
堤焼は仙台市の旧堤町(現・仙台市青葉区堤町周辺)を産地とする陶器で、江戸時代元禄年間(1688~1704年)、仙台藩四代藩主・伊達綱村が京都から陶工を招いて窯を築かせたことに始まると伝えられます。当初は藩主の茶道具などを焼く御用窯として出発し、のちに壺や甕、片口といった庶民の生活雑器を大量に生産するようになりました。江戸期には素焼きの土人形「堤人形」の産地としても知られ、京都の伏見人形と並び「西の伏見、東の堤」と称されるほどの賑わいを見せました。最大の特徴は、地元でとれる赤土に、鷺ヶ森周辺の岩石や籾殻の灰を用いた釉薬を黒と白で豪快に流し掛ける「海鼠釉(なまこゆう)」で、素朴で力強い風合いを生み出します。昭和初期には民藝運動の柳宗悦にも東北を代表する民窯として高く評価されました。最盛期には30軒近い窯元が軒を連ねましたが、現在は「堤焼乾馬窯」1軒のみがその伝統を守り続けています。宮城県知事指定伝統的工芸品。
発祥
堤焼の起源は江戸時代元禄年間(1688~1704年)、仙台藩四代藩主・伊達綱村が京都から陶工を招き、城下町仙台の北街道沿いにあった堤町に窯を築かせたことに始まると伝えられています。当初は藩主の茶道具や日用の器を焼く御用窯として出発しました。地元でとれる質の良い赤土を用い、京都乾山風の技法を受け継ぎながらも、東北の風土に合った素朴で力強い作風へと発展していきました。
歴史
江戸期の堤焼は生活雑器の生産地として栄え、素焼きの土人形「堤人形」の産地としても知られ、京都の伏見人形と並び「西の伏見、東の堤」と称されるほどの賑わいを見せました。最盛期には窯元が30軒近くを数えたと伝わります。昭和初期には民藝運動の主導者・柳宗悦が堤町を訪れ、東北を代表する民窯として高く評価しました。時代とともに窯元は減少し、現在は「堤焼乾馬窯」がただ一軒、その技術を受け継いでいます。1982年(昭和57年)には宮城県知事指定伝統的工芸品に指定されました。
特徴
堤焼最大の特徴は、黒釉と白釉を器の上から豪快に流し掛ける「海鼠釉(なまこゆう)」と呼ばれる技法です。台原や丸田沢などで採れる地元の赤土を素地に、鷺ヶ森の谷間の岩石や米の籾殻を焼いた灰を釉薬として用いることで、同じものが二つとない偶然の景色が生まれます。京都仕込みの上品さと東北の風土が育んだ力強さを併せ持つ、素朴で温かみのある佇まいが多くの人に愛されています。
使用される素材
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職人・工房
購入方法
- 堤焼乾馬窯 直売・オンライン
- 仙台市泉区の窯元で作品を展示販売しているほか、藤崎・仙台三越・仙台パルコ「東北スタンダードマーケット」、老舗「こけしのしまぬき」などでも購入できる。購入先を見る →PR