岩手県画像: Wikimedia Commons

岩手県

本州最大の面積を誇り、北上山地・奥羽山脈の山々と三陸の海に育まれた地域。江戸期の南部藩・伊達藩それぞれの御用工芸として発展した南部鉄器・秀衡塗・浄法寺塗・岩谷堂箪笥の4つの伝統的工芸品を擁し、明治期に伝わった羊毛のホームスパンなど、産地としての層の厚さが際立つ。食では、盛岡三大麺(わんこそば・盛岡冷麺・じゃじゃ麺)に代表される粉食文化、前沢牛・いわて短角牛の2つのブランド牛、久慈のまめぶ汁や一関・平泉の多彩なもち料理など、南部と伊達、内陸と沿岸それぞれの気候・歴史が育んだ食文化が豊富。中尊寺金色堂を擁する平泉は2011年に世界文化遺産に登録された。

南部鉄器秀衡塗わんこそば盛岡冷麺前沢牛まめぶ汁

岩手の伝統工芸

岩手ホームスパン
織物岩手

岩手ホームスパン

Iwate Homespun

岩手ホームスパンは、羊毛を手で紡いだ糸を手織りで仕上げる毛織物です。明治14年(1881年)頃、二戸地方に緬羊が導入された際、駐在していた英国人宣教師が織り方を指導したのが始まりと伝えられています。その後、旧東和町(現・花巻市)の梅原乙子・五郎親子が事業として発展させ、盛岡の「みちのくあかね会」や「日本ホームスパン」など複数の工房・企業に技術が広まりました。手紡ぎならではの弾力性としわになりにくい風合い、軽やかな着心地が特徴で、植物染料による落ち着いた色合いも魅力です。手紡ぎによる生産が今も続く産地は全国でも岩手だけといわれ、ストールやマフラーなどの製品が親子三代にわたって使えるほど丈夫な布として親しまれています。

岩谷堂箪笥
木工岩手

岩谷堂箪笥

Iwayado Tansu

岩谷堂箪笥は岩手県奥州市江刺の岩谷堂地区で作られる伝統的な木製箪笥です。起源は天明年間(1781〜1788年)に遡り、当時の岩谷堂城主が家臣に車付箪笥や長持といった木工家具の商品化を研究させたのが始まりと伝えられています。文政年間(1818〜1830年)には鍛冶職人・徳兵衛が彫金金具を考案し、これが岩谷堂箪笥の原型となりました。欅や桐を素材に、木目を生かした重厚な漆塗りと、手打ち・手彫りによる華麗な金具の組み合わせが最大の特徴で、1982年に経済産業大臣指定伝統的工芸品に指定されています。木地・塗り・金具の分業による丁寧な手仕事が今も受け継がれています。

秀衡塗
漆器岩手

秀衡塗

Hidehira-nuri

秀衡塗は岩手県平泉町を中心に作られる漆器で、平安時代末期に奥州藤原氏第3代当主・藤原秀衡が京都から職人を招き、平泉特産の漆と金を使って器を作らせたのが起源と伝えられています。中尊寺金色堂には漆・金箔・蒔絵・螺鈿といった多彩な漆芸技術が用いられており、平安期の平泉が高度な漆工技術を有していたことがうかがえます。最大の特徴は、菱形に切った金箔を貼り、その上から漆絵で草花文様を描く「秀衡文様」で、雲を表す「源氏雲」と菱形を組み合わせた「有職菱文様」が椀や重箱などに施されます。素朴でありながら金の輝きをまとった華やかな意匠は、他産地の漆器にはない独自の様式として今日まで受け継がれています。

小久慈焼
陶器岩手

小久慈焼

Kokuji-yaki

小久慈焼は岩手県久慈市小久慈町で焼かれる陶器です。1813年(文化10年)、相馬(現・福島県)の陶工・嘉蔵が、地元の甚六の助けを得て三日町に窯を築いたのが始まりと伝えられ、その後甚六の子・熊谷甚右衛門が嘉蔵に師事して技法を受け継ぎ、以後熊谷家によって代々受け継がれてきました。創始以来一つの窯元のみで作陶が続けられており、江戸時代以前から続く窯元としては日本最北に位置します。地元産の粘土を使い、わら灰による素朴な白釉(糠白釉)と、砂鉄を用いた飴釉を基調とした日用の器づくりが特徴で、明治期には民藝運動を提唱した柳宗悦にも高く評価されました。

浄法寺塗
漆器岩手

浄法寺塗

Joboji-nuri

浄法寺塗は岩手県二戸市浄法寺町を中心に作られる実用漆器です。神亀5年(728年)に行基が同地に天台寺を建立した際、中央から派遣された僧侶たちが自らの什器を作るために漆工技術を持ち込んだのが始まりと伝えられ、装飾を抑えた素朴で質実な器が「御山御器」の名で藩政期には南部藩の産物として広まりました。二戸市浄法寺町一帯は国産漆の生産量日本一を誇る産地で、国産漆のおよそ7割から8割がこの地域で採取されています。地元産の漆をふんだんに用い、朱・黒・溜を基調とした無地の塗りは使うほどに艶を増すのが特徴で、日常の食器としての実用性を重視した器づくりが今も受け継がれています。

鳥越竹細工
木工岩手

鳥越竹細工

Torigoe Takezaiku

鳥越竹細工は、岩手県二戸郡一戸町の鳥越地区に伝わる竹細工です。県北の山地に自生する細くしなやかな笹の一種「南部鈴竹(すず竹)」を材料とし、内側から見ても外側から見ても美しく仕上がる「合わせ編み」の技法で編み上げるのが特徴です。起源は平安時代にさかのぼるとされ、鳥越に滞在していた慈覚大師が観音のお告げを受けて里人に竹細工を広めたという伝説が残っています。かごやざるなど日用の道具として長く親しまれてきましたが、近年は原料となるすず竹の大量枯死などにより担い手・生産量が減少しており、「鳥越竹細工 産地を守る会」が後継者の育成や産地のPRに取り組んでいます。

東山和紙
和紙岩手

東山和紙

Tozan Washi

東山和紙は、岩手県一関市東山町に約800年伝わる手漉き和紙です。発祥については、平安時代末期に鎌倉勢に滅ぼされた奥州藤原氏の落人がこの地に土着し、農耕の傍ら生活用品として紙を漉き始めたとする説や、平泉・中尊寺の造営に伴い写経用の紙が大量に必要となり、近隣の東山町で漉かれるようになったとする説が伝えられています。「東山」という地名は、中尊寺近くの束稲山から東方を望む風景が京都の東山に似ていたことに由来するといわれ、町内には文字どおり「紙生里(かみあがり)」という地名も残っています。楮(こうぞ)をほぼ唯一の原料とする、素朴で強靭な紙質が特徴です。

南部系こけし
木工岩手

南部系こけし

Nanbu-kei Kokeshi

南部系こけしは岩手県花巻市を発祥とする伝統こけしで、木地師によって作られた玩具「キナキナ」を原型とします。頭部と胴体を別々にろくろで挽き、頭をあえてゆるく差し込むことで首を軸にくらくらと動く点が最大の特徴で、こうした構造は全国11系統の伝統こけしの中でも南部系だけに見られます。当初は顔も模様も描かれない素木のままの玩具でしたが、後に鳴子系・遠刈田系工人の影響を受けて花や模様が描かれるようになり、花巻こけしとも呼ばれるようになりました。木肌が白く堅いコサンバラ(アオハダ)と呼ばれる良材を使うことでも知られ、現在も花巻市・盛岡市を中心に工人によって手作業で作り続けられています。素朴で表情豊かな佇まいは、東北の風土が育んだ郷土玩具として今も多くの人に親しまれています。

南部古代型染
染物岩手

南部古代型染

Nanbu Kodai Katazome

南部古代型染は、盛岡市に伝わる型染めの技法です。寛永年間(1624〜1643年)、南部藩主が京都から蛭子屋三右衛門(小野家)を御用染師として招き、裃や小袖、鎧下などに型紙を使って南部家の家紋「向鶴」や小菊、牡丹、千鳥といった文様を染めたことに始まると伝えられています。以来、小野家によって代々技術が受け継がれ、藩政期から伝わる型紙は300種類以上にのぼります。藍を基調とした落ち着いた色合いと、一枚の型紙から丁寧に染め出される文様の美しさが特徴で、着尺や帯などの和装小物から、現代の生活に取り入れやすいテーブルセンターまで幅広く手がけられています。現在も盛岡市内の工房でその伝統が守り継がれています。

南部鉄器
金工岩手

南部鉄器

Nanbu Tekki

南部鉄器は岩手県盛岡市と奥州市水沢を二大産地とする鉄鋳物で、約400年の歴史を持ちます。盛岡では17世紀中頃、南部藩主が京都から茶釜師を招いて茶の湯釜を作らせたのが始まりとされ、水沢では平安時代末期に奥州藤原氏が近江国から鋳物師を招いたのが起源と伝えられています。両地域は砂鉄や川砂、粘土、木炭など鋳造に適した資源に恵まれ、古くから鋳物づくりが盛んでした。1975年には経済産業大臣指定伝統的工芸品に指定されています。質実剛健で丈夫、熱が均一に伝わり保温性に優れることから鉄瓶や急須、鍋、風鈴などが作られ、近年は海外でも茶器として高い人気を集めています。現在も焼型による手仕事の技法が受け継がれています。

岩手の郷土料理

いわて短角牛
肉料理岩手

いわて短角牛

Iwate Tankaku Beef

いわて短角牛は、岩手県北部から山間部にかけて育てられる褐毛(あかげ)系の肉用牛「日本短角種」の岩手県産ブランド牛です。寒さに強く放牧に適した体質を活かし、春から秋は広大な高原で母牛と子牛が親子で過ごし、冬は牛舎で育てる「夏山冬里(なつやまふゆさと)」という独自の飼育方式が最大の特徴です。穀物飼料に頼らず牧草を中心に育つため、脂肪分が少なく赤身のうま味が濃いのが持ち味で、噛むほどに肉の風味が広がります。全国の和牛流通量に占める日本短角種の割合はごくわずかとされ、希少性の高い牛肉として知られています。健康志向の高まりとともに赤身肉の魅力が見直され、岩手県を代表するブランド牛として全国的な評価を高めています。

かっけ
麺類岩手

かっけ

Kakke

かっけは、岩手県北部の二戸市・九戸村周辺から青森県南部にかけて伝わる、旧南部藩地域ならではの粉食文化を代表する郷土料理です。そば粉や小麦粉を水で練った生地を薄くのばし、三角形に切り分けて熱湯でゆでるのが基本の調理法で、汁で煮込むのではなく、ゆで上げた生地ににんにく味噌やねぎ味噌などのつけだれを添えていただくのが特徴です。そば粉を使う「そばかっけ」と小麦粉を使う「むぎ(麦)かっけ」の2種類があり、そばかっけは黒っぽい色合いと香り、むぎかっけは白くつるりとした食感が持ち味です。米が育ちにくい寒冷な県北地域で、そばや小麦を無駄なく食べる知恵として受け継がれてきた、素朴で滋味深い一皿です。

じゃじゃ麺
麺類岩手

じゃじゃ麺

Jajamen

じゃじゃ麺は、蒸してから茹でた平打ちの麺に肉味噌とおろしきゅうり、ねぎなどをのせ、よくかき混ぜて食べる盛岡市の郷土料理です。戦後の1953年、旧満州から引き揚げた高階貫勝が現地で親しんだ「炸醤麺(ジャージャー麺)」の味を再現しようと、日本の味噌をベースにした肉味噌を考案し、盛岡で店を開いたのが始まりとされます。豆鼓を使う本場の味を、味噌や挽き肉など十数種の材料を炒め合わせた独自の肉味噌にアレンジし、盛岡の人々の口に合う一杯に仕上げました。麺を食べ終えた後の器に生卵を割り入れ、店員に「チータンタン」と注文すると肉味噌入りの卵スープが楽しめるのも特徴で、わんこそば・盛岡冷麺と並ぶ「盛岡三大麺」の一つに数えられています。

ひっつみ
鍋料理岩手

ひっつみ

Hittsumi

ひっつみは、小麦粉を水で耳たぶほどのやわらかさにこね、薄く延ばして手でちぎりながら鍋に入れて煮込む岩手県の郷土料理です。名前は「手でちぎる」を意味する方言「ひっつまむ」に由来するといわれています。県央地域は北上川流域に水田が広がり米作りが盛んな一方、寒さが厳しく冷害で米が不作になる年もあったため、小麦や大麦の生産も行われ、粉に水を加えてこねる「しとねもの」と呼ばれる粉食文化が発達しました。ひっつみはその代表的な料理で、鶏肉やごぼう、にんじん、きのこなどの季節の具材とともに、しょうゆやみそで味付けした汁で煮込みます。家庭ごとに味付けや具材が異なり、岩手県民に「おふくろの味」として親しまれてきました。地域によっては「とってなげ」「はっと」とも呼ばれます。

まめぶ(まめぶ汁)
鍋料理岩手

まめぶ(まめぶ汁)

Mamebu

まめぶ(まめぶ汁)は、岩手県久慈市山形町や九戸郡周辺に伝わる郷土料理で、小麦粉の生地でクルミと黒砂糖を包んで丸めた団子「まめぶ」を、昆布と煮干しでとった出汁に醤油で味付けし、ごぼう・にんじん・油揚げ・かんぴょうなどと一緒に煮込んだ汁物です。団子をひと口かじると、香ばしいクルミと黒砂糖の優しい甘みが広がり、しょうゆ仕立ての汁の塩気と混ざり合う独特の味わいが持ち味です。かつて米が育ちにくかったこの地域で、祝い事などの「ハレの日」に麺類の代用としてつくられたのが始まりとされ、正月や冠婚葬祭の席で欠かせない一品として今も受け継がれています。

わんこそば
麺類岩手

わんこそば

Wanko Soba

わんこそばは、給仕が「はい、じゃんじゃん」などと声をかけながら一口大のそばを次々と椀に注ぎ足し、客が椀に蓋をするまでおかわりが続く岩手県盛岡市・花巻市の郷土料理です。江戸時代初期、花巻城に立ち寄った南部藩主・南部利直に、庶民と同じ丼で献上するのは失礼にあたるとして漆器の椀に一口分ずつそばを盛って差し上げたところ、大変気に入って何度もおかわりを重ねたという逸話が由来のひとつとして広く知られています。給仕とのやり取りを楽しみながら、ねぎや海苔、かつお節、大根おろし、刺身、とろろなど多彩な薬味で味を変化させて食べ進めるのが特徴です。単なる大食い競争ではなく、もてなしの心を体現した食文化として今も観光客に親しまれています。

一関・平泉のもち料理
郷土菓子岩手

一関・平泉のもち料理

Ichinoseki Mochi Cuisine

一関・平泉のもち料理は、岩手県一関市と平泉町に伝わる、300種類以上ともいわれる多彩なもち料理から成る食文化です。正月だけでなく、冠婚葬祭や田植え・稲刈りなどの節目、人生の通過儀礼のたびにもちをつく風習が今も残り、「もちの里」と呼ばれるほど暮らしに深く根付いています。あんこもちのほか、じゅうね(エゴマ)もち、ふすべもち(大根おろしと醤油だれ)、沼えびもちなど、山の幸・川の幸を生かした変わりもちが豊富なのが特徴です。正式な席では「もち本膳」という作法にのっとり、進行役の指示で複数の味を順番に味わう独自の食事様式も伝えられており、江戸時代に一関地方を治めた伊達藩の慣習に由来するとされています。

三陸のうに料理
海鮮岩手

三陸のうに料理

Sanriku Sea Urchin

三陸のうに料理は、宮古市・久慈市・洋野町など岩手県沿岸の三陸海岸で水揚げされるウニを使った郷土の海鮮料理です。三陸沖は寒流の親潮と暖流の黒潮がぶつかる好漁場で、昆布などの餌に恵まれることから身が大きく甘みの強いウニが育ち、全国有数のウニの産地として知られています。獲れたてのウニをそのままご飯にのせた生うに丼や、ミョウバンを使わず塩水に漬けて出荷する「塩水うに」、殻を保ったまま瓶に詰める「牛乳瓶うに」など、鮮度と風味を活かした食べ方が発達してきました。漁が解禁される初夏から夏にかけては各地で「うに丼」や「うにまつり」が催され、県内外から多くの観光客が三陸の夏の味覚を求めて訪れます。

盛岡冷麺
麺類岩手

盛岡冷麺

Morioka Reimen

盛岡冷麺は、コシの強いつるりとした麺と、牛骨や鶏がらで取った濃厚なスープ、キムチの酸味と辛みが織りなす岩手県盛岡市の郷土料理です。1954年、朝鮮半島の咸興出身の青木輝人が盛岡市大通で開いた焼肉店「食道園」で、故郷の冷麺を盛岡の人々の口に合うようにアレンジして提供したのが始まりとされます。当初は独特の強いコシが「ゴムのようだ」と戸惑われたものの、次第に病みつきになる客が増え、盛岡を代表する麺料理へと成長しました。1986年に盛岡市で開かれた「日本めんサミット」で正式に「盛岡冷麺」と名付けられ、この日にちなんで10月17日は「盛岡冷麺の日」とされています。焼肉店を中心に提供され、キムチやスイカなどのトッピングで味の変化も楽しめます。

前沢牛
肉料理岩手

前沢牛

Maesawa Beef

前沢牛は、岩手県奥州市前沢地区で肥育される黒毛和種のうち、肉質等級4以上の基準を満たしたものだけに許される呼称のブランド牛肉です。1950年代に岡山県や島根県から繁殖雌牛を導入して黒毛和種の生産が始まり、1965年に前沢町農業協同組合の肥育専門部会が発足したことで本格的な肥育が始まりました。1971年に開催された前沢牛枝肉共進会で初めて「前沢牛」の名称が使われ、以降ブランドとして定着しました。奥羽山脈や北上山地からの雪解け水に恵まれた前沢地区は良質な稲作地帯でもあり、地元産の稲わらを粗飼料や敷料に用いる自然循環型の肥育が、きめ細やかな霜降りとしっとりした肉質を生み出します。全国肉用牛枝肉共励会では最多6度の名誉賞を受賞するなど、和牛の最高峰として高く評価されています。

モデルコース

盛岡で三大麺と南部鉄器を巡る半日コース

盛岡市中心部でわんこそば・盛岡冷麺・じゃじゃ麺の「盛岡三大麺」を食べ比べたのち、岩鋳鉄器館で南部鉄器の鉄瓶づくりの歴史に触れる。給仕とのやり取りを楽しむわんこそばから、焼肉店の〆に欠かせない冷麺まで、盛岡の麺文化と鋳物文化を一日で味わえるコース。

平泉・一関で漆器と和紙、もち料理を味わうコース

世界文化遺産・中尊寺金色堂を参拝したのち、秀衡塗の工房で金箔の秀衡文様の器づくりを見学。一関市街に移動し、東山和紙の紙すき体験や、300種類ともいわれる一関・平泉のもち膳で締めくくる、奥州藤原氏ゆかりの文化を巡るコース。

県北・久慈で漆と竹細工、まめぶ汁を楽しむコース

二戸市浄法寺町で日本一の漆産地の技を伝える浄法寺塗の器に触れたのち、一戸町鳥越地区で南部鈴竹を編む鳥越竹細工の技を見学。久慈市に移動し、クルミと黒糖を包んだ団子が入るまめぶ汁で温まる、県北ならではの手仕事と粉食文化を巡るコース。

奥州・前沢でブランド牛と箪笥づくりを巡るコース

奥州市江刺で欅の木目と南部鉄の金具が調和する岩谷堂箪笥の工房を見学したのち、前沢地区に移動して稲わら飼育で育まれた前沢牛を焼肉やしゃぶしゃぶで味わう、奥州市の木工と畜産文化を体感するコース。

イベント

盛岡さんさ踊り

毎年8月1日〜4日 / 盛岡市中央通り(岩手県公会堂前〜映画館通り)

チャグチャグ馬コ

毎年6月第2土曜日 / 滝沢市鬼越蒼前神社〜盛岡市盛岡八幡宮(国指定重要無形民俗文化財)

地図