壺屋焼

Tsuboya-yaki

壺屋焼 1

画像: Wikimedia Commons

壺屋焼は沖縄県那覇市の壺屋地区や読谷村を中心に焼かれる、沖縄を代表する陶器です。琉球王国は14〜16世紀頃、東アジアの焼物の集積地として海外貿易が盛んでしたが、1609年の薩摩侵攻により交易が下火になると、王府は朝鮮人陶工を招いて製陶技術の導入を進めました。1682年、王府によって美里村知花窯・首里宝口窯・那覇湧田窯の三窯が那覇の壺屋に統合され、現在の壺屋焼が誕生したとされています。器肌に厚みがあり、素朴で力強い作風が特徴で、釉薬をかけ高温で焼く「上焼(じょうやち)」と、釉薬をかけずに焼く「荒焼(あらやち)」の二種に大別されます。上焼は碗・皿・シーサーなど日常づかいの器が中心で、荒焼は酒甕や水甕といった大型の貯蔵容器が中心です。1970年代、煙の出る登り窯を那覇市内で焚くことが難しくなったことをきっかけに、人間国宝の故・金城次郎氏らが読谷村へ移り、以後読谷村も壺屋焼の主要な産地となりました。1976年に経済産業大臣指定の伝統的工芸品に指定されています。

発祥

琉球王国は14〜16世紀頃、中継貿易の拠点として東アジアの焼物が集まる産地でした。1609年の薩摩侵攻により海外交易が下火になると、尚貞王は薩摩から朝鮮人陶工を招き、製陶技術の習得に力を入れました。1682年、王府の命によって美里村知花窯・首里宝口窯・那覇湧田窯の三つの窯場が那覇の壺屋に統合され、これが壺屋焼の始まりとされています。

歴史

統合以降、壺屋は琉球王国唯一の公的な焼物産地として発展し、日用の碗や皿から泡盛を貯蔵する酒甕まで幅広い器が作られてきました。1970年代に入ると住宅の密集により登り窯の煙が問題となり、人間国宝の故・金城次郎氏をはじめとする陶工たちが読谷村へ移住。これを機に読谷村にも「やちむんの里」が形成され、現在は那覇市壺屋と読谷村の二つの産地で受け継がれています。1976年、経済産業大臣指定の伝統的工芸品に指定されました。

特徴

厚みのある器肌と、力強く素朴な作風が壺屋焼最大の特徴です。釉薬をかけ高温で焼き上げる「上焼」は碗・皿・鉢・シーサーなど日常づかいの器が中心で、飴釉や呉須の藍色、白化粧など多様な釉調が見られます。一方、釉薬をかけず焼き締める「荒焼(南蛮焼)」は酒甕や水甕など貯蔵用の大型容器が中心です。故・金城次郎氏が生み出した、針金状の道具で魚などを描く「魚文(ぎょもん)」の線彫りも壺屋焼を象徴する意匠として知られます。

技法

上焼(じょうやち)

釉薬をかけて高温で焼き締める技法。碗・皿・マカイ(茶碗)・シーサーなど日常づかいの器が中心で、現在の壺屋焼の主流を占める。

荒焼(あらやち)

南蛮焼とも呼ばれ、釉薬をかけずに焼き上げる技法。酒甕や水甕など貯蔵を目的とした大型の容器を中心に作られてきた。

使用される素材

陶土釉薬(飴釉・呉須など)白化粧土

制作工程

  1. 1

    土づくり・菊練り

    陶土の中の空気を抜き、粘りを均一にする。

  2. 2

    成形

    轆轤や型を使い、碗・皿・甕などの形をつくる。

  3. 3

    素焼き

    低温で一度焼き、生地を安定させる。

  4. 4

    絵付け・施釉

    呉須や顔料で文様を描き、釉薬をかける。上焼のみ行う工程。

  5. 5

    本焼き

    登り窯やガス窯で高温焼成し、器を完成させる。

主な産地
  • 那覇市壺屋
  • 中頭郡読谷村(やちむんの里)

職人・工房

壺屋焼窯元 育陶園

300年以上の歴史を持つ壺屋の老舗窯元。高江洲家が代々技術を継承し、伝統的な壺屋焼から日常づかいの器まで幅広く手がけている。

公式サイト →

購入方法

壺屋やちむん通り祭り
毎年11月頃、壺屋やちむん通り会の各店舗で割引販売やロクロ体験、道ジュネーなどが行われる恒例のイベント。壺屋焼を扱う多くの店舗が軒を連ねる。

体験施設

壺屋焼やちむん道場(育陶園)

沖縄県那覇市壺屋1-22-33

手びねり体験・絵付け体験がともに約60分で3,850円程度〜(お茶碗・コップの絵付けは4,400円程度)。要予約。

詳細を見る →
#陶器#やちむん#壺屋#読谷村#シーサー