ローカルフードジャンル
麺類
全国各地の麺類を横断的に紹介します。
地域(複数選択可)
52 件

おきりこみ
Okkirikomi
おきりこみ(おっきりこみ)は、小麦粉で作った幅広の生麺を里芋・大根・きのこなどの季節野菜とともに味噌や醤油仕立ての汁でじっくり煮込む、群馬県を代表する郷土料理です。生地を麺棒に巻いて包丁で「切り込み」を入れて鍋に投じることが名前の由来とされ、麺は下ゆでせずに打ち粉ごと汁に入れて煮込むため、とろみのあるまろやかな汁に仕上がるのが特徴です。小麦の名産地である群馬県では、かつて養蚕農家の女性たちが農作業の合間に手早く大量に作れる料理として広めたと伝わり、江戸時代中期以降、石臼の普及とともに日常の主食として定着しました。2014年には「群馬の粉食文化・オキリコミ」として群馬県の無形民俗文化財に採択されるなど、地域の食文化を象徴する一品として今も家庭や食堂で親しまれています。

へぎそば
Hegi Soba
へぎそばは、海藻の布海苔(ふのり)をつなぎに使ったそばを、「へぎ」と呼ばれる四角い木の器に一口大ずつ並べて盛る新潟県の郷土料理です。魚沼地方が発祥とされ、なかでも小千谷市や十日町市はそば処として知られています。布海苔はもともと、小千谷縮などの織物で糸の糊付けに使われていた素材です。織物の産地で身近にあった海藻をそば打ちに転用したことが、この独特のそばを生みました。布海苔つなぎのそばは、つるりとしたのど越しと弾力のある強いコシが持ち味です。ゆでたそばを一口分ずつ丸めて並べる盛り方は「手振り」と呼ばれ、見た目の美しさも魅力の一つです。薬味にわさびではなくからしを添える風習も、この地方ならではの特徴です。専門店では1人前から数人前まで人数単位で注文でき、大きなへぎに盛られたそばを分け合って味わえます。現在は魚沼地方にとどまらず、新潟県内全域で食べられています。

ほうとう
Hoto
ほうとうは、小麦粉を練って幅広に切った生麺を、かぼちゃなどの野菜と一緒に味噌仕立ての汁で煮込む山梨県の郷土料理です。麺に塩を入れずに打つため、下ゆでをせずにそのまま鍋に入れられます。打ち粉がついたまま煮込むので汁にとろみがつき、冷めにくく体が温まります。「うまいもんだよかぼちゃのほうとう」という言葉があるほど親しまれ、2007年には農林水産省の「農山漁村の郷土料理百選」に選ばれました。山梨県は県域の約8割を山林が占め、米がとれる水田は限られていました。そのため麦などを粉にして食べる「粉食(ふんしょく)」の文化が育ち、ほうとうは米に代わる主食となりました。峡南(きょうなん)地域では「のし入れ」「のし込み」とも呼ばれます。現在は県内に専門店が多く、一人前ずつ鉄鍋で出す店が一般的です。

伊勢うどん
Ise Udon
伊勢うどんは、伊勢市を中心とする伊勢地方で食べられてきた郷土料理です。直径1cm近い極太の麺を、1時間ほどかけて柔らかくゆで上げます。これに黒く濃いたれを少しだけからめて食べます。たれは、たまり醤油(大豆を主な原料とする濃厚な醤油)に、かつお節や昆布などのだしを合わせたものです。色は真っ黒ですが、口にすると味わいは意外にあっさりしています。麺にはコシがほとんどなく、ふわふわ、もちもちとした食感が最大の特徴です。江戸時代にお伊勢参りが盛んになると、長旅で疲れた参拝客に、胃腸にやさしい食べ物として出されました。早く出せて手軽に食べられることから、門前の名物として知られるようになったといわれます。「伊勢うどん」という呼び名が定着したのは、昭和40年代以降と比較的新しいことです。2024年度(令和6年度)には、文化庁の「100年フード」に認定されました。

沖縄そば
Okinawa Soba
沖縄そばは、そば粉を一切使わず小麦粉とかん水だけで打った太めの麺に、豚骨とかつお節を合わせた濃厚なだしを張り、豚の三枚肉の煮付けやかまぼこ、ネギ、紅生姜をのせた沖縄県民食です。明治中期に那覇でそば屋が開かれたのが始まりとされ、当初は「すば」や「支那そば」と呼ばれていました。日本そばと区別するため1972年の本土復帰後に「沖縄そば」の名称が定着し、1978年には「本場沖縄そば」として特殊名称の使用が公正取引委員会に認められています。県内には宮古そばや八重山そばなど地域ごとに麺の太さやだしの取り方が異なる変種もあり、農山漁村の郷土料理百選にも選ばれています。専門店だけでなく町の食堂でも提供され、朝食から夜食まで一日を通して食べられる、沖縄の暮らしに深く根付いた麺料理です。

信州そば
Shinshu Soba
信州そばは、長野県各地で育てられたそばを使って打つ、長野県を代表する麺料理です。冷涼で夜の気温が下がる高地の気候はそばの栽培に向いており、長野県のそば生産量は全国有数で、2020年(令和2年)には3,960トンと全国2位でした。米や小麦が育ちにくい山あいの土地でも実るそばは、昔から暮らしを支える作物でした。麺状の「そば切り」は信州が発祥ともいわれ、木曽郡大桑村の定勝寺には1574年(天正2年)の最古の記録が残ります。中山道の本山宿(現在の塩尻市)を発祥とする説もありますが、甲州(山梨県)説などもあり、諸説があります。県内には、戸隠そばや開田高原のそばなど、土地ごとに特色あるそばが受け継がれています。秋の収穫期には県内各地でそばまつりが開かれ、新そばを味わえます。

博多ラーメン
Hakata Ramen
博多ラーメンは、福岡市博多エリアを中心に食べられている豚骨ラーメンの一種です。豚骨を強火で長時間炊き出すことで生まれる白濁したとんこつスープと、島原素麺の技術を応用したといわれる極細ストレート麺の組み合わせが最大の特徴で、ゆで時間が短くて済むことから屋台の回転を上げる工夫として定着しました。麺がすぐに伸びてしまうため、少量ずつ何度でも麺だけを追加できる「替え玉」の文化が生まれたことでも知られます。紅しょうがや辛子高菜、白ごま、きくらげなど卓上の薬味を自分好みに加えて味を変化させながら食べるのも楽しみ方の一つです。戦後の屋台文化の中から生まれ、今では福岡を代表するご当地ラーメンとして全国、さらには海外にも店舗を展開する有名店を数多く輩出しています。

イタリアン
Niigata Italian
イタリアンは、新潟市発祥のファストフードで、ソース焼きそばの上にトマトソースやミートソースをかけた料理です。名前はイタリア料理を思わせますが、中身は日本の焼きそばを洋風に仕立てた新潟独自のご当地グルメです。1959年、新潟市の甘味喫茶「三日月」の経営者・三日月晴三が、東京で食べたソース焼きそばをヒントに考案したとされます。スパゲティのイメージを取り入れ、フォークで食べるスタイルにしたことが名前の由来です。現在は新潟市を中心とする「みかづき」と、長岡市を中心とする「フレンド」の2つのチェーンが代表格として知られます。みかづきはトマトソースに白生姜、フレンドはミートソースに紅生姜を添えるなど、ソースや付け合わせ、食べ方にそれぞれの個性があります。数百円で気軽に食べられることもあり、新潟県民のソウルフードとして長く親しまれています。
とうじそば
Toji Soba
とうじそばは、長野県松本市奈川(旧奈川村)に伝わるそばの郷土料理で、「投汁そば」とも書きます。鍋で煮立てたつゆに、竹で編んだ小さな「とうじかご」に入れた一口分のそばをくぐらせ、温めて食べます。つゆには旬の野菜や山菜、きのこ、鶏肉などを入れ、そばと一緒にお椀に取り分けます。奈川は、松本から飛騨へ向かう野麦街道沿いの、標高約1,200mの山あいの地域です。昼夜の寒暖差が大きくそばの栽培に向いており、昔は米よりもそばが主食だったと伝わります。囲炉裏に吊るした鉄鍋を家族で囲んで食べた料理で、冠婚葬祭などハレの日のもてなしにも欠かせませんでした。奈川を中心に、木曽地方の一部でも食べられています。

にしんそば
Nishin Soba
にしんそばは、甘辛く煮た身欠きにしんを温かいそばにのせた京都発祥の麺料理です。海のない京都では、北前船によって北海道から運ばれた乾物の身欠きにしんが貴重なたんぱく源として重宝され、そば文化と結びついてこの料理が生まれました。文久元年(1861年)創業の蕎麦店「松葉」の2代目・松野与三吉が、明治15年(1882年)ごろに考案したと伝えられ、以来京都の名物料理として定着しています。骨まで柔らかく炊き上げた甘露煮風のにしんと、かつおと昆布のだしをきかせたつゆの組み合わせが特徴で、京都の観光名物としても広く知られています。

稲庭うどん
Inaniwa Udon
稲庭うどんは、秋田県湯沢市稲庭町を発祥とする手延べ製法の干しうどんです。生地を練り、綯って熟成させながら手で細く延ばしていく独特の工程を経てつくられ、平打ちで断面が扁平な麺は、つるりとした喉越しと強いコシを兼ね備えています。江戸時代前期の寛文5年(1665年)に製法が確立されたと伝わり、約100年後には秋田藩主・佐竹家の御用達にも指定されました。讃岐うどん・水沢うどんと並んで「日本三大うどん」の一つに数えられることもあります。手間のかかる手延べ製法のため生産量が限られ、贈答品としても高い人気を誇る秋田県を代表する麺料理です。

越前おろしそば
Echizen Oroshi Soba
越前おろしそばは、冷たいそばに大根おろしとだしを合わせて食べる福井県の郷土料理です。かつお節や刻みねぎを添えるのが一般的で、季節によっては辛味大根も使われます。福井のそばは、石臼で甘皮ごと挽いた黒っぽいそば粉を使い、やや太めに打った田舎そばが主流です。県内には在来種のそばが数多く残り、小粒ながら味が濃く香りに優れているといわれます。そばの栽培は戦国時代に朝倉氏が始めたとされ、江戸時代の初めには麺状の「そば切り」が伝わりました。その後、大根おろしを添える食べ方が広まり、現代まで受け継がれています。「越前そば」の呼び名は、1947年(昭和22年)に福井を訪れた昭和天皇の逸話に由来するとされます。大根おろしとだしの合わせ方は店ごとに異なり、食べ比べも楽しめます。

喜多方ラーメン
Kitakata Ramen
喜多方ラーメンは、福島県喜多方市で発展したご当地ラーメンで、札幌・博多と並び「日本三大ラーメン」の一つに数えられることもあります。太めの平打ち熟成多加水麺が特徴で、コシが強くちぢれた麺がすっきりとした豚骨・煮干しベースの醤油スープによく絡みます。漆器や酒蔵が立ち並ぶ「蔵の町」として知られる喜多方には、市内に人口比で見て全国有数の密度でラーメン店がひしめき、住民が朝食代わりにラーメンを食べる「朝ラー」文化が根づいています。工場勤務者の夜勤明けや冬の出稼ぎ帰りに体を温める食事として定着したとも言われ、観光客も朝ラー目当てに早朝から市内を訪れる姿が見られます。昭和50年代のテレビ番組をきっかけに全国区の知名度を得て以降、街を代表する観光資源として今も発展を続けています。

亀山みそ焼きうどん
Kameyama Miso Yaki Udon
亀山みそ焼きうどんは、三重県亀山市のご当地グルメです。肉や野菜とうどんを鉄板で焼き、味噌をベースにしたたれで味付けします。昭和中期、亀山には国道1号を行き交うトラック運転手向けの食堂が多くあり、赤味噌を使ったホルモン焼きが出されていました。肉を焼いた後の鉄板に残る味噌だれで、うどんを焼いて食べたのが始まりとされます。2008年には、まちおこしを目指す市民グループ「亀山みそ焼きうどん本舗」が結成され、ご当地グルメとして広まりました。2011年の「中日本・東海B-1グランプリin豊川」では、1位のゴールドグランプリに選ばれています。市内の食堂やパーキングエリアなど、約20店で味わえるとされます(2020年時点)。香ばしい味噌の香りと、ピリッと甘辛い味がくせになると、リピーターの多い料理です。2024年度(令和6年度)には、文化庁の「100年フード」に認定されました。

吉田のうどん
Yoshida Udon
吉田のうどんは、富士吉田市を中心とする郡内(ぐんない)地方で食べられている、硬くてコシの強いうどんです。太い手打ち麺を、煮干しなどのだしに味噌と醤油を合わせた汁で食べます。具はゆでたキャベツと甘辛く煮た馬肉が定番です。薬味には、赤唐辛子にごまや山椒などを合わせた「すりだね」を使います。富士山北麓は標高が高く冷涼で、火山灰の土壌のため稲作に向きませんでした。そのため小麦などを使う粉食が根づきました。昭和初期には織物業が盛んで、機織りをする女性に代わって男性が昼食のうどんを作ったといわれます。力強くこねたことが、独特の歯ごたえにつながったとされます。2007年には「農山漁村の郷土料理百選」に選ばれました。市内には約50軒の専門店があり、民家のような店構えや昼だけの営業も特徴です。

水沢うどん
Mizusawa Udon
水沢うどんは、群馬県渋川市伊香保町水沢の水澤寺(水澤観音)門前に軒を連ねる「うどん街道」を中心に作られる、コシの強い手打ちうどんです。讃岐うどん・稲庭うどんと並ぶ日本三大うどんの一つに数えられ、400年以上の歴史を誇ります。飛鳥時代、水澤寺の創建に携わったと伝わる渡来僧・恵灌僧正がうどんの製法を伝えたという伝承があり、天正4年(1576年)頃には参拝客や湯治客に地元産の小麦と榛名山系の伏流水で打ったうどんが振る舞われるようになったのが、地名を冠したうどんとして定着する始まりとされています。生地を踏んでは寝かせる工程を何度も繰り返す独特の製法によって強いコシと透明感のある白い麺に仕上がり、冷たいざるうどんとして、しょうゆだれやごまだれで味わうのが定番のスタイルです。

博多うどん
Hakata Udon
博多うどんは、福岡市博多区を中心に食べられている、コシの強さよりもやわらかさとだしの旨みを重視したうどんです。鎌倉時代に宋から帰国した聖一国師(円爾)が製粉技術とともにうどんを日本に伝えたとされ、博多はうどん発祥の地の一つとして知られています。博多うどんの麺はゆで置きされたやわらかい麺が主流で、あご(トビウオ)や昆布、厚削りなどでとった甘みのあるだしとよく絡みます。具材として代表的なのがカリッと揚がったごぼう天やふわふわの丸天で、これらを乗せた「ごぼう天うどん」は博多うどんの定番メニューとして親しまれています。駅の立ち食いうどん店から老舗の専門店まで、幅広い形態で市民の日常食として根付いています。
みみ
Mimi
みみは、山梨県富士川町の十谷(じっこく)地区に伝わる郷土料理です。小麦粉を練って薄くのばし、5cmほどの正方形に切ります。その片側の二つの角を合わせて三角にし、農具の「箕(み)」の形に整えます。これを大根や里芋、ごぼうなどの野菜と一緒に、煮干しのだしで煮て味噌で味をととのえます。生地はほうとうと似ていますが、形がまったく違い、下ゆでも必要ありません。名前は箕の形に似ていることに由来するとされ、耳に似ているからという説もあります。箕には「福をすくう」意味が込められ、「福箕(ふくみ)」が転じて「みみ」になったとも伝わります。縁起のよい料理として、十谷では今も元旦の朝に歳神様(としがみさま)に供えてから家族で食べます。地元の施設では、みみ作りの体験もできます。

ローメン
Romen (Ina Romen)
ローメンは、長野県伊那市で生まれた、蒸した中華麺とマトン(羊肉)、キャベツを使う麺料理です。1955年(昭和30年)、伊那市の中華料理店「萬里(ばんり)」の店主・伊藤和弌(いとう わいち)が考案しました。冷蔵庫が普及していなかった当時、麺を日持ちさせるために蒸したのが始まりとされます。「ラーメンでも焼きそばでもない」といわれ、スープに浸かった汁ありのものと、焼きそば風の汁なしのものがあります。食卓のソースや酢、ごま油などをかけ、自分好みの味に仕上げて食べるのも特徴です。伊那市とその周辺では約90軒の飲食店が出しており、学校給食にも登場します。地域の人々に長く親しまれてきたソウルフードです。

富士宮やきそば
Fujinomiya Yakisoba
富士宮やきそばは、静岡県富士宮市で親しまれているご当地やきそばです。市内の指定製麺所が作るコシの強い蒸し麺を使い、ラードを搾った後に残る「肉かす」を具に加えます。仕上げにいわしやさばの削り粉(だし粉)をふりかけるのが特徴です。独特の蒸し麺は、戦後の食料難の時代に、戦地で食べたビーフンを再現しようとする中で生まれたといわれます。2000年(平成12年)には市民有志が「富士宮やきそば学会」を立ち上げ、やきそばによる町おこしを始めました。だじゃれを交えたユニークなPR活動で全国に知られるようになり、2006年と2007年にはB-1グランプリで2年連続のグランプリに輝きました。富士山本宮浅間大社の門前町である富士宮の市内には、やきそばを出す店が150店ほどあるといわれます。地元の人の日常の味であると同時に、観光客のお目当てにもなっています。

きつねうどん
Kitsune Udon
きつねうどんは、昆布と節類でとったつゆをうどんにかけ、甘辛く煮た油揚げをのせた料理です。大阪で生まれたとされ、府民にもっとも愛されるうどんともいわれます。大阪のうどんは、だしによくなじむ、太すぎないもっちりとした麺が特徴とされます。「天下の台所」と呼ばれた大阪には、北前船で北海道の昆布が運ばれ、だしを大切にする食文化が育ちました。きつねうどんの始まりは、明治26年(1893年)に船場で開業したうどん店「松葉家」(現・うさみ亭マツバヤ)とされます。初代・宇佐美要太郎さんがいなり寿司用の油揚げを素うどんに添えて出したところ、客がうどんにのせて食べたのがきっかけと伝わります。名前は、狐の好物が油揚げとされることに由来します。関西では、油揚げをのせたそばを「たぬき」と呼ぶなど、呼び名にも独自の文化があります。

高山ラーメン
Takayama Ramen
高山ラーメンは、岐阜県高山市で地元の人々に「中華そば」として親しまれてきたご当地ラーメンです。醤油ベースのあっさりとしたスープに中細の縮れ麺を合わせ、具材はチャーシュー、メンマ、刻みねぎというシンプルな構成が基本です。昭和13年(1938年)、屋台の「まさごそば」が支那そばとして売り出したのが始まりとされ、戦後には何軒もの屋台が登場して活況を呈しました。昭和30年代には屋台から店舗へと移り変わり、現在では高山市内に100軒以上ともいわれる中華そば店がひしめいています。地元では「そば」と呼べば中華そばを指すほど生活に根付いており、年越しに中華そばを食べる家庭もあるといいます。「高山ラーメン」という呼び名は主に観光客の間で使われるもので、地元の店ののれんには「中華そば」の文字が掲げられています。

勝浦タンタンメン
Katsuura Tantanmen
勝浦タンタンメンは、千葉県勝浦市発祥のご当地ラーメンで、醤油ベースのスープにラー油をたっぷりと効かせた、辛さと旨みが際立つ一杯です。一般的な担々麺が胡麻だれや白湯スープを使うのに対し、勝浦タンタンメンは醤油味をベースにしている点が大きく異なります。みじん切りにした玉ねぎとひき肉を炒めたものがスープに溶け込み、コクと辛さが調和した味わいを生み出します。もとは沖合の漁や海女の仕事で冷えた体を温めるために、地元の食堂で提供されるようになったとされ、1954年創業の大衆食堂「江ざわ」が元祖として知られています。2011年には市民団体による普及活動が始まり、2015年のB-1グランプリで優勝するなど知名度が全国に広がりました。2023年11月時点では県内外の40店舗が「正規取扱店」として認定されています。

白河ラーメン
Shirakawa Ramen
白河ラーメンは、福島県白河市を中心に発展したご当地ラーメンで、手打ちならではの不規則なちぢれ麺と、鶏ガラ・豚骨を主体にしたすっきり醤油味のスープが特徴です。職人が青竹を使って生地を打つ「青竹打ち」の技法を受け継ぐ店が多く、強いコシと独特の食感を持つ麺が、丁寧に炊き出された澄んだスープによく絡みます。奥州街道の宿場町として栄えた白河には、大正時代から続く手打ち麺の系譜を守る個人経営の食堂が今も点在し、それぞれの店が独自の製法や配合を守っていることから、複数の店を巡る「食べ比べ」を楽しみに訪れる観光客も少なくありません。近年は地元の若手職人が伝統の技を受け継ぎ、首都圏に弟子店を出す動きも見られます。

味噌煮込みうどん
Miso Nikomi Udon
味噌煮込みうどんは、かつおだしと八丁味噌をあわせた濃厚な味噌だしで、コシの強い太めのうどんを一人用の土鍋でぐつぐつと煮込む名古屋の郷土料理です。塩を使わず小麦粉と水だけで打つ生麺をそのまま土鍋に入れて煮込むためコシが強く残るのが特徴で、鶏肉・油揚げ・かまぼこ・卵・ねぎなどが具材として加わります。江戸時代から各地にあった味噌仕立てのうどんを原型に、大正14年(1925年)創業の名古屋・大須の「山本屋」が、土鍋で一人前ずつ煮込むスタイルを確立したとされます。現在は「山本屋総本家」と「山本屋本店」という二つの系譜に分かれて営業しており、ともに名古屋を代表する味噌煮込みうどんの名店として親しまれています。

きしめん
Kishimen
きしめんは、幅7〜8mm・厚さ約1mmほどに打った平打ちのうどんで、鰹節と醤油ベースのだしに、油揚げ・かまぼこ・青菜・かつお節などをのせて食べる名古屋の郷土料理です。江戸時代の1728年刊行の句集『二重袋』にすでに「きしめん」を詠んだ句が見られ、遅くとも18世紀初頭には庶民の間で親しまれていたことがわかります。名前の由来には、碁石形の麺にきな粉をつけて食べた「棊子麺(きじめん)」が転じたとする説や、尾張藩主が好んだ雉肉入りのうどん「雉麺」がなまったとする説など諸説あります。麺を平たくすることでゆで時間を短縮でき燃料の節約になったとも言われ、名古屋駅や熱田神宮周辺の専門店で今も広く提供されています。
加須うどん
Kazo Udon
加須うどんは、埼玉県加須市とその周辺で作られる手打ちうどんで、「加須の手打ちうどん」とも呼ばれます。その歴史は江戸時代中期にさかのぼり、関東三大不動の一つとされる不動ヶ岡不動尊・總願寺の門前で参拝客をもてなすために振る舞われたのが始まりと伝えられます。加須に専門のうどん店ができたのはおよそ200年前とされ、不動尊の門前で岡村屋が手打ちうどん店を営んでいた記録も残っています。麺は強いコシと喉ごしのよさが特徴で、つゆにはごまだれを使うことも多く、冠婚葬祭の締めくくりに振る舞う風習が現在も残っています。加須市は自らを「うどんの里」として発信しており、市内には多くの手打ちうどん店が軒を連ねています。

冷汁うどん(すったて)
Hiyajiru Udon (Suttate)
冷汁うどんは、すりごまと味噌をすり鉢ですり合わせ、きゅうりや大葉、みょうがなどの夏野菜を加えて冷水でのばしたつけ汁に、うどんをつけて食べる埼玉県の郷土料理です。「すりたて」を食べることに由来して「すったて」とも呼ばれ、比企郡川島町を中心に大宮・川越・加須など県内の稲作地帯で古くから親しまれてきました。埼玉県は稲作の裏作として小麦栽培が盛んだった土地柄から独自の「うどん文化」を育んでおり、すったてはその中でも農繁期の暑い時期に手早く栄養を補給できる知恵の料理として発展しました。ごまの香ばしさと味噌のコク、薬味野菜のさわやかさが合わさった冷たいつけ汁は食欲のない夏場でも箸が進みやすく、家庭ごとに配合や薬味が異なるのも特徴です。近年はB級グルメとしても注目され、川島町では「かわじますったて」として提供する飲食店が増えています。
おくずかけ
Okuzukake
おくずかけは、仙台市から宮城県南部(仙南地域)を中心に、春秋の彼岸やお盆、法事の際に作られてきた精進料理です。ごぼう、人参、里芋、乾しいたけ、油揚げ、豆腐、豆麩などの野菜と乾物をだしで煮込み、白石地方特産の温麺(うーめん)を加えて、とろみをつけて仕上げます。名前の由来は、かつて山野に自生する葛の根から採った「くず粉」でとろみをつけていたことにあり、現在は片栗粉で代用されることが一般的です。禅宗の普茶料理「雲片」に似せて作られたとも伝えられ、肉や魚を使わないのが本来の形ですが、家庭によってはかつおだしや鶏肉を加えるアレンジも広く行われています。彼岸やお盆に親戚が集まる際、ずんだ餅やおはぎとともに仏前に供え、来客をもてなす料理として発展してきました。世代を超えて受け継がれる「おふくろの味」として、今も宮城県南の食卓に息づいています。

横手やきそば
Yokote Yakisoba
横手やきそばは、秋田県横手市発祥のご当地焼きそばです。太めの茹で角麺にひき肉と刻んだ紅生姜を混ぜ込んだ甘口のウスターソースで炒め上げ、仕上げに半熟の目玉焼きと福神漬けを添えるのが最大の特徴です。第二次世界大戦直後、横手市内で屋台のお好み焼き屋を営んでいた店主が新たなメニューを模索したことから生まれ、地元の製麺業者との試行錯誤を経て昭和28年(1953年)頃に現在の麺の形が完成したと伝えられています。手軽さと美味しさから瞬く間に広まり、最盛期には市内に約100店舗の焼きそば店があったともいわれます。平成13年(2001年)には「横手やきそば暖簾会」が発足し、地域ブランドとして全国への発信とまちおこしが続けられています。

鯖そうめん
Saba-somen
鯖そうめんは、甘辛く炊いた焼き鯖と素麺を炊き合わせた滋賀県湖北地方(長浜市周辺)の郷土料理で、「焼鯖そうめん」とも呼ばれます。内陸に位置する湖北地方ですが、鯖の産地である若狭湾に比較的近く、若狭から運ばれる焼き鯖やなれずしなどが古くから身近な食材でした。農繁期の5月に、農家へ嫁いだ娘を気遣う実家が焼き鯖を届けた「五月見舞い」という習わしに由来するといわれ、忙しい時期にも手早く作れる料理として親しまれてきました。また、長浜八幡宮の祭礼「長浜曳山まつり」など冠婚葬祭やハレの日のご馳走としても振る舞われ、湖北地方を代表するソウルフードとして今も愛されています。

山形の冷やしラーメン
Yamagata Hiyashi Ramen (Cold Ramen)
山形の冷やしラーメンは、山形市発祥とされる、冷たいスープに冷やした中華麺を入れた中華そばです。1952年頃、山形市の中華そば店「栄屋本店」の常連客から「冷たい蕎麦はあるのに、冷たい中華そばはできないのか」と聞かれたことがきっかけでした。初代店主・阿部専四郎が試行錯誤の末に考案したのが起源とされています。氷を浮かべるなどしてしっかり冷やしたスープに、コシのある中太麺と具材を合わせた一杯で、夏の定番として県内外で親しまれています。現在では栄屋本店をはじめ、山形市内外の多くのラーメン店が独自の冷やしラーメンを提供しており、山形を代表するご当地グルメの一つとして知られています。

白石うーめん
Shiroishi Umen
白石うーめん(温麺)は、約400年前の江戸時代初期から宮城県白石市周辺で作られてきた、油を一切使わない製法が特徴の素麺の一種です。由来として広く伝えられているのは、白石城下に住んでいた鈴木浅右衛門が、胃を病んで食事もままならない父親を案じたという孝行の逸話です。旅の僧から聞いた油を使わない麺の製法で作った麺を温めて食べさせたところ、父の病状が快方に向かったと伝えられています。この話を聞いた白石城主・片倉小十郎が、父を思う浅右衛門の気持ちを称えて麺を「温麺(うーめん)」と名付け、浅右衛門は「味右衛門」を名乗ることを許されたと伝えられています。油を使わないため胃腸に優しく消化が良いとされ、麺の長さも素麺よりやや短い9cmほどに仕上げられているのが特徴です。400年以上にわたり白石の地場産業として受け継がれ、全国乾麺協同組合連合会の産地指定も受けている、宮城県を代表する乾麺です。
かっけ
Kakke
かっけは、岩手県北部の二戸市・九戸村周辺から青森県南部にかけて伝わる、旧南部藩地域ならではの粉食文化を代表する郷土料理です。そば粉や小麦粉を水で練った生地を薄くのばし、三角形に切り分けて熱湯でゆでるのが基本の調理法で、汁で煮込むのではなく、ゆで上げた生地ににんにく味噌やねぎ味噌などのつけだれを添えていただくのが特徴です。そば粉を使う「そばかっけ」と小麦粉を使う「むぎ(麦)かっけ」の2種類があり、そばかっけは黒っぽい色合いと香り、むぎかっけは白くつるりとした食感が持ち味です。米が育ちにくい寒冷な県北地域で、そばや小麦を無駄なく食べる知恵として受け継がれてきた、素朴で滋味深い一皿です。

サンマーメン
Sanma-men
サンマーメンは、豚肉やもやしなどの野菜をとろみのあるあんに仕立てて麺にのせた、横浜発祥のご当地ラーメンです。名前から魚の秋刀魚を連想しがちですが、魚のサンマとは直接の関係はなく、中国語由来の「生馬麺」または「生碼麺」という表記が語源とされ、「新鮮な具材をのせた麺」といった意味合いを持つといわれています。戦後まもない頃、横浜港の労働者に向けて、廉価で食べ応えがあり冬でも冷めにくい麺料理として提供されるようになったのが広まりのきっかけとされ、横浜中華街や伊勢佐木町の中華料理店が発祥に関わったとする説が伝えられています。もやしやニラ、白菜、にんじん、きくらげなど彩り豊かな野菜がたっぷりと使われ、しょうゆ味のあんが麺によく絡む、家庭的で親しみやすい味わいが魅力です。

じゃじゃ麺
Jajamen
じゃじゃ麺は、蒸してから茹でた平打ちの麺に肉味噌とおろしきゅうり、ねぎなどをのせ、よくかき混ぜて食べる盛岡市の郷土料理です。戦後の1953年、旧満州から引き揚げた高階貫勝が現地で親しんだ「炸醤麺(ジャージャー麺)」の味を再現しようと、日本の味噌をベースにした肉味噌を考案し、盛岡で店を開いたのが始まりとされます。豆鼓を使う本場の味を、味噌や挽き肉など十数種の材料を炒め合わせた独自の肉味噌にアレンジし、盛岡の人々の口に合う一杯に仕上げました。麺を食べ終えた後の器に生卵を割り入れ、店員に「チータンタン」と注文すると肉味噌入りの卵スープが楽しめるのも特徴で、わんこそば・盛岡冷麺と並ぶ「盛岡三大麺」の一つに数えられています。
ちたけそば
Chitake Soba
ちたけそばは、チチタケ(乳茸)というきのこを使った出汁で食べる栃木県平野部の郷土料理です。チチタケは裂くと白い乳のような液が出るのが特徴の食用きのこで、秋のきのこに先駆けて盆の頃、8月上旬から出回ります。ナスと一緒に炒めてから水を加えて煮出すと、松茸に劣らぬ濃厚なコクと香りの出汁ができあがり、これに冷たい蕎麦をつけて食べるのが定番の食べ方です。そば処として知られる鹿沼市を中心に、江戸時代にはすでに親しまれていたと伝わり、地元では夏の風物詩として今も専門店や家庭の食卓に並びます。近年は里山環境の変化によりチチタケそのものの収穫量・流通量が減っており、旬の時期にしか味わえない希少な味として一層大切にされています。
つけけんちん
Tsuke Kenchin
つけけんちんは、里芋や大根、ごぼう、にんじん、こんにゃくなど根菜をふんだんに使い、味噌と醤油、みりんで味付けした温かい「けんちん汁」に、太めのそばを別添えでつけて食べる茨城県の郷土料理です。江戸時代後期にはすでに食べられていたと伝わり、旧暦の新年(現在の節分の頃)にそばを食べる風習が水戸藩から茨城県内に広まったとされています。農作物の収穫が一段落する11月半ば、祭りのごちそうの一つとしてよく作られてきた料理で、そばを汁の中に入れて食べる他県の「けんちんそば」とは異なり、そばとけんちん汁を別々に用意してつけ麺のように食べるのが茨城ならではの特徴です。現在も新そばの出る秋から冬にかけて特によく食べられ、県内全域、とりわけ県北地域の食堂や家庭に深く根づいています。

わんこそば
Wanko Soba
わんこそばは、給仕が「はい、じゃんじゃん」などと声をかけながら一口大のそばを次々と椀に注ぎ足し、客が椀に蓋をするまでおかわりが続く岩手県盛岡市・花巻市の郷土料理です。江戸時代初期、花巻城に立ち寄った南部藩主・南部利直に、庶民と同じ丼で献上するのは失礼にあたるとして漆器の椀に一口分ずつそばを盛って差し上げたところ、大変気に入って何度もおかわりを重ねたという逸話が由来のひとつとして広く知られています。給仕とのやり取りを楽しみながら、ねぎや海苔、かつお節、大根おろし、刺身、とろろなど多彩な薬味で味を変化させて食べ進めるのが特徴です。単なる大食い競争ではなく、もてなしの心を体現した食文化として今も観光客に親しまれています。

黒石つゆやきそば
Kuroishi Tsuyu Yakisoba
黒石つゆやきそばは、青森県黒石市で生まれたご当地グルメで、太くて平たい「太平麺」を使う黒石やきそばに、そばつゆをかけて食べるのが特徴です。昭和30年代後半、黒石市内にあった食堂「美満寿(みます)」が、寒い日でも温かく食べられるようにと焼きそばにつゆをかけた「つゆそば」を考案したのが始まりとされています。美満寿は後に閉店しましたが、当時の味を懐かしむ地元の飲食店有志によって「黒石つゆやきそば」としてメニュー化され、話題を呼びました。現在は黒石市内の複数の店舗で提供されており、店ごとに麺の太さやつゆの味わいが異なる、黒石を代表するB級グルメとして親しまれています。

佐野ラーメン
Sano Ramen
佐野ラーメンは、栃木県佐野市で親しまれているご当地ラーメンで、竹の棒に体重をかけて生地を延ばす「青竹打ち」製法による平打ちの縮れ麺が最大の特徴です。大正時代、市内の食堂で働いていた中国人コックが青竹打ちの技法を地元の料理人に伝授したのが始まりとされ、伝授を受けた人物が独立開業したことで市内に技法が広まっていきました。鶏ガラと豚骨を主にとった透明感のある醤油スープは、コシがありながらも不揃いなちぢれ麺とよく絡み、あっさりとした味わいで飽きが来ません。現在も市内には200軒を超えるラーメン店がひしめき、そのうち多くの店が今も青竹打ちの伝統技法を継承しています。佐野市は「ラーメンのまち」として町おこしにも力を入れており、食べ歩きを楽しむ観光客も多く訪れます。

札幌みそラーメン
Sapporo Miso Ramen
札幌みそラーメンは、味噌をベースにしたスープと縮れた中太麺を組み合わせた、札幌発祥のご当地ラーメンです。1950年に札幌市中央区すすきので創業した「味の三平」の店主・大宮守人が、味噌の効能を紹介する海外の記事に触発され、味噌を活かしたラーメンの開発に取り組んだ末、1954〜1955年頃に完成させたのが始まりとされます。豚骨や鶏がらの動物系スープに味噌だれを合わせ、炒め野菜やラードでコクと保温性を高める作りが特徴で、寒冷な気候の中でも冷めにくい一杯として広まりました。1960年代以降、全国的な札幌ラーメンブームの火付け役となり、即席麺メーカーが味噌ラーメンを商品化するきっかけにもなっています。現在も市内には「すみれ」「純連(じゅんれん)」など人気店が数多くあり、それぞれ独自の味噌だれとスープでファンを競い合っています。

三輪素麺
Miwa Somen
三輪素麺は、奈良県桜井市の三輪地方で古くから作られてきた手延べそうめんで、日本の手延べそうめん発祥の地として知られます。伝承によれば、今から千二百有余年前、大神神社の宮司の次男が三輪山から流れる清らかな水と土地が小麦の栽培に適していることを見出し、小麦粉を原料にそうめんを製造したのが始まりとされます。大神神社では今も毎年2月に、その年のそうめん相場を占う「卜定祭」が行われるなど、三輪山の神への信仰と素麺づくりが深く結びついてきました。極細に延ばされた麺は強いコシと滑らかな喉ごしが特徴で、夏は冷やしそうめん、冬は温かい「にゅうめん」として一年を通じて楽しまれています。

耳うどん
Mimi Udon
耳うどんは、栃木県佐野市葛生地区や宇都宮市城山地区に伝わる、練った小麦粉を耳の形に成形して茹で上げる郷土料理です。江戸時代末期に生まれ、大正時代には魔除けの意味を持つ料理として地域に広まったとされます。鬼の耳に見立てた形をしていることから、「鬼の耳を食べてしまうことで悪いことが寄り付かなくなる」「いやなうわさを聞かずに済む」といった無病息災や近所付き合い円満を願う縁起料理として、正月に食べる風習が根付いています。佐野市葛生地区では、年の暮れに耳うどんを作って冷水に浸して保存し、正月に訪れる来客にふるまう慣わしが今も伝わっています。小麦粉をぬるま湯と塩でこね、平たく延ばしてマッチ箱大の長方形に切り、二つ折りにして両端を閉じる独特の成形が特徴で、醤油ベースの汁でいただくのが一般的です。
常陸秋そば
Hitachi Akisoba
常陸秋そばは、茨城県常陸太田市の金砂郷地区(旧金砂郷村)を発祥とするそばのブランド品種で、「玄そばの最高峰」とも称されます。1978年(昭和53年)、茨城県農業試験場が茨城ならではのそばブランドを育成しようと、県内の在来種の中から常陸太田市赤土町の系統をもとに選抜育成を開始したのが始まりです。選抜から7年をかけて品種として確立し、1985年(昭和60年)に茨城県の奨励品種に採用されました。1993年には常陸秋そば振興協議会が設立され、認証店制度を通じて品質管理とブランドの普及が図られています。香りの高さと甘み、コクのある味わいが特徴で、現在では茨城県内で栽培されるそばのほぼすべてを占め、常陸太田市をはじめ県内複数の市で栽培される、茨城を代表するそば品種として定着しています。
深大寺そば
Jindaiji Soba
深大寺そばは、東京都調布市の深大寺周辺で古くから作られてきた蕎麦で、江戸時代から寺の参詣客をもてなす「門前そば」として発展してきました。深大寺の北側に広がる国分寺崖線沿いの台地は水はけが良く、稲作には不向きな一方でそばの栽培に適していたため、周辺の農民は年貢の代わりにそば粉を寺へ納め、寺ではそれを打って来客をもてなしたのが始まりと伝えられています。元禄年間には上野寛永寺の公弁法親王に献上したところ大いに賞賛され、将軍家や諸大名にも広く知られるようになったことから「献上そば」とも呼ばれました。また、深大寺周辺は湧水が豊富で、そば粉を挽く水や、そばを茹でて締める水として利用され、清らかな水がそばの風味を引き立てています。現在も深大寺の山門前には約20軒のそば店が軒を連ね、毎年秋には「深大寺そばまつり」も開催されています。

盛岡冷麺
Morioka Reimen
盛岡冷麺は、コシの強いつるりとした麺と、牛骨や鶏がらで取った濃厚なスープ、キムチの酸味と辛みが織りなす岩手県盛岡市の郷土料理です。1954年、朝鮮半島の咸興出身の青木輝人が盛岡市大通で開いた焼肉店「食道園」で、故郷の冷麺を盛岡の人々の口に合うようにアレンジして提供したのが始まりとされます。当初は独特の強いコシが「ゴムのようだ」と戸惑われたものの、次第に病みつきになる客が増え、盛岡を代表する麺料理へと成長しました。1986年に盛岡市で開かれた「日本めんサミット」で正式に「盛岡冷麺」と名付けられ、この日にちなんで10月17日は「盛岡冷麺の日」とされています。焼肉店を中心に提供され、キムチやスイカなどのトッピングで味の変化も楽しめます。

大門素麺
Daimon Somen
大門素麺は、富山県砺波市大門地区に江戸時代後期から伝わる手延べ素麺です。1848年(嘉永元年)に、当時の大門村の売薬商人が加賀藩の御用素麺の製法を学んで持ち帰ったのが始まりと伝わり、農家の冬の副業として村内に広まりました。最盛期の昭和初期には60軒以上で作られていましたが、現在は生産者が数軒にまで減りながらも、伝統の製法が守り続けられています。最大の特徴は、細く延ばした麺線を丸まげ状に巻き上げる「島田巻き」と呼ばれる独特の仕上げ方で、他産地の素麺には見られない見た目を持つことから「丸まげ素麺」とも呼ばれます。よりをかけながら手作業で細く長く延ばすため麺の繊維がねじれたような構造になり、コシが強くのど越しが良いうえ、茹でて水に浸けておいても伸びにくいのが特徴です。気温が下がり空気が乾燥する10月から3月頃の農閑期にのみ作られる、季節限定の手仕事の味です。

津山ホルモンうどん
Tsuyama Horumon Udon
津山ホルモンうどんは、岡山県津山市を中心とする美作地域のご当地グルメで、新鮮なミックスホルモン(豚や牛の内臓肉)を野菜とともに炒め、味噌や醤油をベースにした甘辛いタレでうどんと絡めて仕上げる料理です。津山地域は古くから牛馬の流通拠点として栄え、明治時代まで肉食が公には忌避されていた時代にも牛肉が「養生喰い」として例外的に食べられてきた歴史があり、新鮮な内臓肉を扱う食肉処理の技術が発達していました。この土地柄を背景に、ホルモンを新鮮なうちに味わう料理として親しまれてきたのが津山ホルモンうどんです。2008年頃から津山市や「津山ホルモンうどん研究会」が中心となってご当地グルメとして売り出し、2011年のB-1グランプリではシルバーグランプリ(2位)を獲得しました。現在は津山市内に50軒以上の提供店があるとされ、観光客にも人気の名物料理となっています。

蒜山焼きそば
Hiruzen Yakisoba
蒜山焼きそば(ひるぜん焼きそば)は、岡山県真庭市の蒜山高原一帯で親しまれているご当地焼きそばです。にんにくや玉ねぎ、りんごなどを合わせた特製の味噌だれで親鶏(かしわ)肉とキャベツを炒め合わせるのが特徴で、甘辛く濃厚な味わいが人気を集めています。起源は1960年代(昭和30年代)にさかのぼり、当時流行していたジンギスカン用の自家製味噌だれを生かし、地元の食堂がかしわ肉とキャベツを焼きそばと一緒に炒めて提供したのが始まりと伝えられます。2011年に兵庫県姫路市で開催された第6回B-1グランプリで「ひるぜん焼そば好いとん会」がゴールドグランプリ(1位)を獲得したことで全国的な知名度を得ました。現在も蒜山高原の多くの食堂・レストランで提供され、観光客に人気のご当地グルメとして定着しています。
富山ブラック
Toyama Black Ramen
富山ブラックは、濃口醤油をたっぷり使った真っ黒なスープが特徴の富山市発祥のご当地ラーメンです。昭和22年(1947年)、富山大空襲からの復興工事に携わる肉体労働者たちが汗で失う塩分を補給しやすいようにと、屋台「大喜」の創業者・高橋青幹が濃い味付けの中華そばを考案したのが始まりと伝わります。太めのストレート麺に、濃口醤油ベースの黒いスープ、大きめのチャーシュー、黒胡椒、たっぷりの刻みネギを合わせるのが基本のスタイルで、白いご飯と一緒に食べる「おかずラーメン」として親しまれてきました。塩気の強さは他地域のラーメンと比べても際立っており、初めて食べる人には驚かれることも多い一方、地元では今も昼食の定番として根強い人気を保っています。現在は発祥店「大喜」のほか、独自にアレンジを加えた店も市内に複数あり、食べ比べを楽しむファンも少なくありません。

味噌カレー牛乳ラーメン
Miso Curry Milk Ramen
味噌カレー牛乳ラーメンは、青森市で生まれたご当地ラーメンで、味噌ラーメンをベースにカレーと牛乳を加えたコクのある一杯です。八戸市発祥と誤解されることもありますが、正しい発祥地は青森市です。昭和43年(1968年)、札幌ラーメン横丁で修業した佐藤清氏が青森市に店を構えたのが始まりとされ、当初は味噌・塩・醤油ベースのラーメンを提供していました。昭和50年代、中高生の間でラーメンにさまざまな調味料を加えて食べる遊びが流行し、その中から「味噌ラーメンにカレーと牛乳を入れると美味い」という評判が広がったことで正式メニューとなり定着しました。平成20年には「青森味噌カレー牛乳ラーメン普及会」が設立され、市民のソウルフードとして全国に知られるようになりました。