伝統工芸ジャンル
ガラス
全国各地のガラスを横断的に紹介します。
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7 件

琉球ガラス
Ryukyu Glass
琉球ガラスは、沖縄県内で作られる吹きガラス工芸品です。沖縄でのガラス製造は1900年前後、鹿児島や長崎・大阪から渡ってきたガラス職人によって那覇市西町に工場が設けられたことに始まり、薬瓶やランプのほやなど生活用品が作られていました。第二次世界大戦で工房や原料の多くが失われましたが、戦後、職人たちは駐留米軍施設から出るビールやコーラなどの空き瓶に着目し、それらを溶かして再びガラス製品として蘇らせたことで復興を遂げました。廃瓶にはラベルなどの不純物が混ざっていたため、出来上がった製品には無数の気泡が入ることがありましたが、これがかえって「泡ガラス」として独特の風合いを生み、廃瓶由来の淡い色合いとともに琉球ガラスを象徴する魅力となりました。1950年代には駐留米軍関係者からのオーダーが増え、カラフルな洋風ガラス食器が主力商品として広まりました。現在は糸満市や豊見城市、名護市周辺に工房が点在し、1998年には沖縄県指定の伝統工芸品に認定されています。
肥前びーどろ
Hizen Biidoro
肥前びーどろは佐賀市に伝わる宙吹きガラスの伝統工芸です。ルーツは幕末の1852年(嘉永5年)、佐賀藩10代藩主・鍋島直正が多布施川のほとりに設けた精煉方(理化学研究所に相当する研究機関)に遡ります。大砲製造や医薬品開発のための化学薬品容器としてガラス器の製造が研究され、藩の保護のもとで技術が育まれました。精煉方に幼少期から従事していた副島源一郎が独立し、1903年(明治36年)に副島硝子工業を創業して技術を受け継ぎ、以来120年以上にわたり手作りガラスを作り続けています。ほとんどの製品は型を使わず息の吹き込みだけで成形する「宙吹き」技法で作られ、なかでも吹き棹を2本同時に操る「ジャッパン吹き」は世界的にも希少な高度技法として知られます。現在は佐賀市の重要無形文化財に指定され、副島硝子工業が唯一の製造元として伝統を守っています。
和泉蜻蛉玉
Izumi Tonbodama (Glass Beads)
和泉蜻蛉玉(いずみとんぼだま)は、和泉市や堺市でつくられるガラス玉です。蜻蛉玉とは、2色以上の色ガラスで表面に文様を施したガラスの丸玉のことです。斑点の文様がトンボの複眼に似ていることから、この名が付いたといわれます。和泉国(現在の堺市以南)では、奈良時代以前からガラス玉が作られていたとされます。江戸時代には「泉州玉」「さかとんぼ」と呼ばれ、広く知られていました。明治初期に製造技術が確立し、和泉市の信太(しのだ)地域では農業の副業としてガラス玉づくりが盛んになります。大正期には、ガラス玉に塗装を施して作る人造真珠の製造も広がりました。炎で溶かした色ガラス棒を芯棒に巻き付けて玉を形づくり、表面に模様を付けていきます。複数のガラスを組み合わせて生む色彩の技術は、国宝の復元や文化財の修復にも生かされています。2002年(平成14年)に大阪府の伝統工芸品に指定されました。
江戸硝子
Edo Glass
江戸硝子は、旧江戸地域(現在の東京)で発展した技術を受け継ぎ、職人がひとつひとつ手作りで仕上げるガラス製品の総称である。18世紀初め、日本橋通塩町の加賀屋(皆川)久兵衛が鏡や眼鏡を、浅草の上総屋留三郎が簪や風鈴を製作したのが始まりとされ、19世紀末には東京を代表する産業のひとつへと発展した。江戸切子がカットガラスによる装飾を特徴とするのに対し、江戸硝子は型を使わず吹き竿とガラス種だけで成形する「宙吹き」や、型に息を吹き込んで成形する「型吹き」による無地の器物が中心で、素朴で温かみのある風合いが持ち味である。コップやガラス鉢、金魚鉢、江戸風鈴など暮らしに根差した日用品を多く生み出してきたほか、海外の大量生産品とは異なり多品種少量生産に対応できることから、ワイングラスや酒器などのオーダーメイド品でも高く評価されている。2002年に東京都の伝統工芸品、2014年に国の伝統的工芸品に指定され、現在も墨田区・江東区・江戸川区を中心に多くの町工場的な硝子工房がその技を継承している。

江戸切子
Edo Kiriko
江戸切子は、ガラスの表面に細かい文様を刻んで作る江戸生まれのカットガラス工芸である。1834年(天保5年)、江戸大伝馬町のびいどろ屋・加賀屋久兵衛が金剛砂を用いてガラス表面に彫刻を施したのが始まりと伝わる。明治期には政府が招いた英国人技術者エマニュエル・ホープトマンの指導を受け、現在に伝わるカット技法が確立された。透明なガラスに薄く色ガラスを被せた「色被せガラス」を用い、そこに刃物を当てて文様を彫り出すのが特徴で、色ガラスの層が約1ミリと薄いため、カットの境目がくっきりとシャープに際立つ。魚子(ななこ)、菊つなぎ、麻の葉、矢来など約20種の伝統文様があり、切り込みが光を受けてきらめく繊細な輝きが魅力である。同じ切子文化として知られる薩摩切子は色ガラスの層が厚くグラデーションを帯びるのに対し、江戸切子はシャープな切れ味が持ち味とされる。1985年に東京都の伝統工芸品、2002年に国の伝統的工芸品に指定され、現在は江東区・江戸川区・墨田区を中心に多くの職人が技を受け継いでいる。

小樽ガラス
Otaru Glass
小樽ガラスは、北海道小樽市で発展したガラス工芸の総称です。始まりは1901年、九州から北海道に渡った浅原久吉が小樽で創業した浅原硝子による石油ランプの製造でした。1910年からは漁業用の浮き玉の製造も始まり、小樽・室蘭・旭川・釧路・樺太にまで工場を広げるほどの規模に発展しました。しかし電気や石油ストーブの普及でランプが衰退し、浮き玉もガラス製からプラスチック製へと移行したことで、小樽のガラス製造業者は1960年には浅原硝子一社のみとなりました。1971年、浅原硝子は社名を北一硝子に改め、かつて生活必需品だった石油ランプをあえて店頭に並べたところ、旅行者の間でインテリアとして評判となり、産業用ガラスから工芸品・生活雑貨としてのガラスへと転換を遂げました。現在は北一硝子や大正硝子など複数の工房・ショップが小樽運河周辺に集積し、吹きガラス体験ができる観光地としても知られています。
津軽びいどろ
Tsugaru Vidro
津軽びいどろは青森県青森市の北洋硝子が生み出すハンドメイドガラスの工芸品です。北洋硝子は昭和24年(1949年)、漁業用のガラス製浮き玉を製造する工場として創業し、丈夫な浮き玉づくりで培った「宙吹き」の技法で全国トップクラスの生産高を誇りました。しかしプラスチック製浮き玉の普及により需要が減少したことをきっかけに、職人たちは培った技術を活かして食器や花器づくりへの転換を進め、昭和52年(1977年)に「津軽びいどろ」が誕生しました。津軽の七里長浜の砂を原料に加えたところ深みのある緑色に発色したことから色ガラスづくりが本格化し、現在では100種類以上ともいわれる色ガラスを自社で調合しています。平成8年(1996年)3月には青森県から伝統工芸品の指定を受け、青森の自然を映すガラス工芸として国内外で親しまれています。