富山県画像: Wikimedia Commons

富山県

北アルプス立山連峰と富山湾という高低差4,000メートルの雄大な自然に育まれた県。加賀藩の保護のもと発展した高岡銅器・高岡漆器・井波彫刻などの金工・木工文化が今も息づき、瑞泉寺の欄間彫刻に代表される社寺建築の技も伝わる。富山湾は「天然のいけす」と称され、春のホタルイカ、初夏から秋の白えび、冬の寒ブリなど、四季折々の海の幸を生かした郷土料理が豊富で、押し寿司の「ますのすし」は全国的にも知られる富山土産の代表格である。

高岡銅器高岡漆器井波彫刻越中和紙ますのすしほたるいかの酢味噌和え白えびのかき揚げ富山ブラック

富山の伝統工芸

とやま土人形
陶器富山

とやま土人形

Toyama Tsuchi Ningyo

とやま土人形は富山藩の時代から続く素焼きの土人形で、富山市を中心に作られてきた郷土玩具である。嘉永年間、名古屋出身の陶工・広瀬秀信が富山藩十代藩主・前田利保に土人形を献上したのが始まりとされ、その子・安次郎が天神様(牛乗り天神)を焼いて献上したことがとやま土人形の起源と伝わる。型に入れて成形した素地を約800度で素焼きし、一体ずつ手作業で絵具による彩色を施す製法で、素朴であたたかみのある色使いが持ち味である。学問の神様として親しまれる天神様をはじめ、招き猫、干支、抱き雛など、縁起物や郷土色豊かな題材が数多く作られてきた。天神信仰の強い富山では、男児の初正月に天神様を贈る習わしとも結びつき、家庭で親しまれる存在であり続けている。2013年(平成25年)に富山県指定伝統工芸品となり、富山市民俗民芸村内の工房で今も製作技術が受け継がれている。

井波彫刻
木工富山

井波彫刻

Inami Chokoku

井波彫刻は富山県南砺市井波地区を中心に受け継がれる木彫刻の伝統工芸で、1390年創建の井波別院瑞泉寺が度重なる火災に見舞われるなか、宝暦・安永年間(1763〜1774年)に行われた再建工事の際、京都本願寺御用彫刻師・前川三四郎から地元の大工たちが本格的な彫刻技法を学んだことに始まるとされる。当初は寺社建築を彩る欄間や向拝彫刻が中心だったが、明治時代以降は一般住宅の欄間彫刻へと需要が広がり、「井波の欄間」として全国に知られる地場産業へと発展した。最大の特徴は、ノミだけで文様を彫り抜く「透かし彫り」の技法にあり、松竹梅や花鳥風月、龍や獅子といった意匠を、裏表両面から幾重にも彫り重ねることで、今にも動き出しそうな立体感と躍動感を生み出す。1975年に経済産業大臣指定伝統的工芸品に指定され、現在も社寺彫刻や欄間、獅子頭など幅広い製品が作られており、日本の欄間彫刻において高いシェアを持つ産地として知られる。

越中瀬戸焼
陶器富山

越中瀬戸焼

Ecchu Seto-yaki

越中瀬戸焼は富山県中新川郡立山町の瀬戸・上末地区で焼かれる陶器で、愛知県の「瀬戸焼」とは産地も系譜も異なる、富山県独自の古窯である。この地区は平安時代初めから須恵器を焼いてきた古窯地で、桃山時代から文禄・慶長年間にかけて尾張瀬戸から陶工が移住して瀬戸村が誕生し、越中瀬戸焼と呼ばれるようになったと伝わる。加賀藩二代目当主が尾張から陶工を招いて茶道具を作らせたことから加賀藩の御用窯として栄え、九谷焼よりも古い歴史を持つ北陸有数の古窯地として知られる。明治・大正期には鉄道網の整備で他産地の安価な製品に押されて多くの窯が瓦生産へ転じたが、昭和に入り地元有志による保存会の活動で陶器製造が復興した。地元でとれる赤・黄・青・白などの多彩な陶土と、草木灰を原料とする釉薬による大胆で多彩な施釉が持ち味で、現在は「かなくれ会」に属する窯元たちが430年以上続く伝統を受け継いでいる。

越中福岡の菅笠
織物富山

越中福岡の菅笠

Ecchu Fukuoka no Sugegasa

越中福岡の菅笠は、富山県高岡市福岡町一帯で作られてきた菅(スゲ)製の笠で、日除け・雨除けとして全国の農作業や祭礼で使われてきた400年以上の歴史を持つ。起源は400年以上前、小矢部川の氾濫によって沿岸一帯が泥沼状になった際、質の良いスゲが自生するようになり、村の副業として笠づくりが始まったことにあるとされる。江戸中期の1670年頃には加賀藩主・前田綱紀の保護と奨励を受けて産業として本格化し、江戸後期には福岡町に笠問屋が生まれて日本全国へ直接販売されるようになった。最盛期の1864年には210万枚もの菅笠が出荷されたと伝わる。竹をひご状に加工して円錐状に組み立てる「笠骨づくり」と、菅笠用に栽培したスゲを笠骨に縫いつける「笠縫い」を男女で分業しながら、栽培から仕上げ・出荷までの全工程を地域内で完結させている点が特徴で、現在も全国生産の約9割を占める。2009年に国の重要無形民俗文化財に指定され、2017年には経済産業大臣指定伝統的工芸品にも指定された。

越中和紙
和紙富山

越中和紙

Ecchu Washi

越中和紙は、富山市八尾町の「八尾和紙」、南砺市の「五箇山和紙」、下新川郡朝日町の「蛭谷和紙」という3つの産地でつくられる手すき和紙の総称で、1984年(昭和59年)に経済産業大臣指定伝統的工芸品に指定された。その歴史は古く、奈良時代の774年に成立した「図書寮解」に紙の産地として越中の名が記され、正倉院文書にも「越中国紙」の記載が見られる。平安時代の「延喜式」では租税として和紙を納めていた記録もあり、江戸時代には富山藩2代藩主・前田正甫が売薬を奨励したことで、薬包紙や顧客名簿である懸場帳の材料として八尾和紙の需要が飛躍的に高まった。楮(こうぞ)や三椏(みつまた)、雁皮(がんぴ)を原料とし、丈夫で温かみのある質感を持つ点が共通の特徴で、八尾和紙は鮮やかな型染めの技法、五箇山和紙は雪さらしなどにより強靭さと白さを併せ持つ紙として知られる。現在も日用品からインテリア、工芸品まで幅広く活用されている。

高岡漆器
漆器富山

高岡漆器

Takaoka-shikki

高岡漆器は富山県高岡市で生産される漆器で、江戸時代初期の慶長年間、加賀藩二代藩主・前田利長が高岡城を築いた際、武具や箪笥、膳など日常生活の道具に漆を塗らせたことに始まるとされる。以降、明和年間に辻屋丹甫が中国漆器を模した堆朱・存星の技法を確立し、富山藩主・前田正甫が京都から招いた名工・杣田清輔の技を土台に「青貝塗(螺鈿)」が発展、さらに江戸末期には初代石井勇助が中国明代の漆器を研究して独自の「勇助塗」を生み出すなど、他産地に比べて多彩な加飾技法を併せ持つ点が最大の特徴となっている。1891年に富山県工芸学校が設立されて技術指導が進んだこともあり、盆や重箱、茶道具といった暮らしの道具から美術工芸品まで幅広く手がけられてきた。1975年には経済産業大臣指定伝統的工芸品に指定され、現在も高岡市内の工房で伝統技法が受け継がれている。

高岡銅器
金工富山

高岡銅器

Takaoka-doki

高岡銅器は富山県高岡市を中心に生産される鋳物工芸で、日本国内の銅器生産の大部分を占める一大産地として知られる。起源は1611年(慶長16年)、加賀藩二代藩主・前田利長が高岡城下の産業振興のため、砺波地方などから7人の鋳物師を金屋町に招いたことにさかのぼる。当初は鍋や農具などの日用鉄器が中心だったが、江戸後期に銅器生産へと展開し、仏具や梵鐘、美術工芸品づくりへと発展した。1867年のパリ万国博覧会に出品されて高い評価を得たことを契機に、明治・大正期には生産量が飛躍的に拡大し、国内外に高岡の名を知らしめた。最大の特徴は、双型・焼型・蝋型・生型といった多様な鋳造技法に、毛彫りや透かし彫りなどの彫金、鉄漿色や青銅色などを発色させる着色技法を組み合わせる総合力にあり、小さな置物から寺院の梵鐘、屋外の大型モニュメントまで幅広く手がけられる。1975年に経済産業大臣指定伝統的工芸品に指定され、現在は仏具から現代アート、生活雑貨まで幅広い製品が作られている。

高岡仏壇
木工富山

高岡仏壇

Takaoka Butsudan

高岡仏壇は富山県高岡市で製造される仏壇で、高岡銅器・高岡漆器を育んできた同地の金工・漆芸の技術を仏壇づくりに応用した総合工芸である。慶長時代には指物師による漆塗り家具製造の記録が残り、これが仏壇づくりの源流になったと考えられている。遅くとも幕末には仏壇製造が産業として形成され、1846年(弘化3年)頃に作られた仏壇は現在の高岡仏壇の様式とほぼ同じであったといわれる。木地屋・彫刻屋・塗師屋・蒔絵屋・金具師による分業体制で作られるのが特徴で、イチョウやクサマキなどの木材を用いた木地に立体感のある木彫を施し、下地を丁寧に整えた漆を幾重にも塗り重ね、煮出しの着色によって赤みを帯びた手打ちの厚地金具で仕上げる。高岡銅器の彫金技術が装飾面の発展を支えたとされ、2013年(平成25年)に富山県指定伝統工芸品となった。

庄川挽物木地
木工富山

庄川挽物木地

Shogawa Hikimono Kiji

庄川挽物木地は富山県砺波市庄川町を中心に作られる木工品で、ろくろで木材を挽いて盆・鉢・椀などの木地を仕上げる伝統工芸である。1866年(慶応2年)、魚津の木地師・越後屋清次が庄川の流木事業で集まる豊富な木材を求めて金屋(現・砺波市庄川町)に移り住み、ろくろ挽物の仕事を始めたのが起源とされる。明治期には青島貯木場に木材が集積し、周辺は製材所や木工所が建ち並ぶ木材の一大集積地へと発展した。木目の美しさを最大限に生かすため木を横方向に挽く技法が特徴で、使い込むほどに艶と味わいが増す。トチやケヤキなど国産材を用い、からかさ鉋や薄刃といった職人自作の道具で仕上げられる。1978年(昭和53年)に経済産業大臣指定伝統的工芸品となり、現在も庄川木工挽物会に属する職人たちが技術を受け継いでいる。

富山木象嵌
木工富山

富山木象嵌

Toyama Mokuzogan

富山木象嵌は、色や木目の異なる天然木を糸鋸で挽き抜いてはめ込み、一枚の板の上に絵や模様を表現する富山市発祥の木工技法である。明治40年(1907年)、富山出身の中島杢堂が神奈川県小田原の木象嵌家・白川洗石のもとに弟子入りし、糸鋸機械を用いた近代的な象嵌技術を学んで富山に持ち帰ったのが始まりとされる。中島杢堂は1964年(昭和39年)に富山県無形文化財の指定を受け、富山の風土に根ざした独自の作風を築いた。三角形や四角形など単純な木片を組み合わせる寄木細工とは異なり、台板に描いた図柄に沿って糸鋸で精密に挽き抜き、同型の模様材をはめ込むことで絵画的な図柄を表現できる点が最大の特徴である。額装やテーブルなどの伝統的な製品に加え、近年は茶器や照明など新しい形の製品づくりも進められている。後継者たちの活動が評価され、2013年(平成25年)に富山県指定伝統工芸品となった。

富山の郷土料理

いかの黒作り
発酵食品富山

いかの黒作り

Ika no Kurozukuri

いかの黒作りは、スルメイカの身を細く切り、肝とイカスミを加えて塩漬けにし、じっくりと熟成させた富山県を代表する発酵食品です。イカスミ特有の芳醇な香りとコクのある旨味に塩辛らしい熟成感が加わった独特の味わいが特徴で、日本酒との相性の良さから酒の肴として古くから親しまれてきました。江戸時代には加賀藩主が参勤交代の際に将軍家へ献上したとの記録が残るなど、当時すでに富山を代表する名産品として知られていたと伝わります。イカスミには古くから防腐効果があるとされ、冷蔵技術のなかった時代に塩辛を長く保存するための知恵としても活用されてきました。見た目の黒さから初めて口にする人には驚かれることもありますが、口に入れると濃厚な旨味とほのかな塩味が広がり、ご飯のお供やお茶漬け、パスタの具材としても応用されるなど、今も富山を代表する珍味として全国に販売されています。

ぶり大根
海鮮富山

ぶり大根

Buri Daikon

ぶり大根は、富山湾で水揚げされる脂の乗った寒ブリのあらと大根を、醤油や酒でじっくり甘辛く煮込んだ富山県を代表する冬の郷土料理です。ブリは捨てるところがないほど余さず食べられる魚とされ、身を刺身や照り焼きに使った後のあら(頭やカマ)を大根と煮込むことで、旨味を余すことなく味わい尽くす知恵から生まれました。晩秋から初冬にかけて富山湾では「ぶり起こし」と呼ばれる雷を伴う荒天が続き、この頃に漁の最盛期を迎える寒ブリは特に脂が乗って美味とされます。中でも氷見市で水揚げされるブリは「ひみ寒ブリ」としてブランド化され、全国的にも高く評価されています。ブリは出世魚として縁起が良いとされることから祝い事や正月料理にも欠かせない存在で、ぶり大根もそうした席でたびたび食卓に上ってきました。大根がブリの旨味を吸い込み、味の染みた大根とほろほろのブリの身の両方を楽しめる、体の温まる冬の家庭料理として今も富山の家庭で親しまれています。

ほたるいかの酢味噌和え
海鮮富山

ほたるいかの酢味噌和え

Hotaruika no Sumiso-ae

ほたるいかの酢味噌和えは、春の富山湾を代表する食材ホタルイカを茹で、酢味噌や辛子酢味噌で和えたシンプルな一品です。ホタルイカは普段水深200メートル以上の深海に生息しますが、産卵のため3月から5月頃に富山湾の沿岸へ大群で押し寄せ、全身が青白く発光しながら群れ漂う神秘的な光景を見せます。この現象が見られる富山湾の一部海域は「ホタルイカ群遊海面」として国の特別天然記念物に指定されており、ホタルイカは富山の春を象徴する食材となっています。定置網漁で水揚げされるため身に傷がつきにくく、漁場と漁港が近いことから鮮度の良いまま出荷できるのも富山湾のホタルイカならではの強みです。ボイルしたホタルイカのねっとりとした食感とわずかな苦み、酢味噌のまろやかな酸味が合わさった味わいは、家庭でも飲食店でも春の定番として親しまれています。

ますのすし
海鮮富山

ますのすし

Masu-no-sushi

ますのすしは、酢飯とサクラマスの薄切りを笹の葉とともに丸い曲げ物の容器に詰めて押し固めた、富山県を代表する押し寿司です。江戸時代に富山藩士が神通川の鮎で作った鮎鮨を藩主に献上したのが始まりと伝わり、後に神通川で獲れるサクラマスを使う現在の形へと発展しました。明治45年(1912年)に富山駅の駅弁として販売が始まると、北陸本線の開通とともに全国にその名が広まり、今では富山土産の代表格として定着しています。笹の爽やかな香りとサクラマスのほどよい脂、酢飯の酸味が調和した味わいが特徴で、常温のまま持ち運べる保存性の高さから、駅弁や贈答品、行楽の弁当としても長く親しまれてきました。現在も富山市内を中心に多くの店が独自の味を競い合い、店ごとに酢加減や魚の厚みが異なる食べ比べも人気です。

昆布締め
海鮮富山

昆布締め

Konbujime

昆布締めは、白身魚などの刺身を昆布ではさみ、一定時間なじませることで昆布の旨味と水分吸収による熟成効果を得る、富山県を代表する魚の調理・保存技法です。江戸時代、北前船交易によって北海道から運ばれた昆布と、富山湾で獲れる新鮮な魚を組み合わせて生まれたとされ、冷蔵庫のなかった時代に生魚を美味しく保存するための知恵として広まりました。昆布に挟まれた魚は余分な水分が抜けて身が引き締まり、昆布のグルタミン酸による旨味が加わることで、刺身とは異なる奥深い味わいになります。富山県は北前船の寄港地であった高岡・伏木などを中心に昆布の消費量が全国有数とされ、「昆布王国」とも呼ばれるほど昆布文化が根付いており、昆布締めはその象徴的な料理として、家庭料理から専門店の一皿まで幅広く親しまれています。

大門素麺
麺類富山

大門素麺

Daimon Somen

大門素麺は、富山県砺波市大門地区に江戸時代後期から伝わる手延べ素麺です。1848年(嘉永元年)に、当時の大門村の売薬商人が加賀藩の御用素麺の製法を学んで持ち帰ったのが始まりと伝わり、農家の冬の副業として村内に広まりました。最盛期の昭和初期には60軒以上で作られていましたが、現在は生産者が数軒にまで減りながらも、伝統の製法が守り続けられています。最大の特徴は、細く延ばした麺線を丸まげ状に巻き上げる「島田巻き」と呼ばれる独特の仕上げ方で、他産地の素麺には見られない見た目を持つことから「丸まげ素麺」とも呼ばれます。よりをかけながら手作業で細く長く延ばすため麺の繊維がねじれたような構造になり、コシが強くのど越しが良いうえ、茹でて水に浸けておいても伸びにくいのが特徴です。気温が下がり空気が乾燥する10月から3月頃の農閑期にのみ作られる、季節限定の手仕事の味です。

白えびのかき揚げ
海鮮富山

白えびのかき揚げ

Shiroebi no Kakiage

白えびのかき揚げは、「富山湾の宝石」と称される白えびを衣にくぐらせてカラリと揚げた、富山県を代表する海鮮料理です。白えびは体長5〜6センチほどの淡いピンク色で透明感のある小型のエビで、水深200〜400メートル前後の深海に生息しますが、富山湾では海底の地形の特殊さから比較的浅い層でも群れをなして生息するため、漁として成り立つほどまとまって水揚げされるのは全国でも富山県だけとされています。主な水揚げ漁港は新湊漁港と岩瀬漁港で、以前は殻ごと乾燥させて出汁用にすることが多かった白えびですが、冷凍・殻むき技術の向上により身の繊細な甘みと絹のような舌触りが見直され、刺身や寿司ネタとして人気を集めるようになりました。かき揚げは家庭でも作りやすい定番の食べ方で、サクサクの衣とほのかな甘みを併せ持つ味わいが多くの人に親しまれています。

薄氷
郷土菓子富山

薄氷

Usugori

薄氷は、江戸時代中期の宝暦2年(1752年)に富山県小矢部市の老舗菓子舗「薄氷本舗 五郎丸屋」が創製した、氷が張ったように薄く繊細な干菓子です。北陸の深い雪が解け始める早春、水面や田んぼにできる薄い氷の美しさを表現したとされ、富山県特産の新大正もち米から作った極薄の煎餅生地に、上質な阿波和三盆糖を丁寧に塗り重ねて仕上げます。口に含むとまるで氷が溶けるようにすっと儚く消えていくことから薄氷と名付けられ、加賀藩主・前田家を通じて幕府や宮中にも献上されたと伝わるほど、古くから格式の高い銘菓として評価されてきました。明治以降は宮内省御用達となり、今も茶道の世界で愛用されるなど、270年以上にわたり富山の四季の美しさを伝える伝統菓子として受け継がれています。

富山の雑煮
鍋料理富山

富山の雑煮

Toyama Zoni

富山県の雑煮は、昆布だしをベースにした醤油味のすまし汁に角餅と昆布巻きかまぼこを合わせるのが特徴の、富山ならではの正月料理です。県内でも地域差があり、県東部の下新川地方ではフクラギ(ブリの若魚)やカワハギなど魚介を加えた具だくさんの雑煮が作られる一方、県西部の砺波地方では長ねぎや昆布などシンプルな具材でまとめるのが伝統的とされています。両地方に共通するのは、餅を焼かずに昆布だしで柔らかく煮て椀に入れることと、富山を代表する練り物である、板を使わない「昆布巻きかまぼこ」を彩りとして加えることです。紅白の「赤巻」が用いられることも多く、見た目にも華やかな一杯に仕上がります。北前船交易によって昆布が豊富に流通した富山ならではの食文化が、雑煮という正月の一椀にも色濃く表れています。

富山ブラック
麺類富山

富山ブラック

Toyama Black Ramen

富山ブラックは、濃口醤油をたっぷり使った真っ黒なスープが特徴の富山市発祥のご当地ラーメンです。昭和22年(1947年)、富山大空襲からの復興工事に携わる肉体労働者たちが汗で失う塩分を補給しやすいようにと、屋台「大喜」の創業者・高橋青幹が濃い味付けの中華そばを考案したのが始まりと伝わります。太めのストレート麺に、濃口醤油ベースの黒いスープ、大きめのチャーシュー、黒胡椒、たっぷりの刻みネギを合わせるのが基本のスタイルで、白いご飯と一緒に食べる「おかずラーメン」として親しまれてきました。塩気の強さは他地域のラーメンと比べても際立っており、初めて食べる人には驚かれることも多い一方、地元では今も昼食の定番として根強い人気を保っています。現在は発祥店「大喜」のほか、独自にアレンジを加えた店も市内に複数あり、食べ比べを楽しむファンも少なくありません。

モデルコース

高岡でものづくりの町を巡るコース

加賀藩二代目当主が鋳物師を招いたことに始まる高岡銅器の鋳物工房と、同じく高岡で発展した高岡漆器の工房を見学したのち、両方の技術が生かされた高岡仏壇の仏具店を訪ね、昼食に氷見港近くで水揚げされた寒ブリを使ったぶり大根を味わう、ものづくりの町・高岡をめぐるコース。

南砺・井波の木彫と紙漉きの里を訪ねるコース

瑞泉寺の再建に始まり250年以上続く井波彫刻の工房街で欄間彫刻を見学したのち、庄川挽物木地のろくろ挽き工房を訪ね、五箇山・八尾に伝わる越中和紙の紙漉き体験で締めくくる、南砺エリアの木工・紙工芸をめぐるコース。

富山湾の幸と、ますのすしを味わうコース

富山湾を「天然のいけす」たらしめる春のホタルイカと富山湾の宝石・白えびを味わったのち、江戸時代から伝わる押し寿司「ますのすし」を土産に、スルメイカを肝と墨で仕込む発酵珍味「いかの黒作り」で富山の酒の肴文化にも触れる、富山湾の海の幸をめぐるコース。

イベント

南砺利賀そば祭り

毎年2月中旬 / 南砺市利賀村上百瀬(利賀国際キャンプ場周辺)

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高岡御車山祭

毎年5月1日 / 高岡市中心部(山町筋)

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地図