財に指定されています。幕末から明治にかけて万国博覧会に出品されて海外でも評価され、やがて輸出漆器の一大産地となりました。現在は静岡県郷土工芸品に指定され、2007年には静岡市で初めての地域団体商標に登録されています。

琉球漆器
Ryukyu Shikki
琉球漆器は、沖縄県の那覇市首里を中心に伝えられてきた漆工芸品です。14世紀末頃に中国から漆器の技術がもたらされ、15〜16世紀の琉球王国時代に盛んに製作されるようになったとされています。王府は貝摺奉行所を設けて漆器製作を管理・強化し、中国や薩摩から技術を導入しながら、ウルシノキの栽培や漆の採取も政策として整備しました。1609年の薩摩侵攻以降、琉球漆器は徳川将軍家や諸大名への献上品としても珍重され、対外的な琉球王国の技術力を示す品となりました。加飾技法には、刀で模様を彫り金を定着させる「沈金」、夜光貝やアワビ貝を文様に切って埋め込む「螺鈿」、漆で模様を描き金箔を貼る「箔絵」に加え、琉球独自に生み出された「堆錦(ついきん)」があります。堆錦はクロメ漆に顔料を練り込んで餅状にし、薄く延ばして文様に切り取って貼り付ける技法で、立体的で華やかな装飾が生まれます。木地にはデイゴやガジュマル、エゴノキなど、乾燥後の収縮や亀裂が少ない沖縄の樹木が用いられてきました。1974年に沖縄県指定伝統工芸品、1986年に経済産業大臣指定の伝統的工芸品となっています。
京漆器
Kyo-shikki
京漆器は、平安京の宮廷文化とともに育まれてきた京都の漆工芸で、薄手の木地を幾重にも漆で塗り重ねる「本堅地」という緻密な下地技法と、金銀粉で文様を描く蒑絵の美しさを特徴とします。起源は794年の平安遷都まで遡るとされ、奈良時代に生まれた末金鏤(まっきんる)の技法が平安時代に受け継がれ、研出蒔絵や平蒔絵として完成されていきました。茶道文化の広がりとともに茶道具としての需要も高まり、公家や寺社、茶人の求めに応じて洗練された意匠が磨かれてきました。1976年に国の伝統的工芸品に指定され、他産地の漆器には見られない「わび」「さび」を備えた奥深い趣と優雅さを併せ持つ点が高く評価されています。木地作りから下地、上塗り、加飾まで多くの工程を経て、一つの器が完成します。

山中漆器
Yamanaka-shikki
山中漆器は石川県加賀市の山中温泉地区を中心に作られる漆器で、木地挽きの高い技術から「木地の山中」として知られています。始まりは安土桃山時代、山々を渡り歩きながら椀や盆などの挽物を作っていた木地師の一団が、山中温泉の上流にあたる真砂の地に定住して木地を挽き始めたことに由来するとされます。江戸時代には会津や京都、金沢から漆塗りや蒔絵の技術が取り入れられ、加飾挽きや朱溜塗など独自の技法が加わり発展しました。最大の特徴は轆轤挽物の技術で、木目に沿って縦方向に木取りする「縦木取り」により狂いの少ない美しい木地を生み出すほか、わずか3ミリの幅に十数本もの筋を刻む「千筋」、木地が透けるほど薄く挽く「薄挽き」など、他産地の追随を許さない精緻な加飾挽きが見られます。木地挽物の分野では職人の質・量ともに国内トップクラスとされ、1975年には国の伝統的工芸品に指定されています。
駿河塗下駄
Suruga Nuri Geta (Suruga Lacquered Geta Clogs)
駿河塗下駄(するがぬりげた)は、静岡市で作られている漆塗りの下駄です。木地に漆を塗り、蒔絵や彫りなどで華やかに飾るのが特徴です。明治時代、下駄職人の本間久次郎が、安価な日用品だった下駄に漆塗りを施した高級塗下駄を考え出したのが始まりとされます。軽い安倍杉を使って量産を図り、問屋を通じて出荷されると全国的な流行となりました。大正時代には、不振に陥った輸出漆器の職人たちが塗下駄づくりに転じます。駿河漆器の「変わり塗」の技術が下駄にも生かされ、「高級塗下駄といえば静岡」といわれるほどの産地に成長しました。現在は静岡県郷土工芸品に指定され、市内の職人が伝統の技を受け継いでいます。
村上木彫堆朱
Murakami Kibori Tsuishu
村上木彫堆朱は、新潟県村上市で作られる漆器です。朴(ほお)や栃、桂などの木地に繊細な彫刻を施し、その上に天然漆を何度も塗り重ねて仕上げます。堆朱とは本来、朱漆を厚く塗り重ねた層に文様を彫る中国由来の技法ですが、村上では木地そのものを彫ってから漆を塗る点に特色があります。起源は約600年前、寺院建築のために京都から訪れた漆工が技術を伝えたことにあるとされます。江戸時代には村上藩士が名工に彫刻を学び、歴代藩主の奨励を受けて武士から町民へと広まりました。代表的な堆朱は朱の上塗りを艶消しで仕上げた落ち着いた肌合いが特徴で、年月とともに朱色が冴えていきます。現在は堆朱・堆黒・朱溜塗など6種類の技法を総称して村上木彫堆朱と呼び、1955年(昭和30年)に新潟県無形文化財、1976年(昭和51年)2月に経済産業大臣指定の伝統的工芸品となりました。
新潟漆器
Niigata Shikki
新潟漆器は、新潟市で作られる漆器です。江戸時代初めの元和年間(1615〜1624年)に、秋田(能代)の春慶塗が伝わったことが始まりとされます。寛永15年(1638年)には、現在の古町7番町に「椀店(わんだな)」と呼ばれる漆器の専売地域が定められました。港町・新潟は北前船の寄港地として物資や文化が集まる地で、各地のさまざまな漆塗りの技が伝わりました。そのため新潟漆器は「変わり塗の宝庫」と呼ばれ、数十種類ともいわれる塗りが受け継がれています。なかでも本物の竹と見間違えるほどの「竹塗」は、他の産地では見られない珍しい塗りとして知られます。2003年(平成15年)3月には、花塗・石目塗・錦塗・磯草塗・竹塗の5技法が経済産業大臣指定の伝統的工芸品となりました。箸や盆、椀、名刺入れなど、暮らしの道具として今も親しまれています。

伊勢春慶
Ise Shunkei (Ise Lacquerware)
伊勢春慶(いせしゅんけい)は、三重県伊勢市で作られてきた漆器です。伊勢漆器や山田春慶とも呼ばれます。檜の板で作った箱物に、弁柄(べんがら:赤い顔料)や柿渋で下塗りをし、透明な漆で仕上げます。赤褐色の地に檜の木目が透けて見えるのが持ち味です。起源ははっきりしませんが、室町時代に神宮の造営に携わった工匠が余材で作り始めたと伝わります。江戸時代には伊勢参りの土産として売買され、河崎の問屋から各地へ出荷されました。明治時代には「粗末だが廉価で堅牢」と評され、重箱や膳など日常の器として全国で使われます。しかし戦争と戦後の暮らしの変化で、生産はいったん途絶えました。1994年(平成6年)に三重県指定伝統工芸品となり、2004年(平成16年)に発足した「伊勢春慶の会」が復活を進めています。

若狭塗
Wakasa-nuri
若狭塗は、福井県小浜市で作られる漆器です。卵の殻やアワビなどの貝殻、松葉などで模様を付け、色漆を何層も塗り重ねたのち、砥石で研いで模様を浮かび上がらせる「研ぎ出し」が最大の特徴です。その模様は若狭湾の海底を思わせるといわれ、かつては「宝石塗」とも呼ばれました。江戸時代初期、小浜藩の御用塗師・松浦三十郎が中国の漆器をヒントに、海底の様子を意匠化した塗りを考案したのが始まりとされます。藩主の酒井家は若狭塗を手厚く保護し、江戸中期から後期には200種以上の塗手法が生まれたと伝えられています。1978年(昭和53年)には国の伝統的工芸品に指定されました。現在の代表的な製品は塗箸で、小浜市は国内で生産される塗箸の8割以上を占めるとされます。市内の箸のふるさと館WAKASAや若狭工房では、箸の研ぎ出し体験ができます。

飯山仏壇
Iiyama Butsudan (Iiyama Buddhist Altars)
飯山仏壇は、長野県飯山市で作られる金仏壇です。市の北部・愛宕町を中心に生産され、部品作りから組み立て、修理までを地域の中で一貫して行っています。飯山は室町時代に北陸から浄土真宗が伝わり、信仰の厚い土地柄として知られます。多くの寺が建ち並ぶ町並みから、「雪国の小京都」とも呼ばれてきました。元禄2年(1689年)に甲州から来た寺瀬重高が、素地仏壇を手がけたのが始まりと伝わります。宮殿(くうでん)を「肘木組物(ひじきくみもの)」で組み上げる技法と、宮殿がよく見えるよう弓形にした「弓長押(ゆみなげし)」が特徴です。分解して洗い、塗り直す「せんたく」によって、何世代にもわたって使い継ぐことができます。1975年に国の伝統的工芸品に指定されました。雪よけの雁木(がんぎ)が続く愛宕町の通りは、仏壇店が軒を連ねる「仏壇通り」として親しまれています。
飛騨春慶塗
Hida Shunkei-nuri
飛騨春慶塗は岐阜県高山市に伝わる漆器で、黒漆や朱漆を使わず透漆(すきうるし)を用いて木地の美しい木目をそのまま生かす点が最大の特徴です。起源は江戸時代初期の慶長年間(1596〜1615年)に遡るとされ、寺社仏閣の造営工事の際に見つかった椹(さわら)の美しい木目を生かして盆を作り、皇族や幕府へ献上したことが始まりと伝えられています。以来、木地を挽く木地師と漆を塗る塗師が分業しながら技を磨き、盆や重箱、菓子器などの日用品として発展してきました。1975年(昭和50年)2月17日には経済産業大臣指定の伝統的工芸品に指定され、現在も高山市内の窯元・工房で製作が続けられています。塗師によって色調や艶に個性が表れ、同じ形の器でも一つとして同じ表情のものはないといわれています。
玉虫塗
Tamamushi-nuri
玉虫塗は仙台市で生まれた比較的新しい漆芸で、昭和初期の1932年(昭和7年)、東北地方の産業振興と輸出工芸品開発を目的に仙台に設けられた「国立工芸指導所」において、漆芸家・小岩峻によって考案され特許を取得しました。木地や乾漆の素地に漆で下地を施したのち、全面に銀粉を蒔き、その上から色を加えた特製の半透明の玉虫漆を幾重にも塗り重ね、丹念に研ぎ出すことで完成します。見る角度や光の当たり方によって色合いが微妙に変化する艶やかな輝きが、タマムシの羽根に似ていることからこの名が付けられました。1933年に創業した東北工芸製作所(初代社長・佐浦元次郎)が1939年に特許実施権を得て以来、仙台を代表する工芸品として製作を続けています。花瓶や盆、アクセサリーから洋食器まで幅広い製品が作られ、1985年(昭和60年)には宮城県知事指定伝統的工芸品に指定されました。伝統工芸としては歴史が浅い分、現代の暮らしに寄り添うデザインが多いことも魅力です。
芝山細工
Shibayama Zaiku
芝山細工(芝山象嵌)は、貝や珊瑚、鼈甲、翡翠、象牙などを花鳥人物の形に彫刻し、漆塗りの器物の表面に嵌め込んで立体的な文様を表す象嵌技法です。安永4年(1775年)、上総国芝山村(現在の千葉県芝山町)に生まれた大野木専蔀(せんぞう)が考案したとされ、専蔀は後に江戸へ出て芝山仙蔵と名乗り、この技法を広めました。幕末の開国後、輸出港として発展した横浜に職人が集まり、欧米の貿易商から高く評価されたことで「横浜芝山漆器」として独自の発展を遂げ、1893年のシカゴ万博で入賞するなど国際的にも名を知られました。しかし関東大震災と第二次世界大戦による打撃で職人は激減し、最盛期に100人ほどいた芝山師は、2017年時点で大作を手がけられる職人が1人のみとされるほど希少な存在になっています。発祥の地である芝山町には、文化2年(1805年)に作られた「芝山象嵌の扁額」が残り、町の文化財として大切に保存されています。
粟野春慶塗
Awano Shunkei-nuri
粟野春慶塗は茨城県東茨城郡城里町粟に伝わる漆器で、室町時代の延徳元年(1489年)に稲川山城守源義明が地元に自生する漆・檜・梅を用いて塗物を考案したのが始まりと伝えられる。江戸時代には稲川家8代・興兵衛が水戸藩2代藩主・徳川光圀の前で紀州の漆工と技を競い、その仕上がりが優れていたことから水戸藩の塗物御用達となった。木地に黄や赤の下地色をつけたうえに透明な透漆を塗り重ねて木目を透かして見せる技法を用い、岐阜の飛騨春慶塗、秋田の能代春慶塗と並ぶ「日本三春慶」の一つに数えられる。1989年(平成元年)1月25日に茨城県指定無形文化財となったが、現在は稲川家1軒のみが伝統の技を継承している。
横浜芝山漆器
Yokohama Shibayama-nuri
横浜芝山漆器は、貝殻や象牙、鼈甲などを彫り込んで漆器の表面にはめ込み、花鳥風月の文様を立体的に浮かび上がらせる象嵌技法の工芸品です。技法自体は江戸時代後期、上総国芝山村(現・千葉県芝山町)出身の大野木専蔵が江戸で考案した「芝山象嵌」に由来し、幕末の横浜開港を機に貿易港・横浜で海外向けの輸出工芸品として独自の発展を遂げました。明治期には欧米での評価が高く、最盛期には100人近い職人が横浜に集まりましたが、関東大震災や第二次世界大戦による被害、輸出需要の減少により職人は激減しました。現在、大型作品まで手がけられる現役の職人は宮﨑輝生氏ただ一人とされ、国内に残る作品自体も数少ない、極めて希少な伝統技術です。

鎌倉彫
Kamakura-bori
鎌倉彫は、木彫りの上に漆を塗り重ねて仕上げる神奈川県鎌倉市の伝統的工芸品です。鎌倉時代、中国・宋から伝わった彫漆(堆朱・堆黒)に影響を受けた鎌倉の仏師たちが、より簡便に立体的な意匠を表現しようと、木地に文様を彫刻したうえで漆を塗る技法を編み出したのが始まりとされます。当初は仏具や禅宗寺院の道具として作られていましたが、明治初期の廃仏毀釈で仕事を失った仏師たちが、盆や茶托など生活工芸品の製作へと活路を見出し、現在の鎌倉彫へと発展しました。彫りの断面がV字形になる「薬研彫り」を基本とし、木肌の質感を生かした重厚な色合いの漆塗りが特徴です。1979年には経済産業大臣指定の伝統的工芸品に指定され、現在も鎌倉市内の工房・組合を中心に技術が受け継がれています。
郷原漆器
Gobara Shikki
郷原漆器は、岡山県真庭市蒜山(旧・郷原地区)に伝わる生活漆器です。起源は明徳年間(1390〜1400年頃)にさかのぼるとされ、蒜山高原に自生するクリ材を、伐採した生木のまま轆轤(ろくろ)で挽いて木地を作るという、他の漆器産地には見られない独特の製法で知られます。木目の美しさを生かしながら備中漆などの天然漆で仕上げた椀や盆は、飾るためではなく日々使うための道具として、地域の暮らしに寄り添ってきました。大正末期から昭和初期にかけて生産のピークを迎えましたが、第二次世界大戦を機に一時途絶。平成元年(1989年)から地元有志による復活の取り組みが始まり、平成8年(1996年)には岡山県指定重要無形民俗文化財に指定されました。現在は「郷原漆器の館」を拠点に、600年余り続く生木ロクロ挽きの技が受け継がれています。

高岡漆器
Takaoka-shikki
高岡漆器は富山県高岡市で生産される漆器で、江戸時代初期の慶長年間、加賀藩二代藩主・前田利長が高岡城を築いた際、武具や箪笥、膳など日常生活の道具に漆を塗らせたことに始まるとされる。以降、明和年間に辻屋丹甫が中国漆器を模した堆朱・存星の技法を確立し、富山藩主・前田正甫が京都から招いた名工・杣田清輔の技を土台に「青貝塗(螺鈿)」が発展、さらに江戸末期には初代石井勇助が中国明代の漆器を研究して独自の「勇助塗」を生み出すなど、他産地に比べて多彩な加飾技法を併せ持つ点が最大の特徴となっている。1891年に富山県工芸学校が設立されて技術指導が進んだこともあり、盆や重箱、茶道具といった暮らしの道具から美術工芸品まで幅広く手がけられてきた。1975年には経済産業大臣指定伝統的工芸品に指定され、現在も高岡市内の工房で伝統技法が受け継がれている。
秀衡塗
Hidehira-nuri
秀衡塗は岩手県平泉町を中心に作られる漆器で、平安時代末期に奥州藤原氏第3代当主・藤原秀衡が京都から職人を招き、平泉特産の漆と金を使って器を作らせたのが起源と伝えられています。中尊寺金色堂には漆・金箔・蒔絵・螺鈿といった多彩な漆芸技術が用いられており、平安期の平泉が高度な漆工技術を有していたことがうかがえます。最大の特徴は、菱形に切った金箔を貼り、その上から漆絵で草花文様を描く「秀衡文様」で、雲を表す「源氏雲」と菱形を組み合わせた「有職菱文様」が椀や重箱などに施されます。素朴でありながら金の輝きをまとった華やかな意匠は、他産地の漆器にはない独自の様式として今日まで受け継がれています。
小田原漆器
Odawara Shikki
小田原漆器は、木地の美しい木目をそのまま生かして仕上げる神奈川県小田原市の伝統的工芸品です。室町時代中期、箱根山系で切り出したケヤキなどの木材をろくろで挽いて器物を作り、生漆を摺り込むように塗ったのが始まりとされます。戦国時代には北条氏康が塗師を城下に招いて彩漆塗の技法を導入し、江戸時代には東海道の宿場町として栄えた小田原で、日用品から武具の部材まで製造範囲を広げながら発展しました。木地の木目を消さずに漆を薄く塗り重ねる「摺漆塗」と、錆漆で下地を作る「木地呂塗」の2つの技法を特徴とし、丈夫でゆがみが少ないケヤキ材の器が多く作られています。1984年には国の伝統的工芸品に指定されました。
浄法寺塗
Joboji-nuri
浄法寺塗は岩手県二戸市浄法寺町を中心に作られる実用漆器です。神亀5年(728年)に行基が同地に天台寺を建立した際、中央から派遣された僧侶たちが自らの什器を作るために漆工技術を持ち込んだのが始まりと伝えられ、装飾を抑えた素朴で質実な器が「御山御器」の名で藩政期には南部藩の産物として広まりました。二戸市浄法寺町一帯は国産漆の生産量日本一を誇る産地で、国産漆のおよそ7割から8割がこの地域で採取されています。地元産の漆をふんだんに用い、朱・黒・溜を基調とした無地の塗りは使うほどに艶を増すのが特徴で、日常の食器としての実用性を重視した器づくりが今も受け継がれています。

津軽塗
Tsugaru-nuri
津軽塗は青森県弘前市を中心に作られる漆器で、青森県で唯一の経済産業大臣指定伝統的工芸品です。江戸時代中期、弘前藩四代藩主・津軽信政が産業育成のため若狭国から塗師・池田源兵衛を招いたことに始まり、その子・源太郎が江戸で青海波塗の技法を修め、津軽の地で独自の漆器を作り上げました。以来約300年の歴史の中で「唐塗」「七々子塗」「紋紗塗」「錦塗」という四つの技法が確立し、いずれも漆を幾重にも塗り重ねては研ぎ出す工程を繰り返すため、完成までに約50もの工程と長い年月を要します。その手間のかかりようから通称「馬鹿塗」とも呼ばれ、明治6年(1873年)のウィーン万国博覧会に出品されたことをきっかけに「津軽塗」の名が広く知られるようになりました。昭和50年(1975年)には経済産業大臣指定伝統的工芸品に指定され、現在も弘前市を中心に多くの職人が伝統の技を受け継いでいます。
奈良漆器
Nara Shikki
奈良漆器は、正倉院宝物や春日大社の古神宝類に見られる奈良時代の漆工技術をルーツとする漆器で、奈良は「日本の漆器発祥の地」とも称されます。飛鳥時代に仏教とともに大陸から伝わった漆工技術は、天平文化の中で大きく花開き、正倉院には螺鈿を施した名品「螺鈿紫檀五絃琵琶」をはじめ数々の優品が納められました。明治以降、正倉院宝物や社寺の古神宝類の修理・復元模造を手がける職人が奈良に輩出されたことで、夜光貝など光沢の美しい貝を用いる「螺鈿」の技術が受け継がれてきました。木地に漆を塗り重ね、文様の形に切り抜いた貝を貼り付けて研ぎ出す螺鈿細工は、天平時代さながらの華やかな輝きを放ちます。螺鈿の重要無形文化財保持者(人間国宝)であった北村昭斎氏をはじめとする漆工家たちが、文化財修理と創作の両面から奈良漆器の技を今日まで伝えています。