画像: Wikimedia Commons神奈川県
鎌倉時代には武家政権の拠点として、江戸時代には東海道の宿場町として、幕末以降は横浜開港により日本の近代化・西洋文化受容の玄関口として栄えてきた地域。鎌倉では禅宗文化を背景に鎌倉彫が育まれ、箱根・小田原では豊かな森林資源を生かした寄木細工・漆器・鋳物などの木工・金工の技が発展した。横浜港の開港は洋家具やスカーフ、牛鍋・シュウマイといった西洋・中華文化を取り入れた食文化を生み、相模湾・三浦半島の漁業や大山詣りの参拝文化も、しらす丼やマグロ料理、精進豆腐といった郷土の味を育んできた。武家文化・宿場町文化・開港文化・漁村文化が重なり合う、多層的な魅力を持つ地域。
神奈川の伝統工芸
横浜スカーフ
Yokohama Scarf
横浜スカーフは、1859年の横浜開港を機に発展した生糸・絹織物の輸出産業を背景に生まれた神奈川県横浜市の伝統的工芸品です。開港とともに横浜に集まった浮世絵の絵師・摺師の技術と、輸出の中心であった生糸・絹製品が結びつき、絹ハンカチーフやスカーフの捺染産業として発展しました。昭和初期にはスクリーン捺染の技術が確立され、型紙に染料を乗せてへらで刷り込む「手捺染」による繊細な染めが世界的な評価を得ました。高度経済成長期には輸出で世界シェアの8割、1976年頃には国内生産量の9割を占めるまでに成長しましたが、その後は円高や海外生産移転により生産規模は縮小しています。それでも横浜の職人による手捺染の技術は今も受け継がれ、神奈川県指定伝統工芸品として認定されています。
横浜家具
Yokohama Kagu
横浜家具は、幕末の横浜開港をきっかけに生まれた、日本における西洋家具製造発祥の地とされる工芸です。1863年(文久3年)頃、横浜に居留していたイギリス人ゴールドマンが、日本人の馬具職人・原安造に椅子の修理を依頼したことが始まりと伝えられています。修理の仕上がりに感心したゴールドマンが本国と同じ洋家具の製作を注文したことをきっかけに、地元の木工職人たちが西洋家具の構造や意匠を学び、独自に発展させていきました。釘をほとんど使わずに部材を精密に組み合わせる木組みの技術や、曲線刃の鉋で優美な曲面を削り出す加工など、日本の伝統的な木工技術と西洋家具の様式を融合させた独自の技法が特徴です。明治期にはパリ万博にも出品されるなど国際的にも高く評価されましたが、関東大震災や戦災を経て担い手は減少し、現在は数少ない工房・企業がその技術を受け継いでいます。
横浜芝山漆器
Yokohama Shibayama-nuri
横浜芝山漆器は、貝殻や象牙、鼈甲などを彫り込んで漆器の表面にはめ込み、花鳥風月の文様を立体的に浮かび上がらせる象嵌技法の工芸品です。技法自体は江戸時代後期、上総国芝山村(現・千葉県芝山町)出身の大野木専蔵が江戸で考案した「芝山象嵌」に由来し、幕末の横浜開港を機に貿易港・横浜で海外向けの輸出工芸品として独自の発展を遂げました。明治期には欧米での評価が高く、最盛期には100人近い職人が横浜に集まりましたが、関東大震災や第二次世界大戦による被害、輸出需要の減少により職人は激減しました。現在、大型作品まで手がけられる現役の職人は宮﨑輝生氏ただ一人とされ、国内に残る作品自体も数少ない、極めて希少な伝統技術です。

鎌倉彫
Kamakura-bori
鎌倉彫は、木彫りの上に漆を塗り重ねて仕上げる神奈川県鎌倉市の伝統的工芸品です。鎌倉時代、中国・宋から伝わった彫漆(堆朱・堆黒)に影響を受けた鎌倉の仏師たちが、より簡便に立体的な意匠を表現しようと、木地に文様を彫刻したうえで漆を塗る技法を編み出したのが始まりとされます。当初は仏具や禅宗寺院の道具として作られていましたが、明治初期の廃仏毀釈で仕事を失った仏師たちが、盆や茶托など生活工芸品の製作へと活路を見出し、現在の鎌倉彫へと発展しました。彫りの断面がV字形になる「薬研彫り」を基本とし、木肌の質感を生かした重厚な色合いの漆塗りが特徴です。1979年には経済産業大臣指定の伝統的工芸品に指定され、現在も鎌倉市内の工房・組合を中心に技術が受け継がれています。
小田原ちょうちん
Odawara Chochin
小田原ちょうちんは、神奈川県小田原市に伝わる提灯で、江戸時代中ごろに地元の提灯職人・甚左衛門が箱根越えをする旅人のために考案したと伝えられています。通常の提灯と異なり、胴の中骨が一本のリング状に独立しているため、たたむと胴体部分が上下の蓋の中にすっぽりと収まり、懐にしまえるほど小さく携帯できるのが最大の特徴です。竹ひごを四角形に削って糊付け面を増やしているため雨や霧に強く、上下の蓋には大雄山最乗寺の霊木が使われ道中の魔除けになるとも信じられました。これら携帯性・耐久性・魔除けという3つの長所は「三得」として宣伝され、江戸時代には東海道を行き交う旅人の土産物として全国に知られるようになりました。現在は市内で伝統の技法を守る提灯店がわずかに残り、体験教室などを通じて技術の継承が図られています。
小田原漆器
Odawara Shikki
小田原漆器は、木地の美しい木目をそのまま生かして仕上げる神奈川県小田原市の伝統的工芸品です。室町時代中期、箱根山系で切り出したケヤキなどの木材をろくろで挽いて器物を作り、生漆を摺り込むように塗ったのが始まりとされます。戦国時代には北条氏康が塗師を城下に招いて彩漆塗の技法を導入し、江戸時代には東海道の宿場町として栄えた小田原で、日用品から武具の部材まで製造範囲を広げながら発展しました。木地の木目を消さずに漆を薄く塗り重ねる「摺漆塗」と、錆漆で下地を作る「木地呂塗」の2つの技法を特徴とし、丈夫でゆがみが少ないケヤキ材の器が多く作られています。1984年には国の伝統的工芸品に指定されました。
小田原鋳物
Odawara Imono
小田原鋳物は、神奈川県小田原市に伝わる金属工芸で、室町時代末期の1534年(天文3年)、河内から来住した山田治郎左衛門が鋳物業を開いたことに始まるとされます。江戸時代の1702年(元禄15年)には柏木家が鋳物業を興し、銅とスズを独自の比率で配合した合金「砂張(さはり)」を用いた鳴物づくりで名を高めました。現在では風鈴やおりん(仏具の鈴)、振鈴など、澄んだ余韻の長い音色を持つ「鳴物」が主力製品となっており、小田原に唯一残る鋳物工房・柏木美術鋳物研究所がその伝統を今に伝えています。同工房は黒澤明監督の映画『赤ひげ』で使用された御殿風鈴を手がけたことでも知られ、工房内の「砂張ギャラリー鳴物館」で風鈴やおりんなどの製品を展示・販売するとともに、近年は箱根寄木細工とのコラボレーション商品にも取り組んでいます。

大山こま
Oyama Koma
大山こまは、神奈川県伊勢原市の大山山麓に伝わる木製の独楽(こま)で、江戸時代中期に盛んになった「大山詣り」の土産物として発展しました。地元でとれるミズキ材を木地師が轆轤(ろくろ)で挽き、白木の生地に朱・藍・紫の3色を鮮やかに塗り分けた回転模様が特徴です。太く長い心棒と丸みを帯びた重厚な形は、心棒に別の堅い木を挿し込む構造によって「けんかごま」として使っても壊れにくいよう工夫されており、「よく回る」ことから金運や商売繁盛を呼び込む縁起物として親しまれてきました。かつては参道沿いに多くの木地師・こま屋が軒を連ね、「こま参道」という通り名の由来にもなりましたが、生活様式の変化とともに担い手は減少し、現在は参道にわずかに残る店が伝統を守っています。2023年(令和5年)には「大山こまの製作技術」が国の記録作成等の措置を講ずべき無形民俗文化財に選択されました。

箱根寄木細工
Hakone Yosegi Zaiku
箱根寄木細工は、天然木が持つ色合いや木目の違いをそのまま生かして幾何学模様を組み上げる神奈川県箱根町の伝統的木工技術です。江戸時代後期、箱根の山中でとれる多彩な樹種に着目した畑宿の石川仁兵衛が、色や木目の異なる木片を寄せ合わせて盆や箱を作ったのが始まりとされます。明治時代には静岡方面の寄木技法が加わり、より精緻な幾何学文様が生み出されるようになりました。からくり仕掛けを施した「秘密箱」は、東海道を旅する人々や温泉客の土産物として人気を集め、現在も箱根土産の代表格です。1984年には国の伝統的工芸品に指定され、発祥の地である畑宿を中心に工房や資料館が今も軒を連ねています。
神奈川の郷土料理
かんこ焼き
Kanko-yaki
かんこ焼きは、相模原市緑区の津久井地域に江戸時代から伝わる郷土料理で、小麦粉を練った生地に山菜やきのこ、あずき、かぼちゃ、漬物など季節の具材を包み、焼いてから蒸し上げた素朴なおやきです。津久井地域は稲作に適さない山間地であったため、古くから麦や豆の栽培が盛んで、小麦を中心とした粉食文化が根付いていました。江戸時代には、アユのはらわたの塩漬けである「うるか」や味噌を生地で包み、囲炉裏の熱い灰で蒸し焼きにして食されており、農作業の合間の食事やおやつとして親しまれてきました。名前は、雅楽で使われる太鼓「鞨鼓(かっこ)」に形が似ていることに由来するといわれます。2007年には農林水産省の「農山漁村の郷土料理百選」に神奈川県の郷土料理として選ばれています。

けんちん汁
Kenchin-jiru
けんちん汁は、根菜や豆腐をごま油で炒めて昆布や椎茸のだしで煮込んだ、精進料理を起源とする汁物です。神奈川県鎌倉市の禅寺・建長寺で古くから作られてきた「建長汁」がなまって「けんちん汁」と呼ばれるようになったとする説が広く知られ、鎌倉が発祥の地とされています。動物性の食材やだしを使わず、豆腐は手でくずして加えるのが伝統的な作り方で、精進料理ならではの滋味深い味わいが特徴です。江戸時代以降、精進料理の枠を越えて庶民の家庭料理としても広まり、現在では全国各地で作られる冬の定番汁物となりました。鎌倉では今も建長寺門前の食事処などで、寺伝の味を再現したけんちん汁を味わうことができます。

サンマーメン
Sanma-men
サンマーメンは、豚肉やもやしなどの野菜をとろみのあるあんに仕立てて麺にのせた、横浜発祥のご当地ラーメンです。名前から魚の秋刀魚を連想しがちですが、魚のサンマとは直接の関係はなく、中国語由来の「生馬麺」または「生碼麺」という表記が語源とされ、「新鮮な具材をのせた麺」といった意味合いを持つといわれています。戦後まもない頃、横浜港の労働者に向けて、廉価で食べ応えがあり冬でも冷めにくい麺料理として提供されるようになったのが広まりのきっかけとされ、横浜中華街や伊勢佐木町の中華料理店が発祥に関わったとする説が伝えられています。もやしやニラ、白菜、にんじん、きくらげなど彩り豊かな野菜がたっぷりと使われ、しょうゆ味のあんが麺によく絡む、家庭的で親しみやすい味わいが魅力です。
へらへら団子
Herahera Dango
へらへら団子は、三浦半島西部の漁師町・横須賀市佐島地区に江戸時代から伝わる郷土菓子です。小麦粉や上新粉・白玉粉で作った団子を平たく押しつぶし、こし餡をからめて食べる素朴なあんころ餅の一種で、毎年7月に行われる佐島地区の船祭りの際に、豊漁や無病息災を願う行事食として各家庭で作られてきました。名前の由来には、団子を押しつぶした平たい形が漁業道具の「箆(へら)」に似ているからとする説や、茹でると団子が水面で「へらへら」と揺れながら浮かび上がる様子に由来するとする説など、複数の言い伝えがあります。2007年に農林水産省の「農山漁村の郷土料理百選」に選ばれたことをきっかけに、地元の菓子店による商品化も進みました。
マグロのかぶと焼き
Maguro no Kabuto-yaki
マグロのかぶと焼きは、日本屈指のマグロ漁港として知られる三浦市三崎港で生まれた豪快な郷土料理です。マグロの頭部(かぶと)には、ハチの身やホホ肉、目玉の裏の身、のど肉など、身の部分とは異なる濃厚な旨みを持つ希少部位が集まっており、これを塩焼きなどでじっくり焼き上げていただきます。三崎の漁師たちは古くから、まぐろの内臓や未利用部位を工夫して食べる「沖料理」の伝統を持っており、かぶと焼きもその流れの中で生まれた料理のひとつとされます。一尾から少量しか取れない希少部位を活かした料理であるため、三崎港周辺のまぐろ料理専門店で提供されることが多く、三崎ならではのまぐろ食文化を象徴する一品として観光客にも親しまれています。

よこすか海軍カレー
Yokosuka Kaigun Curry
よこすか海軍カレーは、明治期の旧日本海軍で提供されていたカレーのレシピを現代に再現した、横須賀市発祥の町おこしグルメです。1908年発行の海軍のレシピ集「海軍割烹術参考書」に記されたカレイライスの作り方を再現し、牛乳とサラダを添えて提供することが基本ルールとされています。1999年に横須賀市や商工会議所、海上自衛隊が協力して発足させた「カレーの街よこすか推進委員会」の活動から生まれ、原則として横須賀市内の認定店でのみ提供されています。白米中心の食生活で脚気に悩まされていた明治の日本海軍が、栄養バランスの改善のためイギリス海軍のカレー風シチューを取り入れたことが日本のカレー文化の源流の一つとされ、よこすか海軍カレーはその歴史を今に伝える一皿として親しまれています。

横浜中華街のシュウマイ
Yokohama Chinatown Shumai
横浜中華街のシュウマイは、明治期の開港とともに南京街(現在の中華街)に渡来した中国人料理人たちが伝えた点心文化を背景に発展してきました。豚肉を主体としたあんを小麦粉の皮で包んで蒸し上げる点心の一つで、中華街には創業から数十年から100年近い歴史を持つ老舗が数多く残り、店ごとに配合や食感の異なる自家製シュウマイを提供しています。小ぶりで肉汁を凝縮させた一口サイズが多く、店頭でのテイクアウト販売やお土産用の箱詰めも盛んです。なお横浜の駅弁として全国的に知られる崎陽軒の「シウマイ」もそのルーツは南京街(現中華街)で提供されていた焼売にあるとされ、中華街の点心としてのシュウマイと駅弁シウマイは、同じ横浜の食文化から枝分かれした兄弟のような関係にあります。

牛鍋
Gyu-nabe
牛鍋は、幕末から明治にかけて開港地・横浜で生まれた、牛肉を味噌や醤油で煮込みながら食べる鍋料理です。肉食が忌避されていた江戸時代までの日本において、外国人居留地が置かれた横浜で牛肉を食べる欧米人の食文化に触れたことが牛肉食普及のきっかけとされ、文明開化を象徴する料理として全国に知られるようになりました。浅い鉄鍋にぶつ切りの牛肉やねぎ、豆腐などを入れ、味噌や醤油ベースの割り下で煮ながら食べるのが特徴で、後にすき焼きへと発展していく原型ともいわれています。横浜には創業から百年以上続く老舗の牛鍋店が今も営業を続けており、当時の製法や味わいを受け継いだ牛鍋を味わうことができます。

生しらす丼
Nama-shirasu-don
生しらす丼は、相模湾で水揚げされたばかりの生しらすをご飯にたっぷりとのせた、湘南地域を代表する海鮮丼です。江の島や腰越、鎌倉周辺の漁港で獲れるしらすは鮮度が落ちるのが非常に早く、加工せずに生の状態で味わえるのは水揚げ当日、産地の近くだけという希少性が魅力です。プリプリとした食感と口の中でとろけるような舌触りが特徴で、醤油やポン酢、生姜や刻みねぎなどの薬味を添えて食べるのが一般的です。毎年1月から3月中旬にかけては禁漁期間にあたるためしらす漁自体が行われず、生しらすを味わえるのは解禁後の限られた時期のみとなります。江の島や腰越の食堂では、釜揚げしらすと生しらすを盛り合わせた丼など、店ごとに趣向を凝らしたメニューも見られます。
大山とうふ
Oyama Tofu
大山とうふは、丹沢山系の霊峰・大山(伊勢原市)のふもとで作られる豆腐料理で、江戸時代から続く「大山詣り」の参拝文化とともに発展してきました。大山を訪れる講中(大山講)の人々が祈祷のお礼として大豆を納めたことに加え、丹沢山系から流れる清らかな湧水に恵まれていたことから、大山では古くから豆腐づくりが盛んになったといわれます。修験者や僧侶による精進料理の伝統とも結びつき、肉や魚を用いない参拝者向けの料理として豆腐が重宝されました。現在もこま参道沿いには豆腐料理を専門とする宿坊や料理店が軒を連ね、湯豆腐や田楽、豆腐懐石など、地元の水と大豆で仕込んだ豆腐を主役にした献立を味わうことができます。「かながわの名産100選」にも選ばれている神奈川県を代表する郷土の味です。
モデルコース
鎌倉彫とけんちん汁・生しらす丼を巡る鎌倉・江の島半日コース
鶴岡八幡宮そばの博古堂で鎌倉彫の老舗の技を見学したのち、建長寺門前の点心庵でけんちん汁発祥の味を味わい、江ノ電で江の島・腰越まで足をのばして生しらす丼を楽しむ、鎌倉・湘南エリアの定番半日コース。
大山詣りの縁起物と精進豆腐を味わう伊勢原コース
大山ケーブルカーで大山阿夫利神社を参拝し、こま参道の金子屋支店で大山こまの絵付け体験。参道沿いの宿坊建築を生かした店で、丹沢山系の湧水を使った大山とうふのコース料理を味わう、江戸時代の庶民の参詣文化を体感するコース。
横浜開港がもたらした洋家具・洋食文化を巡るコース
元町の横浜家具ダニエルで明治期発祥の洋家具を見学し、老舗の太田なわのれんでぶつ切り牛肉の牛鍋を味わう。中華街に移動してサンマーメンやシュウマイの食べ歩きを楽しむ、横浜開港150年余りの文化が息づくコース。