
益子焼は栃木県芳賀郡益子町を産地とする陶器で、1979年8月3日に経済産業大臣指定伝統的工芸品の指定を受けた。始まりは嘉永6年(1853年)頃、笠間で技術を学んだ大塚啓三郎が益子の地に窯を開いたことにあるとされ、当初は甕や土瓶、擂鉢などの日用雑器を焼く産地として発展した。大正末期の1924年には陶芸家・濱田庄司が益子に定住し、柳宗悦や河井寛次郎とともに民藝運動を推し進める拠点とし、イギリス人陶芸家バーナード・リーチとの深い交流も益子焼の名を広く知らしめた。鉄分を多く含む粗めの陶土に柿釉や糠白釉を厚くかけて焼き上げるため、重厚感がありながら素朴で温かみのある質感が持ち味である。特定の様式に縛られず作り手ごとの個性が生きる自由な作風も特徴で、日用の器から作家性の強い作品まで幅広く手がけられている。現在は益子町内に多くの窯元が集まり、春と秋の陶器市には合わせて約60万人が訪れる。
発祥
益子焼は嘉永6年(1853年)頃、笠間で修業した大塚啓三郎が現在の益子町に窯を開いたことに始まるとされる。啓三郎は笠間の陶工・田中庄兵衛の助力を得て笠間焼の技術を導入し、当時この地を治めていた黒羽藩から窯場の使用を許されて生産を始めた。当初は甕や擂鉢、土瓶といった生活雑器を焼く産地として発展し、東京へ運ばれる実用陶器の供給地として知られるようになった。
歴史
大正末期の1924年、陶芸家の濱田庄司が益子に定住し、柳宗悦・河井寛次郎らとともに民藝運動を推し進める拠点とした。濱田はイギリス人陶芸家バーナード・リーチとも親交が深く、リーチは濱田の窯場に工房を構えて共に作陶に取り組んだ。日用品の中に宿る素朴な美しさが評価されるようになったこの流れを経て、1979年8月3日に経済産業大臣指定伝統的工芸品の指定を受けた。
特徴
益子焼は鉄分を多く含む粗めの陶土を用いるため、重厚感がありながら素朴で温かみのある質感が持ち味である。柿釉や糠白釉、並白釉など地元で調合される釉薬を厚くかけることで生まれる、力強く飾らない色合いも特徴の一つ。特定の様式にとらわれず、作り手ごとの個性が生きた作品づくりが尊重されており、日用の器から作家性の強い作品まで幅広く手がけられている。
使用される素材
制作工程
- 1
土もみ
陶土の粒子や硬さを均一にし、中の空気を抜く。
- 2
成形
ろくろ挽きや型を用いて器の形を作る。
- 3
素焼き
低温で一度焼き、生地を安定させる。
- 4
施釉
柿釉・糠白釉などの釉薬をかけ、下絵付けを施す。
- 5
本焼き
登り窯やガス窯で高温焼成し、仕上げる。
| 主な産地 |
|
|---|
職人・工房
購入方法
- 益子焼窯元共販センター
- 益子町内に約400軒あるとされる窯元のうち7割ほどの作品を扱う益子最大の販売施設。手頃な日用品から著名作家の作品まで幅広く購入できる。購入先を見る →PR
- 道の駅ましこ
- 益子町長堤にある道の駅で、益子焼の展示販売コーナーを備えている。地元農産物の直売所やレストランも併設しており、買い物や食事とあわせて益子焼を選ぶことができる。購入先を見る →PR
- 益子陶器市
- 毎年ゴールデンウィーク前後の春と11月3日前後の秋に益子町内で開催される陶器市。約50の販売店に加え800以上のテントが並び、春秋あわせて約60万人が訪れる益子最大の催し。購入先を見る →PR
体験施設
益子焼窯元よこやま
栃木県芳賀郡益子町大字益子3527-7
要予約。電動ろくろ体験は2,750円程度〜で焼成料は別途必要、湯のみやコーヒーカップなど日常使いの器を作ることができ、スタッフのサポートを受けながら初心者でも安心して楽しめる。
詳細を見る →益子焼つかもと
栃木県芳賀郡益子町益子4264
電動ろくろ・手びねり・絵付けの3種類から選べる。料金にはろくろ使用料と作品1点分の焼成料、梱包料が含まれ、2点目以降は1点あたり1,800円程度〜の追加料金がかかる。
詳細を見る →濱田庄司記念益子参考館
栃木県芳賀郡益子町益子3388
濱田庄司が作陶の参考として収集した内外の工芸品を展示するほか、茅葺きの旧宅や工房、登り窯、バーナード・リーチが使った工房建物もそのままの姿で公開している。
詳細を見る →よくある質問
Q. 益子焼はいつ伝統的工芸品に指定されましたか。
A. 1979年(昭和54年)8月3日、伝統的工芸品産業の振興に関する法律に基づき、経済産業大臣(当時の通商産業大臣)指定伝統的工芸品として正式に指定された。
Q. 益子焼と民藝運動にはどのような関係がありますか。
A. 1924年に陶芸家・濱田庄司が益子に定住し、柳宗悦や河井寛次郎とともに民藝運動を推し進める拠点とした。日用品の中に美を見出す思想が益子焼の作風にも影響を与えている。