画像: Wikimedia Commons栃木県
日光の社寺群や那須高原の雄大な自然と、脈々と受け継がれてきた手仕事・食文化が共存する県。江戸時代に濱田庄司が拠点とし民藝運動の中心地となった益子焼、ユネスコ無形文化遺産の結城紬、日光東照宮の彫刻師の技を今に伝える日光彫など、多彩な伝統工芸が育まれてきた。食文化では、満州帰りの将兵が伝えた宇都宮餃子や、青竹打ち麺が特徴の佐野ラーメン、初午に稲荷へ供えるしもつかれといった郷土色豊かな料理が並ぶ。関東平野の穀倉地帯と山あいの清流に恵まれ、小麦・かんぴょう・いちごなど農産物の産地としても知られ、とちぎ和牛のブランド化にも力を入れている。
栃木の伝統工芸

烏山和紙
Karasuyama Washi
烏山和紙は栃木県那須烏山市に伝わる手すき和紙で、鎌倉時代の建保年間(1213〜1219年)にこの地を治めた那須氏が越前(現在の福井県)から紙漉き職人を招き、向田村(現・那須烏山市)で「那須奉書」を漉かせたのが起源と伝わる。楮を原料に手すきで作られる厚手で緻密な紙質が特徴で、江戸時代中頃には越前奉書・美濃紙・西ノ内と並ぶ良質な紙として知られた。なかでも下境地区に伝わる「程村紙」は、那須地方特産の良質な楮「那須楮」を原料とし、独特の「半流し」という漉き方といちょう板を使った天日乾燥などの伝統技法によって作られる厚紙で、強靭さと品格を兼ね備えた紙として1977年(昭和52年)に国の選択無形文化財に指定された。現在、那須烏山市に唯一残る「福田製紙所」がこの伝統を受け継いでおり、卒業証書や工芸品、山あげ祭の山車の装飾など幅広い用途に使われている。

益子焼
Mashiko-yaki
益子焼は栃木県芳賀郡益子町を産地とする陶器で、1979年8月3日に経済産業大臣指定伝統的工芸品の指定を受けた。始まりは嘉永6年(1853年)頃、笠間で技術を学んだ大塚啓三郎が益子の地に窯を開いたことにあるとされ、当初は甕や土瓶、擂鉢などの日用雑器を焼く産地として発展した。大正末期の1924年には陶芸家・濱田庄司が益子に定住し、柳宗悦や河井寛次郎とともに民藝運動を推し進める拠点とし、イギリス人陶芸家バーナード・リーチとの深い交流も益子焼の名を広く知らしめた。鉄分を多く含む粗めの陶土に柿釉や糠白釉を厚くかけて焼き上げるため、重厚感がありながら素朴で温かみのある質感が持ち味である。特定の様式に縛られず作り手ごとの個性が生きる自由な作風も特徴で、日用の器から作家性の強い作品まで幅広く手がけられている。現在は益子町内に多くの窯元が集まり、春と秋の陶器市には合わせて約60万人が訪れる。
間々田ひも
Mamada Himo
間々田ひもは、栃木県小山市間々田に鎌倉時代から伝わるとされる組紐(くみひも)の技術です。糸の両端に重りをつけて常に張りを保ちながら幾本もの糸を交差させていく技法で、複雑で緻密な文様を持つ紐を編み上げます。金糸・銀糸や草木染めの正絹糸を用いた美しい仕上がりが特徴で、かつては武士の甲冑の緒や刀の下げ緒として使われてきました。現在の産地としての歩みは大正11年(1922年)、初代渡辺浅市が東京・錦糸町での組紐修業を終えて間々田に帰郷し店を開いたことに始まります。1954年には民藝運動の柳宗悦がこの技術を「間々田紐」と命名し、1964年に小山市無形文化財、1973年に栃木県無形文化財に指定されました。渡辺家が代々技術を継承し、現在は帯締めや羽織紐、ループタイなどの和装小物・雑貨として親しまれています。

結城紬
Yuki-tsumugi
結城紬は現在の茨城県結城市を中心に、鬼怒川を挟んだ栃木県小山市一帯にかけて織り継がれてきた絹織物である。原型は奈良時代に常陸国から朝廷へ献上された「絁(あしぎぬ)」とされ、鎌倉時代には見た目が質素で丈夫なことから関東の武士に好まれて結城地方が生産の中心となり、室町時代には「結城紬」の名で幕府へ献上される特産品として知られるようになった。慶長年間(1596〜1615年)には代官・伊奈忠次による改良振興を経て技法が確立し、1977年3月30日に経済産業大臣指定伝統的工芸品の指定を受け、2010年にはユネスコ無形文化遺産にも登録された。最大の特徴は、真綿を手でつむいだほぼ無撚りの糸を、経糸を織り手の腰に結わえて体全体で織る「地機(いざり機)」の技法にあり、生糸で織った反物より軽く、絣模様の細やかさとともに独特のやわらかな着心地を生み出している。
黒羽藍染
Kurobane Aizome
黒羽藍染は栃木県大田原市黒羽地区に伝わる藍染で、文化・文政年間(1804〜1829年頃)に初代・紺屋新兵衛が黒羽の地に藍甕を埋め込み紺染めを始めたのが起源と伝わる。徳島産のすくもにふすまや石灰、日本酒などを加えて藍甕の中でさらに発酵させた液で布を染める伝統的な技法を用い、松の根を燃やして作る松煙墨と大豆汁による下染め「紺染め」を組み合わせることで、色あせしにくい深く濃い藍色に染め上がるのが特徴である。約200年にわたり藍甕を守り続けてきた「黒羽藍染紺屋」が現在もこの技術を継承する唯一の店として知られ、栃木県指定伝統工芸品にも指定されている。黒羽は俳人・松尾芭蕉が「おくのほそ道」の旅で13泊14日間という最長の逗留をした地としても知られ、江戸時代から続く商家町の面影とともに藍染の文化が息づいている。
鹿沼組子
Kanuma Kumiko
鹿沼組子は、「木工のまち鹿沼」として知られる栃木県鹿沼市を代表する木工細工です。日光東照宮の造営に全国から集まった木工職人たちがこの地にとどまり、良質な日光杉などを用いて障子の格子を美しく飾ったことが起源とされ、約400年にわたって受け継がれてきました。木曽檜や秋田杉、日光杉といった木材を細かく加工し、釘や金具を一切使わずに職人の手作業だけで組み合わせることで、麻の葉・胡麻柄・亀甲といった幾何学文様を精緻に描き出します。伝統的には書院障子や欄間、仏壇などの建具に用いられてきましたが、近年ではコースターや花器、照明などのインテリア雑貨にも展開され、幅広い世代に親しまれています。栃木県の伝統工芸品に指定されているほか、鹿沼市独自の「かぬまブランド」にも認定されており、地域を代表する工芸品として発信が続けられています。
小砂焼
Kosunago-yaki
小砂焼は、栃木県那須郡那珂川町小砂で焼かれる陶器です。江戸時代末期、天保元年(1830年)頃に水戸藩主・徳川斉昭がこの地の良質な陶土を発見し、水戸藩営御用製陶所の原料として用いたのが興りと伝えられています。越中富山から来た陶工・初代半平(斎藤栄三郎)が、志鳥村(現・那須烏山市)から小砂村の庄屋藤田家に招かれて登り窯を築いたのが産地としての始まりです。金色を帯びた黄色に輝く「金結晶」釉と、ほんのりとした桃色を呈する「辰砂」釉が代表的な特徴で、カオリンを多く含む小砂の陶土から陶器と磁器両方の性質を併せ持つ独特の風合いが生まれます。現在も藤田製陶所や市川窯など地域の窯元が伝統を継承しており、小砂地区は2013年に「日本で最も美しい村」連合に栃木県内で初めて加盟しました。

天明鋳物
Temmyo Imono
天明鋳物は、栃木県佐野市に伝わる鋳物の伝統技術です。伝承によれば天慶年間(938〜947年)、河内国から移住した5人の鋳物師が藤原秀郷の命により兵器類を鋳造したのが始まりとされ、現存する鋳物産地としては国内最古級、千年以上の歴史を持つといわれています。鎌倉時代末期には雑炊釜や湯沸かしなど日用の鋳物釜の生産が盛んになり、茶の湯の流行とともに素朴で野趣に富んだ肌合いの茶釜が茶人に愛され、福岡の芦屋釜と並んで「西の芦屋、東の天明」と称されました。千利休や織田信長、豊臣秀吉も天明の茶釜を愛用したと伝えられます。現在も佐野市内の鋳物師が江戸時代さながらの砂型鋳造技法を守り、風鈴や茶釜、梵鐘などを一つひとつ手作業で仕上げています。2024年3月には「佐野の天明鋳物生産用具及び製品」が国の重要有形民俗文化財に指定され、その価値が改めて注目されています。

日光彫
Nikko-bori
日光彫は栃木県日光市に伝わる木彫刻の伝統工芸で、江戸幕府3代将軍・徳川家光による日光東照宮の造替(1634〜1636年)に際し、全国から集められた名工たちが仕事の合間に手がけた余技が起源とされる。最大の特徴は「ひっかき」または「日光三角刀」と呼ばれる独特の彫刻刀にあり、これはもともと東照宮の修復時に漆を掻き落とすために使われていた道具に由来する。刃先を折り曲げ手前に引いて彫ることで生まれる流れるような曲線が日光彫特有の表情を生み、牡丹・菊・梅・桜といった植物文様を中心に、東照宮彫刻の影響を色濃く受けた意匠が多く見られる。彫り上げた木地には漆を塗り重ねて仕上げられ、盆や茶托、小引き出しなど暮らしの道具として親しまれてきた。現在も日光市内の工房や体験施設では、観光客が実際にひっかき刀を使って手鏡や菓子器を彫る体験ができる。
栃木の郷土料理

しもつかれ
Shimotsukare
しもつかれは、正月の残り物である塩引き鮭の頭と節分の残り福豆(大豆)、大根・にんじんのおろし、酒粕などを一緒に煮込んだ、栃木県を中心とする北関東の郷土料理です。旧暦2月最初の午の日「初午」に、赤飯とともにお稲荷さんに供える行事食として、江戸時代以前から各家庭で作られてきたと伝わります。鎌倉時代の説話集にも類する料理の記述があるとされるほど歴史が古く、7軒分のしもつかれを食べると無病息災になるという言い伝えも残っています。独特の見た目と発酵由来の酸味のある味わいから好みが分かれる料理としても知られますが、節分や正月の残り物を無駄なく使い切る先人の知恵が詰まった料理として、2023年には文化庁の「100年フード」伝統部門に認定されました。現在も家庭や直売所で受け継がれ、栃木県の食文化を象徴する存在です。
ちたけそば
Chitake Soba
ちたけそばは、チチタケ(乳茸)というきのこを使った出汁で食べる栃木県平野部の郷土料理です。チチタケは裂くと白い乳のような液が出るのが特徴の食用きのこで、秋のきのこに先駆けて盆の頃、8月上旬から出回ります。ナスと一緒に炒めてから水を加えて煮出すと、松茸に劣らぬ濃厚なコクと香りの出汁ができあがり、これに冷たい蕎麦をつけて食べるのが定番の食べ方です。そば処として知られる鹿沼市を中心に、江戸時代にはすでに親しまれていたと伝わり、地元では夏の風物詩として今も専門店や家庭の食卓に並びます。近年は里山環境の変化によりチチタケそのものの収穫量・流通量が減っており、旬の時期にしか味わえない希少な味として一層大切にされています。
とちぎ和牛
Tochigi Wagyu
とちぎ和牛は、栃木県内の指定生産者が丹精込めて育てた黒毛和種のうち、枝肉格付でA・Bの4等級以上という厳しい基準をクリアした牛肉だけに与えられるブランド名です。昭和63年(1988年)、県産和牛のブランド化に取り組む中で命名されました。約200名の指定生産者が、血統の優れた子牛を約30ヶ月という長い期間かけて肥育し、肥育後期には栃木県産米を飼料に添加するなど、肉質と風味の向上に力を注いでいます。県内で飼養される和牛は年間約1万頭にのぼりますが、とちぎ和牛として認定されるのはそのうち年間約3千5百頭ほどにとどまり、きめ細やかな霜降りと柔らかな肉質が特長です。全国肉用牛枝肉共励会など全国規模の品評会でも高い評価を受けており、県内外のすき焼き店・焼肉店で味わうことができます。

宇都宮餃子
Utsunomiya Gyoza
宇都宮餃子は、栃木県宇都宮市を中心に食べられているご当地餃子で、日本有数の「餃子の街」として全国に知られています。第二次世界大戦中、宇都宮に駐屯していた陸軍第14師団の将兵が満州(現・中国東北部)などへ派遣され、現地で本場の餃子文化に触れたことがきっかけとされ、終戦後の復員に際して製法を持ち帰り、市内に広まったといわれています。1991年には業者団体「宇都宮餃子会」が発足し、餃子像の設置や餃子マップの作成、毎年秋開催の「宇都宮餃子祭り」などの活動を通じて、家計調査の餃子購入額日本一を追い風に町おこしを展開してきました。キャベツやニラ、ねぎなどの野菜をたっぷり使い、にんにくを控えめにした甘みのある餡が特徴で、市内には200店以上の餃子店がひしめき、焼き・水・揚げとさまざまな食べ方で楽しまれています。

佐野ラーメン
Sano Ramen
佐野ラーメンは、栃木県佐野市で親しまれているご当地ラーメンで、竹の棒に体重をかけて生地を延ばす「青竹打ち」製法による平打ちの縮れ麺が最大の特徴です。大正時代、市内の食堂で働いていた中国人コックが青竹打ちの技法を地元の料理人に伝授したのが始まりとされ、伝授を受けた人物が独立開業したことで市内に技法が広まっていきました。鶏ガラと豚骨を主にとった透明感のある醤油スープは、コシがありながらも不揃いなちぢれ麺とよく絡み、あっさりとした味わいで飽きが来ません。現在も市内には200軒を超えるラーメン店がひしめき、そのうち多くの店が今も青竹打ちの伝統技法を継承しています。佐野市は「ラーメンのまち」として町おこしにも力を入れており、食べ歩きを楽しむ観光客も多く訪れます。

耳うどん
Mimi Udon
耳うどんは、栃木県佐野市葛生地区や宇都宮市城山地区に伝わる、練った小麦粉を耳の形に成形して茹で上げる郷土料理です。江戸時代末期に生まれ、大正時代には魔除けの意味を持つ料理として地域に広まったとされます。鬼の耳に見立てた形をしていることから、「鬼の耳を食べてしまうことで悪いことが寄り付かなくなる」「いやなうわさを聞かずに済む」といった無病息災や近所付き合い円満を願う縁起料理として、正月に食べる風習が根付いています。佐野市葛生地区では、年の暮れに耳うどんを作って冷水に浸して保存し、正月に訪れる来客にふるまう慣わしが今も伝わっています。小麦粉をぬるま湯と塩でこね、平たく延ばしてマッチ箱大の長方形に切り、二つ折りにして両端を閉じる独特の成形が特徴で、醤油ベースの汁でいただくのが一般的です。
小麦まんじゅう
Komugi Manju
小麦まんじゅうは、小麦粉の皮で小豆あんを包んで蒸しあげた栃木県の郷土菓子です。生地に重曹(炭酸)を加えてふっくらと膨らませることから「炭酸まんじゅう」とも呼ばれ、素朴で優しい甘さが特徴です。栃木県は米に加えて麦の二毛作が盛んな土地柄で、古くからうどんやまんじゅうなど小麦を使った料理が暮らしに根づいてきました。小麦の収穫を終え、新しい小麦粉が出回るお盆の時期には特に欠かせない一品とされ、仏壇へのお供えや、親戚・近所への振る舞いに用いられてきました。栃木県北部の那須地方では、8月1日の「釜蓋(かまのふた)朔日」にこのまんじゅうを供える風習も伝わっており、地域の年中行事と深く結びついた家庭の味として今も受け継がれています。

那珂川の鮎料理
Nakagawa River Ayu Cuisine
那須高原を水源に栃木県東部を流れる一級河川・那珂川は、鮎の漁獲量が日本有数とされる清流です。この那珂川流域では、川の流れをV字状にせき止めて竹すのこの上に鮎を跳ね上げる伝統漁法「やな」が古くから行われてきました。毎年7月中旬から10月末頃までの期間限定で川沿いに観光やなが設けられ、勢いよく流れ落ちる鮎をつかみ取りする体験ができるほか、炭火でじっくり焼き上げる塩焼きや、釜めし、刺身など多彩な鮎料理を味わえます。大田原市の黒羽観光やなや茂木町の大瀬観光やなをはじめとする施設が那珂川沿いに点在し、夏から秋にかけて家族連れや観光客で賑わう、栃木の清流の恵みを実感できる季節の名物となっています。

日光湯波
Nikko Yuba
日光湯波は、栃木県日光市で古くから作られてきた豆乳の加工食品で、豆乳を煮た際にできる膜を幾重にも重ねて仕上げる、厚みとボリュームのある食感が特徴です。唐に渡った僧が持ち帰ったとされる湯葉が、766年に勝道上人が開山した日光山輪王寺に精進料理として伝わったのが始まりとされます。江戸時代初期に徳川家康公が日光東照宮に祀られると、参拝者向けの宿や精進料亭で独自に工夫が重ねられ、「日光湯波」として評判を得るようになりました。京都の「湯葉」は膜の端から串を入れて引き上げるため平たく仕上がるのに対し、日光の「湯波」は中央に串を入れて二つ折りにしながら巻き上げるため、幾重にも層が重なった丸みのあるシルエットになる点が最大の違いです。刺身のように生で味わうほか、揚げ物や煮物に調理して食べる文化が古くから根付いています。
モデルコース
益子焼と小砂焼、二つの陶器の里を巡るコース
民藝運動の拠点として知られる益子町で益子焼の窯元めぐりや陶芸体験を楽しんだのち、那珂川町小砂へ足を延ばし、金結晶・辰砂釉が特徴の小砂焼の窯元を訪ねる、栃木県内二つの陶器産地を巡るコース。
日光の社寺と精進料理を訪ねるコース
世界遺産・日光の社寺を参拝したのち、東照宮の彫刻師の技を起源とする日光彫の工房を訪ね、輪王寺の精進料理に由来する日光湯波でしめくくる、日光ならではの匠と味覚を一日で楽しめるコース。
鹿沼で組子細工とちたけそばを味わうコース
「木工のまち鹿沼」で釘を使わず木片を組み上げる鹿沼組子の工房を見学したのち、チチタケとナスの出汁が香るちたけそばで、鹿沼ならではの匠の技と山里の味覚を味わうコース。
佐野で鋳物の歴史と佐野ラーメン・耳うどんを味わうコース
千年以上の歴史を持つ天明鋳物の資料や工房を訪ねたのち、青竹打ち麺で知られる佐野ラーメンで昼食をとり、正月に鬼の耳の形を食べて厄除けを願う耳うどんで締めくくる、佐野の匠と麺食文化を巡るコース。
小山で織物と組紐、麦の郷土菓子をめぐるコース
ユネスコ無形文化遺産の結城紬の機織りを見学し、鎌倉時代から伝わる間々田ひもの組紐体験を楽しんだのち、麦作の盛んな県南地域ならではの小麦まんじゅうで一息つく、小山市の手仕事めぐりコース。
那須・那珂川流域で藍染と和紙、鮎料理を楽しむコース
大田原市黒羽で1804年創業の紺屋が伝える黒羽藍染の工房を訪ね、那須烏山市の手すき和紙・烏山和紙の里を見学したのち、那珂川の伝統漁法「やな」で獲れた鮎の塩焼きを味わう、清流の恵みをたどるコース。