
伊万里焼は、有田周辺で焼かれた磁器が積み出し港である伊万里港から各地へ運ばれたことに由来する呼び名です。江戸時代に海外へ輸出された古い有田焼は「古伊万里」と呼ばれ、現在では特に伊万里市大川内山で焼かれる磁器を指すことが多くなっています。大川内山は1675年に佐賀藩鍋島家が藩窯を有田から移転させた地で、将軍家や諸大名への献上品・贈答品を焼く「秘窯の里」として発展しました。山あいの谷にあるこの地には技術の漏洩を防ぐための関所が置かれ、職人たちは一生をこの地で過ごしたと伝えられます。明治以降に一般販売が始まり、1873年のウィーン万国博覧会にも出品されました。精緻な染付と気品ある色絵を特徴とし、現在も約30の窯元が伝統の技を守り続けています。
発祥
「伊万里焼」の名は、有田をはじめとする肥前一帯で焼かれた磁器が積み出し港である伊万里港から各地へ運ばれたことに由来します。特に1675年、佐賀藩鍋島家は製陶技術の漏洩を防ぐため、藩窯を有田から山あいの大川内山へ移転させました。以後、大川内山は将軍家や諸大名への献上・贈答用の最高級磁器のみを焼く藩直営の窯場として整備されていきます。
歴史
大川内山には技術の流出を防ぐための関所が設けられ、一般への売買も厳しく制限されていたため「秘窯の里」と呼ばれました。多くの陶工が生涯この地で製陶にあたったと伝えられ、無名陶工の慰霊塔も残されています。明治維新により藩の保護がなくなると一般向け販売が始まり、1873年のウィーン万国博覧会に出品されるなど海外にも紹介されました。現在は伊万里鍋島焼協同組合を中心に、約30の窯元が伝統技法を継承しています。
特徴
献上品として発展した歴史から、伊万里焼(鍋島焼)は精緻で格調高い意匠を特徴とします。藍一色で余白を大きく取った染付、青磁釉を生かした青磁、赤・黄・緑を基調に上品にまとめた色鍋島など、採算を度外視して最高の職人が仕上げた最高級品としての品格を今に伝えています。山間の谷間に窯元が連なる町並みも大きな見どころです。
技法
色鍋島
唐呉須による染付の下絵付けと本焼きの後、赤・黄・緑(青)の3色のみを厳格な決まりのもとに用いる上絵付け技法。「墨弾き」と呼ばれる白抜き線を表す特殊技法も用いられる。
使用される素材
| 主な産地 |
|
|---|
職人・工房
購入方法
- 伊万里鍋島焼協同組合(大川内山)
- 秘窯の里・大川内山の窯元約30軒を紹介する公式サイト。各窯元の直売店を巡って購入できる。購入先を見る →PR