画像: Wikimedia Commons岡山県
岡山県は瀬戸内海の温暖な気候「晴れの国」として知られ、備前焼をはじめとする焼き物文化と、児島デニム・倉敷帆布に代表される繊維産業の双方が今も息づく地域です。日本六古窯の一つに数えられる備前焼の窯元が集まる伊部、国産ジーンズ発祥の地とされる倉敷市児島、白壁の町並みが残る倉敷美観地区など、ものづくりの歴史を感じられるスポットが県内各地に点在します。食文化では、瀬戸内海で獲れる魚介を使ったままかり寿司や岡山ばら寿司、桃太郎伝説にちなむきび団子など、独自の郷土料理・銘菓が受け継がれています。
岡山の伝統工芸
烏城彫
Ujo-bori
烏城彫は、岡山城の別称「烏城(うじょう)」にちなんで名付けられた岡山市の木彫漆器です。創始者は木口九峰(本名・木口房四郎、1895〜1969年)で、趣味で茶道具などを彫っていたことから木彫に傾倒し、1927年(昭和2年)に自らの作品を「烏城彫」と命名しました。ケヤキ・ナラ・カツラ・キリなどの一枚板に、野菜や果物、草花、古瓦の文様などを浮き彫りにし、生漆を塗っては布で拭き取る「拭き漆」を13〜24回ほど繰り返して仕上げます。使い込むほどに艶と味わいが増していく点が特徴です。もともとは営利目的ではなく、身体障害者の仕事づくりを目的とした社会事業として考案されたもので、1953年に財団法人烏城彫協会が設立されました。1930年と1946年の2度、昭和天皇に烏城彫の香盆・茶入が献上されています。90年以上の歴史を経て、現在も岡山市の特産工芸品として受け継がれています。
郷原漆器
Gobara Shikki
郷原漆器は、岡山県真庭市蒜山(旧・郷原地区)に伝わる生活漆器です。起源は明徳年間(1390〜1400年頃)にさかのぼるとされ、蒜山高原に自生するクリ材を、伐採した生木のまま轆轤(ろくろ)で挽いて木地を作るという、他の漆器産地には見られない独特の製法で知られます。木目の美しさを生かしながら備中漆などの天然漆で仕上げた椀や盆は、飾るためではなく日々使うための道具として、地域の暮らしに寄り添ってきました。大正末期から昭和初期にかけて生産のピークを迎えましたが、第二次世界大戦を機に一時途絶。平成元年(1989年)から地元有志による復活の取り組みが始まり、平成8年(1996年)には岡山県指定重要無形民俗文化財に指定されました。現在は「郷原漆器の館」を拠点に、600年余り続く生木ロクロ挽きの技が受け継がれています。

作州絣
Sakushu Kasuri
作州絣は岡山県津山市を中心とする美作地方に伝わる木綿絣の織物です。津山地方では古くから高級絹織物が織られていましたが、17世紀初め頃から綿花栽培が広まり、手つむぎの木綿糸を紺屋で藍染めした紺無地や縞物が庶民の衣服として織られるようになりました。明治初期には鳥取県の倉吉絣の影響を受けて木綿紺絣が普及しましたが、大量生産される他産地の織物に押されて生産・技術ともにほぼ途絶えかけた時期もありました。戦後、津山市の産業振興策の一環として作州絣が見直され、昭和30年頃には東京で人気を集め、最盛期には動力織・手織を合わせて年間三万反を生産するまでになりました。1981年には「手織作州絣」として岡山県郷土伝統的工芸品に指定されましたが、その後織り手が途絶える時期もあり、2012年に日名川茂美が正式な後継者として認定されたことで技術が再び受け継がれています。藍色に映える幾何学模様は、糸を紐で括って防染する「括り」の技術によって生み出されます。

児島デニム
Kojima Denim
児島デニムは岡山県倉敷市児島地区で作られるデニム生地・ジーンズの総称で、児島は「国産ジーンズ発祥の地」として知られています。江戸時代、遠浅の海を干拓して生まれた児島の土地では塩分に強い綿花の栽培が盛んになり、綿織物業を基盤として小倉織や真田紐づくりが発達しました。明治・大正期には足袋や学生服の産地として発展し、この繊維産業の技術とノウハウが、後のデニム・ジーンズ産業へと受け継がれていきます。1965年、マルオ被服(現ビッグジョン)の尾﨑小太郎がアメリカから輸入したデニム生地を使い、学生服づくりの縫製技術を応用して日本初の国産ジーンズを製造・販売しました。1973年には倉敷紡績が国産デニム生地の生産に成功し、児島は糸から生地、縫製、洗い加工までを一貫して手がけられる産地として発展しました。現在、児島駅から続く「児島ジーンズストリート」には約40店のジーンズ専門店が軒を連ね、国内外から多くの人が訪れる観光名所になっています。

倉敷帆布
Kurashiki Hanpu
倉敷帆布は岡山県倉敷市児島地区で作られる厚地の綿織物で、帆船の帆布として発展した歴史を持ちます。児島は江戸時代の干拓地で塩分に強い綿花の栽培が盛んになり、海の恵み「いかなご」「塩」の白と合わせて「児島三白」と呼ばれるほど綿産業が発達しました。播州高砂の工楽松右衛門が考案した太糸を用いる織機の技術が伝わったことで、丈夫で厚みのある帆布づくりの土台が築かれたとされます。近代の倉敷帆布の直接のルーツは1888年、武鑓石五郎・梅夫婦が倉敷で創業した織物工場に遡り、梅の手織りの技が地元の木綿問屋の間で評判となったことから事業が拡大していきました。現在は綿100%の原糸数本を撚り合わせる糸撚りの技術と、旧式のシャトル織機によって、極厚の1〜3号帆布まで織り上げられる稀少な産地となっています。シャトル織機ならではの美しい「耳(セルヴィッジ)」と、凹凸のある温かみのある風合いが特徴で、現在はバッグや雑貨など日用品としての用途が広がっています。

倉敷緞通
Kurashiki Dantsu
倉敷緞通は岡山県倉敷市で織られる手織りの敷物で、い草と和紙、麻や綿の糸を組み合わせて織り上げる点が特徴です。倉敷は江戸時代から畳表や花ござの産地として知られ、昭和初期に早島町の発明家・矢吹貫一郎が洋風建築にも合う敷物として「金波織」を考案したのが始まりとされます。1932年、民芸運動家の柳宗悦がこの敷物を見出し、図案家の芹沢銈介に縞柄の意匠を依頼したうえで「倉敷緞通」と名付けました。戦後は手織りのまま最盛期を迎え海外にも輸出されるほどの人気を博しましたが、原材料費の高騰や職人の高齢化により1986年に生産が途絶えました。1991年発足の伝統産業復興研究会に加わった瀧山雄一氏が技術を独学で習得し直し、1993年に生産を再開。現在は瀧山氏がほぼ唯一の作り手として、倉敷市早高の工房で製作を続けています。

虫明焼
Mushiake-yaki
虫明焼は瀬戸内市邑久町虫明で焼かれる茶陶で、江戸時代中期に岡山藩筆頭家老・伊木氏が虫明に設けた御庭窯を起源とすると伝えられています。同じ岡山県を代表する備前焼が釉薬を用いない焼き締め技法を特徴とするのに対し、虫明焼は釉薬をかけた薄作りの端正な器形と、京都の作風を思わせる瀟洒な意匠を特徴としており、両者は同じ県内でも異なる系譜を歩んできました。江戸末期の1847年には伊木忠澄(三猿斎)が自ら御庭窯を開き、京都から清風与平や楽長造、宮川香山といった当代一流の陶工を招いたことで、京焼の粟田風に通じる薄手で瀟洒な作風が確立されました。現在も地元産の山土を用いた独自の粘土に、天然松灰を用いた透明釉や鉄釉・銅釉を掛け、酸化と還元を明確に分けない焼成によって生まれる窯変が味わいを添えています。1988年には岡山県指定郷土伝統的工芸品に指定され、瀬戸内海に面した風光明媚な虫明の地で、少数の窯元が伝統を受け継いでいます。
津山箔合紙
Tsuyama Hakuaishi
津山箔合紙は、岡山県津山市横野地区(上横野・下横野)で作られている三椏(みつまた)を原料とした手漉き和紙です。薄くかさばらないのに強く、表面がなめらかで金箔・銀箔を傷つけないことから、金箔工芸に欠かせない「箔合紙」として京都や金沢の金箔職人たちに愛用されてきました。やや赤みを帯びた光沢のある紙肌が特徴で、古文書の修復や、ドイツ・カナダなど海外での銅版画・エッチング用紙としても用いられています。原料の三椏は美作地方の特産で、財務省印刷局に紙幣原料として納められる「局納ミツマタ」の産地としても知られます。昭和56年(1981年)1月に岡山県の伝統的工芸品に指定されましたが、現在この津山箔合紙を漉いているのは全国でただ一軒、横野地区の上田手漉和紙工場(横野和紙工房)のみとなっており、貴重な手仕事が続けられています。

備前焼
Bizen-yaki
備前焼は岡山県備前市伊部地区を主産地とする炻器(せっき)で、瀬戸・常滑・丹波・信楽・越前と並ぶ日本六古窯の一つに数えられます。産地の地名から「伊部焼」とも呼ばれ、釉薬を一切使わず高温で焼き締める点が最大の特色です。原料には備前・伊部から香登にかけての水田の底に堆積した鉄分豊富な粘土「ひよせ」を用い、長期間かけて焼成することで、窯の中の炎の当たり方や灰のかかり方によって器ごとに異なる模様「窯変」が現れます。代表的な窯変には、藁を巻いて焼く「緋襷」、灰に埋もれて焼ける「桟切」、灰が溶けて付着する「胡麻」などがあり、同じものが二つとない一点物としての魅力を持ちます。鎌倉時代には日用雑器の産地として発展し、桃山時代には茶の湯の流行とともに堺・京都の茶人から高く評価され、茶陶の名品が数多く生み出されました。近代以降も金重陶陽をはじめとする陶工たちにより技法が磨かれ、現在まで多くの窯元が伊部の街に軒を連ねています。

備前刀(長船)
Bizen-to (Osafune)
備前刀は、旧備前国(現在の岡山県瀬戸内市・岡山市東部一帯)で作られた日本刀の総称で、なかでも吉井川沿いの長船(現・瀬戸内市長船町)を拠点とした「長船派」は、日本刀史上最大規模の刀工集団として知られます。備前国は吉井川下流域に良質な砂鉄(赤目砂鉄)を産し、中世を通じて日本刀生産の一大中心地となりました。日本刀の五大流派「五箇伝」のうち「備前伝」を形成し、国宝・重要文化財に指定された日本刀のおよそ4割を備前刀が占めるとも言われます。戦乱や需要の変化により衰退した時期もありましたが、大正〜昭和期に今泉俊光が独学と口伝により作刀技術を研究・復興し「備前刀復興の祖」と称されました。現在も瀬戸内市長船町には現役の刀匠が拠点を構え、備前長船刀剣博物館・備前おさふね刀剣の里では鍛刀や研磨などの工程を見学できます。
岡山の郷土料理

えびめし
Ebi Meshi
えびめしは、岡山市発祥のご当地グルメで、エビを具にしたピラフをデミグラスソースとケチャップ、カラメルなどを合わせた黒褐色の秘伝ソースで炒め上げた洋食です。錦糸卵と千切りキャベツを添えるのが定番のスタイルで、見た目のインパクトと甘辛い独特の風味が特徴です。ルーツは東京・渋谷のカレー店「いんでいら」にあり、岡山県出身の店員だった出井達海氏が暖簾分けの形で技術を持ち帰り、岡山市奉還町に開いた洋食店で提供したのが始まりとされます。その後、岡山市の中心市街地を中心に評判が広がり、現在では市内外の洋食店や喫茶店など多くの店で味わえる、岡山を代表するB級ご当地グルメの一つとなっています。

きび団子
Kibi Dango
きび団子(吉備団子)は、岡山を代表する銘菓で、桃太郎伝説と結びついた岡山土産の定番として全国的に知られています。漢字では「吉備団子」と書き、岡山県のかつての国名「吉備国」にちなむ名称で、穀物の「黍(きび)」を使った団子という意味ではありません。もともとは黍の粉を蒸して作る素朴な団子で日常的に食べられていましたが、安政3年(1856年)創業の菓子舗「廣榮堂」が、当時の岡山藩家老・伊木三猿斎の指導のもと、茶席にもふさわしい上品な求肥菓子へと作り変えたことで銘菓としての地位を確立しました。昔話「桃太郎」のもとになったとされる吉備津彦命と温羅の伝説ゆかりの地が岡山に数多く残ることから、桃太郎の「黍団子」のイメージと結びつき、岡山みやげの代表格として親しまれるようになりました。

デミカツ丼
Demi Katsudon
デミカツ丼は、揚げたてのとんかつに熱々のデミグラスソースをかけた岡山市発祥のご当地グルメです。1931年(昭和6年)創業の老舗「味司 野村」の創業者が、東京のホテルで味わったデミグラスソースの美味しさに感動し、自店のとんかつに応用したのが始まりと伝えられています。白いご飯の上にとんかつをのせ、たっぷりのデミグラスソースをかけるのが基本のスタイルで、生卵やグリーンピース(岡山では「アラスカ」と呼ぶ店もある)を添えるなど、店ごとに工夫が凝らされています。現在は岡山市を中心に県内約30店舗で提供されており、「デミカツ」「ドミカツ」「洋風カツ」など呼び名もさまざまです。地元では通年親しまれる定番の洋食どんぶりとして、観光客にも人気があります。
ままかり寿司
Mamakari-zushi
ままかり寿司は、岡山県の瀬戸内海沿岸で獲れる小魚「ままかり」を三枚におろして甘酢に漬け、酢飯の上にのせた岡山を代表する郷土寿司です。ままかりの標準和名はサッパといい、ニシン科の小魚で、脂の乗った秋から初冬にかけてが旬とされます。「あまりの美味しさに隣の家にご飯(まま)を借りに行くほど」という言い伝えが名前の由来とされ、岡山県民にとって馴染み深い食材です。農林水産省の「農山漁村の郷土料理百選」にも選ばれており、家庭の食卓はもちろん、寿司店や土産物店でも折詰などの形で販売されています。酢でしめた小魚特有の酸味と旨みが酢飯とよく合い、岡山の食文化を象徴する一皿として親しまれています。

岡山ばら寿司(祭り寿司)
Okayama Barazushi
岡山ばら寿司(祭り寿司)は、酢飯の上に瀬戸内海の魚介や旬の野菜を色鮮やかに盛り付けた岡山県の郷土寿司です。江戸時代、備前岡山藩の初代藩主・池田光政が出した「食膳は一汁一菜とする」という倹約令に、庶民が「ご飯の上に具をのせても一菜には変わりない」と工夫して対抗したことが起源と伝えられています。祭りや正月、来客のもてなしなど、ハレの日の食卓に欠かせない料理として発展し、家庭ごとに具材や盛り付けに個性が表れるのも特徴です。現在では岡山市内の寿司店でも通年提供されており、地元では「ばらずし」とも呼ばれ親しまれています。見た目の華やかさから、岡山を訪れる観光客にも人気の一品です。
千屋牛
Chiyagyu Beef
千屋牛(ちやぎゅう)は、岡山県新見市千屋地区を中心に飼育される黒毛和牛のブランド牛です。江戸時代の1830年代、新見の豪農・太田辰五郎が竹の谷集落の牛をもとに造成したとされる蔓牛「竹の谷蔓(たけのたにづる)」を祖先に持ち、体格に優れ丈夫で繁殖力の高い系統として全国に種牛が広まったことから、日本の「和牛のルーツ」の一つに数えられています。中国山地の冷涼な気候と豊かな自然の中で丹念に育てられ、きめ細かな霜降りと赤身の旨みのバランスがよく、脂に上品な甘みがあるといわれます。新見市内ではJA直営の焼肉レストランなどで千屋牛を味わうことができ、産地を巡る食べ歩きマップも作られるなど、地元の誇りとして受け継がれているご当地ブランド牛です。

大手まんじゅう
Ote Manju
大手まんじゅう(大手まんぢゅう)は、天保8年(1837年)創業の菓子舗「大手饅頭伊部屋」が作る岡山を代表する酒饅頭です。備前米から仕込んだ甘酒を生地に練り込み、北海道産小豆の漉し餡を薄い皮で包んで蒸し上げたもので、甘酒のほのかな香りとコクが上品な甘さの餡と調和した味わいが特徴です。店は岡山城の大手門近くの京橋町に構えられたことから「大手まんじゅう」と名付けられ、江戸時代には岡山藩主・池田家の茶会にも備前焼の茶器とともに供されていたと伝えられています。以来、岡山藩ゆかりの銘菓として親しまれ、現在も岡山土産の代表格として広く販売されています。

津山ホルモンうどん
Tsuyama Horumon Udon
津山ホルモンうどんは、岡山県津山市を中心とする美作地域のご当地グルメで、新鮮なミックスホルモン(豚や牛の内臓肉)を野菜とともに炒め、味噌や醤油をベースにした甘辛いタレでうどんと絡めて仕上げる料理です。津山地域は古くから牛馬の流通拠点として栄え、明治時代まで肉食が公には忌避されていた時代にも牛肉が「養生喰い」として例外的に食べられてきた歴史があり、新鮮な内臓肉を扱う食肉処理の技術が発達していました。この土地柄を背景に、ホルモンを新鮮なうちに味わう料理として親しまれてきたのが津山ホルモンうどんです。2008年頃から津山市や「津山ホルモンうどん研究会」が中心となってご当地グルメとして売り出し、2011年のB-1グランプリではシルバーグランプリ(2位)を獲得しました。現在は津山市内に50軒以上の提供店があるとされ、観光客にも人気の名物料理となっています。

日生カキオコ
Hinase Kaki Okonomiyaki
日生カキオコは、岡山県備前市日生町で生まれたご当地グルメで、生牡蠣をふんだんに使ったお好み焼きです。日生は瀬戸内海に面した漁師町で、岡山県のカキ生産量の5割以上を占める一大産地として知られます。とろとろの生地に山盛りの千切りキャベツと新鮮な生牡蠣を合わせて鉄板で焼き上げるのが特徴で、水揚げされたばかりの牡蠣を使うため余分な水分が出にくく、焼いても縮まないプリプリとした食感が楽しめます。もともとは漁師が売り物にならない小粒や傷ものの牡蠣を持ち込んで食べていたのが始まりとされ、2002年に地元の「日生カキお好み焼き研究会」が「カキオコ」と名付けてPR活動を始めたことで全国的に知られるようになりました。

蒜山焼きそば
Hiruzen Yakisoba
蒜山焼きそば(ひるぜん焼きそば)は、岡山県真庭市の蒜山高原一帯で親しまれているご当地焼きそばです。にんにくや玉ねぎ、りんごなどを合わせた特製の味噌だれで親鶏(かしわ)肉とキャベツを炒め合わせるのが特徴で、甘辛く濃厚な味わいが人気を集めています。起源は1960年代(昭和30年代)にさかのぼり、当時流行していたジンギスカン用の自家製味噌だれを生かし、地元の食堂がかしわ肉とキャベツを焼きそばと一緒に炒めて提供したのが始まりと伝えられます。2011年に兵庫県姫路市で開催された第6回B-1グランプリで「ひるぜん焼そば好いとん会」がゴールドグランプリ(1位)を獲得したことで全国的な知名度を得ました。現在も蒜山高原の多くの食堂・レストランで提供され、観光客に人気のご当地グルメとして定着しています。
モデルコース
備前・瀬戸内グルメと焼き物の一日コース
午前は備前焼の窯元が軒を連ねる伊部の町並みを散策し、陶友会加盟店で器を選ぶ。長船町へ足を延ばせば備前刀の歴史にも触れられる。昼は備前市日生町で生牡蠣を使った日生カキオコを味わうのがおすすめ。
倉敷美観地区・繊維のまちめぐりコース
白壁の町並みが残る倉敷美観地区で倉敷帆布のバッグを選び、児島まで足を延ばしてジーンズストリートでデニム製品を探す。復興を遂げた倉敷緞通の実物に触れられるショップもある。昼食は岡山名物のえびめしで締めくくる。
岡山市街・桃太郎グルメめぐりコース
岡山城・後楽園を散策したあとは、岡山藩ゆかりの大手まんじゅうと桃太郎伝説で知られるきび団子を食べ比べ。昼食には彩り豊かな岡山ばら寿司や、デミグラスソースが特徴のデミカツ丼を楽しめる。