画像: Wikimedia Commons大阪府
大阪府は、江戸時代に「天下の台所」と呼ばれ、全国の物産と人が集まる商都として栄えてきました。その流れの中で、手仕事と食の文化が育まれています。経済産業大臣指定の伝統的工芸品は、堺打刃物、大阪浪華錫器、大阪欄間、大阪唐木指物、大阪泉州桐箪笥、大阪金剛簾、大阪仏壇、浪華本染めの8品目です。堺の包丁はプロの料理人に広く使われ、注染の手拭いや手織りの緞通も堺で受け継がれています。和泉市の蜻蛉玉、泉州の桐箪笥、富田林や河内長野の簾など、府内の各地にも産地があります。食では、たこ焼きやお好み焼きといった「粉もの」、新世界の串カツ、船場生まれとされるきつねうどんがよく知られます。箱寿司やバッテラなどの大阪寿司、ふぐのてっちり、鯨と水菜のハリハリ鍋も大阪ならではの味です。泉州の水なす漬、粟おこし・岩おこし、堺のくるみ餅など、土地に根ざした名物も味わえます。
大阪の伝統工芸

堺打刃物
Sakai Uchihamono (Sakai Forged Knives)
堺打刃物(さかいうちはもの)は、大阪府堺市を中心に作られている包丁や鋏などの刃物です。16世紀にポルトガルから鉄砲とたばこが伝わると、堺ではたばこの葉を刻む「たばこ包丁」が作られるようになりました。江戸幕府はその品質を認め、「堺極(さかいきわめ)」の極印を打って売ることを許したとされます。これが全国に名を広め、やがて出刃包丁などの料理包丁へと発展しました。製作は、刃の形を打ち出す「鍛造」、刃を研ぎ上げる「刃付け(研ぎ)」、柄をすげる「柄付け」の分業で行われます。軟らかい地金に硬い刃金を鍛接した包丁は、折れず曲がらずよく切れるといわれます。プロの料理人が使う和包丁では、国内シェアの約9割を占めるともいわれます。1982年(昭和57年)に国の伝統的工芸品に指定されました。
大阪浪華錫器
Osaka Naniwa Suzuki (Osaka Naniwa Pewterware)
大阪浪華錫器(おおさかなにわすずき)は、大阪市などで作られている錫(すず)の器です。錫は金や銀に次ぐ貴重な金属で、古くは宮中の食器や神社仏閣の神仏具に使われてきました。錫器づくりは京都で起こったとされ、江戸時代中期には大坂が一大産地となります。心斎橋や天神橋、天王寺に錫屋が集まり、酒器や茶器が作られました。溶かした錫を型に流し込む「鋳込み」と、ろくろで削って形を整える「ろくろ挽き」が中心の技法です。錫は酸化しにくく、酒の口当たりをまろやかにするといわれ、気密性が高いため茶筒にも向きます。1983年(昭和58年)に国の伝統的工芸品に指定されました。現在は大阪錫器株式会社が技術を受け継ぎ、伝統的な技法による国内の錫器生産の約7割を担っています。
大阪欄間
Osaka Ranma (Osaka Transom Panels)
大阪欄間(おおさからんま)は、大阪府内で作られている欄間です。欄間とは、和室の鴨居(かもい)の上に取り付け、光と風を通しながら部屋を飾る建具をいいます。始まりは17世紀初期とされ、和泉市の聖神社(ひじりじんじゃ)や大阪市の四天王寺に、その技法のもととなる技術が見られます。江戸時代中期には、商家を中心とした一般の住宅にも取り入れられました。屋久杉の木目を生かした絵画のような「彫刻欄間」、桐の板に模様をくり抜く「透彫(すかしぼり)欄間」など、種類の多さが特徴です。ほかに、細い桟を並べる「筬(おさ)欄間」や、幾何学模様の「組子欄間」も作られています。二間続きの和室を仕切るため、表と裏の両面を見せる作りになっています。1975年(昭和50年)に国の伝統的工芸品に指定されました。
大阪唐木指物
Osaka Karaki Sashimono (Osaka Exotic Hardwood Cabinetry)
大阪唐木指物(おおさかからきさしもの)は、紫檀(したん)や黒檀(こくたん)などの輸入材で作る家具や調度品です。こうした木材は、唐の国から渡ってきた珍しい木という意味で「唐木(からき)」と呼ばれてきました。指物とは、板と板を組み合わせて家具や箱を作る技法をいいます。江戸時代、唐木は長崎に運び込まれ、大阪の薬種問屋がこれを一手に引き受けていたとされます。こうして大阪は唐木の集まる地となり、江戸時代中期には唐木指物の産地が形成されました。主な製品は飾り棚や茶棚、座敷机、花台などです。釘やねじを使わず、組手(くみて)と呼ばれる継ぎ手で組み立てます。生漆を何度もすり込む仕上げにより、深みのある色と落ち着いた艶が生まれます。1977年(昭和52年)に国の伝統的工芸品に指定されました。
大阪泉州桐箪笥
Osaka Senshu Kiri Tansu (Osaka Senshu Paulownia Chests)
大阪泉州桐箪笥(おおさかせんしゅうきりたんす)は、大阪府南部の泉州地域を中心に作られている桐の箪笥です。主な産地は岸和田市、堺市、和泉市、忠岡町などです。箪笥は大阪で最初に生まれたともいわれ、江戸時代中期には大阪で製造技術が確立していました。その技術が大阪市内から堺を経て和泉へ広がり、泉州に産地が形成されたとされます。厚い桐材を使い、組手(板同士を組み合わせる継ぎ手)が多く、作りと仕上げが丁寧なことから「桐箪笥の最高峰」とも称されます。角を丸く削った「胴丸型」が多く、蒔絵や漆塗りを施した特注品の需要が多いのも特徴です。桐は湿気を防ぎ、熱を通しにくいため、着物などの大切な衣類をしまう家具として重宝されてきました。1989年(平成元年)に国の伝統的工芸品に指定されています。
大阪金剛簾
Osaka Kongo Sudare (Bamboo Blinds)
大阪金剛簾(おおさかこんごうすだれ)は、富田林市・河内長野市・大阪市でつくられる真竹の簾です。かつては金剛山や葛城山のふもとに育つ良質な竹に恵まれ、竹籠づくりのかたわら簾が編まれるようになりました。平安時代の宮中で間仕切りや飾りに使われた御簾(みす)が、現在の座敷簾の原型といわれます。主な製品は、神社仏閣で使われる御簾と、住まいの間仕切りや日よけに用いる座敷簾です。竹ヒゴの自然な節で「くの字」形の模様を描く編み方や、西陣緞子(どんす:光沢のある絹の紋織物)の縁が見どころです。1985年(昭和60年)に「金剛簾」として大阪府の伝統工芸品に指定されました。1996年(平成8年)には「大阪金剛簾」の名で国の伝統的工芸品となっています。大阪府の調査報告によれば、NHK大河ドラマ「篤姫」「江」の撮影で使われた御簾はすべて大阪金剛簾でした。
大阪仏壇
Osaka Butsudan (Buddhist Altars)
大阪仏壇は、大阪市や堺市、八尾市をはじめ府内各地でつくられてきた仏壇です。起こりは飛鳥時代にさかのぼり、聖徳太子が四天王寺を建立した際に百済から招いた技術者に始まるといわれます。本格的な産地の形成は、江戸時代に北御堂・南御堂が建立されて以降とされます。国の伝統的工芸品「大阪仏壇」は、木地に天然漆を塗り、金箔や彩色、錺(かざり)金具で飾る塗仏壇(金仏壇)です。最大の特徴は、漆を盛り上げて描く「高蒔絵(たかまきえ)」で、金具を打ち付けたように見せる技法です。金具を使わないため、錆による木地の傷みを防げるとされます。木地・彫刻・漆塗り・蒔絵・金箔押しなどの工程は、それぞれ専門の職人が分業で担います。1982年(昭和57年)に国の伝統的工芸品に指定されました。紫檀や黒檀を使う「大阪唐木銘木仏壇」と「大阪塗仏壇」は、府の伝統工芸品に指定されています。
浪華本染め
Naniwa Honzome (Chusen Dyeing)
浪華本染め(なにわほんぞめ)は、明治20年(1887年)ごろに大阪で生まれた「注染(ちゅうせん)」の技法で染める手拭いやゆかたです。注染は、防染糊を置いた生地を何枚も折り重ね、上から染料を注いで染める日本独自の染色法です。染料が糸の芯まで通るため、表裏の区別なく同じ柄・同じ色に染まり、色あせしにくいのが特徴です。手染めならではの、ぼかしの柔らかな風合いも魅力です。生地には、堺で400年続くとされる木綿の晒し「和晒(わざらし)」を使います。第二次世界大戦の戦災で大阪市内の注染業者が堺へ移り、石津川沿いの津久野・毛穴地域が主な産地となりました。2019年(令和元年)11月20日に国の伝統的工芸品に指定されています。「浪華本染めゆかた」と「浪華本染め手拭い」は、それ以前から府の伝統工芸品に指定されていました。
和泉蜻蛉玉
Izumi Tonbodama (Glass Beads)
和泉蜻蛉玉(いずみとんぼだま)は、和泉市や堺市でつくられるガラス玉です。蜻蛉玉とは、2色以上の色ガラスで表面に文様を施したガラスの丸玉のことです。斑点の文様がトンボの複眼に似ていることから、この名が付いたといわれます。和泉国(現在の堺市以南)では、奈良時代以前からガラス玉が作られていたとされます。江戸時代には「泉州玉」「さかとんぼ」と呼ばれ、広く知られていました。明治初期に製造技術が確立し、和泉市の信太(しのだ)地域では農業の副業としてガラス玉づくりが盛んになります。大正期には、ガラス玉に塗装を施して作る人造真珠の製造も広がりました。炎で溶かした色ガラス棒を芯棒に巻き付けて玉を形づくり、表面に模様を付けていきます。複数のガラスを組み合わせて生む色彩の技術は、国宝の復元や文化財の修復にも生かされています。2002年(平成14年)に大阪府の伝統工芸品に指定されました。
堺手織緞通
Sakai Teori Dantsu (Hand-Woven Carpets)
堺手織緞通(さかいておりだんつう)は、江戸時代後期に堺で始まった手織りの敷物です。緞通(だんつう)は厚手の織物の敷物のことで、技法は中国から伝わり、肥前の鍋島藩を経て播州赤穂と泉州堺に広まったとされます。堺では天保2年(1831年)、糸物商の藤本庄左衛門が泉利兵衛に織らせて「堺緞通」として売り出したのが始まりです。明治10年(1877年)の第1回内国勧業博覧会への出品で、広く知られるようになりました。庄左衛門の孫で「緞通王」と呼ばれた藤本荘太郎は技術を改良し、自ら渡米して海外への普及に努めます。明治中期には国内外へ盛んに出荷され、最盛期を迎えました。熟練を要する手織りの技法で、丈夫で重厚な仕上がりになります。1986年(昭和61年)に大阪府の伝統工芸品に指定されました。2006年(平成18年)には、その技術が大阪府の無形民俗文化財にも指定されています。
大阪の郷土料理

たこ焼き
Takoyaki
たこ焼きは、だしや卵で溶いた小麦粉の生地に、ぶつ切りのタコや天かすを入れて丸く焼き上げる大阪の粉もの(小麦粉を使った料理)です。丸いくぼみが並ぶ専用の鉄板で焼き、外は香ばしく、中はとろりとした食感に仕上げます。ソースや青のり、削り節をかけて食べるのが定番です。ルーツは、明治末期から大正時代に駄菓子屋や縁日で子どもに人気だった「ちょぼ焼き」や、その後の「ラジオ焼き」にあるとされます。昭和初期、ラジオ焼きの具にタコを使ったものが大阪市内で売られ始めました。大阪市西成区の「会津屋」は、昭和10年(1935年)にタコ入りのたこ焼きを生んだ元祖として知られます。当初は何もつけずに食べていましたが、戦後に濃厚ソースが登場し、今のスタイルが定着したといわれます。府内ではたこ焼き器を持つ家庭も多く、大阪府民のソウルフードとして親しまれています。

お好み焼き(大阪風)
Osaka-style Okonomiyaki
大阪風のお好み焼きは、だしで溶いた小麦粉の生地に、刻んだキャベツや天かす、豚肉やイカなどの具を混ぜ込み、鉄板で平たく両面を焼いた料理です。焼き上がりにソースを塗り、削り節や青のり、好みでマヨネーズをかけて食べます。たこ焼きと並んで、大阪の粉もの(小麦粉を使った料理)文化を代表する存在です。明治時代後期には、小麦粉とキャベツ、ソースを使った「洋食焼」が登場しました。駄菓子屋などで「一銭洋食」として売られた軽食が、戦後に豚肉や野菜をたっぷり使う食事へと発展したとされます。当初は生地の上に具をのせる「重ね焼き」でしたが、大阪では具を生地に混ぜて焼く「混ぜ焼き」が広まりました。昭和30年代の終わりから40年代にかけて、チェーン店が大阪名物として売り出し、全国に知られるようになりました。生地に麺を加えた「モダン焼き」も大阪で生まれた食べ方です。

串カツ
Kushikatsu (Deep-fried Skewers)
串カツは、牛肉や野菜、魚介類などを一口大に切って串に刺し、衣とパン粉をつけて油で揚げた大阪の名物料理です。揚げたてを、テーブルに置かれた容器のソースにくぐらせて食べます。ソースは客同士で共有するため、「ソースの二度づけ禁止」が鉄則として広く知られています。起源には諸説ありますが、通天閣のある新世界で、大正末期から昭和初期に生まれたとする説が有力です。昭和4年(1929年)創業の「だるま」は、初代の女将が近くで働く労働者のために出したのが始まりとしており、大阪式串カツの元祖とされます。安くて腹持ちがよく、すぐに食べられるよう、薄い牛肉に厚めの衣をつけて揚げたのが原型です。2000年代には串カツを主力とするチェーン店が全国に広がり、大阪名物として知られるようになりました。今も新世界の通りやジャンジャン横丁には、多くの串カツ店が軒を連ねています。

きつねうどん
Kitsune Udon
きつねうどんは、昆布と節類でとったつゆをうどんにかけ、甘辛く煮た油揚げをのせた料理です。大阪で生まれたとされ、府民にもっとも愛されるうどんともいわれます。大阪のうどんは、だしによくなじむ、太すぎないもっちりとした麺が特徴とされます。「天下の台所」と呼ばれた大阪には、北前船で北海道の昆布が運ばれ、だしを大切にする食文化が育ちました。きつねうどんの始まりは、明治26年(1893年)に船場で開業したうどん店「松葉家」(現・うさみ亭マツバヤ)とされます。初代・宇佐美要太郎さんがいなり寿司用の油揚げを素うどんに添えて出したところ、客がうどんにのせて食べたのがきっかけと伝わります。名前は、狐の好物が油揚げとされることに由来します。関西では、油揚げをのせたそばを「たぬき」と呼ぶなど、呼び名にも独自の文化があります。

大阪寿司(箱寿司・バッテラ)
Osaka-zushi (Hako-zushi and Battera)
大阪寿司は、大阪で作られてきた寿司の総称で、押し寿司や巻き寿司、蒸し寿司などを含みます。江戸の握り寿司に対し、大阪では寿司飯と具を木枠や箱に詰めて押し固める押し寿司が主流でした。代表格が、木箱で押して一口大に切り分ける「箱寿司」です。天保12年(1841年)創業の船場の「吉野寿司」が、明治時代に鯛やエビ、アナゴなどを使った華やかな箱寿司を考案したとされます。「二寸六分の懐石」とも呼ばれるこの箱寿司は、船場の商家の旦那衆に好まれました。もう一つの名物が、締めた鯖と白板昆布を重ねて押した「バッテラ」です。明治24年(1891年)に南船場の「寿司常」が考案したとされ、名前はポルトガル語で小舟を意味する言葉に由来します。空気を抜いて押し固めるため日持ちがよく、芝居見物の弁当や手土産として重宝されてきました。
てっちり
Tecchiri (Fugu Hot Pot)
てっちりは、ふぐ(主にトラフグ)の身やアラを、野菜や豆腐とともに昆布だしで煮て、ポン酢で食べる鍋料理です。関西、とりわけ大阪でのふぐ鍋の呼び名として知られます。毒を持つふぐを「当たると死ぬ」鉄砲にたとえて「てっぽう」と呼び、そのちり鍋を略して「てっちり」になったとされます。同じように、ふぐの刺身は「てっさ(鉄砲の刺身)」と呼ばれます。大阪は全国のふぐ消費量の約6割を占めるともいわれ、日本一のふぐの消費地として知られます。昭和初期に大阪でふぐの人気が高まり、戦後は専門店が増えて、冬の味覚として定着しました。締めには、ふぐのうまみが溶け出しただしで作る雑炊を楽しむのが定番です。ふぐの調理には専門の知識と技術が必要です。大阪府では条例により、登録を受けた「ふぐ処理登録者」だけが業としてふぐを処理できます。

ハリハリ鍋
Harihari Nabe (Whale and Mizuna Hot Pot)
ハリハリ鍋は、鯨肉と水菜を、昆布や節類でとっただしでさっと煮て食べる大阪の鍋料理です。「ハリハリ」は、水菜を食べるときのシャキシャキとした歯ざわりや音を表した言葉とされます。大阪は「天下の台所」と呼ばれた食材の集散地で、鯨も各地から運び込まれ、鯨を食べる文化が花開きました。鯨と水菜の鍋は、大阪の家庭や飲食店でよく食べられてきたといわれます。名前は、1967年(昭和42年)にミナミの千日前で開店した鯨料理店「徳家」が付けたと伝えられています。近年は捕鯨の規制などから鯨を食べる機会が減り、豚肉などで代用することもあります。2024年度(令和6年度)には「大阪の鯨ハリハリ鍋」が、文化庁の「100年フード」(未来の100年フード部門)に認定されました。農林水産省「うちの郷土料理」でも、大阪府の郷土料理として紹介されています。

泉州水なす漬
Senshu Mizunasu-zuke (Pickled Water Eggplant)
泉州水なす漬は、大阪府南部の泉州地域で育つ「水なす」を、ぬか床や調味液に漬けた漬物です。水なすは、ぎゅっと絞ると水がしたたるほど水分が多く、皮と果肉が柔らかで、ほのかな甘みがあります。皮が薄くあくが少ないため生でも食べられ、その持ち味を生かす浅漬けが地域の食文化として根づいてきました。栽培は江戸時代初期から続くとされ、貝塚市の澤や泉佐野市の上之郷周辺が発祥地といわれます。2007年には、地元のJAが「泉州水なす」を地域団体商標に登録しました。2025年(令和7年)1月には、国の地理的表示(GI)にも登録されています。「泉州水なすの浅漬」は農林水産省「うちの郷土料理」に掲載されています。家庭で日常的に食べられるほか、大阪を代表する土産物や贈答品としても人気です。

粟おこし・岩おこし
Awa Okoshi and Iwa Okoshi (Osaka Puffed Rice Crackers)
粟おこし・岩おこしは、大阪を代表する郷土菓子です。おこしは、蒸して乾燥させた米や粟などを、水飴や砂糖で固めた干菓子です。もとは粟やひえなどの雑穀で作る庶民の菓子でしたが、江戸時代中期の大阪では、米を細かく砕いて粟状にした「粟おこし」が生まれました。天下の台所と呼ばれた大阪に、全国から良質な米や水飴、砂糖が集まったことが背景にあります。米をさらに細かく砕いて硬く固め、生姜や黒砂糖をきかせたものが「岩おこし」です。「身をおこし、家をおこし、国をおこし、福をおこす」縁起の良い菓子として、大阪名物に定着しました。1805年(文化2年)創業のあみだ池大黒などの老舗が、今も製造を続けています。2024年度(令和6年度)には、粟おこしが文化庁の「100年フード」(伝統の100年フード部門)に認定されました。
くるみ餅
Kurumi Mochi (Sakai Wrapped Rice Cake)
くるみ餅は、小さな餅を緑色の餡でくるんだ、大阪府堺市の名物甘味です。名前の「くるみ」は木の実の胡桃ではなく、餅を餡で「くるむ」ことに由来します。元祖とされるのは、堺市堺区の老舗「かん袋」です。店の由来によると、1329年(元徳元年)に和泉屋徳兵衛が餅屋を開いたのが始まりとされます。室町時代の中ごろ、明との貿易で栄えた堺で、5代目の主人が明から入った農作物を使い、塩味の茶菓子として作り出したといわれます。のちにルソン(現在のフィリピン)から砂糖が入ると甘みが加わり、今の味になりました。明治時代には、かき氷をかけた「氷くるみ餅」も生まれ、夏には店に行列ができます。甘さを抑えた餡と柔らかな餅の取り合わせで、農林水産省「うちの郷土料理」でも大阪府の料理として紹介されています。
モデルコース
堺の旧市街で包丁と注染にふれ、くるみ餅を味わうコース
まずは堺区材木町西の堺伝匠館へ向かいます。1階のショップでは包丁や注染の手拭いが買え、2階の堺刃物ミュージアムでは刃物の歴史と製造工程を学べます。昼前には新在家町東のかん袋で、緑色の餡でくるんだくるみ餅をいただきましょう。夏はかき氷をかけた氷くるみ餅も人気です。午後は神明町東の和田商店で、研ぎと柄付けを体験して自分の包丁を仕上げられます(要予約)。
道頓堀・千日前で粉ものとだしの味を食べ歩くコース
千日前のわなかで、銅板で焼き上げるたこ焼きを立ち食いで味わうところから始めます。道頓堀では、1945年創業の美津のや、モダン焼きの発祥を名乗るぼてぢゅう總本店で、大阪のお好み焼きを楽しめます。締めには、昆布とサバ節・ウルメ節のだしが自慢の道頓堀今井で、きつねうどんをいただきましょう。黒門市場の伊勢屋商店では、泉州産の水なすを手作業で漬けたぬか漬を買えます。
船場と堀江で、きつねうどん・箱寿司・おこしの老舗をめぐるコース
南船場のうさみ亭マツバヤは、明治26年(1893年)創業で、きつねうどん発祥の店とされます。3日間かけて味を含ませた油揚げをのせた一杯で腹ごしらえをしましょう。淡路町の吉野寿司は天保12年(1841年)創業で、焼きアナゴや小鯛を木枠で押した箱寿司を持ち帰れます。西へ足を延ばして北堀江のあみだ池大黒本店に寄れば、1805年創業の老舗で粟おこしや岩おこしを選べます。
新世界で串カツを、玉出でたこ焼きの元祖を訪ねるコース
新世界では、昭和4年(1929年)創業で大阪式串カツの元祖とされるだるま新世界総本店や、ジャンジャン横丁の八重勝で揚げたての串カツを味わえます。ソースは共用のため、二度づけをしないのが決まりです。その後は西成区玉出の会津屋玉出本店へ向かいましょう。昭和10年(1935年)にタコ入りのたこ焼きを生んだとされる店で、ソースをかけない元祖の味を楽しめます。
ミナミの老舗で、冬のてっちりとハリハリ鍋を味わうコース
大阪はふぐの大消費地として知られ、寒い時期にはてっちりが恋しくなります。法善寺横丁近くの玄品法善寺総本店では、てっさやてっちり、雑炊を組み合わせたコースで、ふぐを手頃に楽しめます。別の日には、島之内の西玉水を訪ねてみましょう。1885年創業とされる鯨料理の専門店で、名物のはりはり鍋では、鯨の尾の身を水菜とともにいただけます。
泉州で桐箪笥ととんぼ玉の工房を訪ね、水なすを味わうコース
南海本線春木駅から歩いて7分ほどの初音の家具(田中家具製作所)では、桐箪笥の製造工程を見学し、カンナがけや桐箱づくりを体験できます(無料・要予約、日曜・祝日休み)。和泉市幸の佐竹ガラスでは、色ガラス棒を溶かしてとんぼ玉を作る体験教室に参加できます(要予約)。岸和田市のJA直売所「愛彩ランド」では、露地ものが最盛期を迎える7月ごろを中心に、泉州の水なすを探せます。
摂津で欄間を彫り、東住吉で錫器に模様を打ち込む体験コース
摂津市鳥飼野々の木下らんま店では、伝統工芸士の指導で杉や檜の板を彫り、コースターやミニ欄間を作れます(小学4年生以上・電話予約制)。午後は大阪市東住吉区田辺の大阪錫器へ移動しましょう。錫の表面を金槌で叩いて模様を付け、自分だけのぐい呑みやタンブラーを作る体験ができます。いずれも料金や日程は事前に問い合わせて確かめておきましょう。
河内長野のすだれ資料館で、大阪金剛簾の歴史にふれるコース
河内長野市天野町のすだれ資料館は、伝統的な製法による簾に加え、中国や韓国に伝わった歴史的な簾の資料も展示する施設です。入館は無料ですが完全予約制で、開館は平日の10〜16時です。年に数回開かれる「すだれフェア」では製作実演も見られます。富田林市の大阪簾工業協同組合は、大阪金剛簾の製品や製造業者を知りたいときの窓口になります。