白岩焼

Shiraiwa-yaki

白岩焼 1

画像: Wikimedia Commons

白岩焼は仙北市角館町白岩地区で焼かれる陶器で、秋田県内で最も古い歴史を持つ焼き物とされています。明和8年(1771)、陸奥国相馬(現・福島県)の陶工・松本運七が角館の武士たちの支援を受けて開窯したのが始まりで、以後複数の窯が開かれ、最盛期には年間4万個を超える生活雑器が生産されました。しかし明治維新後は藩の庇護を失ったうえ、磁器の流入や地震による窯の損壊が重なり、明治33年(1900)に130年の歴史にいったん幕を閉じます。昭和49年(1974)、陶芸家・濱田庄司との出会いをきっかけに復興の機運が高まり、翌昭和50年(1975)、地元有志が「和兵衛窯」を開いて技術を復活させました。赤みを帯びた土色と青みがかった海鼠釉のコントラストが特徴で、現在も和兵衛窯が伝統を受け継いでいます。

発祥

白岩焼は明和8年(1771)、陸奥国相馬中村藩(現・福島県相馬市)出身の浪人・陶工である松本運七が、角館東方の白岩の地で良質な陶土を発見し、角館の武士3〜4名の支援を受けて窯に火入れをしたのが始まりとされています。安永年間(1772〜1781)に入ると弟子の山手儀三郎が窯主を継承し、以後、儀三郎窯や吉五郎窯など複数の窯が相次いで開かれました。

歴史

江戸後期には最盛期を迎え、5つほどの窯で甕(かめ)や徳利などの生活雑器が年間4万個以上作られ、県内外へ流通しました。しかし明治維新で藩の庇護を失ったうえ、磁器の普及や濁酒禁止令、明治29年の大地震による窯の損壊が重なり、明治33年(1900)にすべての窯が廃業しました。昭和49年(1974)、復興を目指す地元女性と陶芸家・濱田庄司との出会いを契機に機運が高まり、翌年、地元有志が「和兵衛窯」を開いて130年ぶりに技術を復活させました。

特徴

白岩焼は、赤みを帯びた地元産の土色と、青みがかった「海鼠釉」とのコントラストが最大の特徴です。名工・山手瀧治が海鼠釉のほか飴釉や黒釉、緑釉、青瓷など多彩な釉薬を操ったと伝えられ、その技法が現在の和兵衛窯にも受け継がれています。復興後は登り窯による焼成も行われ、素朴で重厚な器から現代の食卓に合う作品まで幅広く手がけられています。

使用される素材

地元産陶土(赤土)海鼠釉

制作工程

  1. 1

    成形

    地元産の赤みを帯びた陶土を轆轤で成形し、甕や皿などの形を作る。

  2. 2

    素焼き

    乾燥させた器を一度低温で焼き締め、生地を安定させる。

  3. 3

    施釉

    海鼠釉をはじめとする釉薬をかけ、独特の青みや色合いのもとをつくる。

  4. 4

    本焼き

    登り窯で高温焼成し、赤土と釉薬のコントラストを引き出して仕上げる。

主な産地
  • 仙北市角館町白岩

職人・工房

白岩焼 和兵衛窯

昭和50年(1975)、地元有志により130年ぶりに開かれた窯元。平成5年(1993)には4室の登り窯を築き、江戸時代から続く海鼠釉の技法を今に伝える唯一の窯元。

公式サイト →

購入方法

白岩焼和兵衛窯
公式サイトでは取り扱い店舗の情報や、窯元併設ギャラリー「白渓荘」での販売について案内している。購入先を見る →PR

体験施設

白岩焼陶芸塾

秋田県仙北市白岩地域(旧白岩駐在所)

白岩焼陶芸組合が運営する陶芸体験施設。平成25年(2013)に旧駐在所を改装して開設、要予約(詳細は組合へ問い合わせ)

よくある質問

Q. 白岩焼はなぜ「秋田県最古の焼き物」と呼ばれますか?

A. 明和8年(1771)の開窯で、秋田県内の窯としては最も古い歴史を持つためです。一度明治33年(1900)に廃窯しましたが、昭和50年(1975)に復興しました。

Q. 白岩焼らしい特徴はどこにありますか?

A. 赤みを帯びた地元産の土色と、青みがかった海鼠釉とのコントラストが特徴で、素朴さと重厚感を併せ持つ器が生まれます。

#陶器#海鼠釉#仙北市#角館