画像: Wikimedia Commons石川県
加賀藩前田家の治世のもと、茶の湯や能楽など武家文化を背景に育まれた工芸・食の層の厚い地域。輪島塗や九谷焼、加賀友禅をはじめとする漆器・陶磁器・染織の伝統的工芸品が数多く残り、金沢箔や大樋焼など前田家ゆかりの技も息づく。かぶら寿司や治部煮、香箱ガニなど日本海の恵みと発酵の知恵を生かした郷土料理も豊富で、金沢の近江町市場や兼六園周辺を中心に、産地や老舗をめぐる旅が楽しめる。
石川の伝統工芸

輪島塗
Wajima-nuri
輪島塗は石川県輪島市で作られる漆器で、堅牢な下地作りと多彩な加飾技法を特徴とする日本を代表する漆工芸品です。起源には諸説あるものの、文明8年(1476年)には輪島に塗師がいたことが史料から確認されており、桃山時代の天正10年(1582年)には既に輪島独自の下地材である「地の粉」が使われていたと伝わります。木地の弱い部分に麻布を貼って補強する「布着せ」と、珪藻土を焼成した地の粉を漆に練り込んで塗り重ねる本堅地技法により、割れやすい欠点を克服した頑丈な漆器として発展しました。江戸後期には椀講と呼ばれる訪問販売の仕組みが確立し、全国に販路を広げます。18世紀に完成した加飾技法「沈金」、19世紀初めに会津から伝わった「蒔絵」も輪島塗の代名詞となり、1975年には国の伝統的工芸品に、1977年には重要無形文化財に指定されました。塗り上げまでに20以上の工程、総手数では100を超える手仕事を経て作られる、堅牢さと華やかさを兼ね備えた漆器です。

九谷焼
Kutani-yaki
九谷焼は石川県南部の加賀地方で焼かれる色絵磁器で、赤・黄・緑・紫・紺青の五色を用いた「九谷五彩」による華やかな絵付けを最大の特徴とします。始まりは明暦年間(1655〜1657年)、加賀藩の支藩・大聖寺藩の初代藩主前田利治が、領内の九谷村で磁鉱が発見されたことを機に、金工師の後藤才次郎に命じて色絵磁器を焼かせたことに遡ります。この時期に焼かれた作品は後に「古九谷」と呼ばれ、大胆な構図と力強い塗り埋めの絵付けで高く評価されました。しかし九谷村の窯は約50年で廃窯となり、以後およそ100年間、生産は途絶えます。江戸後期になると加賀・大聖寺の各地で古九谷の再興を目指す窯が相次いで開かれ、これを「再興九谷」と呼びます。吉田屋窯や宮本屋窯、永楽窯などが個性を競い合いながら技術を発展させ、今日に続く九谷焼の基礎を築きました。現在は石川県南部の金沢・小松・加賀・能美の各市を中心に生産され、1975年には国の伝統的工芸品に指定されています。
加賀友禅
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加賀友禅は石川県金沢市を中心に受け継がれる手描き染めの絹織物で、藍・黄土・草・古代紫・臙脂の五色「加賀五彩」を基調とした落ち着いた色調と、写実的な草花模様を特徴とします。起源は約500年前、加賀国独自の無地染めであった「梅染」にさかのぼるとされ、17世紀中頃には模様を施す「加賀御国染」の技法が確立しました。江戸元禄期、扇絵師として名を馳せた宮崎友禅斎が金沢の紺屋「太郎田屋」に身を寄せ、糊で防染しながら多彩な色を挿す友禅糊の技術を広めたことで、加賀友禅は飛躍的な発展を遂げます。金銀箔や刺繍をほとんど用いず、花や葉をありのままに写し取る自然主義的な表現、模様の外側を濃く内側をぼかす「外ぼかし」、葉に虫食い跡を描き込む「虫食い」など、独自の意匠が発達しました。制作者ごとに落款を記す制度が設けられており、作家性の強い工芸品としても知られています。

山中漆器
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山中漆器は石川県加賀市の山中温泉地区を中心に作られる漆器で、木地挽きの高い技術から「木地の山中」として知られています。始まりは安土桃山時代、山々を渡り歩きながら椀や盆などの挽物を作っていた木地師の一団が、山中温泉の上流にあたる真砂の地に定住して木地を挽き始めたことに由来するとされます。江戸時代には会津や京都、金沢から漆塗りや蒔絵の技術が取り入れられ、加飾挽きや朱溜塗など独自の技法が加わり発展しました。最大の特徴は轆轤挽物の技術で、木目に沿って縦方向に木取りする「縦木取り」により狂いの少ない美しい木地を生み出すほか、わずか3ミリの幅に十数本もの筋を刻む「千筋」、木地が透けるほど薄く挽く「薄挽き」など、他産地の追随を許さない精緻な加飾挽きが見られます。木地挽物の分野では職人の質・量ともに国内トップクラスとされ、1975年には国の伝統的工芸品に指定されています。
金沢箔
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金沢箔は石川県金沢市を中心に生産される金箔で、国内で使用される金箔の99%以上を占める一大産地です。始まりは文禄2年(1593年)、加賀藩祖前田利家が豊臣秀吉の朝鮮出兵に従軍した陣中から金沢に箔の製造を命じたことに遡るとされます。江戸時代、幕府は金銀の生産地を江戸と京都に限る「箔打ち禁止令」を出しましたが、加賀藩は密かに製造を続け、少ない材料で質の高い金箔を大量に作る技術を磨き上げました。元治元年(1864年)には職人たちの尽力により公儀御用としての箔製造がついに公認されます。明治維新後は江戸の箔屋が衰退する一方、金沢の箔産業は発展を続けました。純金にわずかな銀・銅を加えた合金を1万分の1ミリほどの厚さまで均一に打ち延ばす職人技と、金沢の気候・水質に恵まれたことが、他産地の追随を許さない技術水準を生んでいます。1977年に伝統的工芸品の材料として指定されました。

牛首紬
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牛首紬は、霊峰白山のふもと、石川県白山市白峰(旧牛首村)で約800年にわたり織り継がれてきた絹織物です。最大の特徴は、二匹の蚕が共同で一つの繭を作る「玉繭」を原料とすることで、繭を熱湯で煮ながら手で直接糸を引き出す「座繰り」という昔ながらの製糸技法が用いられます。この玉糸は不規則な節を含みながらも弾力性・伸張性に富み、独特のしなやかな光沢と丈夫さを兼ね備えた生地を生み出します。釘を引っかけても破れないほどの強さから「釘抜き紬」の異名を持つほどで、日常づかいにも耐える実用性の高さが評価されてきました。豪雪地帯である白峰では、傾斜地が多く耕地に恵まれなかったため、古くから養蚕が貴重な現金収入源となり、女性たちの手仕事として紬織りが受け継がれてきました。現在も白峰の織元が中心となって伝統を守り続けています。
金沢仏壇
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金沢仏壇は、加賀百万石の城下町として栄えた金沢で発達した金仏壇で、1976年に国の伝統的工芸品に指定されました。発展の背景には、1471年に蓮如上人が北陸で浄土真宗の布教を行い、各地の集落に道場や末寺が建てられたことで仏壇需要が高まったことがあります。加賀藩3代藩主・前田利常の時代には京都・江戸から名工が細工所に招かれ、美術工芸の技術基盤が築かれました。木地師・宮殿師・塗師・蒔絵師・木地彫師・箔押師・金具師という7職の完全分業体制によって製作され、それぞれの職人が専門技術を極める点が金沢仏壇の大きな特徴です。中でも前柱・段縁・中柱・戸板・引出しなど広い範囲に磨き蒔絵・高蒔絵を施す点は他産地の仏壇にあまり見られない特色で、耐久性の高いアオモリヒバ材の木地とほぞ組による堅牢な構造も相まって、豪華絢爛でありながら永く使い続けられる仏壇として今日まで受け継がれています。

大樋焼
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大樋焼は、京都の楽焼の脇窯として金沢で350年以上続く陶芸です。江戸時代初期の寛文6年(1666年)、加賀藩5代藩主・前田綱紀が茶道茶具奉行として裏千家4代・仙叟宗室を京都から招いた際、仙叟の師である樂家4代一入の高弟であった陶工・土師長左衛門が同道したことに始まります。仙叟が帰京したのちも金沢に残った長左衛門は、河北郡大樋村(現・金沢市大樋町)で良質の陶土を見出し、地名にちなんで大樋焼と称するようになりました。樂家が黒釉・赤釉を用いる本楽を独占していたため、大樋家は独自に飴釉という技法を編み出し、雪国にふさわしい温かみのある飴色の茶碗を生み出したことが最大の特徴です。轆轤を使わず手とへらだけで成形する手びねりの技法も樂焼の流れを汲んでおり、前田家の御用窯として栄えた歴史から、今日も金沢を代表する茶陶として受け継がれています。
加賀繍
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加賀繍(かがぬい)は、絹糸や金糸・銀糸を用いて立体感のある図柄を浮かび上がらせる石川県の刺繍工芸です。室町時代初期、加賀地方への仏教布教とともに、仏前を飾る打敷や僧侶の袈裟を彩る装飾技術として京都から伝えられたのが始まりとされます。江戸時代に入ると歴代加賀藩主の手厚い保護を受け、武士の陣羽織や能装束の装飾にも用いられるようになり、金沢箔や加賀友禅と並ぶ加賀の伝統染織文化として独自の発展を遂げました。「くさりぬい」「まつりぬい」「すがぬい」など多彩な技法を駆使し、絵画のような繊細さと立体感を糸で表現できる点が最大の特徴です。1991年5月には通商産業大臣(現・経済産業大臣)により国の伝統的工芸品に指定され、現在も金沢市・白山市・能美市を中心に、装束から現代のアクセサリーまで幅広い製品が手がけられています。
二俣和紙
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二俣和紙は、金沢市二俣町で1300年以上にわたり漉き継がれてきた手漉き和紙です。奈良時代の養老年間(717〜724年)、僧・泰澄が医王山に寺を開いたことが紙漉きの始まりと伝えられ、文禄年間(1592〜1596年)には加賀藩の御用紙を漉く紙漉き場として保護を受け発展しました。天正11年(1583年)に加賀国に入った前田利家は、二俣がすでに紙の産地であったことを知り紙を注文して保護を加え、以後加賀藩は正式な儀礼用紙「御料紙」として二俣紙を用いたと伝わります。二俣の気候風土は楮の繊維を短く育てるため、強靭でありながら繊細な紙質を生み出すことが特徴で、書道用紙や色紙、金沢箔を打つ際に用いる箔打紙、格式高い加賀奉書などに用いられてきました。現在も現地の職人によって楮の栽培から紙漉きまでが一貫して手がけられ、伝統の製法が守られています。
石川の郷土料理

かぶら寿司
Kaburazushi
かぶら寿司は、輪切りにして塩漬けした加賀野菜「かぶら(かぶ)」で、塩漬けにしたブリを挟み、米糀と一緒に漬け込んで発酵させる石川県を代表する発酵食品です。酢飯を用いる江戸前寿司とは異なり、乳酸発酵によって酸味とうまみを引き出す「なれずし」の一種で、金沢・加賀地方では冬から正月にかけての行事食・贈答品として親しまれてきました。ブリの脂と麹の甘み、かぶらのしゃきしゃきとした食感が層になって重なり合い、噛むほどに深い味わいが広がります。発祥については、金石町の漁師が豊漁と航海安全を祈願して正月に食べ始めたとする説や、前田藩主に振る舞われたことが始まりとする説など諸説あり、定かではありません。現在も冬季限定の商品として金沢の漬物店や料亭で扱われ、石川の冬を代表する味覚のひとつに数えられています。

治部煮
Jibuni
治部煮は、そぎ切りにした鴨肉や鶏肉に小麦粉をまぶして煮込み、金沢特産の「すだれ麩」や百合根、椎茸などの季節野菜を合わせた、加賀料理を代表する煮物です。小麦粉のとろみが具材に絡みつき、まろやかな口当たりに仕上がるのが最大の特徴で、仕上げに添えられるおろしわさびの香りが味を引き締めます。少なくとも江戸時代から武家の間で食べられていたとされる歴史ある料理で、加賀藩ゆかりの料亭や割烹では今も冬の定番として供されています。発祥については、キリシタン大名・高山右近が宣教師から製法を学び加賀藩に伝えたという説、豊臣秀吉配下の岡部治部右衛門が朝鮮から伝えたという説、名前が「じぶじぶ」と煮える音に由来するという説など諸説があり、定説はありません。金沢を訪れた際にはぜひ味わいたい代表的な郷土料理です。
金沢おでん
Kanazawa oden
金沢おでんは、金沢市民が一年を通して食べる地元のソウルフードで、昆布と魚節でとった上品な出汁に地元大野産の醤油を効かせた、関西風の透き通っただしが特徴です。地元で水揚げされる「バイ貝」や、だしをたっぷり吸い込む「車麩」、冬にはカニの甲羅にみそと身を詰めて煮た「カニ面」など、他県のおでんにはないご当地食材が並ぶのも大きな魅力です。金沢でおでんが親しまれるようになったのは明治時代末頃とされ、当初は祝賀行事などの場で提供されたと伝えられています。市内には昭和初期創業の老舗おでん屋が今も暖簾を守り、地元客と観光客の双方でにぎわいます。夏でも提供する店が多く、季節を問わず楽しめる点も金沢おでんならではの特色です。
ふぐの子糠漬け
Fugunoko nukazuke
ふぐの子糠漬けは、猛毒テトロドトキシンを含むふぐの卵巣を、塩漬けと糠漬けを合わせて2〜3年ほどかけてじっくり発酵させ、無毒化して食べる石川県白山市美川地区などに伝わる珍味です。江戸時代から加賀藩への献上品として珍重されてきた歴史ある発酵食品で、猛毒の内臓は本来食品衛生法により廃棄が義務づけられていますが、石川県では江戸期から続く伝統産業であること、長年にわたり事故の報告がないことから、県の許可を受けた業者に限って製造が認められています。毒がどのように抜けていくのか、そのメカニズムは今なお科学的に完全には解明されておらず、代々受け継がれてきた製法と経験によって安全な珍味に生まれ変わる、極めて特異な発酵食品です。薄くそぎ切りにして酒の肴やお茶漬けの具として親しまれています。

香箱ガニ
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香箱ガニは、石川県でズワイガニのメスを指す呼び名で、オスの加能ガニに比べて甲羅は半分ほどと小ぶりながら、甲羅の中には未成熟卵の「内子(うちこ)」とカニみそ、腹には卵の「外子(そとこ)」をたっぷりと抱えているのが魅力です。名前の由来には諸説あり、丸みを帯びた甲羅の形が香を納める茶道具「香箱」に似ていることに由来するという説、方言で「かわいらしい」を意味する「こうばく」に由来するという説、文豪・室生犀星が命名に関わったという説などが伝えられています。資源保護のため漁期は11月6日の解禁から12月29日頃までと短く、この期間だけ味わえる金沢の冬の風物詩として、近江町市場や市内の飲食店に多くの人が訪れます。濃厚な内子・外子と繊細な身の甘みが凝縮した、加能ガニとはまた違った魅力を持つ味覚です。

のどぐろ料理
Nodoguro ryori
のどぐろ料理は、石川県金沢近海で水揚げされる高級魚「のどぐろ」を、塩焼きや刺身、しゃぶしゃぶ、釜飯など多彩な調理法で味わう郷土の魚料理です。正式な標準和名はアカムツで、口を開けたときに喉の奥が黒く見えることから「のどぐろ」の俗称で親しまれています。白身でありながら脂がのった上品な味わいから「白身のトロ」とも称され、金沢では正月や法事などのハレの日に振る舞われる縁起の良い魚としても知られてきました。かつては日本海沿岸で庶民の食卓にも上る身近な魚でしたが、テレビ番組で紹介されたことをきっかけに全国的な人気が高まり、近年は価格が高騰する高級魚となっています。近江町市場周辺の飲食店では、のどぐろを一尾丸ごと使った釜飯や会席料理など、専門店ならではの多彩な食べ方が楽しめます。

金沢カレー
Kanazawa curry
金沢カレーは、石川県金沢市で発展したご当地カレーで、濃厚でドロッとしたルーに、キャベツの千切り、とんかつ、ソースを重ねる独特のスタイルが特徴です。金沢カレー協会は「ルーが濃厚でドロッとしている」「付け合わせにキャベツの千切りを添える」「ステンレスの皿に盛る」「フォークまたは先割れスプーンで食べる」「カツを載せソースをかける」という5つの要素を金沢カレーの定義としています。1961年に開業した洋食店「洋食タナカ」を起点に、そこから独立・派生した複数の店が金沢市内に広がり、それぞれが個性を競いながら現在のスタイルを確立しました。「金沢カレー」という呼び名自体は比較的新しく、ゴーゴーカレーが県外に進出した際に使われ始めたもので、地元では長らく「ターバン」「チャンカレ」のように店名で呼ばれてきました。
柚餅子
Yubeshi
柚餅子(ゆべし)は、柚子を器のようにくり抜き、その中に味噌や餅米粉などを詰めて燻し、半年ほどかけてじっくり乾燥させて作る石川県輪島の伝統菓子です。特に柚子を丸ごと一つ使う輪島産のものは「丸柚餅子」と呼ばれ、能登地方を代表する銘菓として知られています。起源は源平時代の保存食・携行食にさかのぼるとされ、室町時代の古文書にもその原型とみられる記述が残っています。長期保存が利くことから、かつて全国を行商して回った輪島塗の職人や商人たちの携行食や、得意先への手土産として重宝され、各地にその名が広まりました。製法は一子相伝で家族内に受け継がれてきた歴史があり、現在も昔ながらの手仕事によって作り続けられています。
長生殿
Chouseiden
長生殿は、石川県金沢市の老舗菓子司・森八が作る紅白の落雁で、新潟県の「越乃雪」、島根県の「山川」と並んで「日本三大銘菓」の一つに数えられています。江戸時代前期、加賀藩3代藩主・前田利常が七夕のための菓子作りを命じたことに始まり、茶道遠州流の開祖である小堀遠州の助言によって菓子の意匠が定められ、名前も遠州によって付けられたと伝わります。四国産の和三盆糖と北陸産のもち米粉を用い、小堀遠州直筆の「長生殿」の文字を彫り込んだ木型で一つひとつ打ち上げる伝統の製法が今も守られています。かつては加賀藩主専用の菓子として尊ばれ、後水尾天皇や徳川将軍家にも献上された格式高い歴史を持ち、現在も金沢を代表する土産菓子として親しまれています。
氷室饅頭
Himuro manju
氷室饅頭は、旧暦6月1日にあたる「氷室の日」(現在は7月1日)に、無病息災を願って食べる金沢の縁起菓子です。江戸時代、加賀藩前田家は冬の間に白山山系に降った雪を氷室に貯蔵し、旧暦6月1日になるとこれを「白山氷」として江戸の将軍家に献上する習わしがありました。加賀飛脚と呼ばれる者たちが約480キロの道のりをわずか4日で走り抜けたと伝わり、この道中の無事を祈って庶民が饅頭を神仏に供えたことが、氷室饅頭の始まりとされています。皮は白・赤(桃)・緑の三色があり、それぞれ清浄・魔除け・健康の意味が込められているといわれます。こし餡を包んだふっくらとした酒饅頭で、現在も7月1日が近づくと金沢市内の和菓子店が一斉に店頭に並べる夏の風物詩となっています。
モデルコース
金沢中心部で加賀の器と味を味わう半日コース
近江町市場で香箱ガニやのどぐろなど旬の魚介を味わったのち、老舗料亭で治部煮を堪能。兼六園散策と合わせて、大樋焼の窯元や九谷焼の美術館をめぐり、加賀の茶陶文化に触れる金沢市街地の周遊コース。
輪島・山中温泉で漆器の産地を訪ねる一日コース
輪島塗会館や輪島工房長屋で職人の手仕事を見学したのち、山中温泉で山中漆器のろくろ挽き体験に挑戦。柚餅子の老舗で能登の伝統菓子を味わい、産地ならではの漆器文化にじっくり浸る一日コース。
イベント
輪島大祭
毎年8月22日〜25日 / 輪島市街地各所
金沢百万石まつり
毎年6月上旬 / 金沢市中心部