大堀相馬焼

Obori-Soma-yaki

大堀相馬焼 1

画像: Wikimedia Commons

大堀相馬焼は、かつて福島県浪江町大堀地区で焼かれてきた陶器で、国指定の伝統的工芸品です。元禄年間(1688〜1704年)に相馬中村藩士の半谷休閑が大堀で陶土を発見し、下男の左馬に命じて日用雑器を焼かせたのが始まりとされ、以来ろくろ成形を一貫して守り続けてきました。器全体に走る細かな貫入模様「青ひび」、相馬藩の御神馬を狩野派の筆法で描いた縁起物「走り駒」、そして湯が冷めにくく熱くない二重構造の「二重焼」という3つの特徴で知られます。しかし2011年の東日本大震災と東京電力福島第一原発事故により、大堀地区を含む浪江町は全域が避難区域となり、20軒以上あった窯元はすべて町外への避難を余儀なくされました。現在は二本松市や福島市、郡山市など県内各地に窯を移し、また一部は浪江町内の道の駅なみえで再興を果たしながら、伝統の技を受け継いでいます。

発祥

大堀相馬焼は元禄年間(1688〜1704年)、相馬中村藩士の半谷休閑が現在の浪江町大堀で良質な陶土を発見し、下男の左馬に命じて日用雑器を焼かせたのが始まりと伝えられます。相馬中村藩が産業として焼き物づくりを保護・育成したことで、大堀地区には江戸時代末期には100戸を超える窯元が集まる一大産地となりました。

歴史

明治以降も生産が続き、戦後にはアメリカ向けの「ダブルカップ」として二重焼の器が広く親しまれ、1978年に国の伝統的工芸品指定を受けました。しかし2011年3月の東日本大震災・福島第一原発事故により浪江町全域が避難区域となり、大堀地区の窯元はすべて離散。震災前に20軒以上あった窯元のうち、現在は約半数が福島県内外の新天地で再開を果たしています。

特徴

最大の特徴は、釉薬と素地の収縮率の違いから生まれる細かなひび模様「青ひび(貫入)」です。加えて相馬藩の御神馬を狩野派の筆法で描いた「走り駒」の絵付けが縁起物として親しまれてきました。ろくろで内側と外側を別々に成形し焼成前に組み合わせる「二重焼」も大堀相馬焼独自の技法で、熱い湯を入れても器が熱くなりにくいという実用性を備えています。

技法

青ひび(貫入)

青磁釉と素地の収縮率の違いから生まれる細かなひび模様。窯出しの際に音を立てながらひびが入り、独特の景色を生む会津塗にはない大堀相馬焼ならではの意匠。

走り駒

相馬藩の御神馬を狩野派の筆法で描いた絵付け。躍動感ある馬の姿は古くから縁起物として親しまれ、大堀相馬焼を象徴する図柄となっている。

二重焼

ろくろ成形の段階で外側と内側を別々に作り、焼成前に組み合わせる技法。器に厚みができ、熱い湯を入れても持ちやすく冷めにくい。

使用される素材

大堀の陶土青磁釉呉須墨汁(墨入れ用)

制作工程

  1. 1

    成形

    ろくろで生地を挽き、二重焼の場合は外側と内側を別々に作る。

  2. 2

    素焼き

    900〜950度で一度焼き、生地を安定させる。

  3. 3

    下絵付け・施釉

    呉須で走り駒などの下絵を描き、青磁釉をかける。

  4. 4

    本焼き

    1,250〜1,300度の高温で焼成し、上絵付けを施す。

  5. 5

    墨入れ

    焼き上がった器の青ひびに墨汁を刷り込み、布で拭き取ってひび模様を際立たせる。

主な産地
  • 二本松市
  • 福島市(飯坂)
  • 郡山市
  • 白河市
  • 浪江町(道の駅なみえ)

職人・工房

休閑窯(半谷窯)

大堀相馬焼の開祖・半谷休閑の子孫にあたる十五代目・半谷秀辰が営む窯元。震災後は浪江町から二本松市の自宅に窯を移し、2019年9月に再開した。約320年の伝統を受け継ぐ。

公式サイト →

いかりや窯

江戸時代から代々受け継がれてきた窯元。震災後は白河市に拠点を移して営業を続け、伝統的な青ひび・走り駒に加え、現代的なデザインの器も手がける。

公式サイト →

購入方法

道の駅なみえ「なみえの技・なりわい館」
浪江町の道の駅内にある大堀相馬焼協同組合の展示販売コーナー。複数の窯元の器を一堂に見て購入できる、浪江町内で唯一の常設拠点。購入先を見る →PR
大堀相馬焼WEB本店
各窯元の作品をまとめて紹介・販売するオンラインストア。窯元別に商品を探すことができる。購入先を見る →PR

体験施設

なみえの技・なりわい館 陶芸体験教室

福島県双葉郡浪江町大字幾世橋字知命寺40(道の駅なみえ内)

要事前予約、毎週土曜開催、手びねり1,760円程度〜・絵付け1,320円程度〜(完成品は後日送付、送料別)

詳細を見る →
#陶器#浪江町#青ひび#走り駒#震災復興