画像: Wikimedia Commons滋賀県
日本最大の湖・琵琶湖を中心に据える滋賀県は、日本六古窯の一つ信楽焼をはじめ、彦根仏壇・長浜仏壇という二大仏壇産地、近江商人が全国に流通させた麻織物・近江上布など、多彩な伝統工芸が息づく地域です。大津の三井寺参道では江戸期から続く大津絵や組紐づくりが今も受け継がれ、高島市安曇川町は全国の扇子骨の9割を生産する扇骨の里として知られます。食文化では、江戸時代から続く日本三大和牛の一つ近江牛や、日本最古の寿司の形とされる鮒寿司、琵琶湖固有種ビワマス・セタシジミを使った湖魚料理など、湖国ならではの恵みが今も食卓を彩ります。大津・彦根・長浜・信楽・高島・近江八幡と、湖の四方に個性豊かな産地が点在するのが滋賀県の魅力です。
滋賀の伝統工芸

信楽焼
Shigaraki-yaki
信楽焼は滋賀県甲賀市信楽町を中心に焼かれる陶器で、瀬戸・常滑・丹波・越前・備前と並び日本六古窯の一つに数えられます。鎌倉時代に隣接する常滑の技術を受けて開窯したとされ、桃山時代には茶の湯の道具として珍重されました。一般には愛嬌のある狸の置物で広く知られていますが、本来は壺や甕から茶陶、タイル、植木鉢、現代アートまで幅広い製品を手がける産地です。狸の置物が全国的に有名になったのは昭和26年(1951年)、昭和天皇の信楽行幸の際、日の丸を持たせた狸を並べて奉迎したことが新聞で報じられ話題を呼んだことがきっかけとされます。土に含まれる鉄分がもたらす温かみのある緋色や、薪の灰が溶けて生まれるビードロ釉など、土と炎が織りなす素朴な景色が信楽焼最大の魅力です。
近江上布
Omi-jofu
近江上布は琵琶湖東岸の湖東地域、現在の愛荘町・東近江市を中心に織られてきた麻織物で、昭和52年(1977年)に経済産業大臣指定伝統的工芸品に指定されました。室町時代から続くとされる麻織物の産地で、江戸時代には奈良晒・越後縮と並び称される高級麻織物「高宮布」として、近江商人の手により全国へと流通しました。緯糸に大麻や苧麻の手績み糸を用いる「生平」と、絣模様を織り出す「絣」の二系統があり、盛夏用の高級着尺地として珍重されてきました。麻特有のさらりとした肌触りと通気性の良さから、近代には夏用の蚊帳地としても広く用いられ、近江の暮らしを支えてきました。現在は愛荘町の近江上布伝統産業会館を拠点に、数少ない伝統工芸士によって技術が受け継がれています。
彦根仏壇
Hikone Butsudan
彦根仏壇は滋賀県彦根市を中心に製造される金仏壇で、昭和50年(1975年)に仏壇・仏具業界として初めて経済産業大臣指定伝統的工芸品に指定されました。起源は江戸時代中期、彦根藩の城下町で武具や甲冑を手がけていた職人たちが、太平の世を迎えて仏壇づくりに転じたことにあると伝えられます。彦根藩の庇護のもと、木地・宮殿・彫刻・漆塗・蒔絵・金具・箔押という七職と呼ばれる専門の職人が分業で仕上げる体制が江戸後期には確立し、彦根城下と中山道を結ぶ「七曲がり」と呼ばれる通りには今も仏壇店や工房が軒を連ねています。総金箔・総漆塗りによる重厚で華やかな仕上がりが特徴で、木地から仕立てまで一貫して手作業で仕上げられる点も高く評価されています。
高島扇骨
Takashima Senkotsu
高島扇骨は滋賀県高島市、特に安曇川流域で作られる扇子の骨(扇骨)で、国内で流通する扇骨のおよそ9割を生産する一大産地です。江戸時代、安曇川沿いに植えられた真竹を利用し、冬場の農閑期の副業として始まったと伝えられています。扇の両端を支える「親骨」と、要から広がる「仲骨」を作り分け、竹を割る・削る・磨くといった工程は親骨で約18、仲骨で約16にも及び、それぞれ専門の職人から職人へ受け渡す分業体制で仕上げていきます。完成した扇骨の多くは京都の扇子問屋へ納められ、紙貼りや絵付けを経て「京扇子」として仕上げられており、華やかな京扇子の産地を陰で支える縁の下の力持ちとして知られています。近年は高島扇骨を使った布扇子など、地元発の製品づくりにも取り組みが広がっています。

膳所焼
Zeze-yaki
膳所焼は滋賀県大津市の膳所地区で焼かれてきた陶器で、江戸時代前期に膳所藩の御用窯として、茶人としても名高い小堀遠州の指導のもとに始まったと伝えられます。遠州の好みを反映した端正な意匠から、遠州が選んだとされる代表的な七つの窯「遠州七窯」の一つに数えられ、黒みを帯びた釉薬に白土を掛けまわした茶入や水指などの茶陶で知られました。藩主の国替えにともない藩窯としての歴史は比較的短命に終わりましたが、大正8年(1919年)に地元の実業家・岩崎健三が画家・山元春挙と協力して窯を再興し、「新生膳所焼」として今日まで技術が受け継がれています。現在は大津市の膳所焼美術館などでその作品や歴史に触れることができます。
小幡人形
Obata Ningyo
小幡人形は滋賀県東近江市五個荘小幡町に伝わる伝統的な土人形で、1994年に滋賀県伝統的工芸品に指定されました。享保年間(1716~1736年)、京都との飛脚業を営んでいた安兵衛が、当時人気を集めていた京都・伏見人形の製法を学び持ち帰ったことが始まりと伝えられています。旧中山道沿いの工房では、今も木型・土型を用いた昔ながらの製法が受け継がれ、素朴な土の風合いに桃色や群青色を中心とした鮮やかな彩色を施すのが特徴です。長年にわたり数百種ともいわれる型が蓄積され、節句人形や干支にちなんだ土鈴など、季節や縁起にまつわる多彩な品が作られてきました。近江商人ゆかりの町並みに溶け込む郷土玩具として親しまれる一方、後継者は初代安兵衛から数えて九代目にあたる細居源悟氏ただ一人となっており、地域では保存継承に向けた取り組みも続けられています。

雲平筆
Umpei-fude
雲平筆は、和紙を軸に巻き込んで穂を仕立てる「巻筆」の技法を今に伝える書道用の毛筆です。祖は元和年間(1615年頃)に京都で創業したと伝わる筆司・藤野雲平で、宮中の御用を務め、書道の家として知られる有栖川宮家とも縁が深かったとされます。正徳年間には五代目雲平が時の関白・近衛家熙から「攀桂堂」の号を賜り、以後この名で代々の筆司が技術を受け継いできました。現在は滋賀県高島市安曇川町に工房を構え、十五代目藤野雲平とその子が、和紙で穂首を巻き固める巻筆づくりを手がける日本で唯一の作り手として知られています。狸や羊、鼬など複数の獣毛を用いて仕立てられる穂は墨含みがよく、力強い線を生み出すとされ、書家をはじめ多くの愛好者に親しまれてきました。1966年には十四代目が滋賀県指定無形文化財の保持者に認定され、雲平筆自体も滋賀県知事指定の伝統的工芸品となっています。

大津絵
Otsu-e
大津絵は、江戸時代初期に東海道の大津宿(追分・大谷周辺)で旅人向けの土産物として売られた民画です。寛永年間(1624~1644年)頃、仏教的な題材を描いた仏画として始まったとされ、松尾芭蕉が「大津絵の筆のはじめは何仏」と詠んだことでも知られています。やがて世俗的な画題へと広がり、文化・文政期(1804~1829年)には「鬼の念仏」「藤娘」など代表的な十種の画題「大津絵十種」が定まりました。それぞれの絵には道歌や護符としての意味が込められ、鬼の念仏は子どもの夜泣き封じ、藤娘は良縁祈願の縁起物として親しまれています。現在も大津市三井寺周辺で、明治初年創業の「大津絵の店」を営む高橋松山家が伝統の技法を受け継ぎ、大津市指定無形文化財として大津絵を描き続けています。
大津くみひも
Otsu Kumihimo
大津くみひもは、大津市逢坂を中心に伝わる組紐(くみひも)の伝統的工芸品です。組紐は仏教伝来とともに日本に伝わり、当初は経巻や袈裟の紐、公家・武家の装束の紐として用いられてきました。大津では江戸時代、東海道を通って京都へ入る武士や町人の刀の下げ緒や印籠の紐を修理したことが始まりと伝えられています。丸台・角台・綾竹台・内記台など複数の組台を使い分けながら、糸を編み組んで一本の紐に仕立てる手仕事で、高級品には草木染めを施した糸が用いられます。現在も逢坂で慶応3年(1867年)創業の藤三郎紐が唯一の組紐屋として技術を受け継ぎ、帯締めや羽織紐、ストラップなどの小物まで、幅広い製品を手がけています。

長浜仏壇
Nagahama Butsudan
長浜仏壇は滋賀県長浜市を中心に作られる金仏壇で、彦根仏壇とは別系統の産地として知られています。室町時代、京都の仏師が集まる「八仏所」から移り住んだ職人によって各地で仏壇づくりが広まったとされ、長浜では浄土真宗信仰の篤い土地柄を背景に藤岡和泉が産地の礎を築いたと伝えられています。現存最古の作例は延宝8年(1680年)の年紀を持ち、17世紀半ばには早くも産地として成立していました。木地・宮殿・彫刻・錺金具・塗り・蒔絵・箔押しの7工程からなる分業制で作られ、木地師・錺師・塗師・蒔絵師など複数の職人が手を掛ける総合芸術です。接着剤や釘を使わずに組み上げる「構架式」の技法により、完成後も解体・修理が可能で、長年にわたり使い続けられる点も特徴です。長浜曳山祭の曳山づくりで培われた木工・彫刻・金工の技術が、仏壇産業を支えてきました。
滋賀の郷土料理

鮒寿司
Funazushi
鮒寿司は、琵琶湖の固有種であるニゴロブナを塩漬けにしたのち、飯(いい)と一緒に漬け込んで乳酸発酵させる、滋賀県を代表する熟れ鮓(なれずし)です。現在のにぎり寿司のように酢で酸味をつけるのではなく、米と魚を長期間発酵させることで自然に酸味が生まれるのが特徴で、寿司の原型を今に伝える食べ物ともいわれています。奈良時代の木簡や平安時代の『延喜式』にも近江国から「鮨鮒」が貢納された記録が残るほど古い歴史を持ちます。強い酸味と、チーズにも例えられる独特の発酵香が特徴で、好みが分かれる一方、上質なものは生臭さがなく芳醇な旨みを持つとされます。輪切りにしてそのまま食べるほか、お茶漬けや酒の肴としても親しまれ、正月や来客時などハレの日に供される滋賀を代表する伝統食です。

近江牛
Omi-gyu
近江牛は、滋賀県内で肥育されたブランド和牛で、松阪牛・神戸牛とともに「日本三大和牛」の一つに数えられます。その歴史は江戸時代前期にまでさかのぼり、記録に残るブランド和牛としては日本最古とも言われます。江戸時代は仏教の影響で表向き肉食が禁じられていましたが、彦根藩では牛肉を味噌漬けにした「反本丸(へんぽんがん)」を養生薬と称して将軍家や御三家へ献上しており、これが近江牛の名を全国に広める端緒となりました。きめ細やかな霜降りと、赤身の旨みと脂の上品な甘さのバランスに定評があり、すき焼き・しゃぶしゃぶ・ステーキなど幅広い料理で親しまれています。現在も滋賀県内で一貫した肥育管理のもと生産され、県を代表する食のブランドとして国内外に知られています。

じゅんじゅん
Junjun
じゅんじゅんは、琵琶湖沿岸から湖北地方にかけて伝わる、醤油・砂糖・みりんで甘辛く味付けするすき焼き風の鍋料理です。全国的なすき焼きが牛肉を主役とするのに対し、じゅんじゅんはウナギ・イサザ・コイ・ホンモロコ・ナマズなどの湖魚や、鶏肉、近江牛を使うなど地域や家庭によって具材が異なるのが特徴です。名前の由来は、鍋の中で具材を煮るときに立てる「じゅんじゅん」という音からきているとされます。かつては琵琶湖周辺の漁村を中心に伝わる限定的な家庭料理でしたが、近年は滋賀県全域で名前が知られるようになり、郷土料理として観光客にも紹介される機会が増えています。正月やお盆など来客をもてなすハレの日に、奮発した食材を使って作られてきた、湖国の暮らしを映す鍋料理です。
丁稚羊羹
Decchi Yokan
丁稚羊羹は、こしあんに小麦粉などを混ぜて練り、竹の皮に包んで蒸し上げた素朴な羊羹で、滋賀県近江八幡市発祥の郷土菓子です。一般的な練り羊羹に比べて甘さが控えめで、竹の皮のほのかな香りが移った、もちりとした食感が特徴です。名前の由来には、大坂や関東の商家へ奉公に出ていた丁稚(見習い小僧)が薮入りで里帰りする際、少ない給金でも買える手頃な値段だったためという説や、「こね合わせる」を意味する方言「でっちる」からきたという説があります。文久3年(1863年)創業の老舗「和た与」が発祥の店として知られ、竹の産地であった近江八幡ならではの工夫から生まれた菓子として、今も地元の土産物として親しまれています。近江八幡だけでなく、近江商人の交流を通じて三重県伊賀市など他地域にも同様の菓子が伝わりました。

日野菜漬け
Hinona-zuke
日野菜漬けは、滋賀県蒲生郡日野町原産の伝統野菜「日野菜」を漬物にしたもので、根が白から紫にグラデーションする細長いカブの一種を用います。独特の辛みとほのかな苦みが持ち味で、葉を刻んで根と合わせ酢に漬け込む「桜漬け」、甘酢で仕上げる「えび漬け」、ぬか漬けの「ひね漬け」など複数の漬け方があります。約500年前、日野の領主であった蒲生氏が観音堂参詣の折に発見したと伝えられ、その後、蒲生氏の転封や近江商人の全国的な商いのネットワークを通じて、伊勢・会津をはじめ各地に日野菜の栽培と漬物文化が伝わりました。平成10年(1998年)には滋賀県選択無形民俗文化財「滋賀の食文化財」にも選ばれた、湖国を代表する漬物です。

しじみ汁
Shijimi-jiru
しじみ汁は、琵琶湖にのみ生息する固有種セタシジミを使った味噌汁で、滋賀県内で広く親しまれてきた郷土料理です。セタシジミはヤマトシジミなどに比べて殻がふっくらと大きく肉厚で、身にコクがあるのが特徴です。昭和40年代ごろまでは県内のどの家庭でも味噌汁やしぐれ煮、しじみ飯として日常的に食べられており、琵琶湖の恵みを象徴する食材でした。近年は湖岸の砂地の減少など環境の変化により漁獲量が大きく減少し、資源保護の取り組みが進められています。旬は12月から4月ごろで、身が締まって美味しくなることから「寒シジミ」とも呼ばれ、この時期には県内のスーパーや小売店にも並びます。

鯖そうめん
Saba-somen
鯖そうめんは、甘辛く炊いた焼き鯖と素麺を炊き合わせた滋賀県湖北地方(長浜市周辺)の郷土料理で、「焼鯖そうめん」とも呼ばれます。内陸に位置する湖北地方ですが、鯖の産地である若狭湾に比較的近く、若狭から運ばれる焼き鯖やなれずしなどが古くから身近な食材でした。農繁期の5月に、農家へ嫁いだ娘を気遣う実家が焼き鯖を届けた「五月見舞い」という習わしに由来するといわれ、忙しい時期にも手早く作れる料理として親しまれてきました。また、長浜八幡宮の祭礼「長浜曳山まつり」など冠婚葬祭やハレの日のご馳走としても振る舞われ、湖北地方を代表するソウルフードとして今も愛されています。

ビワマス料理
Biwamasu Ryori
ビワマスは琵琶湖にのみ生息するサケ科の固有種で、海に降りることなく一生を淡水で過ごす珍しい魚です。刺身や塩焼き、南蛮漬け、酢の物など様々な調理法で楽しまれ、「琵琶湖の宝石」とも称される良質な脂の乗りが持ち味です。旬は6月から9月上旬ごろで、産卵期を控えた初夏から夏にかけて脂が最ものり、地元では刺身で食べられることが多い魚です。産卵期にあたる10月から11月は資源保護のため禁漁期間とされており、限られた時期にしか味わえない希少な湖魚として県内外から高い人気を集めています。旧びわ町南浜地区に伝わる「こけらずし」や、炊き込みご飯の「アメノイオご飯」など、地域独自の食べ方も受け継がれています。

えび豆
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えび豆は、琵琶湖でとれる小エビ「スジエビ」と大豆を甘辛く炊き合わせた滋賀県の郷土料理です。近江八幡や彦根をはじめ県内各地の家庭で作られ、カルシウムとたんぱく質を手軽に摂れる惣菜として親しまれてきました。滋賀県では田の畦などで大豆や小豆が古くから栽培されており、祝儀や法事、祭りといった集まりの席で大豆を使った料理がよく供されてきた背景があります。「エビのように腰が曲がるまでまめに暮らせますように」という長寿への願いが込められ、正月などのハレの日にも欠かせない一品です。現在も家庭料理として親しまれるほか、学校給食に登場することもあり、親から子へと味が受け継がれています。

赤こんにゃく
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赤こんにゃくは、滋賀県近江八幡市の特産品として知られる、鮮やかな赤色に着色されたこんにゃくです。食品添加物として認められている三二酸化鉄という鉄分で染められており、煮ても色落ちしにくく、シコシコとした独特の食感が特徴です。誕生の由来には諸説あり、派手好きだったとされる織田信長がこんにゃくまで赤く染めさせた、あるいは信長の赤い陣羽織にあやかったなど複数の言い伝えが残りますが、確実な出典は定かではありません。1940年発行の『滋賀県八幡町史』には、古老の話としてトウキビの皮を煎じて着色したとの記述があり、明治以降は食紅が使われ、1971年に三二酸化鉄の使用が認められて以降、現在の製法が定着しました。煮物や田楽、刺身など幅広い料理に使われ、近江八幡を訪れた際の定番土産としても親しまれています。
モデルコース
信楽焼の窯元めぐりと近江牛を味わうコース
甲賀市信楽町で日本六古窯の一つ信楽焼の窯元や陶芸体験を巡ったのち、日本三大和牛の一つ近江牛のすき焼きやステーキを堪能する、滋賀の焼き物と美食を一日で楽しむコース。
彦根・長浜で仏壇の技と鮒寿司・鯖そうめんを巡る歴史コース
彦根城下町「七曲がり」で彦根仏壇の工房を見学したのち、長浜へ移動して長浜仏壇の老舗を訪ね、長浜名物の鯖そうめんや滋賀を代表する熟れ鮓・鮒寿司を味わう、湖北の匠と食の歴史をたどるコース。
大津・三井寺で大津絵と組紐、しじみ料理を楽しむ半日コース
大津市三井寺参道で江戸期から続く大津絵の店を訪ね、逢坂の老舗・藤三郎紐で組紐づくりの技に触れたのち、石山寺門前でセタシジミを使ったしじみ汁を味わう、大津の手仕事と湖魚料理をめぐる半日コース。
近江八幡・愛荘町で近江上布と丁稚羊羹、赤こんにゃくを巡るコース
愛荘町の近江上布伝統産業会館で麻織物の手仕事を体験したのち、近江八幡へ移動して丁稚羊羹の老舗や名物の赤こんにゃくを味わう、近江商人ゆかりの町並みと郷土の味を楽しむコース。
高島・安曇川で扇骨と書道筆の技に触れるコース
高島市安曇川町で全国の扇子骨の9割を生産する高島扇骨の工房を見学し、日本で唯一の巻筆づくりを続ける雲平筆の工房を訪ねたのち、旬の時期には「琵琶湖の宝石」と称されるビワマス料理を味わうコース。