伝統工芸ジャンル
木工
全国各地の木工を横断的に紹介します。
地域(複数選択可)
86 件

岩槻人形
Iwatsuki Ningyo
岩槻人形は、さいたま市岩槻区で作られる雛人形・五月人形・木目込人形・衣裳人形などの総称で、平成19年(2007年)に経済産業大臣指定の伝統的工芸品となりました。起源は寛永年間(1634〜1647年)、日光東照宮の造営に集められた工匠たちが日光御成街道の宿場町であった岩槻に住み着き、周辺に自生する桐を使った指物や人形作りを始めたことにあるとされます。さらに元禄10年(1697年)には京都堀川の仏師・恵信が岩槻に滞在中、桐粉と正麩糊を練り固めて人形の頭を作り始めたとも伝わります。以来約380年にわたり、頭師・手足師・着せつけ師・小道具師による分業体制が受け継がれ、日本一の人形生産地として発展してきました。現在も「人形のまち岩槻」として多くの人形店・工房が軒を連ね、雛人形・五月人形の生産量は全国でも屈指を誇ります。

宮城伝統こけし
Miyagi Dento Kokeshi
宮城伝統こけしは、江戸時代末期に東北地方の温泉地で子どもの土産物として生まれた木地玩具「こけし」のうち、宮城県内で育まれた4つの系統――鳴子系・遠刈田系・弥治郎系・作並系――を総称する呼び名です。1981年(昭和56年)6月22日に経済産業大臣指定の伝統的工芸品となりました。遠刈田こけしは文政年間(1818~1830年)にはすでに作られていたとされ、こけし発祥の地の有力候補とされる一方、近年は仙台市作並温泉を起源とする説も注目されています。頭部を胴にきつく差し込んで首を回すと音が鳴る鳴子系、大きな頭に赤い髪飾りを描く遠刈田系、ベレー帽のようなろくろ模様が特徴の弥治郎系、かに菊模様の作並系。系統ごとに形状や描彩がまったく異なる点が、宮城伝統こけしの大きな魅力です。今も各温泉地では工人が一本一本を手作業で挽き、素朴で温かみのある表情を今に伝えています。

駿河竹千筋細工
Suruga Take Sensuji Zaiku (Suruga Fine Bamboo Ware)
駿河竹千筋細工(するがたけせんすじざいく)は、静岡市で作られている竹工芸品です。竹を細く割って丸く仕上げた「丸ひご」を、竹の輪にあけた穴へ一本一本差し込んで組み上げます。他の産地の多くが平たいひごを編むのに対し、丸ひごを「組む」ことで、すっきりとした直線と優美な曲線を生み出します。静岡では弥生時代の登呂遺跡から竹製品の跡が見つかっており、古くから竹細工が暮らしに根付いていました。江戸時代には「駿河細工」と呼ばれ、東海道を行き交う大名や旅人に親しまれます。天保11年(1840年)、岡崎藩士の菅沼一我(すがぬまいちが)が丸ひごの技法を伝え、現在の繊細な作風の礎が築かれたといわれます。1976年に国の伝統的工芸品に指定されました。花器や虫かご、菓子器のほか、行灯(あんどん)や風鈴なども作られています。

大館曲げわっぱ
Odate Magewappa
大館曲げわっぱは、秋田県大館市で作られる木工品で、天然秋田杉の柾目材を薄く剥いで熱湯につけて柔らかくし、円筒形に曲げてから山桜の樹皮で縫い留める技法を用います。大館郷土博物館には平安時代のものとされる曲げ物の遺物も所蔵されており、素朴な曲げ物づくり自体は古くから行われていたと考えられていますが、産業として本格的に発展したのは17世紀後半のこと。大館城主・佐竹西家が領内の財政難と下級武士の困窮を打開するため、豊富な秋田杉資源を活用した曲げ物づくりを副業として奨励したことが直接の起源とされます。杉特有の美しい木目に加え、適度な調湿性・通気性を持つことから、詰めたご飯の余分な水分を吸収して美味しさを保つとされ、弁当箱やおひつとして近年改めて注目を集めています。1980年(昭和55年)10月には経済産業大臣指定の伝統的工芸品に指定されました。

房州うちわ
Boshu Uchiwa
房州うちわは千葉県館山市・南房総市(房州地方)で作られる伝統的なうちわで、京都の京うちわ、香川の丸亀うちわと並び「日本三大うちわ」の一つに数えられます。平成15年(2003年)には千葉県で初めて国の伝統的工芸品に指定されました。房州の温暖な気候で育つ女竹(めだけ)は、節と節の間が広く軽くしなやかで、うちわの骨に最適な材料とされています。竹の丸みをそのまま柄として活かす「丸柄(まるえ)」が最大の特徴で、他産地のうちわには見られない持ちやすさとしなやかな風を生み出します。1本の竹を40〜64等分に細かく割いて糸で編み上げ、扇形の「窓」を作る工程をはじめ、全21工程がすべて職人の手作業によって行われています。大正末期から昭和初期には年間700〜800万本もの房州うちわが作られる一大産地となりましたが、生活様式の変化とともに生産量は減少し、現在は数少ない職人が伝統を守り続けています。

駿河雛具・駿河雛人形
Suruga Hinagu and Suruga Hina Ningyo (Suruga Doll Furnishings and Hina Dolls)
駿河雛具(するがひなぐ)と駿河雛人形(するがひなにんぎょう)は、静岡市を中心に作られているひな祭りの飾りです。どちらも1994年に国の伝統的工芸品に指定されました。雛具は、箪笥(たんす)や長持、鏡台、御所車など、雛人形とともに飾る小さな調度品です。伝統的なものだけで約40種類あり、本物の家具と同じ工程で作られます。木地を作る指物師・挽物師と、塗師、蒔絵師、金具師が分業で一つの品を仕上げます。昭和40年代には全国シェアの約9割を占めるまでになりました。雛人形は、静岡県中部で作られてきた天神人形にルーツを持ちます。稲わらを固く束ねた太い「藁胴(わらどう)」を使い、両腕を曲げて姿を決める「振り付け」に職人の技が表れます。人形の胴体では、全国生産の約7割を占めるに至りました。

樺細工
Kabazaiku
樺細工は、秋田県仙北市角館町で作られる、山桜の樹皮(樺)を用いた木工品です。天明年間(1781〜1789年)、角館の下級武士であった藤村彦六が、秋田県北部の合川町鎌沢の神官・御処野家からその製法を習得し、角館の武士の間に広めたのが起源とされます。当時は大凶作と飢饉が続く時代で、元手のかからない山桜の樹皮を材料に、下級武士の手内職として印籠や根付などが作られました。明治以降は長松谷商店(屋号・丸亀)など有力な問屋の出現によって産業として安定し、明治30年頃には木を挽いて成形する「木地もの」の技法も加わりました。大正〜昭和期には小野東三が中興の祖と称され、柳宗悦との出会いを機に昭和17年の伝習会から技術復興が進みました。昭和51年(1976年)には経済産業大臣指定の伝統的工芸品に指定され、翌昭和53年には角館樺細工伝承館が開館しています。茶筒や盆、煙草入れなどが代表的な製品です。
月夜野桐箪笥
Tsukiyono Kiri Tansu
月夜野桐箪笥は、群馬県利根郡みなかみ町月夜野地区で大正6年(1917年)の創業以来作り続けられてきた桐製の箪笥です。桐は軽くて木肌が上品なうえ、湿度に応じて膨張・収縮する性質により箱の内部を一定の湿度に保つ調湿性を備え、樹液由来の成分が虫を寄せ付けにくいため、大切な着物や道具を湿気や害虫から守る収納家具として古くから重宝されてきました。月夜野地区は良質な桐材が手に入りやすい土地であったことから、木取りから板の乾燥、指物、金具付けまでの工程を一貫して手がける職人技によって、狂いの少ない丈夫な箪笥が作られています。現在は伝統的な様式に加え、現代の住まいに合わせたデザインの桐箪笥や桐箱も製作されており、群馬県ふるさと伝統工芸品に指定される地域を代表する木工技術として受け継がれています。
春日部桐箪笥
Kasukabe Kiri Tansu
春日部桐箪笥は埼玉県春日部市を中心に作られる桐材の箪笥で、昭和54年(1979年)に経済産業大臣指定の伝統的工芸品となりました。起源は江戸時代初期、日光東照宮の造営のために全国から集められた工匠の一部が、日光街道の宿場町であった春日部に住み着き、周辺に豊富にあった桐を材料として指物や小物を作り始めたことにあると伝えられています。天保年間(1830年頃)には古利根川・江戸川の水運を活かして江戸へ製品を輸送できたことから、桐箪笥づくりを専門とする業者が増え、産地として発展しました。桐は湿気を吸って膨張し乾燥すると収縮する性質を持つため、湿度の高い時期には箪笥がわずかに膨らんで密閉され、中の着物や道具を湿気や火災から守るとされます。木目の美しさを活かした木地仕上げと、狂いの少ない堅牢な作りが今も高く評価されています。

仙台箪笥
Sendai Tansu
仙台箪笥は仙台市を中心に作られる指物家具で、江戸時代末期に仙台藩の城下町で誕生した地場産業です。当初は刀や金庫を収める「野郎箪笥」として作られ、明治から大正期にかけては欧米への輸出も盛んに行われました。最大の特徴は、欅や栗などの無垢材に木目を美しく見せる透明感のある紅色の漆「仙台木地呂塗」を施し、そこに龍や牡丹、唐獅子といった武家好みの図柄を厚さ1ミリほどの鉄板から打ち出した重厚な金具を組み合わせる意匠にあります。指物・漆塗り・金具の3つの工程をそれぞれ専門の職人が分業で手がけ、現在も仙台箪笥協同組合の職人たちによって受け継がれています。2015年(平成27年)6月18日には、宮城伝統こけし・雄勝硯・鳴子漆器に次いで県内4番目、24年ぶりとなる経済産業大臣指定の伝統的工芸品に指定された、比較的新しい指定品目でもあります。
大阪欄間
Osaka Ranma (Osaka Transom Panels)
大阪欄間(おおさからんま)は、大阪府内で作られている欄間です。欄間とは、和室の鴨居(かもい)の上に取り付け、光と風を通しながら部屋を飾る建具をいいます。始まりは17世紀初期とされ、和泉市の聖神社(ひじりじんじゃ)や大阪市の四天王寺に、その技法のもととなる技術が見られます。江戸時代中期には、商家を中心とした一般の住宅にも取り入れられました。屋久杉の木目を生かした絵画のような「彫刻欄間」、桐の板に模様をくり抜く「透彫(すかしぼり)欄間」など、種類の多さが特徴です。ほかに、細い桟を並べる「筬(おさ)欄間」や、幾何学模様の「組子欄間」も作られています。二間続きの和室を仕切るため、表と裏の両面を見せる作りになっています。1975年(昭和50年)に国の伝統的工芸品に指定されました。

天童将棋駒
Tendo Shogi Goma
天童将棋駒は山形県天童市を中心に作られる将棋の駒で、全国生産量の約95%を占めるといわれています。起源は江戸時代後期、財政難に苦しんでいた天童織田藩が下級武士の内職として将棋駒づくりを奨励したことに遡ります。米沢藩を通じて大阪の駒師から技術を学び、幕末には草書体を用いた「書き駒」の基礎が確立されました。明治以降は分業体制が整い大量生産地として発展し、昭和初期には全国一の生産量を誇るまでになりました。原材料には「木の宝石」とも呼ばれる伊豆諸島・御蔵島産のツゲが用いられ、書き駒・彫り駒・彫り埋め駒・盛り上げ駒の4種類があります。中でも漆で文字を盛り上げる「盛り上げ駒」は最高級品とされ、将棋のタイトル戦でも使用されています。1996年、経済産業大臣指定の伝統的工芸品に指定されました。
南木曽ろくろ細工
Nagiso Rokuro Zaiku (Nagiso Wood Turning)
南木曽ろくろ細工は、長野県木曽郡南木曽町を中心に作られている木工品です。厚い板や丸太をろくろで回転させ、カンナで挽いて形を削り出す「挽物(ひきもの)」の技法で、盆や椀、茶托、木地鉢などを作ります。18世紀前半、木の挽物を得意とする木地師(きじし)と呼ばれる人々がこの地に定着したのが始まりとされます。材料にはトチやケヤキ、セン、カツラなど、木曽谷に育つ木目の美しい広葉樹を使います。職人は木目や木質を見きわめ、木ごとに作る品を決めます。製品は素地のままの「白木」と、漆を塗っては拭き取る「漆拭き」があります。1980年に国の伝統的工芸品に指定されました。南木曽町吾妻の「木地師の里」には工房が集まり、見学や手挽きろくろの体験ができます。
彦根仏壇
Hikone Butsudan
彦根仏壇は滋賀県彦根市を中心に製造される金仏壇で、昭和50年(1975年)に仏壇・仏具業界として初めて経済産業大臣指定伝統的工芸品に指定されました。起源は江戸時代中期、彦根藩の城下町で武具や甲冑を手がけていた職人たちが、太平の世を迎えて仏壇づくりに転じたことにあると伝えられます。彦根藩の庇護のもと、木地・宮殿・彫刻・漆塗・蒔絵・金具・箔押という七職と呼ばれる専門の職人が分業で仕上げる体制が江戸後期には確立し、彦根城下と中山道を結ぶ「七曲がり」と呼ばれる通りには今も仏壇店や工房が軒を連ねています。総金箔・総漆塗りによる重厚で華やかな仕上がりが特徴で、木地から仕立てまで一貫して手作業で仕上げられる点も高く評価されています。
奥会津編み組細工
Okuaizu Amikumi-zaiku
奥会津編み組細工は、福島県大沼郡三島町を中心とする奥会津地方の山間部で採れる山ぶどうの蔓・ひろろ・マタタビといった自然素材を用いた編み組み工芸で、国指定の伝統的工芸品です。積雪期の手仕事として受け継がれてきた歴史は古く、三島町の荒屋敷遺跡(縄文時代後期、約2500年前)からは編み組みの痕跡を持つ出土品が見つかっており、縄文の文化を今に伝える工芸ともいわれています。江戸時代の地誌にもヒロロやマタタビ、山ぶどうを用いた籠や笊づくりの記録が残ります。昭和40年代には担い手の減少で存続が危ぶまれましたが、三島町が昭和56年(1981年)から「生活工芸運動」を開始し、工人による指導や展示会を通じて技術の伝承に取り組んできました。手さげ籠や菓子器、炊事用具など、素材ごとに異なる風合いを持つ道具が現在も作り続けられています。
高島扇骨
Takashima Senkotsu
高島扇骨は滋賀県高島市、特に安曇川流域で作られる扇子の骨(扇骨)で、国内で流通する扇骨のおよそ9割を生産する一大産地です。江戸時代、安曇川沿いに植えられた真竹を利用し、冬場の農閑期の副業として始まったと伝えられています。扇の両端を支える「親骨」と、要から広がる「仲骨」を作り分け、竹を割る・削る・磨くといった工程は親骨で約18、仲骨で約16にも及び、それぞれ専門の職人から職人へ受け渡す分業体制で仕上げていきます。完成した扇骨の多くは京都の扇子問屋へ納められ、紙貼りや絵付けを経て「京扇子」として仕上げられており、華やかな京扇子の産地を陰で支える縁の下の力持ちとして知られています。近年は高島扇骨を使った布扇子など、地元発の製品づくりにも取り組みが広がっています。
秋田杉桶樽
Akita Sugi Oke-Taru
秋田杉桶樽は、日本三大美林の一つに数えられる秋田杉を用いて作られる桶・樽で、秋田県能代市・大館市・北秋田市などを主な産地とします。秋田市の秋田城跡からは平安時代後期のものと推定される桶が出土しており、桶・樽づくりの歴史は古くまでさかのぼると考えられています。江戸時代の享保年間には佐竹藩の保護のもとで産地が形成され、豊富な秋田杉資源を背景に生産が発展しました。秋田杉は年輪が均一で狂いが少なく、香りが良いうえに水漏れしにくいという特性を持つため、酒樽や味噌桶、おひつなど水や食品を扱う容器に適しています。柾目材を使う桶と板目材を使う蓋付きの樽とで用途が分かれ、箍(たが)には真竹や銅、真鍮が用いられます。1984年(昭和59年)5月には経済産業大臣指定の伝統的工芸品に指定されました。

松本家具
Matsumoto Kagu (Matsumoto Furniture)
松本家具は、長野県松本市を中心に作られている和家具です。天正10年(1582年)に松本城を中心として城下町が形づくられた頃に、商工業のひとつとして始まったと考えられています。ケヤキやミズメ、ウダイカンバなどの無垢材を使い、箪笥や飾棚、座卓、文机などを作ってきました。複雑な木組みの技法による堅牢さと、木目を引き立てる拭き漆の仕上げが特徴です。太平洋戦争後には家具づくりが衰えましたが、民藝運動を率いた柳宗悦の訪問をきっかけに、池田三四郎が復興に取り組みました。和家具で培った技術は、椅子やテーブルなどの洋家具にも生かされています。1976年に国の伝統的工芸品に指定されました。松本の中町通りや松本民芸館で、その家具に触れることができます。
大阪唐木指物
Osaka Karaki Sashimono (Osaka Exotic Hardwood Cabinetry)
大阪唐木指物(おおさかからきさしもの)は、紫檀(したん)や黒檀(こくたん)などの輸入材で作る家具や調度品です。こうした木材は、唐の国から渡ってきた珍しい木という意味で「唐木(からき)」と呼ばれてきました。指物とは、板と板を組み合わせて家具や箱を作る技法をいいます。江戸時代、唐木は長崎に運び込まれ、大阪の薬種問屋がこれを一手に引き受けていたとされます。こうして大阪は唐木の集まる地となり、江戸時代中期には唐木指物の産地が形成されました。主な製品は飾り棚や茶棚、座敷机、花台などです。釘やねじを使わず、組手(くみて)と呼ばれる継ぎ手で組み立てます。生漆を何度もすり込む仕上げにより、深みのある色と落ち着いた艶が生まれます。1977年(昭和52年)に国の伝統的工芸品に指定されました。
入山メンパ
Iriyama Menpa
入山メンパは、群馬県吾妻郡中之条町の入山地区に伝わる曲物(まげもの)の弁当箱です。江戸時代後期の文化・文政期(19世紀初頭)ごろから作られてきたとされ、農林業以外に目立った産業のなかった山あいの入山地区で、木工細工が人々の暮らしを支える生業として発展しました。赤松の薄板を熱湯で柔らかくして丸く曲げ、山桜の樹皮で縫いとめて作られ、釘は一切使いません。小判形をした縁起の良い形が特徴で、木が持つ吸湿性と芳香性により、ご飯から出る蒸気を程よく吸い取ってベタつきを抑え、夏場でも傷みにくいことから、かつては山仕事に携行する弁当箱として広く使われてきました。使い込むほどに木肌の色合いが深まっていく点も魅力で、群馬県ふるさと伝統工芸品に指定されています。
イタヤ細工
Itaya-zaiku
イタヤ細工は、秋田県仙北市角館町雲然(くもしかり)地区で作られる、イタヤカエデの若木を薄い帯状に裂いて編み上げるかご細工です。寛政年間(1790年頃)に、農家の冬期間(農閑期)の副業として始まったとされ、200年以上にわたり受け継がれてきました。かつては魚籠のような腰籠「カッコベ」や、農作業用の籠、箕(み)といった実用の農具が中心に作られていましたが、時代とともに手提げかごや盛皿、玩具のイタヤ馬など工芸品としての製品へと幅を広げています。材料となるイタヤカエデの幹は1mm以下の厚さまで均一に裂かれ、職人の手作業によってかご編み技法で編み上げられます。軽くて丈夫なうえ、使い込むほどに飴色に変化し味わいを深めていく経年変化が魅力で、秋田県指定の伝統的工芸品となっています。現在、雲然地区で製造・販売を続けているのはわずか2軒のみです。
一位一刀彫
Ichii Ittobori
一位一刀彫は岐阜県高山市を中心とする飛騨地方で作られる木彫刻で、県の木でもあるイチイ(一位)を素材に、彩色を一切施さず木目や色合いをそのまま生かす点が最大の特徴です。江戸時代末期、高山出身の根付彫刻師・松田亮長がイチイの木目の美しさに着目し、蛙や亀、動物などをノミや小刀の切れ味鋭い刃痕を生かして彫ったのが始まりとされます。イチイの木は外側が白みがかった「白太」、内側が赤みを帯びた「赤太」という対照的な色合いを持ち、この二色を巧みに彫り分けることで独特の陰影が生まれます。1975年に国の伝統的工芸品に指定され、現在も高山市を中心に彫刻師が技術を受け継いでいます。
越前箪笥
Echizen Tansu
越前箪笥は、福井県越前市の武生地区を中心に作られている箪笥です。ケヤキやキリの無垢材を用い、釘を使わない「指物(さしもの)」の技術で組み立てます。そこに越前漆器の技を生かした漆塗りと、越前打刃物の鍛冶技術を生かした鉄製の飾り金具が加わります。複数の高度な技術を組み合わせることで、どっしりとした重厚感のある箪笥に仕上がります。江戸時代後期から木工の技術を持つ職人が住み、明治時代中頃には箪笥職人が中心となって「タンス町」を形づくりました。現在もタンス町通りには箪笥店や工房が集まっています。金具にあしらわれるハート形の「猪目(いのめ)」は、魔除けの意味を持つ文様です。2013年に国の伝統的工芸品に指定されました。
京指物
Kyo-sashimono
京指物は、金釘などの接合金具を使わず、木の板と板、棒と板を組み合わせる「組み手」やホゾ差しの技法によって作られる京都の木工芸です。起源は平安時代の宮廷文化に発するとされ、正倉院に見られるような日本独自の木工技術に、中国・朝鮮から渡来した文化も取り入れながら発展してきました。室町時代以降には専門の指物師が現れ、茶道文化の広がりとともに、調度品としての指物と茶道具としての指物の双方で洗練された技術が磨かれていきました。狂いが少なく軽量な桐、柔らかく滑らかな杉、堅牢で高級感のある欅など木材の性質を見極めて使い分け、木目の美しさを生かしながら精緻に組み上げるのが特徴です。京箪笥や棚、茶道具、硯箱など幅広い品目に用いられ、1976年に国の伝統的工芸品に指定されました。
山形仏壇
Yamagata Butsudan
山形仏壇は、山形市を中心に木地・宮殿・彫刻・塗装・蒔絵・金具・箔押しの7つの工程がそれぞれ専門の職人による分業でつくられる仏壇です。享保年間(1724〜1736年頃)、江戸浅草で彫刻の技術を学んだ星野吉兵衛が山形に戻り、欄間や仏具の製作を始めたのが起源とされています。2代目・吉兵衛広高が地元の職人たちを集めて仏壇づくりを本格化させ、最上川舟運によって上方から優れた技術や文化がもたらされたことも産地の発展を後押ししました。明治28年(1895年)頃に7職分業の生産体制が確立し、日本最北の仏壇産地として発展を続け、1980年(昭和55年)に経済産業大臣指定の伝統的工芸品に指定されました。ケヤキなどを用いた堅牢な木地組みと、深く精緻な彫刻、落ち着いた黒金具や沈金金具が特徴です。
太田太鼓
Ota Daiko
太田太鼓は、群馬県太田市の大光院門前通りに店を構える山口太鼓店が、江戸時代から160年余りにわたり作り続けてきた和太鼓です。木工による胴の製作と、皮革をなめして張り込む技術を組み合わせて作られ、現在は店主で八代目にあたる山口宗一氏がその技を受け継いでいます。太鼓の胴には木目の美しいケヤキなどが用いられ、切り出した生木を数年かけてじっくりと乾燥させたのち、内部をくり抜いて仕上げます。皮は原皮を糠に漬けて発酵させる「糠なめし」によって毛を落とし、木槌で伸ばしながら音を確かめて胴に張り込んでいきます。一つの太鼓が完成するまでに5年以上を要することもあり、すべての工程を手作業と職人の勘に頼りながら仕上げられる音色と響きに、太田太鼓ならではの伝統が息づいています。群馬県は佐波郡の遺跡から6〜7世紀ごろの太鼓を持つ埴輪が出土するなど、和太鼓の歴史においても重要な土地とされています。
大阪泉州桐箪笥
Osaka Senshu Kiri Tansu (Osaka Senshu Paulownia Chests)
大阪泉州桐箪笥(おおさかせんしゅうきりたんす)は、大阪府南部の泉州地域を中心に作られている桐の箪笥です。主な産地は岸和田市、堺市、和泉市、忠岡町などです。箪笥は大阪で最初に生まれたともいわれ、江戸時代中期には大阪で製造技術が確立していました。その技術が大阪市内から堺を経て和泉へ広がり、泉州に産地が形成されたとされます。厚い桐材を使い、組手(板同士を組み合わせる継ぎ手)が多く、作りと仕上げが丁寧なことから「桐箪笥の最高峰」とも称されます。角を丸く削った「胴丸型」が多く、蒔絵や漆塗りを施した特注品の需要が多いのも特徴です。桐は湿気を防ぎ、熱を通しにくいため、着物などの大切な衣類をしまう家具として重宝されてきました。1989年(平成元年)に国の伝統的工芸品に指定されています。
京扇子
Kyo-sensu
京扇子は、京都および京都近郊で作られる扇子の総称で、平安時代初期に京都で考案されたと伝わる。宮中で用いられた檜扇や紙扇にルーツを持ち、扇面づくり・扇骨加工・上絵・仕上げなど、工程ごとに専門の職人が分業する点が最大の特徴で、一本が仕上がるまでに80以上ともいわれる工程を経る。一人の職人が一貫して仕立てる江戸扇子に対し、京扇子は分業体制によって精緻な仕上がりを追求してきた歴史を持つ。茶道・能楽・舞踊など用途に応じた茶扇や舞扇、実用扇から飾り扇まで意匠も幅広く、現在も国内の扇子生産の大半を京都および近郊が担っている。1977年に経済産業大臣指定の伝統的工芸品となった。

江戸押絵羽子板
Edo Oshie Hagoita
厚紙に綿を詰めて布でくるむ「押絵」の技法により、歌舞伎役者や役者見立ての人物像を立体的に表現した羽子板です。押絵の技術は江戸時代の文化・文政期(1804〜1829年)に発達し、歌舞伎の流行や浮世絵の普及を背景に役者の似顔絵をあしらった「役者羽子板」が江戸の町人文化の中で人気を博しました。戦後、東京・浅草周辺に代々暮らしていた押絵羽子板の職人たちが、羽子板の板材に適した良質な桐材を求めて埼玉県春日部市に移り住んだことから、春日部が一大産地として発展し、昭和52年(1977年)には埼玉県の伝統的手工芸品に指定されました。1枚の羽子板を仕上げるまでに50〜70種類もの材料を組み合わせ、およそ200もの手作業の工程を要するとされ、綿の詰め方や布の使い方で人物の表情や仕草を立体的に描き分ける高度な技術が受け継がれています。雛人形・五月人形の産地として知られる岩槻区でも、人形店が羽子板の製造・販売を手がけています。
大阪金剛簾
Osaka Kongo Sudare (Bamboo Blinds)
大阪金剛簾(おおさかこんごうすだれ)は、富田林市・河内長野市・大阪市でつくられる真竹の簾です。かつては金剛山や葛城山のふもとに育つ良質な竹に恵まれ、竹籠づくりのかたわら簾が編まれるようになりました。平安時代の宮中で間仕切りや飾りに使われた御簾(みす)が、現在の座敷簾の原型といわれます。主な製品は、神社仏閣で使われる御簾と、住まいの間仕切りや日よけに用いる座敷簾です。竹ヒゴの自然な節で「くの字」形の模様を描く編み方や、西陣緞子(どんす:光沢のある絹の紋織物)の縁が見どころです。1985年(昭和60年)に「金剛簾」として大阪府の伝統工芸品に指定されました。1996年(平成8年)には「大阪金剛簾」の名で国の伝統的工芸品となっています。大阪府の調査報告によれば、NHK大河ドラマ「篤姫」「江」の撮影で使われた御簾はすべて大阪金剛簾でした。

土湯こけし
Tsuchiyu Kokeshi
土湯こけしは福島市の土湯温泉で育まれてきた伝統こけしで、宮城県の鳴子・遠刈田と並び、東北三大こけし発祥地のひとつに数えられています。江戸時代、木の器や道具を作る木地師たちの手仕事の中から約300年前に生まれたと伝えられ、以来湯治客の土産物・子どもの玩具として親しまれてきました。他産地に比べて頭が小さく胴も細身の女性的な姿で、頭部には黒い蛇の目模様、顔の左右には長い前髪と赤い髪飾り「カセ」、クジラのような目とたれ下がった鼻、おちょぼ口が描かれ、素朴で優しい表情が持ち味です。頭部を胴に差し込む「はめ込み式」の構造になっており、首を回すとキイキイと音が鳴る仕掛けも土湯こけしならではの愛らしさです。現在も土湯温泉には工人が工房を構え、一本一本を手作業で挽き続けています。

飯山仏壇
Iiyama Butsudan (Iiyama Buddhist Altars)
飯山仏壇は、長野県飯山市で作られる金仏壇です。市の北部・愛宕町を中心に生産され、部品作りから組み立て、修理までを地域の中で一貫して行っています。飯山は室町時代に北陸から浄土真宗が伝わり、信仰の厚い土地柄として知られます。多くの寺が建ち並ぶ町並みから、「雪国の小京都」とも呼ばれてきました。元禄2年(1689年)に甲州から来た寺瀬重高が、素地仏壇を手がけたのが始まりと伝わります。宮殿(くうでん)を「肘木組物(ひじきくみもの)」で組み上げる技法と、宮殿がよく見えるよう弓形にした「弓長押(ゆみなげし)」が特徴です。分解して洗い、塗り直す「せんたく」によって、何世代にもわたって使い継ぐことができます。1975年に国の伝統的工芸品に指定されました。雪よけの雁木(がんぎ)が続く愛宕町の通りは、仏壇店が軒を連ねる「仏壇通り」として親しまれています。
京うちわ
Kyo-uchiwa
京うちわは、柄と団扇面が別々に作られ、後から柄を差し込む「差し柄」の構造を最大の特徴とする京都のうちわである。中骨と柄が一本の竹から作られる一般的なうちわとは異なり、団扇面には多数の竹骨が放射状に配され、そこに漆塗りや装飾を施した柄を後付けする点が独自性となっている。起源は南北朝時代、朝鮮半島から伝わった団扇が京都近郊の深草に伝わったことにさかのぼるとされ、江戸時代には宮廷向けに絵師が絵付けをした「御所うちわ」として発展した。実用品でありながら、日本画のような美しい絵柄と精密な竹細工が調和した工芸品として親しまれている。
金沢仏壇
Kanazawa-butsudan
金沢仏壇は、加賀百万石の城下町として栄えた金沢で発達した金仏壇で、1976年に国の伝統的工芸品に指定されました。発展の背景には、1471年に蓮如上人が北陸で浄土真宗の布教を行い、各地の集落に道場や末寺が建てられたことで仏壇需要が高まったことがあります。加賀藩3代藩主・前田利常の時代には京都・江戸から名工が細工所に招かれ、美術工芸の技術基盤が築かれました。木地師・宮殿師・塗師・蒔絵師・木地彫師・箔押師・金具師という7職の完全分業体制によって製作され、それぞれの職人が専門技術を極める点が金沢仏壇の大きな特徴です。中でも前柱・段縁・中柱・戸板・引出しなど広い範囲に磨き蒔絵・高蒔絵を施す点は他産地の仏壇にあまり見られない特色で、耐久性の高いアオモリヒバ材の木地とほぞ組による堅牢な構造も相まって、豪華絢爛でありながら永く使い続けられる仏壇として今日まで受け継がれています。
行徳神輿
Gyotoku Mikoshi
行徳神輿は、千葉県市川市行徳地区で作られる江戸型神輿の一大産地として知られる伝統工芸です。行徳は江戸時代から「行徳千軒、寺百軒」と称されるほど栄えた町で、日光東照宮の造営に携わった職人が幕府直轄地であった行徳に移り住んだことが神輿づくりの始まりとも伝えられています。木地師・彫刻師・塗師・金具師など、寺社の内外装を手がける職人が集まり、明治から昭和にかけて神輿巡行への関心の高まりとともに生産が拡大し、最盛期には行徳製の江戸型神輿が全国の神輿の約8割を占めたとも言われました。現在、行徳で一貫製作を続ける工房は創業150年余りの中台製作所のみとなっており、木地から彫刻、漆塗り、金箔押し、飾り金具、組み立てまでを社内で行っています。2018年には敷地内に「行徳神輿ミュージアム」が開館し、神輿づくりの技術と歴史を無料で見学できる貴重な施設となっています。

三春駒
Miharu Koma
三春駒は、現在の郡山市西田町高柴を発祥地とする木彫りの馬の郷土玩具で、青森県の八幡馬、宮城県の木下駒と並ぶ「日本三大駒」のひとつに数えられています。伝承によれば、平安時代の武将・坂上田村麻呂が791年頃の蝦夷征討で苦戦していた折、どこからともなく現れた木馬に助けられたことにちなみ、子どもの玩具「子育木馬(高柴木馬)」として作られ始めたのが起源とされます。江戸時代、馬の産地として知られた三春藩が野生馬を改良した名馬に「三春駒」と名付けたことから、玩具の呼び名としても広まりました。赤・黒・金色で彩色された白駒と黒駒があり、黒駒は子宝・安産・子育て、白駒は老後安泰・ぼけ封じの縁起物とされています。昭和29年(1954年)には日本で最初の年賀切手の図案にも採用された、全国的に知られる郷土玩具です。
大阪仏壇
Osaka Butsudan (Buddhist Altars)
大阪仏壇は、大阪市や堺市、八尾市をはじめ府内各地でつくられてきた仏壇です。起こりは飛鳥時代にさかのぼり、聖徳太子が四天王寺を建立した際に百済から招いた技術者に始まるといわれます。本格的な産地の形成は、江戸時代に北御堂・南御堂が建立されて以降とされます。国の伝統的工芸品「大阪仏壇」は、木地に天然漆を塗り、金箔や彩色、錺(かざり)金具で飾る塗仏壇(金仏壇)です。最大の特徴は、漆を盛り上げて描く「高蒔絵(たかまきえ)」で、金具を打ち付けたように見せる技法です。金具を使わないため、錆による木地の傷みを防げるとされます。木地・彫刻・漆塗り・蒔絵・金箔押しなどの工程は、それぞれ専門の職人が分業で担います。1982年(昭和57年)に国の伝統的工芸品に指定されました。紫檀や黒檀を使う「大阪唐木銘木仏壇」と「大阪塗仏壇」は、府の伝統工芸品に指定されています。
八女福島仏壇
Yame Fukushima Butsudan
八女福島仏壇は福岡県八女市(旧福島町)で作られる、金箔と漆塗りを施した壮麗な楼閣造りの仏壇です。文政4年(1821年)、指物大工の遠渡三作が仏閣建築の夢を見たことをきっかけに、大工仲間の井上利久平・平井三作とともに製作を始めたと伝えられ、1850年頃には製作技術が確立しました。江戸時代末期には塗り・金具・彫刻・仏像・木地の各分野の職人が集まる一大産業へと発展しました。木地師・宮殿師・彫刻師・金具師・塗師・蒔絵師による分業体制のもと、木地から宮殿づくり、彫刻、金具、漆塗り、蒔絵・金箔押しまでおよそ80の工程を経て一基の仏壇が完成します。1977年(昭和52年)3月30日に経済産業大臣指定伝統的工芸品の指定を受け、福岡県を代表する仏壇産地としての地位を確立しました。
名古屋桐箪笥
Nagoya Kiri-tansu
名古屋桐箪笥は、名古屋城下町で発展した総桐(すべて桐材でつくる)の箪笥・家具の総称です。始まりは約400年前の名古屋城築城にさかのぼり、全国から集まった大工職人が袋町・大須周辺の城下町に定着し、箪笥や長持の製造に携わるようになったのが起源とされます。近隣の飛騨地方(岐阜県)で良質な桐材が産出されたことも、産地形成を大きく後押ししました。造材・木取り・狂い直し・加工・加飾・金具付けなど130余りの工程があり、これらを一人の職人が一貫して手がける点が大きな特徴です。他産地の桐箪笥に比べて幅が広く仕立てられ、釘にはヒバ材あるいは同等の材質が用いられます。桐材そのものが持つ調湿性により、湿気を防ぎ、火や熱にも強く、狂いが少ない高級家具として古くから重宝されてきました。1981年(昭和56年)6月22日、国の伝統的工芸品に指定されています。
伊勢一刀彫
Ise Ittobori (Ise Single-Knife Carving)
伊勢一刀彫(いせいっとうぼり)は、三重県伊勢市と玉城町で作られている木彫りの縁起物です。伊勢神宮の造営に携わる宮大工が、遷宮の残りの木材を使ってえびすや大黒を彫ったのが始まりとされます。大きなのみで木の角を大胆に削り取り、刻んだ面をそのまま仕上げ面とするのが特徴です。磨きや彩色をしないため、刀の跡と木目が素朴な力強さと温かみを生みます。材料には主に楠(くすのき)が使われ、檜も用いられます。題材はその年の干支のほか、伊勢にゆかりのある神鶏やカエルなどです。伊勢は古くから根付師が多い土地で、彫り物の技術の蓄積も背景にあったといわれます。現在は岸川行輝さんや泉廣典さん、岸川さんに師事した太田結衣さんらが技を伝えています。三重県指定伝統工芸品です。
雨城楊枝
Ujo Yoji
雨城楊枝は、千葉県君津市久留里に伝わる、クロモジ(黒文字)の木を削って作る飾り楊枝です。江戸時代、上総国久留里藩の藩士が内職として、周辺の山に自生するクロモジを材料に楊枝を作ったのが始まりとされ、当時は「上総小楊枝」と呼ばれる並品でした。廃藩後は禄を失った士族の生活の糧として製造が広がり、明治時代末期には木肌の白さと風合いを活かした様々な意匠の楊枝が考案され、民芸品として知られるようになりました。昭和中期、久留里城の異名「雨城」にちなんで「雨城楊枝」と改称されています。基本形の「ザク楊枝」のほか、松・竹・梅・末広・うなぎ・太刀など縁起物や季節をかたどった「変わり楊枝」があり、その巧みな細工と品の良さから、茶席や日本料理店で今も愛用されています。現在は森隆夫氏が2代目森光慶を襲名し、伝統を受け継いでいます。
越前竹人形
Echizen Take Ningyo
越前竹人形は、衣装から胴体、髪に至るまで、人形のすべての部位を竹や竹の皮で作る福井県の工芸品です。昭和20年代、坂井市丸岡町で竹細工を営んでいた師田保隆・三四郎兄弟が、試行錯誤の末に生み出したのが始まりとされ、昭和27年(1952年)頃に形が整ったといわれます。1955年(昭和30年)の富山博覧会への出展を機に、竹人形づくりが本格化しました。1963年(昭和38年)には水上勉の小説『越前竹人形』が発表され、同年に映画化されたことで、その名が全国に広まりました。能や歌舞伎などに題材をとった優美な人形が多く、細く割いた竹を一体に5,000〜7,000本植え込んで表す黒髪が見どころです。国の伝統的工芸品ではなく、福井県の郷土工芸品に指定されています。丸岡町の越前竹人形の里では、職人の作業の見学や竹人形づくりの体験ができます。
加茂桐簞笥
Kamo Kiri Tansu
加茂桐簞笥は、新潟県加茂市とその周辺で作られる桐材の簞笥です。桐は湿度が高いと膨らんで湿気の侵入を防ぎ、乾燥すると縮んで通気を良くする性質を持ち、衣類の保管に適しています。加茂での簞笥づくりは江戸時代の天明年間(1781〜1789年)に始まり、丸屋小右エ門が大工仕事のかたわら杉材で作ったのが起こりと伝えられます。周辺の山に天然の桐材が豊富だったことから桐簞笥の産地として育ち、加茂川から信濃川を経て、船で新潟や東北方面へ運ばれました。現在も桐簞笥の全国生産量の約7割を占める日本一の産地とされ、1976年に経済産業大臣(当時は通商産業大臣)指定の伝統的工芸品となりました。金釘を使わない指物の技で隙間なく組み上げられ、古くなっても表面を削って再生できるため、100年以上使えるといわれます。
諸富家具
Morodomi Kagu
諸富家具は佐賀市諸富町で作られる家具の総称で、筑後川を挟んで対岸に位置する福岡県大川市の家具産地と隣り合う立地を背景に発展してきました。諸富町では古くから指物大工を中心とした木工業が営まれていましたが、1935年に旧国鉄佐賀線が開通したことで400年の歴史を持つ大川の家具産地との往来が盛んになり、新たな木工技術が伝わりました。1955年に筑後川に諸富橋・大川橋が架けられると交流はさらに深まり、1966年に橋が無料開放されると大川からの家具製造企業の進出が加速し、九州でも有数の家具産地へと成長しました。1980年には家具の年間出荷額が100億円を超え、九州第2位の家具産地となっています。桐たんすや座卓などの和家具から現代的な椅子・ソファまで幅広く手がけ、2022年には地域団体商標として「諸富家具」が登録されました。高い木工技術とデザイン性を兼ね備えた家具産地として、現在は海外への輸出にも力を入れています。
大川組子
Okawa Kumiko
大川組子は福岡県大川市で発展した木工技法で、釘や金具を一切使わずに、薄く細く加工した木片を幾何学的な文様に組み上げていく繊細な技術です。文化年間(1804〜1818年頃)に中国から伝わった組子の技術が、家具・建具のまちとして知られる大川の指物・建具づくりと結びつき、書院障子や欄間、衝立などに用いられて発展してきました。三角形の地組みを基本単位とする「三組手」に、麻の葉をはじめ200種類以上ともいわれる図柄を組み込み、多いときには数万点もの部材を組み合わせて仕上げます。見た目は繊細で華奢に見えながら、部材同士が精巧に噛み合うことで一枚の板のような強度を持つ点が最大の特徴です。1987年(昭和62年)に福岡県知事指定特産工芸品に指定され、豪華寝台列車「ななつ星in九州」の内装にも採用されるなど、伝統技術は現代のインテリアにも生かされています。
名古屋仏壇
Nagoya Butsudan
名古屋仏壇は、名古屋市とその周辺で発展した仏壇づくりの総称で、台座部分が高く「まくり」と呼ばれる構造を持つことや、豪華な宮殿部を備えた「空殿御坊造」と呼ばれる様式に代表されるのが特徴です。台を高くしたのは、木曽三川の水害から仏壇を守るための生活の知恵ともいわれています。その始まりは元禄8年(1695年)、高木仁右エ門が仏壇専門店「ひろや」を創業したことにさかのぼるとされます。以来、木地師・荘厳師・彫刻師・錺金具師・塗師・蒔絵師・箔置き師・仕組師など「八職」と呼ばれる専門職人たちの分業によって、一棹の仏壇がつくり上げられてきました。ケヤキやヒノキ、白檀といった高級な木材を用い、木地から漆塗り、金箔押し、蒔絵まで各工程で熟練の技が発揮されます。1976年、経済産業大臣指定の伝統的工芸品に指定されています。
西川登竹細工
Nishikawanobori Takezaiku
西川登竹細工は佐賀県武雄市西川登町に伝わる竹細工で、真竹や淡竹を用いてざるやかご、弁当箱など生活に根差した道具を手作業で編み上げる伝統工芸です。明治初期に農家の副業として始まったとされ、1909年には西川登村竹細工組合が設立されるなど地場産業として発展し、20世紀初頭から戦後にかけては500人を超える職人を抱える一大竹細工産地となりました。しかし1950年代以降、家具や農具に合成樹脂製品が普及すると需要は徐々に減少し、現在は栗山商店をはじめとする数事業者がその技術を受け継いでいます。竹を割いて幅を整え、しなりを生かして編み込む工程はすべて手作業で行われ、米とぎざるに使われる「菊底編み」など独自の編み技法も伝わります。佐賀県指定伝統的地場産品として、近年はランチボックスやランプシェードなど現代の暮らしに合う製品も生み出され、SDGsの観点からも若い世代に再注目されています。
尾鷲わっぱ
Owase Wappa (Owase Bentwood Lacquerware)
尾鷲わっぱ(おわせわっぱ)は、三重県尾鷲市で作られている曲げ物の漆器です。良質な尾鷲ヒノキの薄板を曲げ、桜の皮で継ぎ目を綴じて、天然の漆で仕上げます。尾鷲では江戸時代初期から林業が盛んになり、山で働く人々が木の曲げ物を食器として使っていました。同じころ盛んになったカツオ漁の漁師たちも、わっぱを愛用したといわれます。現在の作り手は、1887年(明治20年)創業の「ぬし熊」の四代目・世古効史さんただ一人です。木地づくりから漆塗りまでの45工程を一人で手がけ、一つの完成に1か月以上かかります。注文から1年待ちともいわれますが、「100年もつ」とされる丈夫さが評判です。1994年(平成6年)に三重県指定伝統工芸品となり、2013年(平成25年)には製作技術が尾鷲市の無形文化財に指定されました。

戸隠竹細工
Togakushi Takezaiku (Togakushi Bamboo Craft)
戸隠竹細工は、長野市戸隠で作られる竹細工です。材料は、戸隠の山に自生するチシマザサで、根元が曲がっていることから地元では「根曲竹(ねまがりだけ)」と呼ばれます。この竹は細くても硬くしなやかで、冬の豪雪にも折れずに曲がる強さを持っています。標高が高く稲作に向かない戸隠では、江戸時代に米の代わりに竹を年貢として納めることが認められていたと伝わります。明治以降は養蚕用の大きな籠の需要が高まり、やがてざるやかごなど、暮らしの道具が作られるようになりました。代表的な製品は、戸隠そばを盛り付けるそばざるです。山での竹の伐り出しから竹ひご作り、編み上げまでを1人の職人が一貫して手がけるのが特徴です。1983年には、山ノ内町・伊那市の竹細工とともに「信州竹細工」として長野県知事指定の伝統的工芸品になりました。戸隠神社の門前には、竹細工の店や体験のできる施設が点在しています。

三線
Sanshin
三線は蛇皮を張った胴に木製の棹を通した三弦の弦楽器で、沖縄の音楽・芸能に欠かせない存在です。14世紀末頃、中国福建省の弦楽器「三弦」が交易を通じて琉球王国に伝わり、久米村(現在の那覇市久米)を拠点に琉球独自の楽器として発展したのが起源とされます。15世紀以降、琉球の士族の間で広まり、宮廷の饗宴音楽や芸能の伴奏楽器として発展を遂げました。棹の形状には琉球王国時代の名工の名を冠した「真壁型」「南風原型」「与那城型」など7つの伝統的な型があり、黒木(くるち)などの木材を使った棹に、ニシキヘビの皮を張った胴を組み合わせて作られます。三線の職人による工房・組合が製作技術を今に伝えており、2018年に国の伝統的工芸品に指定され、2012年には沖縄県の伝統工芸製品にも指定されています。価格帯は入門用が数万円から、高級な蛇皮張り・銘木仕様のものは数十万円以上に及び、選ぶ型や素材によって音色や見た目が大きく異なるのも魅力です。

酒田船箪笥
Sakata Funadansu
酒田船箪笥は江戸時代から大正時代にかけて、北前船の船乗りが船内で貴重品を保管するために作らせた頑丈な箪笥です。酒田は佐渡小木、福井県三国と並ぶ船箪笥の三大産地の一つに数えられます。日本海側で船が商品を仕入れて売買する「買積」という廻船業の形態のもと、寄港地であった酒田でも独自の船箪笥づくりが発展しました。外側には堅牢な欅材と装飾性の高い鉄金具を用い、内側には高湿度で膨張して水の浸入を防ぐ桐材を使う二重構造が特徴です。火事や難破の際にも運び出しやすいよう小型に作られ、懸硯・帳箱・半櫃など用途に応じた様式があります。江戸時代には斉藤如斎をはじめとする名工も現れましたが、現在は装飾金具や漆塗りの職人が不足しており、継承が課題となっています。

長浜仏壇
Nagahama Butsudan
長浜仏壇は滋賀県長浜市を中心に作られる金仏壇で、彦根仏壇とは別系統の産地として知られています。室町時代、京都の仏師が集まる「八仏所」から移り住んだ職人によって各地で仏壇づくりが広まったとされ、長浜では浄土真宗信仰の篤い土地柄を背景に藤岡和泉が産地の礎を築いたと伝えられています。現存最古の作例は延宝8年(1680年)の年紀を持ち、17世紀半ばには早くも産地として成立していました。木地・宮殿・彫刻・錺金具・塗り・蒔絵・箔押しの7工程からなる分業制で作られ、木地師・錺師・塗師・蒔絵師など複数の職人が手を掛ける総合芸術です。接着剤や釘を使わずに組み上げる「構架式」の技法により、完成後も解体・修理が可能で、長年にわたり使い続けられる点も特徴です。長浜曳山祭の曳山づくりで培われた木工・彫刻・金工の技術が、仏壇産業を支えてきました。
博多曲物
Hakata Magemono
博多曲物は、杉やヒノキの薄板を丸く曲げて成形し、桜の皮でとじて底をはめ込んだ木工品で、金属釘を一切使わないのが特徴です。その起源は古く、博多の柴田家が400年以上にわたって曲物づくりを家業として受け継いでおり、現当主は十八代目にあたる柴田玉樹氏です。江戸時代には東区の筥崎宮の神具としても奉納されてきた歴史を持ちます。飯びつ(おひつ)や弁当箱、茶びつなどの生活道具として親しまれ、特におひつは杉が余分な水分を吸放出することでご飯をふっくらと保つ性質があり、寿司職人をはじめ多くの料理人に愛用されています。使い方や手入れ次第では50年にわたって使い続けられるとも言われ、令和7年(2025年)3月には福岡県指定無形文化財(工芸技術)に新たに指定されました。
飛騨家具
Hida Kagu
飛騨家具は岐阜県高山市を中心とする飛騨地方で作られる家具で、木材に蒸気を当てて曲げる「曲木(まげき)」の技術を生かした椅子やテーブルなどの脚物家具を得意とする、日本を代表する家具産地です。1920年(大正9年)、地元有志が未活用材だったブナ材の活用を目指して曲木家具づくりに取り組み、中央木工株式会社(現・飛騨産業株式会社)を設立したのが飛騨家具の始まりとされています。飛騨地方には約1300年前から「飛騨の匠」と呼ばれる木工技術者の伝統があり、平城京や東大寺の造営にも携わったと伝えられるこの匠の技が、近代的な家具づくりにも受け継がれてきました。堅くて粘りがあり曲木加工に適したブナ材や、落ち着いた木目が魅力のナラ材を用い、木の色や木目を生かした美しく洗練されたデザインが特徴です。2008年(平成20年)には「飛騨の家具」「飛騨・高山の家具」が地域団体商標として登録されました。
富士勝山スズ竹細工
Fuji Katsuyama Suzutake Craft
富士勝山スズ竹細工は、山梨県南都留郡富士河口湖町の勝山地区に伝わる竹細工です。富士山の二合目付近に自生する細い「スズ竹」を割って編み、笊(ざる)や籠などの暮らしの道具を作ります。江戸時代の始め頃から村人の生活の中で工夫が重ねられ、慶長15年(1610年)には冨士御室浅間神社の本宮造営の際に籠を奉納した記録もあるといいます。文化11年(1814年)の地誌『甲斐国志』にも、富士北麓のスズ竹が箕(み)や笊を作る材料になったと記されています。スズ竹はしなやかで香りがよく、編み上げた製品は軽くて丈夫、水切れにも優れます。丁寧に使えば30年、40年ともつとされ、米研ぎざるなど台所の道具として重宝されてきました。平成10年(1998年)に山梨県郷土伝統工芸品に指定されました。現在は勝山スズ竹伝統工芸センターで、作り手たちが技を受け継いでいます。

京仏壇
Kyo-butsudan
京仏壇は、木地・屋根(宮殿)・木彫刻・漆塗・蝋色・純金箔押・錺金具・蒔絵・彩色など、四十余りの専門職種による分業体制のもとで作られる京都の伝統的な仏壇である。仏教伝来直後の8世紀頃に始まった京都の仏具製作は、11世紀初頭に仏師定朝が七条に「七条仏所」を設けたことで本格化し、江戸時代初期の宗門改め制度によって各家庭に仏壇を安置する習慣が広まったことで需要が急増した。宗派ごとに荘厳(しょうごん)の様式が異なるため大量生産になじまず、木工・漆工・金工などあらゆる伝統技術を結集した総合工芸品としての性格を持つ。現在、京都で製作される仏壇・仏具のうち約7割は寺院用とされ、全国の寺院用仏具の多くを京都が担っている。1976年に経済産業大臣指定の伝統的工芸品に指定された。
あけび蔓細工
Akebi-tsuru Zaiku
あけび蔓細工は、江戸時代末に岩木山麓の嶽温泉で湯治客向けの土産物として、周辺の山野に自生するあけびの蔓を使った炭籠や手提げ籠が作られたことに由来する津軽の編組工芸です。八甲田・十和田湖周辺や岩木山一帯で採れるあけびの蔓、また山ぶどうの皮を材料とし、蔓の選定から陰干し乾燥、水漬け、編み上げまで、すべての工程を職人が手作業で行います。丈夫で巧みな編目と自然な光沢が特徴で、使い込むほどに艶が増し手になじんでいくのが魅力です。明治期以降は国内外の展覧会にも出展されて評価を広げ、平成8年3月には青森県伝統工芸品に指定されました。現在も弘前市を中心に、山野で採れる自然素材ならではの風合いを生かした手提げ籠やざる、盆などが作られ続けています。
ひたち竹人形
Hitachi Take Ningyo
ひたち竹人形は、福井県の伝統工芸「越前竹人形」の技術を受け継ぐ竹人形師が、茨城県日立市大みか町に構える工房で製作する竹細工の人形である。全国に3軒ほどしかないとされる越前系竹人形の作り手の一つで、竹人形師の柴田重光氏が福井で技術を学んだのち、1972年に日立で工房を開いたのが始まりとされる。竹は3年ものを選んで採取した後、さらに3年寝かせてから使用するため、伐採から完成までに実に6年を要する。真竹やさらし竹、ごま竹、黒竹、紋竹、虎竹など用途に応じてさまざまな竹を使い分け、能や歌舞伎、郷土芸能を題材にした人形を製作する。竹本来のたたずまいを生かした造形が特徴で、時を経るごとに飴色に変化する竹の色合いも楽しめる、茨城県を代表する竹工芸品の一つである。

旭川家具
Asahikawa Furniture
旭川家具は、北海道旭川市とその近郊で作られる木工家具の総称で、静岡・飛騨・徳島・大川と並ぶ日本有数の家具産地として知られます。起源は1890年(明治23年)の旭川村誕生とともに開かれた木挽場にさかのぼり、1898年の鉄道開通と1899年の陸軍第七師団移駐を契機に本州から大工や家具・建具職人が旭川へ移住したことで木工業が本格化しました。1913年の冷害を機に木工伝習所が開設されて技術振興が進み、1949年には国指定「重要木工集団地区」に北海道で唯一選定されました。旭川近郊の大雪山系の原生林から良質な広葉樹材を調達できることに加え、1990年開催の国際家具デザインフェア旭川(IFDA)を通じて世界的なデザイン性の追求が続けられている点が特徴です。現在は旭川家具工業協同組合に旭川市・東川町・東神楽町・当麻町の家具メーカー約40社が加盟し、共同展示・共同受注などを通じて産地全体でブランドを支えています。
井波彫刻
Inami Chokoku
井波彫刻は富山県南砺市井波地区を中心に受け継がれる木彫刻の伝統工芸で、1390年創建の井波別院瑞泉寺が度重なる火災に見舞われるなか、宝暦・安永年間(1763〜1774年)に行われた再建工事の際、京都本願寺御用彫刻師・前川三四郎から地元の大工たちが本格的な彫刻技法を学んだことに始まるとされる。当初は寺社建築を彩る欄間や向拝彫刻が中心だったが、明治時代以降は一般住宅の欄間彫刻へと需要が広がり、「井波の欄間」として全国に知られる地場産業へと発展した。最大の特徴は、ノミだけで文様を彫り抜く「透かし彫り」の技法にあり、松竹梅や花鳥風月、龍や獅子といった意匠を、裏表両面から幾重にも彫り重ねることで、今にも動き出しそうな立体感と躍動感を生み出す。1975年に経済産業大臣指定伝統的工芸品に指定され、現在も社寺彫刻や欄間、獅子頭など幅広い製品が作られており、日本の欄間彫刻において高いシェアを持つ産地として知られる。
烏城彫
Ujo-bori
烏城彫は、岡山城の別称「烏城(うじょう)」にちなんで名付けられた岡山市の木彫漆器です。創始者は木口九峰(本名・木口房四郎、1895〜1969年)で、趣味で茶道具などを彫っていたことから木彫に傾倒し、1927年(昭和2年)に自らの作品を「烏城彫」と命名しました。ケヤキ・ナラ・カツラ・キリなどの一枚板に、野菜や果物、草花、古瓦の文様などを浮き彫りにし、生漆を塗っては布で拭き取る「拭き漆」を13〜24回ほど繰り返して仕上げます。使い込むほどに艶と味わいが増していく点が特徴です。もともとは営利目的ではなく、身体障害者の仕事づくりを目的とした社会事業として考案されたもので、1953年に財団法人烏城彫協会が設立されました。1930年と1946年の2度、昭和天皇に烏城彫の香盆・茶入が献上されています。90年以上の歴史を経て、現在も岡山市の特産工芸品として受け継がれています。
横浜家具
Yokohama Kagu
横浜家具は、幕末の横浜開港をきっかけに生まれた、日本における西洋家具製造発祥の地とされる工芸です。1863年(文久3年)頃、横浜に居留していたイギリス人ゴールドマンが、日本人の馬具職人・原安造に椅子の修理を依頼したことが始まりと伝えられています。修理の仕上がりに感心したゴールドマンが本国と同じ洋家具の製作を注文したことをきっかけに、地元の木工職人たちが西洋家具の構造や意匠を学び、独自に発展させていきました。釘をほとんど使わずに部材を精密に組み合わせる木組みの技術や、曲線刃の鉋で優美な曲面を削り出す加工など、日本の伝統的な木工技術と西洋家具の様式を融合させた独自の技法が特徴です。明治期にはパリ万博にも出品されるなど国際的にも高く評価されましたが、関東大震災や戦災を経て担い手は減少し、現在は数少ない工房・企業がその技術を受け継いでいます。
岩谷堂箪笥
Iwayado Tansu
岩谷堂箪笥は岩手県奥州市江刺の岩谷堂地区で作られる伝統的な木製箪笥です。起源は天明年間(1781〜1788年)に遡り、当時の岩谷堂城主が家臣に車付箪笥や長持といった木工家具の商品化を研究させたのが始まりと伝えられています。文政年間(1818〜1830年)には鍛冶職人・徳兵衛が彫金金具を考案し、これが岩谷堂箪笥の原型となりました。欅や桐を素材に、木目を生かした重厚な漆塗りと、手打ち・手彫りによる華麗な金具の組み合わせが最大の特徴で、1982年に経済産業大臣指定伝統的工芸品に指定されています。木地・塗り・金具の分業による丁寧な手仕事が今も受け継がれています。
結城桐箪笥
Yuki Paulownia Chest
結城桐箪笥は茨城県結城市で作られる桐材の箪笥で、室町時代末期に領主・結城家の御殿調度品として欅(けやき)を用いた箪笥づくりが行われていたことに遡るとされる。結城家が領内に桐を植栽していたことから、通気性がよく燃えにくい桐材の特性が衣類収納に適しているとして、江戸時代後期以降は桐箪笥づくりが広まった。桐は湿度が高いと膨張して密閉性を高め、乾燥すると収縮して通気を良くする性質を持ち、着物や貴重品をカビや虫食いから守る収納具として重宝されてきた。昭和33年(1958年)には茨城県の特産物に指定され、結城市は現在も全国8大産地の一つに数えられている。女児の誕生時に桐を植えれば嫁入りの頃に箪笥が仕立てられるといわれ、婚礼調度品としても親しまれてきた。
江戸指物
Edo Sashimono
江戸指物は東京都台東区・荒川区・江東区などで作られる木工品で、釘を一切使わず、木材の接合部を刻んで組み合わせる「指物」の技法によって家具や小物を作り上げる伝統工芸品である。指物の歴史自体は平安時代の京都までさかのぼるが、江戸に伝わった技術は17〜19世紀の江戸の経済・文化の発展とともに独自の発展を遂げた。武家の調度品として重厚で直線的な意匠のものが作られる一方、歌舞伎役者向けの「梨園指物」や町人向けの指物では遊び心を感じさせる粋で繊細な意匠が生まれ、次第に庶民の暮らしにも浸透していった。クワ・ケヤキ・キリ・スギなど天然の木地の木目を活かし、金具の使用を最小限に抑えた簡素な意匠が特徴で、矧接(はぎつぎ)・ほぞ接ぎ・相欠き接ぎなど多様な木組みの技法によって釘を使わずとも堅牢な作りを実現する。桐たんすをはじめ、何十年も大切に使い続けられる工芸品として今も職人の手仕事が受け継がれている。1997年(平成9年)に経済産業大臣指定の伝統的工芸品となった。

江戸木目込人形
Edo Kimekomi Ningyo
江戸木目込人形は、桐塑(とうそ、桐の粉末と正麩糊を練った素材)や木で作った人形の原型に細い溝を彫り込み、そこに衣裳となる布地の端を「きめこむ」ように押し込んで着せる独特の技法で作られる人形である。起源は元文年間(1736〜1741年)の京都にさかのぼり、上賀茂神社の神官に仕えた高橋忠重が、柳の木で人形の原型を彫って神官の装束の端切れを木目込んで作ったのが始まりとされ、「柳人形」や「賀茂人形」と呼ばれた。この技法が江戸に伝わり、明治以降の東京で独自の発展を遂げて「江戸木目込人形」として定着した。京都産の人形が王朝風のふくよかな顔立ちを特徴とするのに対し、東京産はやや細面で目鼻立ちのはっきりした現代的な顔立ちが特徴とされる。桐塑製の素地に幾重にも上塗りを施し、溝に布を木目込み、面相筆で顔を描いて毛を仕上げるまで、多くの手仕事を経て一体の人形が完成する。雛人形や五月人形として今も広く親しまれ、1978年(昭和53年)に経済産業大臣指定の伝統的工芸品となった。

江戸簾
Edo Sudare
江戸簾は東京都台東区・港区などで作られる、竹やヨシなど天然素材を糸で編み上げて作るすだれの伝統工芸品である。簾の歴史は古く、7〜8世紀に編まれた日本最古の和歌集「万葉集」にもその記述が見られ、平安時代には宮廷や貴族の屋敷、神社仏閣で間仕切りや日よけとして用いられてきた。江戸時代に入ると町の発展とともに庶民の暮らしにも普及し、元禄期の書物には御簾師と呼ばれるすだれ専門の職人の存在も記されている。京都の豪華な京簾に対し、江戸簾は庶民の生活道具として使い勝手やシンプルなデザインを重視し、竹・ヨシ・ハギ・ガマなど天然素材の風合いをそのまま生かしているのが特徴である。細かく割いたり薄くへいだりした竹ひごを、1本編みや2本編み、もじり編み、亀甲編みなど多様な編み方で編み上げ、通気性に優れ心地よい風を運ぶ室内空間を作り出す。1983年(昭和58年)に東京都指定の伝統工芸品となった。
高岡仏壇
Takaoka Butsudan
高岡仏壇は富山県高岡市で製造される仏壇で、高岡銅器・高岡漆器を育んできた同地の金工・漆芸の技術を仏壇づくりに応用した総合工芸である。慶長時代には指物師による漆塗り家具製造の記録が残り、これが仏壇づくりの源流になったと考えられている。遅くとも幕末には仏壇製造が産業として形成され、1846年(弘化3年)頃に作られた仏壇は現在の高岡仏壇の様式とほぼ同じであったといわれる。木地屋・彫刻屋・塗師屋・蒔絵屋・金具師による分業体制で作られるのが特徴で、イチョウやクサマキなどの木材を用いた木地に立体感のある木彫を施し、下地を丁寧に整えた漆を幾重にも塗り重ね、煮出しの着色によって赤みを帯びた手打ちの厚地金具で仕上げる。高岡銅器の彫金技術が装飾面の発展を支えたとされ、2013年(平成25年)に富山県指定伝統工芸品となった。
高山茶筌
Takayama Chasen
高山茶筌は奈良県生駒市高山町で作られる茶道用の竹製茶筌で、経済産業大臣指定の伝統的工芸品です。室町時代、高山城主の子・高山民部丞入道宗砌が、茶道の祖とされる村田珠光の依頼を受けて創案したのが起源と伝わります。以来500年以上にわたり一子相伝で製法が受け継がれ、現在では日本国内で流通する茶筌の大部分を生駒市高山町で生産しているといわれるほど、全国でも数少ない茶筌の産地として知られています。素材には淡竹(はちく)を中心に黒竹や煤竹も用いられ、竹を割り、穂先を薄く削り、糸で編み上げるまでの工程をすべて職人の手作業でおこないます。流派や用途によって形状や穂の数が異なり、その種類は100を超えるとされ、繊細な美しさと実用性を兼ね備えた道具として、茶道具の中でも特に重んじられています。
鹿沼組子
Kanuma Kumiko
鹿沼組子は、「木工のまち鹿沼」として知られる栃木県鹿沼市を代表する木工細工です。日光東照宮の造営に全国から集まった木工職人たちがこの地にとどまり、良質な日光杉などを用いて障子の格子を美しく飾ったことが起源とされ、約400年にわたって受け継がれてきました。木曽檜や秋田杉、日光杉といった木材を細かく加工し、釘や金具を一切使わずに職人の手作業だけで組み合わせることで、麻の葉・胡麻柄・亀甲といった幾何学文様を精緻に描き出します。伝統的には書院障子や欄間、仏壇などの建具に用いられてきましたが、近年ではコースターや花器、照明などのインテリア雑貨にも展開され、幅広い世代に親しまれています。栃木県の伝統工芸品に指定されているほか、鹿沼市独自の「かぬまブランド」にも認定されており、地域を代表する工芸品として発信が続けられています。
小田原ちょうちん
Odawara Chochin
小田原ちょうちんは、神奈川県小田原市に伝わる提灯で、江戸時代中ごろに地元の提灯職人・甚左衛門が箱根越えをする旅人のために考案したと伝えられています。通常の提灯と異なり、胴の中骨が一本のリング状に独立しているため、たたむと胴体部分が上下の蓋の中にすっぽりと収まり、懐にしまえるほど小さく携帯できるのが最大の特徴です。竹ひごを四角形に削って糊付け面を増やしているため雨や霧に強く、上下の蓋には大雄山最乗寺の霊木が使われ道中の魔除けになるとも信じられました。これら携帯性・耐久性・魔除けという3つの長所は「三得」として宣伝され、江戸時代には東海道を行き交う旅人の土産物として全国に知られるようになりました。現在は市内で伝統の技法を守る提灯店がわずかに残り、体験教室などを通じて技術の継承が図られています。
庄川挽物木地
Shogawa Hikimono Kiji
庄川挽物木地は富山県砺波市庄川町を中心に作られる木工品で、ろくろで木材を挽いて盆・鉢・椀などの木地を仕上げる伝統工芸である。1866年(慶応2年)、魚津の木地師・越後屋清次が庄川の流木事業で集まる豊富な木材を求めて金屋(現・砺波市庄川町)に移り住み、ろくろ挽物の仕事を始めたのが起源とされる。明治期には青島貯木場に木材が集積し、周辺は製材所や木工所が建ち並ぶ木材の一大集積地へと発展した。木目の美しさを最大限に生かすため木を横方向に挽く技法が特徴で、使い込むほどに艶と味わいが増す。トチやケヤキなど国産材を用い、からかさ鉋や薄刃といった職人自作の道具で仕上げられる。1978年(昭和53年)に経済産業大臣指定伝統的工芸品となり、現在も庄川木工挽物会に属する職人たちが技術を受け継いでいる。
常陸獅子
Hitachi Jishi
常陸獅子は茨城県石岡市に伝わる獅子頭で、角を持たず、太く力強い眉と勇壮な表情を特徴とする。石岡の獅子舞に関する最古の記録は江戸末期の1854年(安政元年)の文書に見られ、当初は僧侶が経を唱えながら町を練り歩き悪魔祓いを行う「行道」の獅子として発展したと伝わる。近代以降、地域最大の祭礼である常陸国総社宮例大祭(石岡のおまつり)に各町内の獅子が一堂に会するようになり、獅子頭作りの需要とともに技術が磨かれてきた。現代の職人による製作では、地元産の桐材を木地に用い、耳・眉・目・鼻・上下顎などを部位ごとに彫り出して組み合わせ、本漆と純金箔で仕上げるのが特徴。石岡市内には獅子頭の制作技術を教える教室や工房があり、飾り獅子として購入することもできる、全国的にも珍しい「生きた」郷土工芸である。
雪村うちわ
Sesson Uchiwa
雪村うちわは茨城県常陸太田市に伝わる茨城県郷土工芸品指定のうちわで、室町時代に同地に滞在した画僧・雪村周継が水墨画を描いたうちわを配ったことに始まると伝えられる。地元産の真竹を細く裂いた骨にい草を交差させて編み、常陸大宮市で漉かれる丈夫な和紙「西ノ内紙」を貼って仕上げる。図柄には馬や朝顔、案山子、水戸八景など雪村ゆかりの山水花鳥画が用いられ、水戸藩2代藩主・徳川光圀も愛用したと伝えられている。伐採から仕上げまで33にも及ぶ全工程を手作業で行うため、年間の製造数は2,000本ほどにとどまる。江戸時代から200年以上にわたり一軒の店が家業として技を受け継いでおり、現在は4代目が唯一の担い手として制作を続けている。

大山こま
Oyama Koma
大山こまは、神奈川県伊勢原市の大山山麓に伝わる木製の独楽(こま)で、江戸時代中期に盛んになった「大山詣り」の土産物として発展しました。地元でとれるミズキ材を木地師が轆轤(ろくろ)で挽き、白木の生地に朱・藍・紫の3色を鮮やかに塗り分けた回転模様が特徴です。太く長い心棒と丸みを帯びた重厚な形は、心棒に別の堅い木を挿し込む構造によって「けんかごま」として使っても壊れにくいよう工夫されており、「よく回る」ことから金運や商売繁盛を呼び込む縁起物として親しまれてきました。かつては参道沿いに多くの木地師・こま屋が軒を連ね、「こま参道」という通り名の由来にもなりましたが、生活様式の変化とともに担い手は減少し、現在は参道にわずかに残る店が伝統を守っています。2023年(令和5年)には「大山こまの製作技術」が国の記録作成等の措置を講ずべき無形民俗文化財に選択されました。
鳥越竹細工
Torigoe Takezaiku
鳥越竹細工は、岩手県二戸郡一戸町の鳥越地区に伝わる竹細工です。県北の山地に自生する細くしなやかな笹の一種「南部鈴竹(すず竹)」を材料とし、内側から見ても外側から見ても美しく仕上がる「合わせ編み」の技法で編み上げるのが特徴です。起源は平安時代にさかのぼるとされ、鳥越に滞在していた慈覚大師が観音のお告げを受けて里人に竹細工を広めたという伝説が残っています。かごやざるなど日用の道具として長く親しまれてきましたが、近年は原料となるすず竹の大量枯死などにより担い手・生産量が減少しており、「鳥越竹細工 産地を守る会」が後継者の育成や産地のPRに取り組んでいます。
津軽系こけし
Tsugaru-kei Kokeshi
津軽系こけしは、東北6県に伝わる伝統こけし11系統の一つで、青森県黒石市の温湯温泉を中心に大鰐町にも産地を広げています。大正時代の初め頃、温湯温泉の木地師・盛秀太郎が湯治客向けに作り始めたのが起こりとされ、大鰐町の長谷川辰雄とともにその礎を築きました。ほかの系統に比べ成立が新しい分、徒弟制度に縛られない自由な作風が育まれ、頭と胴を一本の木から作る「作りつけ」の技法や、裾が広くふくらんだ胴の形、津軽藩の家紋である牡丹文様やアイヌ模様、ねぶた絵の影響を受けた模様など、他の産地にはない個性的な意匠が特徴です。黒石市には1988年に津軽こけし館が開館し、津軽系こけし工人による製作実演や絵付け体験を通じて、今もその技と魅力が伝えられています。
奈良一刀彫
Nara Ittobori
奈良一刀彫は檜や桂、楠などの木材をノミで豪快に彫り上げ、金箔や岩絵具で極彩色に仕上げる木彫人形です。平安時代末期から続く春日若宮おん祭の田楽法師が花笠や島台に飾った彩色人形が起源と伝えられ、1136年の創始以来一度も途切れることなく続く祭礼とともに、その造形が受け継がれてきました。丸みを帯びた通常の彫刻とは異なり、面と稜線を生かした簡素で力強い形態が特徴で、神に捧げる人形として小手先の細工に頼らず物事の本質を表そうとする心構えが根底にあるといわれます。明治時代には「一刀彫奈良人形」、続いて「奈良一刀彫」と称されるようになり、その名は魂を込め一刀両断に彫り上げたような風合いから、春日大社の初代宮司・水谷川忠起が名付けたと伝わります。現在も雛人形や五月人形、干支の置物など幅広い作品が奈良の地で作られ続けています。
奈良団扇
Nara Uchiwa
奈良団扇は、日本で最も歴史が古い団扇の一つとされる奈良市の伝統工芸品です。奈良時代創建の春日大社に仕えた神官が作った「禰宜(ねぎ)団扇」がその起源と伝えられ、江戸時代前期には興福寺の僧侶が中国伝来の団扇に趣向を凝らし、鹿や藤など奈良の風物にちなむ文様を透かし彫りで施す独自の意匠を完成させました。女竹を細く割った60〜90本もの骨に和紙を貼り、文様部分を彫刻刀でくり抜く「透かし彫り」が最大の特徴で、一般的な団扇の3倍以上という骨数のおかげでしなやかにたわみ、優しい風を送ります。紙染めから竹骨加工、下絵付け、透かし彫り、たたき張りまで全13の工程をすべて手作業で行い、分業をせず一つの工房で一貫して作る点も他産地の団扇には見られない特徴です。現在は奈良市内にある日本で唯一の専門店が、170年以上にわたりこの技術を守り継いでいます。
南部系こけし
Nanbu-kei Kokeshi
南部系こけしは岩手県花巻市を発祥とする伝統こけしで、木地師によって作られた玩具「キナキナ」を原型とします。頭部と胴体を別々にろくろで挽き、頭をあえてゆるく差し込むことで首を軸にくらくらと動く点が最大の特徴で、こうした構造は全国11系統の伝統こけしの中でも南部系だけに見られます。当初は顔も模様も描かれない素木のままの玩具でしたが、後に鳴子系・遠刈田系工人の影響を受けて花や模様が描かれるようになり、花巻こけしとも呼ばれるようになりました。木肌が白く堅いコサンバラ(アオハダ)と呼ばれる良材を使うことでも知られ、現在も花巻市・盛岡市を中心に工人によって手作業で作り続けられています。素朴で表情豊かな佇まいは、東北の風土が育んだ郷土玩具として今も多くの人に親しまれています。
二風谷イタ
Nibutani Ita
二風谷イタは、北海道沙流郡平取町の二風谷地区に古くから伝わるアイヌ民族の木彫りの盆(イタ)です。カツラやクルミなどの北海道産材を数年かけて乾燥させた板を彫り込み、モレウノカ(渦巻文様)やアイウシノカ(棘のような文様)、シクノカ(目のような文様)といったアイヌ文様を彫刻します。文様の合間を埋めるように施される「ラムラムノカ(鱗彫り)」も二風谷イタに欠かせない技法とされています。これらの文様には魔除けや厄除けの意味が込められていると伝えられています。2013年3月8日、二風谷アットゥシとともに北海道で初めて経済産業大臣指定伝統的工芸品に指定されました。長らく日常の盆として使われてきた道具でありながら、彫り手ごとに文様の構成や深浅の表現が異なり、作り手の個性が色濃く表れる工芸品でもあります。現在も平取町二風谷を中心に、地元の工芸家や工房によって技術が受け継がれています。

日光彫
Nikko-bori
日光彫は栃木県日光市に伝わる木彫刻の伝統工芸で、江戸幕府3代将軍・徳川家光による日光東照宮の造替(1634〜1636年)に際し、全国から集められた名工たちが仕事の合間に手がけた余技が起源とされる。最大の特徴は「ひっかき」または「日光三角刀」と呼ばれる独特の彫刻刀にあり、これはもともと東照宮の修復時に漆を掻き落とすために使われていた道具に由来する。刃先を折り曲げ手前に引いて彫ることで生まれる流れるような曲線が日光彫特有の表情を生み、牡丹・菊・梅・桜といった植物文様を中心に、東照宮彫刻の影響を色濃く受けた意匠が多く見られる。彫り上げた木地には漆を塗り重ねて仕上げられ、盆や茶托、小引き出しなど暮らしの道具として親しまれてきた。現在も日光市内の工房や体験施設では、観光客が実際にひっかき刀を使って手鏡や菓子器を彫る体験ができる。

箱根寄木細工
Hakone Yosegi Zaiku
箱根寄木細工は、天然木が持つ色合いや木目の違いをそのまま生かして幾何学模様を組み上げる神奈川県箱根町の伝統的木工技術です。江戸時代後期、箱根の山中でとれる多彩な樹種に着目した畑宿の石川仁兵衛が、色や木目の異なる木片を寄せ合わせて盆や箱を作ったのが始まりとされます。明治時代には静岡方面の寄木技法が加わり、より精緻な幾何学文様が生み出されるようになりました。からくり仕掛けを施した「秘密箱」は、東海道を旅する人々や温泉客の土産物として人気を集め、現在も箱根土産の代表格です。1984年には国の伝統的工芸品に指定され、発祥の地である畑宿を中心に工房や資料館が今も軒を連ねています。
八幡馬
Yawata-uma
八幡馬は青森県八戸市を中心とする南部地方に伝わる木彫りの馬の郷土玩具で、福島県の三春駒、宮城県の木下駒と並ぶ「日本三駒」の一つに数えられています。かつて名馬「南部馬」の産地であった南部地方で、八戸市八幡にある櫛引八幡宮の例大祭に集う参詣者向けの土産物として木彫りの馬が売られたのが始まりとされ、地名の「八幡」にちなんで八幡馬と呼ばれるようになりました。台座に乗った素朴な馬体に赤や青の華やかな模様を施した姿は、農村の嫁入り道中を彩った盛装馬の様子を映したものともいわれています。明治以降は玩具から祝い事の記念品へと役割を広げ、現在は結婚や新築、出産などの贈答品として親しまれています。平成8年3月には青森県伝統工芸品に指定され、木取りから絵付け、たてがみを植える毛すげまで、一貫して職人の手作業で仕上げる技が受け継がれています。
富山木象嵌
Toyama Mokuzogan
富山木象嵌は、色や木目の異なる天然木を糸鋸で挽き抜いてはめ込み、一枚の板の上に絵や模様を表現する富山市発祥の木工技法である。明治40年(1907年)、富山出身の中島杢堂が神奈川県小田原の木象嵌家・白川洗石のもとに弟子入りし、糸鋸機械を用いた近代的な象嵌技術を学んで富山に持ち帰ったのが始まりとされる。中島杢堂は1964年(昭和39年)に富山県無形文化財の指定を受け、富山の風土に根ざした独自の作風を築いた。三角形や四角形など単純な木片を組み合わせる寄木細工とは異なり、台板に描いた図柄に沿って糸鋸で精密に挽き抜き、同型の模様材をはめ込むことで絵画的な図柄を表現できる点が最大の特徴である。額装やテーブルなどの伝統的な製品に加え、近年は茶器や照明など新しい形の製品づくりも進められている。後継者たちの活動が評価され、2013年(平成25年)に富山県指定伝統工芸品となった。

木彫り熊
Kibori-guma (Wood-carved Bear)
木彫り熊は、北海道を代表する木彫り工芸品として広く知られる熊の木彫像です。発祥は渡島半島の八雲町とされ、尾張徳川家19代当主・徳川義親が1921〜1922年のヨーロッパ視察でスイスに立ち寄った際に見かけた木彫りの熊などの民芸品を持ち帰り、自身が営む八雲農場の冬期間の副業として地元農民に制作を奨励したのが始まりです。酪農家の伊藤政雄が手本を基に彫った作品が北海道第一号とされ、1924年の八雲農村美術工芸品評会で展示されました。八雲では日本画家・十倉金之が確立した繊細な「毛彫り」と、柴崎重行が確立した力強い「面彫り(ハツリ彫り)」の2つの表現が発展しました。一方、旭川では1926年頃にアイヌの熊猟師・松井梅太郎が実体験を基に彫ったことをきっかけに独自の系統が生まれ、面による抽象的な造形を特徴とする「旭川系」として発展しました。北海道土産の定番として全国に知られています。