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東京都

江戸時代から続く政治・商業の中心地として、武家文化と町人文化がともに育んだ工芸と食が今も息づく地域。江戸切子・東京染小紋・本場黄八丈などの染織・ガラス工芸は、参勤交代で全国から集まった職人の技が江戸で磨かれた歴史を持つ。食文化も屋台料理から発展した江戸前寿司や、下町の駄菓子屋文化が生んだもんじゃ焼きなど、庶民の暮らしと結びついた郷土料理が豊富で、月島・両国・浅草・日本橋といった下町エリアには今も専門店や職人の工房が点在する。

江戸切子東京染小紋本場黄八丈東京銀器江戸前寿司もんじゃ焼きどぜう鍋深川めし

東京の伝統工芸

江戸指物
木工東京

江戸指物

Edo Sashimono

江戸指物は東京都台東区・荒川区・江東区などで作られる木工品で、釘を一切使わず、木材の接合部を刻んで組み合わせる「指物」の技法によって家具や小物を作り上げる伝統工芸品である。指物の歴史自体は平安時代の京都までさかのぼるが、江戸に伝わった技術は17〜19世紀の江戸の経済・文化の発展とともに独自の発展を遂げた。武家の調度品として重厚で直線的な意匠のものが作られる一方、歌舞伎役者向けの「梨園指物」や町人向けの指物では遊び心を感じさせる粋で繊細な意匠が生まれ、次第に庶民の暮らしにも浸透していった。クワ・ケヤキ・キリ・スギなど天然の木地の木目を活かし、金具の使用を最小限に抑えた簡素な意匠が特徴で、矧接(はぎつぎ)・ほぞ接ぎ・相欠き接ぎなど多様な木組みの技法によって釘を使わずとも堅牢な作りを実現する。桐たんすをはじめ、何十年も大切に使い続けられる工芸品として今も職人の手仕事が受け継がれている。1997年(平成9年)に経済産業大臣指定の伝統的工芸品となった。

江戸硝子
ガラス東京

江戸硝子

Edo Glass

江戸硝子は、旧江戸地域(現在の東京)で発展した技術を受け継ぎ、職人がひとつひとつ手作りで仕上げるガラス製品の総称である。18世紀初め、日本橋通塩町の加賀屋(皆川)久兵衛が鏡や眼鏡を、浅草の上総屋留三郎が簪や風鈴を製作したのが始まりとされ、19世紀末には東京を代表する産業のひとつへと発展した。江戸切子がカットガラスによる装飾を特徴とするのに対し、江戸硝子は型を使わず吹き竿とガラス種だけで成形する「宙吹き」や、型に息を吹き込んで成形する「型吹き」による無地の器物が中心で、素朴で温かみのある風合いが持ち味である。コップやガラス鉢、金魚鉢、江戸風鈴など暮らしに根差した日用品を多く生み出してきたほか、海外の大量生産品とは異なり多品種少量生産に対応できることから、ワイングラスや酒器などのオーダーメイド品でも高く評価されている。2002年に東京都の伝統工芸品、2014年に国の伝統的工芸品に指定され、現在も墨田区・江東区・江戸川区を中心に多くの町工場的な硝子工房がその技を継承している。

江戸切子
ガラス東京

江戸切子

Edo Kiriko

江戸切子は、ガラスの表面に細かい文様を刻んで作る江戸生まれのカットガラス工芸である。1834年(天保5年)、江戸大伝馬町のびいどろ屋・加賀屋久兵衛が金剛砂を用いてガラス表面に彫刻を施したのが始まりと伝わる。明治期には政府が招いた英国人技術者エマニュエル・ホープトマンの指導を受け、現在に伝わるカット技法が確立された。透明なガラスに薄く色ガラスを被せた「色被せガラス」を用い、そこに刃物を当てて文様を彫り出すのが特徴で、色ガラスの層が約1ミリと薄いため、カットの境目がくっきりとシャープに際立つ。魚子(ななこ)、菊つなぎ、麻の葉、矢来など約20種の伝統文様があり、切り込みが光を受けてきらめく繊細な輝きが魅力である。同じ切子文化として知られる薩摩切子は色ガラスの層が厚くグラデーションを帯びるのに対し、江戸切子はシャープな切れ味が持ち味とされる。1985年に東京都の伝統工芸品、2002年に国の伝統的工芸品に指定され、現在は江東区・江戸川区・墨田区を中心に多くの職人が技を受け継いでいる。

江戸木目込人形
木工東京

江戸木目込人形

Edo Kimekomi Ningyo

江戸木目込人形は、桐塑(とうそ、桐の粉末と正麩糊を練った素材)や木で作った人形の原型に細い溝を彫り込み、そこに衣裳となる布地の端を「きめこむ」ように押し込んで着せる独特の技法で作られる人形である。起源は元文年間(1736〜1741年)の京都にさかのぼり、上賀茂神社の神官に仕えた高橋忠重が、柳の木で人形の原型を彫って神官の装束の端切れを木目込んで作ったのが始まりとされ、「柳人形」や「賀茂人形」と呼ばれた。この技法が江戸に伝わり、明治以降の東京で独自の発展を遂げて「江戸木目込人形」として定着した。京都産の人形が王朝風のふくよかな顔立ちを特徴とするのに対し、東京産はやや細面で目鼻立ちのはっきりした現代的な顔立ちが特徴とされる。桐塑製の素地に幾重にも上塗りを施し、溝に布を木目込み、面相筆で顔を描いて毛を仕上げるまで、多くの手仕事を経て一体の人形が完成する。雛人形や五月人形として今も広く親しまれ、1978年(昭和53年)に経済産業大臣指定の伝統的工芸品となった。

江戸簾
木工東京

江戸簾

Edo Sudare

江戸簾は東京都台東区・港区などで作られる、竹やヨシなど天然素材を糸で編み上げて作るすだれの伝統工芸品である。簾の歴史は古く、7〜8世紀に編まれた日本最古の和歌集「万葉集」にもその記述が見られ、平安時代には宮廷や貴族の屋敷、神社仏閣で間仕切りや日よけとして用いられてきた。江戸時代に入ると町の発展とともに庶民の暮らしにも普及し、元禄期の書物には御簾師と呼ばれるすだれ専門の職人の存在も記されている。京都の豪華な京簾に対し、江戸簾は庶民の生活道具として使い勝手やシンプルなデザインを重視し、竹・ヨシ・ハギ・ガマなど天然素材の風合いをそのまま生かしているのが特徴である。細かく割いたり薄くへいだりした竹ひごを、1本編みや2本編み、もじり編み、亀甲編みなど多様な編み方で編み上げ、通気性に優れ心地よい風を運ぶ室内空間を作り出す。1983年(昭和58年)に東京都指定の伝統工芸品となった。

村山大島紬
織物東京

村山大島紬

Murayama Oshima Tsumugi

村山大島紬は、東京都武蔵村山市を中心に瑞穂町・昭島市周辺で織られてきた絣模様の絹織物である。江戸時代の元禄期(1688〜1704年)頃に始まった縞模様の木綿織物「村山紺絣」と、玉繭から紡いだ絹糸で織る「砂川太織り」という二つの織物文化を源流とし、明治中期以降の絹織物需要の高まりを受けて、大正9年(1920年)頃にこの二つが合流する形で絹織物としての村山大島紬が生まれた。名称に「大島」を冠するが、奄美大島で織られる本場大島紬とは全くの別物で、最大の違いは絣糸の染色技法にある。奄美の大島紬は締機(しめばた)を用いた泥染めなど手間のかかる技法で精緻な絣を生み出すのに対し、村山大島紬は1919年に群馬県伊勢崎から伝わった「板締め染色」という技法を用いる。文様を彫刻した型板の間に糸を挟んで締めつけながら染色することで、経糸と緯糸を寸分違わず柄合わせした精巧な絣模様を、比較的手頃な価格で実現できるのが特徴である。手触りが滑らかで軽く、男物は控えめで上品な細かい絣、女物はシックで年齢を問わず着られる意匠が持ち味とされる。1975年(昭和50年)に国の伝統的工芸品に指定された。

東京くみひも
織物東京

東京くみひも

Tokyo Kumihimo

東京くみひもは東京都台東区・杉並区・北区などで作られる絹糸を主素材とした組紐で、丸台・角台・綾竹台・高台といった専用の組台を用いて糸を編み組み上げる伝統工芸品である。起源は仏教伝来とともに伝わった経巻や袈裟の紐、貴族の礼服に添える帯にさかのぼり、武家社会では鎧兜のおどし糸や刀の下緒として実用性と美しさを兼ね備えた組み方が発達した。公家文化を背景に華やかな京くみひもに対し、東京くみひもは武家社会と江戸町人文化の影響を受け、主張し過ぎない渋みのある色合いと堅牢な組み目を特徴とする。江戸時代後期から明治以降は帯締めや羽織紐など庶民の装いに広く用いられるようになり、1652年創業の老舗「道明」をはじめとする組紐処が今もその技を受け継いでいる。現在は帯締めのほか、ネクタイやアクセサリーなど現代の暮らしに合わせた製品も作られている。

東京銀器
金工東京

東京銀器

Tokyo Ginki

東京銀器は東京都台東区・荒川区・文京区などで作られる銀製の工芸品で、鍛金・彫金・切嵌・鑞付けといった伝統技法により茶道具や装身具、酒器などが作られている。日本における銀製品の歴史は古く、平安時代の法典「延喜式」にはすでに銀製の食器や酒器の記録が見える。江戸時代中期になると経済力をつけた町人の間で銀製品が広く用いられるようになり、飾り職人や銀師(しろがねし)と呼ばれる専門の職人が育っていった。明治以降は西洋の精練技術も取り入れられ、1867年のパリ万博では日本の銀器の完成度の高さが海外の専門家を驚かせたと伝えられる。純度1,000分の925以上の銀を用い、金鎚で叩いて模様を打ち出す槌目や、岩石目・ゴザ目など独特の質感を生み出す技法が特徴で、使い込むほどに手になじむ道具として今も茶道具やアクセサリーなど幅広く愛用されている。1979年(昭和54年)に経済産業大臣指定の伝統的工芸品となった。

東京染小紋
染物東京

東京染小紋

Tokyo Some Komon

東京染小紋は、伊勢型紙と呼ばれる精緻な型紙を用い、一色の色糊で極小の柄を染め上げる江戸生まれの型染め技法である。小紋そのものの発達は室町時代にさかのぼるとされるが、江戸時代初期になると、諸大名家が江戸屋敷で着用する裃(かみしも)に、家ごとに定めた細かな柄を染めるようになったことから発展した。江戸には全国の大名家が集まったため小紋の需要が大きく高まり、やがて武士の裃柄が庶民の間にも広まって、江戸時代中頃からは町人文化の中で親しまれる染物として花開いた。代表的な柄である「鮫」「行儀」「角通し」は特に格式が高いとされ「江戸小紋三役」と呼ばれる。柄は0.5〜1ミリほどの極めて小さな点や線で構成され、極鮫柄では3センチ四方に千個もの点が寸分の狂いなく染め抜かれる緻密さが最大の特徴である。遠目には無地に見えながら近づくと繊細な文様が浮かび上がる「粋」の美意識を体現した染物として、女性の着物の「華」として今日まで親しまれ、1976年(昭和51年)に国の伝統的工芸品に指定された。

本場黄八丈
織物東京

本場黄八丈

Honba Kihachijo

本場黄八丈は、東京都心から南へ約290キロ、絶海の孤島・八丈島に伝わる草木染めの絹織物である。かつて「鳥も通わぬ島」と呼ばれた島の中で、室町時代には貢納品として白紬が納められていたと伝わり、現在に続く染色技法が確立したのは江戸時代の寛政年間(1789〜1801年)頃とされる。島に自生する植物だけを染料とし、黄色は八丈刈安(コブナグサ)、樺色(茶褐色)はマダミ(タブノキ)の樹皮、黒色は椎の木の樹皮を用いた泥染めによって糸を染め上げる。染めた糸を手投げ杼(て​なげひ)で織り込み、無地・縞・格子といった極めてシンプルな意匠に仕立てるのが特徴で、着るほどに生地が体になじみ、洗うほどに色が冴えるとも言われる。黒染めには椎皮の煎じ汁での染色と天日干しを約40回も繰り返す入念な工程があり、深く艶やかな黒を生み出す。江戸時代中頃には縞や格子模様も織られるようになり、島の女性たちが代々受け継いできた手仕事として今日まで続いている。1977年(昭和52年)に国の伝統的工芸品に指定された。

東京の郷土料理

ちゃんこ鍋
鍋料理東京

ちゃんこ鍋

Chanko Nabe

ちゃんこ鍋は、東京・両国の相撲部屋で力士たちの食事として発展した鍋料理です。本来「ちゃんこ」は相撲部屋で作られる料理全般を指す言葉で、その中でも鍋料理を「ちゃんこ鍋」と呼びます。明治42年(1909年)の両国国技館完成の頃、当時の人気横綱・常陸山谷右エ門の活躍で出羽海部屋への入門者が増え、大勢の力士がまとめて栄養を取れるよう、一つの鍋を大人数で囲んで食べるスタイルが定着したと伝わります。鶏がらでだしを取る「ソップ炊き」や、味噌・塩ベースの鍋など、味付けや具材は部屋ごとに異なり、巡業先の農家から譲り受けた野菜や、その日仕入れられる肉・魚を組み合わせて作られてきました。四つ足の動物(牛・豚)を食べると土俵で「手をつく」ことに通じ縁起が悪いとされ、鶏や魚が好んで使われた点も特徴です。現在は両国を中心に、元力士が営むちゃんこ料理店で一般客も味わえる料理となっています。

どぜう鍋
鍋料理東京

どぜう鍋

Dojo Nabe

どぜう鍋は、江戸時代から東京下町で親しまれてきたどじょうを使った鍋料理です。安価で栄養豊富などじょうは、力仕事で汗を流す江戸庶民のスタミナ源として人気を集め、浅草の駒形どぜうをはじめとする専門店が数多く誕生しました。丸のまま開かずに煮る「丸鍋」と、開いてごぼうと一緒に煮て卵でとじる「柳川鍋」の2つのスタイルが代表的で、ねぎと山椒をたっぷりのせて食べるのが一般的です。「どぜう」という表記は、本来「どぢやう」と書くべきところを縁起の良い奇数の三文字にするため、江戸時代の店主が考案したものと伝わります。現在では専門店の数は減ったものの、浅草には江戸時代創業の老舗が今も暖簾を守り続けており、江戸庶民の味として親しまれています。

べったら漬け
発酵食品東京

べったら漬け

Bettarazuke

べったら漬けは、生の大根を塩で下漬けしたのち、米麹と砂糖でさらに漬け込んで発酵させた、甘みとほのかな酸味が特徴の東京の伝統的な漬物です。江戸時代中期から、日本橋大伝馬町の宝田恵比寿神社で毎年10月19日・20日に開かれる「べったら市」で売られてきたことから、この名で全国に知られるようになりました。名前の由来には、大根の表面に漬け床の米麹がべたべたと付いていたからとする説や、売り子が「べったら、べったら」と囃しながら客の着物の袖に麹を付けようとしたからとする説があります。塩辛い漬物が主流だった時代に、麹の自然な甘みを活かした浅漬け風の味わいは江戸っ子の間で人気を博し、べったら市は江戸から続く秋の風物詩として現在も日本橋の街を賑わせています。今では通年、日本橋周辺の専門店や漬物店で購入できる東京土産の定番となっています。

もんじゃ焼き
鍋料理東京

もんじゃ焼き

Monjayaki

もんじゃ焼きは、水で溶いた小麦粉に刻んだキャベツや具材を混ぜ、鉄板の上で焼きながら食べる東京・下町生まれの粉もの料理です。江戸時代末期から明治期にかけて、水で溶いた小麦粉を鉄板で薄く焼き、醤油や水飴などで味付けして食べる駄菓子屋の子どものおやつが起源とされ、生地がまだ緩いうちにへらで文字を書いて遊びながら焼いたことから「文字焼き」と呼ばれ、それが訛って「もんじゃ」になったといわれます。中央区月島は昭和後期からもんじゃ焼きの専門店が急増し、現在は「もんじゃストリート」と呼ばれる商店街に多くの店が軒を連ねる、もんじゃ焼きの代名詞的な街として知られています。お好み焼きよりも水分量が多いゆるい生地が特徴で、「はがし」と呼ばれる小さなへらで鉄板から直接すくって食べる独特のスタイルも魅力の一つです。

江戸前寿司
海鮮東京

江戸前寿司

Edomae Zushi

江戸前寿司は、江戸時代後期の文政年間(1820年代)に江戸(現在の東京)で生まれた握り寿司の様式です。冷蔵庫のない時代、江戸前の海(現在の東京湾)で獲れた魚介に酢締めや醤油漬け、煮切りなどの「仕事」と呼ばれる下ごしらえを施し、酢飯とともにその場で握って提供する屋台料理として発展しました。両国の「与兵衛鮓」を開いた華屋与兵衛らが握り寿司を大成させたと伝わり、発酵させる「なれずし」や関西の押し寿司とは異なる、すぐに食べられる速さと江戸っ子の気風に合った寿司として庶民の人気を集めました。ネタは仕事を施すことで生の刺身よりも旨みや保存性が増し、シャリは酢と塩でしっかり味付けするのが特徴です。現在では高級店から回転寿司まで幅広い形で提供され、東京を代表する食文化として世界的にも知られています。

深川めし
海鮮東京

深川めし

Fukagawa Meshi

深川めしは、江戸時代の深川(現在の江東区)の漁師町で生まれた郷土料理で、あさりを使った「ぶっかけ」と「炊き込み」の2つのスタイルがあります。江東区一帯はかつて遠浅の干潟が広がり、あさりやはまぐり、青柳などの貝が豊富に獲れる漁師町として栄えました。漁師たちが仕事の合間に、味噌や醤油で煮た貝を熱いご飯にぶっかけて手早く食べた「ぶっかけめし」が原型とされ、後にご飯と一緒に貝や野菜を炊き込む「深川丼」「深川飯」も広まりました。江戸時代は当時大量に獲れたばか貝(青柳)を使うのが一般的でしたが、明治・大正期以降はあさりが主流になったといわれます。日本の五大銘飯の一つにも数えられる東京を代表する漁師飯で、現在も江東区内の専門店で味わうことができます。

深大寺そば
麺類東京

深大寺そば

Jindaiji Soba

深大寺そばは、東京都調布市の深大寺周辺で古くから作られてきた蕎麦で、江戸時代から寺の参詣客をもてなす「門前そば」として発展してきました。深大寺の北側に広がる国分寺崖線沿いの台地は水はけが良く、稲作には不向きな一方でそばの栽培に適していたため、周辺の農民は年貢の代わりにそば粉を寺へ納め、寺ではそれを打って来客をもてなしたのが始まりと伝えられています。元禄年間には上野寛永寺の公弁法親王に献上したところ大いに賞賛され、将軍家や諸大名にも広く知られるようになったことから「献上そば」とも呼ばれました。また、深大寺周辺は湧水が豊富で、そば粉を挽く水や、そばを茹でて締める水として利用され、清らかな水がそばの風味を引き立てています。現在も深大寺の山門前には約20軒のそば店が軒を連ね、毎年秋には「深大寺そばまつり」も開催されています。

人形焼
郷土菓子東京

人形焼

Ningyoyaki

人形焼は、カステラに似た卵風味の生地に、餡(多くはこしあん)を包んで人形や名所をかたどった木型で焼き上げる、東京を代表する焼き菓子です。発祥については諸説ありますが、芝居町として栄えた日本橋人形町で明治40年(1907年)頃に生まれ、七福神や役者などをかたどった木型で焼かれたのが始まりとされています。大正時代には、人形町で修業した職人が浅草へと店を移し、雷門や五重塔、提灯、鳩など浅草の名所をモチーフにした木型を考案、当初は「名所焼」とも呼ばれて浅草土産の定番となりました。ふんわりとした生地の香ばしさと、しっとりとした餡の甘さが調和した素朴な味わいは、焼きたてを店先で購入できる手軽さも相まって今も高い人気を誇ります。人形町・浅草それぞれに老舗が現存し、東京土産として全国に知られています。

長命寺桜もち
郷土菓子東京

長命寺桜もち

Chomeiji Sakuramochi

長命寺桜もちは、小麦粉を薄く焼いた皮であんを巻き、塩漬けの桜の葉で包んだ江戸風(関東風)桜もちの元祖とされる和菓子です。享保2年(1717年)、隅田川沿いの向島にある長命寺の門番であった山本新六が、境内の桜の落ち葉を掃除する中で、この葉を塩漬けにして餅に使うことを思い立ち、長命寺の門前で売り始めたのが始まりと伝えられています。道明寺粉のつぶつぶした食感を活かす「道明寺(関西風)」の桜もちに対し、長命寺桜もちは小麦粉の生地をクレープ状に薄く焼き、こしあんを巻き込んで作るのが特徴で、2〜3枚の桜葉で包む店独自のスタイルを今に伝えています。花見の季節には隅田堤を訪れる客でにぎわい、創業からおよそ300年にわたり向島の地で一貫して桜もち専門店として営業を続ける「山本や」は、江戸の花見文化を今に伝える名店として親しまれています。

佃煮
発酵食品東京

佃煮

Tsukudani

佃煮は、小魚や貝、海藻などを醤油と砂糖でじっくり煮詰めた保存食で、東京・佃島(現在の中央区佃)を発祥の地とする江戸の食文化を代表する惣菜です。江戸幕府を開いた徳川家康が、摂津国佃村(現在の大阪市)から漁師たちを呼び寄せ、隅田川河口の干潟に住まわせたのが佃島の始まりとされ、漁師たちは出漁できない日の食料や、売り物にならない小魚・貝類を無駄にしないために、塩や醤油で濃く煮詰めて日持ちする料理へと工夫しました。これが「佃煮」の名の由来です。江戸時代を通じて濃口醤油の普及とともに味が洗練され、参勤交代の武士や旅人が土産として持ち帰ったことから全国へと広まりました。現在も佃島周辺には江戸時代から続く老舗が軒を連ね、小魚・貝・昆布・生姜など多彩な素材を使った佃煮を製造・販売しています。ご飯のお供や酒の肴として親しまれ、家庭の常備菜としても定着した、日本を代表する保存食文化のひとつです。

モデルコース

すみだ・浅草で江戸の技とにぎわいを巡るコース

すみだ江戸切子館で江戸切子の展示・体験を楽しんだのち、江戸木目込人形の工房を訪ね、浅草へ移動して人形焼を味わう、東京東部の職人文化を巡るコース。

月島・両国で下町の鍋料理を食べ比べるコース

月島のもんじゃストリートで名物のもんじゃ焼きを楽しんだのち、両国で相撲部屋発祥のちゃんこ鍋を、浅草で江戸庶民のスタミナ食どぜう鍋を味わう、東京下町の鍋・鉄板料理を巡るコース。

染めと織りの江戸文化に触れるコース

東京染小紋の染工房を見学したのち、東京くみひもの組紐体験に挑戦し、八丈島・武蔵村山発祥の本場黄八丈や村山大島紬の織物にも触れる、東京の染織文化をめぐるコース。

イベント

三社祭

毎年5月第3金・土・日曜(2026年は5月15日〜17日) / 浅草神社周辺(台東区浅草)

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日本橋恵比寿講べったら市

毎年10月19日・20日 / 宝田恵比寿神社周辺(中央区日本橋本町)

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地図