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宮城県

東北地方の中心都市・仙台市を擁し、伊達政宗が築いた城下町の歴史と、日本三景・松島に代表される三陸の海の恵みが同居する地域。宮城伝統こけし・雄勝硯・仙台箪笥・鳴子漆器の4つの国指定伝統的工芸品をはじめ、堤焼や仙台平など仙台藩の御用工芸として育まれた手仕事が今も受け継がれる。食では牛たん焼き・ずんだ餅・笹かまぼこといった仙台名物から、はらこ飯・せり鍋など県南の郷土料理、気仙沼のふかひれ料理まで、内陸と沿岸それぞれの気候・産業が育んだ食文化が豊富に揃う。2011年の東日本大震災からの復興の歩みも、雄勝硯をはじめとする地域産業の物語として今に伝わる。

宮城伝統こけし雄勝硯牛たん焼きずんだ餅松島笹かまぼこ

宮城の伝統工芸

宮城伝統こけし
木工宮城

宮城伝統こけし

Miyagi Dento Kokeshi

宮城伝統こけしは、江戸時代末期に東北地方の温泉地で子どもの土産物として生まれた木地玩具「こけし」のうち、宮城県内で育まれた4つの系統――鳴子系・遠刈田系・弥治郎系・作並系――を総称する呼び名です。1981年(昭和56年)6月22日に経済産業大臣指定の伝統的工芸品となりました。遠刈田こけしは文政年間(1818~1830年)にはすでに作られていたとされ、こけし発祥の地の有力候補とされる一方、近年は仙台市作並温泉を起源とする説も注目されています。頭部を胴にきつく差し込んで首を回すと音が鳴る鳴子系、大きな頭に赤い髪飾りを描く遠刈田系、ベレー帽のようなろくろ模様が特徴の弥治郎系、かに菊模様の作並系。系統ごとに形状や描彩がまったく異なる点が、宮城伝統こけしの大きな魅力です。今も各温泉地では工人が一本一本を手作業で挽き、素朴で温かみのある表情を今に伝えています。

鳴子漆器
漆器宮城

鳴子漆器

Naruko Shikki

鳴子漆器は宮城県大崎市の鳴子温泉郷で作られる漆器で、江戸時代初期の寛永年間(1624~1644年)頃に創始されたと伝わります。岩出山領主・伊達敏親が塗師や蒔絵師を京都へ派遣して技術を学ばせたことが基盤となり、湯治客の土産物として発展しました。1982年12月1日に宮城県知事指定、1991年5月20日には経済産業大臣指定の伝統的工芸品となっています。最大の特徴は木地の美しい木目を透明感のある琥珀色の漆で活かす「木地呂塗」と、墨流し技法による幻想的な模様が浮かぶ「竜文塗」の2つの塗り技法です。欅(けやき)や栃(とち)などの木地をろくろで挽き、下地から上塗りまで手間をかけて仕上げるため、使い込むほどに木目や色合いに深みが増していきます。汁椀や重箱、盆など日常づかいの器が多く、鳴子こけしの里としても知られる温泉地の暮らしに根づいた実用の漆器です。

仙台箪笥
木工宮城

仙台箪笥

Sendai Tansu

仙台箪笥は仙台市を中心に作られる指物家具で、江戸時代末期に仙台藩の城下町で誕生した地場産業です。当初は刀や金庫を収める「野郎箪笥」として作られ、明治から大正期にかけては欧米への輸出も盛んに行われました。最大の特徴は、欅や栗などの無垢材に木目を美しく見せる透明感のある紅色の漆「仙台木地呂塗」を施し、そこに龍や牡丹、唐獅子といった武家好みの図柄を厚さ1ミリほどの鉄板から打ち出した重厚な金具を組み合わせる意匠にあります。指物・漆塗り・金具の3つの工程をそれぞれ専門の職人が分業で手がけ、現在も仙台箪笥協同組合の職人たちによって受け継がれています。2015年(平成27年)6月18日には、宮城伝統こけし・雄勝硯・鳴子漆器に次いで県内4番目、24年ぶりとなる経済産業大臣指定の伝統的工芸品に指定された、比較的新しい指定品目でもあります。

雄勝硯
文具宮城

雄勝硯

Ogatsu Suzuri

雄勝硯は宮城県石巻市雄勝町で作られる硯で、原料となる玄昌石(雄勝石)は約2億3千万~5千万年前の地層からとれる黒色硬質粘板岩です。粒子が均質できめ細やかな上、圧縮や曲げに強く吸水率が低いため経年変化しにくく、硯石として最高水準の性質を備えています。室町時代の1396年頃にはすでに雄勝で硯石が産出されていたと伝わり、江戸時代には伊達政宗に献上されたという600年以上の歴史を持ちます。1985年5月22日に経済産業大臣指定の伝統的工芸品となり、最盛期には国内で生産される硯の9割以上を雄勝硯が占めていました。2011年の東日本大震災では雄勝町全体が津波の甚大な被害を受け、職人の住居や工房、採石場も失われました。それでも職人たちは瓦礫の中から見つけた硯や道具を手がかりに生産を再開し、硯だけでなくテーブルウェアなど新たな商品開発にも取り組みながら復興を進めています。

白石和紙
和紙宮城

白石和紙

Shiroishi Washi

白石和紙は宮城県白石市に伝わる手すき和紙で、江戸時代に仙台藩主・伊達家の産業奨励により発展しました。仙台藩の御用紙として幕府や朝廷への献上品にも用いられ、奉書から厚紙、ちり紙まで約60種類もの紙が漉かれていたと伝わります。強靭でふくよかな質感が特徴で、清少納言や紫式部の時代から東北の紙は「ふくよかに、清く、うるわしく」と評されてきました。その強さを生かし、紙を揉んでやわらかくした「紙子(かみこ)」という素材としても発展し、防寒着や袋物などにも用いられてきました。明治以降、洋紙の普及とともに一時は生産が途絶えかけましたが、1940年に設立された奥州白石民芸研究所で遠藤忠雄が伝統技術を復活させ、1982年12月1日には宮城県指定の伝統的工芸品となりました。現在は拓本染めの技法を用いた紙子づくりなど、新たな表現を交えながら手すきの技が受け継がれています。

堤焼
陶器宮城

堤焼

Tsutsumi-yaki

堤焼は仙台市の旧堤町(現・仙台市青葉区堤町周辺)を産地とする陶器で、江戸時代元禄年間(1688~1704年)、仙台藩四代藩主・伊達綱村が京都から陶工を招いて窯を築かせたことに始まると伝えられます。当初は藩主の茶道具などを焼く御用窯として出発し、のちに壺や甕、片口といった庶民の生活雑器を大量に生産するようになりました。江戸期には素焼きの土人形「堤人形」の産地としても知られ、京都の伏見人形と並び「西の伏見、東の堤」と称されるほどの賑わいを見せました。最大の特徴は、地元でとれる赤土に、鷺ヶ森周辺の岩石や籾殻の灰を用いた釉薬を黒と白で豪快に流し掛ける「海鼠釉(なまこゆう)」で、素朴で力強い風合いを生み出します。昭和初期には民藝運動の柳宗悦にも東北を代表する民窯として高く評価されました。最盛期には30軒近い窯元が軒を連ねましたが、現在は「堤焼乾馬窯」1軒のみがその伝統を守り続けています。宮城県知事指定伝統的工芸品。

切込焼
陶器宮城

切込焼

Kirigome-yaki

切込焼は宮城県加美郡加美町(旧宮崎町)の切込地区を産地とする陶磁器で、江戸時代後期から明治時代初め頃まで生産されました。仙台藩の御用窯として上質な染付磁器を焼く一方、庶民向けの日用雑器も大量に作られていたと伝わります。白地に藍色の呉須で草花文様などを描いた染付が生産の中心で、有田焼のような純白の地肌ではないものの、素朴で温かみのある風合いが持ち味です。確たる史料が乏しく創始の詳細は謎に包まれていますが、天保6年(1835年)の年紀を持つ染付作品が現存し、江戸末期の弘化・安政期(1844~1860年ごろ)に最盛期を迎えたとされています。明治10年代に一度廃窯となり、大正期の復興の試みも実らなかったものの、1990年(平成2年)に町おこしの一環として本格的な復興が果たされました。現在は「三浦陶房」が唯一の窯元として伝統を受け継いでおり、加美町ふるさと陶芸館(切込焼記念館)では歴史や作品を紹介しています。1984年(昭和59年)に宮城県知事指定伝統的工芸品に指定されました。

玉虫塗
漆器宮城

玉虫塗

Tamamushi-nuri

玉虫塗は仙台市で生まれた比較的新しい漆芸で、昭和初期の1932年(昭和7年)、東北地方の産業振興と輸出工芸品開発を目的に仙台に設けられた「国立工芸指導所」において、漆芸家・小岩峻によって考案され特許を取得しました。木地や乾漆の素地に漆で下地を施したのち、全面に銀粉を蒔き、その上から色を加えた特製の半透明の玉虫漆を幾重にも塗り重ね、丹念に研ぎ出すことで完成します。見る角度や光の当たり方によって色合いが微妙に変化する艶やかな輝きが、タマムシの羽根に似ていることからこの名が付けられました。1933年に創業した東北工芸製作所(初代社長・佐浦元次郎)が1939年に特許実施権を得て以来、仙台を代表する工芸品として製作を続けています。花瓶や盆、アクセサリーから洋食器まで幅広い製品が作られ、1985年(昭和60年)には宮城県知事指定伝統的工芸品に指定されました。伝統工芸としては歴史が浅い分、現代の暮らしに寄り添うデザインが多いことも魅力です。

仙台平
織物宮城

仙台平

Sendai-hira

仙台平は仙台市で織られる男性用袴地の絹織物で、江戸時代中期の貞享・元禄年間(1680年代~1704年ごろ)、仙台藩四代藩主・伊達綱村が御用織物師を召し抱え、袴地や能装束などを織らせたことに始まると伝えられます。撚りをかけた生糸を経糸に、生糸に近い緯糸を水で湿らせながら強く打ち込んで織り上げることで、しなやかで張りがあり、しわになりにくく、光沢と衣擦れの音を持つ独特の風合いが生まれます。江戸から明治・大正期にかけて袴地の最高峰として名を馳せ、最盛期には年間30,000反もの生産量を誇りましたが、需要の減少とともに織元は次第に減り、現在は「合資会社仙台平」がただ一社その伝統を守り続けています。中でも最高級とされる「精好仙台平」は2002年に国の重要無形文化財に指定され、当主・甲田綏郎氏は人間国宝として認定されています。1985年(昭和60年)には宮城県知事指定伝統的工芸品にも指定されました。

中新田打刃物
金工宮城

中新田打刃物

Nakaniida Uchihamono

中新田打刃物は宮城県加美郡加美町(旧中新田町)に伝わる鍛冶技術による打刃物で、江戸時代の寛文年間(1661~1673年ごろ)、仙台藩の刃匠・舟野五郎兵衛が鎌づくりを始めたことに起源を持つと伝えられています。以来300年以上にわたり、日本刀づくりと同じ鍛錬技術を用いて鉄と鋼を打ち鍛える「空打式」と呼ばれる製法が受け継がれてきました。刃を上向きに使う独自の形状の鎌は土との摩擦を減らして刃こぼれしにくく、研ぎ直しもしやすいと評価されています。鎌のほか、菜切り包丁や皮剥き包丁など各種の打刃物も手がけられています。最盛期には11軒の鍛冶屋が軒を連ねていましたが、後継者不足により現在は「石川刃物製作所」の4代目・石川美智雄氏がただ一人の職人としてその技術を守り続けています。1982年(昭和57年)に宮城県知事指定伝統的工芸品に指定されました。

宮城の郷土料理

牛たん焼き
肉料理宮城

牛たん焼き

Gyutan Yaki (Grilled Beef Tongue)

牛たん焼きは、仙台市を中心に食べられる牛のタンを厚切りにして塩味で炭火焼きにした宮城県を代表するご当地グルメです。昭和23年(1948年)、東京で修業した山形県出身の料理人・佐野啓四郎が、洋食の素材として扱われていた牛タンに着目し、日本人の味覚に合うよう塩焼きとして仕立て直したのが始まりとされています。1950年に仙台市内で専門店「太助」を開業したことで牛たん焼きが誕生し、戦後の食糧難のなか米の代わりに麦飯を添え、当時は活用されにくかった牛の尾を使ったテールスープを組み合わせる定食スタイルが確立されました。現在では仙台駅周辺や国分町を中心に数十軒の専門店がひしめき、麦飯・テールスープ・南蛮味噌・浅漬けを添えた「牛たん定食」が定番として全国に知られる仙台名物となっています。

ずんだ餅
甘味宮城

ずんだ餅

Zunda Mochi

ずんだ餅は、茹でた枝豆をすり潰して作る鮮やかな緑色の「ずんだ餡」を餅にからめた、宮城県仙台地方を代表する郷土菓子です。江戸時代末期には和え衣としての「ずんだ」がすでに定着していたとされ、農作業や祝い事の際に家族総出で枝豆をさやから取り出し、すり鉢で潰して作られてきました。名前の由来には諸説があり、豆を打ち潰す作業を表す「豆打(ずだ)」が訛ったとする説のほか、仙台藩祖・伊達政宗が陣中で刀の柄(陣太刀)を使って枝豆を砕かせたという逸話に由来するという俗説も広く知られています。ただし政宗との直接的な結びつきを示す確かな史料はなく、後世に広まった俗説とみる見方が一般的です。現在では餅のほか、シェイクや洋菓子など幅広い商品に展開され、仙台土産の定番として親しまれています。

はらこ飯
海鮮宮城

はらこ飯

Harako Meshi

はらこ飯は、鮭の身を煮た煮汁で米を炊き、ほぐした鮭の身と煮汁にくぐらせたつややかないくら(はらこ)を盛り付けた、宮城県亘理町荒浜地区発祥の秋の郷土料理です。阿武隈川河口付近で鮭の地引網漁が盛んだった時代に、大漁の際に漁師たちが自分たちの食事として振る舞ったのが始まりと伝えられています。江戸時代、亘理を治めた伊達政宗が阿武隈川の治水工事の視察に訪れた際、地元の漁師からはらこ飯を献上されて大変喜んだという逸話が残されています。帰城後も周囲にその美味しさを語り広めたことが、亘理の名物として知られるきっかけになったともいわれています。「はらこ」とは鮭の腹にある子、すなわち「腹子」を指す言葉です。鮭が遡上する9月から11月ごろにかけての季節限定の味覚として、亘理町を中心に県内各地の飲食店で提供されています。

笹かまぼこ
海鮮宮城

笹かまぼこ

Sasa Kamaboko

笹かまぼこは、白身魚のすり身を笹の葉の形に成形して焼き上げた、仙台を代表する練り物の郷土料理です。明治30年代半ば、閖上から金華山にかけての沿岸でヒラメの大漁が続いた際、当時は輸送力や保存設備が不十分で、余ったヒラメを保存食として活用するために焼きかまぼこが作られるようになったのが始まりとされています。当初は形の見た目から「手のひらかまぼこ」や「べろかまぼこ」などと呼ばれていましたが、仙台藩祖・伊達政宗の家紋「竹に雀」に描かれた笹の葉の形に似ていることから「笹かまぼこ」と呼ばれるようになりました。昭和に入ってこの呼び名に統一されたと伝えられています。かつては高級魚のヒラメを主原料としていましたが、漁獲量の減少に伴い、現在はすけとうだらなどの白身魚が中心に使われています。低脂肪・低カロリーで良質なたんぱく質を含み、宮城県内には40軒以上の製造元があるといわれる仙台土産の定番です。

せり鍋
鍋料理宮城

せり鍋

Seri Nabe

せり鍋は、宮城県産のせり(芹)を根・茎・葉すべて丸ごと使う鍋料理です。せりの根には強い旨みが凝縮されており、シャキシャキとした香り高い根の食感が持ち味となっています。宮城県は全国有数のせりの生産地で、なかでも県内生産量の約8割を占める名取市が主産地として知られています。名取市では名取川の伏流水が湧く上余田・下余田の地区で古くからせり栽培が行われており、元和年間(1620年代)には野生のせりの栽培に関する記録が残り、安永年間(1770年代)にはせり栽培が広く普及したと伝えられています。伊達政宗が天正18年(1590年)の連歌の席でせりの根を「根芹(ねぜり)」と詠んだとも伝わり、古くから根まで味わう文化があったことがうかがえます。近年は牛たん焼きやずんだ餅と並ぶ仙台・宮城の名物グルメとして知名度が高まり、冬場を中心に多くの飲食店で提供されるようになっています。

仙台雑煮
鍋料理宮城

仙台雑煮

Sendai Zoni

仙台雑煮は、椀からはみ出すほどの大きな焼きハゼをまるごと乗せ、その香ばしいだしで仕立てる宮城県仙台市の正月料理です。江戸時代末期、松島湾でハゼが豊漁だった頃、炭火で焼いて天日干しにした「焼きハゼ」を藁で連ねて正月用に売る習慣が広まり、これを出汁に使う雑煮が仙台の家庭に定着したと伝えられています。具には焼きハゼのほか、阿武隈川を遡上する鮭から採れるハラコ(いくら)、仙台せり、大根・人参・ごぼうを細切りにして茹でてから外気で凍らせた「おひきな」、ずいき、凍み豆腐などが用いられます。彩り豊かで、ハレの日にふさわしい豪華な一杯に仕上がります。仙台市街地周辺では正月三が日にこの雑煮を食べるのが今も一般的な慣習です。なお伊達政宗自身が食べていた雑煮は干しアワビや干しナマコ、ニシンのだしを使う別の様式だったと記録されており、焼きハゼ雑煮はむしろ庶民の間で育まれ広まった郷土料理といえます。近年はハゼやハラコの不漁により入手が難しく、価格も上昇しているため「高級雑煮」と呼ばれることもあります。

おくずかけ
麺類宮城

おくずかけ

Okuzukake

おくずかけは、仙台市から宮城県南部(仙南地域)を中心に、春秋の彼岸やお盆、法事の際に作られてきた精進料理です。ごぼう、人参、里芋、乾しいたけ、油揚げ、豆腐、豆麩などの野菜と乾物をだしで煮込み、白石地方特産の温麺(うーめん)を加えて、とろみをつけて仕上げます。名前の由来は、かつて山野に自生する葛の根から採った「くず粉」でとろみをつけていたことにあり、現在は片栗粉で代用されることが一般的です。禅宗の普茶料理「雲片」に似せて作られたとも伝えられ、肉や魚を使わないのが本来の形ですが、家庭によってはかつおだしや鶏肉を加えるアレンジも広く行われています。彼岸やお盆に親戚が集まる際、ずんだ餅やおはぎとともに仏前に供え、来客をもてなす料理として発展してきました。世代を超えて受け継がれる「おふくろの味」として、今も宮城県南の食卓に息づいています。

気仙沼のふかひれ料理
海鮮宮城

気仙沼のふかひれ料理

Kesennuma Shark Fin Cuisine

気仙沼は三陸沖の豊かな漁場を背景にサメの水揚げ量が日本一で、国内で水揚げされるサメの約9割が気仙沼港に集まる「フカヒレ生産日本一のまち」として知られています。フカヒレ製造の起源は江戸時代末期にさかのぼり、市内で毛皮を商っていた店主が横浜でフカヒレが商売になることに気づき製造販売を始めたのがきっかけと伝えられています。明治期にはサメの身を竹輪やかまぼこなどの練り製品原料として活用する加工業が発達し、ヒレは当初「さめひれ」と呼ばれる副産物的な位置づけでした。全国的なブランドとして知られるようになったのは昭和50年代後半以降、通信販売の広がりがきっかけです。主にヨシキリザメを用い、背びれ・胸びれ・尾びれ・腹びれまで無駄なく加工し、天日干しにする光景は冬の気仙沼の風物詩となっています。姿煮のほか、ふかひれ丼やふかひれ寿司など、地元ならではの食べ方で親しまれています。

白石うーめん
麺類宮城

白石うーめん

Shiroishi Umen

白石うーめん(温麺)は、約400年前の江戸時代初期から宮城県白石市周辺で作られてきた、油を一切使わない製法が特徴の素麺の一種です。由来として広く伝えられているのは、白石城下に住んでいた鈴木浅右衛門が、胃を病んで食事もままならない父親を案じたという孝行の逸話です。旅の僧から聞いた油を使わない麺の製法で作った麺を温めて食べさせたところ、父の病状が快方に向かったと伝えられています。この話を聞いた白石城主・片倉小十郎が、父を思う浅右衛門の気持ちを称えて麺を「温麺(うーめん)」と名付け、浅右衛門は「味右衛門」を名乗ることを許されたと伝えられています。油を使わないため胃腸に優しく消化が良いとされ、麺の長さも素麺よりやや短い9cmほどに仕上げられているのが特徴です。400年以上にわたり白石の地場産業として受け継がれ、全国乾麺協同組合連合会の産地指定も受けている、宮城県を代表する乾麺です。

がんづき
郷土菓子宮城

がんづき

Ganzuki

がんづきは、小麦粉に重曹(またはベーキングパウダー)、黒砂糖、水などを混ぜて型に流し入れ、蒸し上げて作る宮城県の郷土菓子で、ふんわりしながらも食べ応えのある蒸しパンです。名前の由来には諸説あり、蒸し上がった生地の色や見た目が雁(がん)の肉に似ていることに由来するという説、丸い形と表面に散らした胡麻の様子が月と雁を思わせることに由来するという説などが伝えられています。仙台藩では稲作が奨励され、収穫した米の多くを年貢として納めなければならなかった農民の間で小麦栽培と粉食文化が広まったことが、がんづきのような小麦粉を使う郷土菓子が発達した背景とされています。黒砂糖を使う「黒がんづき」が代表的ですが、白砂糖を使う「白がんづき」や、味噌・醤油・くるみ・ごまを加えるものなど地域や家庭ごとにバリエーションが豊富です。日常のおやつとして親しまれる一方、法事や祝い事の際に作られる行事食としての一面も持っています。

モデルコース

仙台市内 伝統工芸とご当地グルメの半日コース

仙台箪笥の工房で欅材と重厚な金具の技を見学したのち、玉虫塗の光沢を鑑賞。昼は仙台名物の牛たん焼き定食で腹ごしらえし、甘味にずんだ餅を味わう、仙台市街だけで完結する定番コース。

大崎市・鳴子温泉 こけしと漆器の里コース

全国こけし祭りの舞台としても知られる鳴子温泉で、宮城伝統こけしの工人によるろくろ挽きを見学し、木地呂塗など木目を活かす鳴子漆器の器に触れる、東北を代表する木工・漆芸の産地を巡るコース。

三陸沿岸 硯とふかひれの復興コース

石巻市雄勝町で東日本大震災から生産を再開した雄勝硯の工房を訪ね、日本一の硯産地の歴史と復興の歩みに触れたのち、気仙沼市に移動して国内フカヒレ生産の9割を占める気仙沼ならではのふかひれ料理を味わうコース。

県南・白石市 和紙と温麺の手仕事コース

白石市で仙台藩伊達家の御用紙だった白石和紙の紙すきに触れたのち、油を使わない製法が特徴の白石温麺で昼食。素朴な手仕事の技と食文化がともに息づく城下町を歩くコース。

亘理・名取 秋冬の味覚を楽しむ沿岸コース

鮭の煮汁で炊いた飯にいくらを乗せる亘理町名物のはらこ飯を秋に味わい、冬は名取市などで栽培される根まで食べるせりを使ったせり鍋で温まる、県南沿岸部の季節の味覚を巡るコース。

加美町 打刃物と切込焼の里コース

旧中新田町エリアで、日本刀と同じ鍛錬技術を用いる中新田打刃物の鍛冶場を訪ね、仙台藩の御用窯として発展した染付・色絵磁器の切込焼の器を見比べる、加美町の手仕事を巡るコース。

イベント

仙台七夕まつり

毎年8月6日〜8日(前日5日に前夜祭花火大会) / 仙台市中心部(一番町・中央通り等の商店街、仙台駅周辺)

全国こけし祭り

毎年9月上旬(例年3日間) / 大崎市鳴子温泉

地図