茨城県画像: Wikimedia Commons

茨城県

関東平野の北東に位置する茨城県は、日本三名園「偕楽園」の梅と徳川御三家・水戸藩の歴史を伝える県央、霞ヶ浦の帆引き船漁が育んだ湖の食文化、笠間焼や結城紬をはじめとする多彩な伝統工芸、あんこう鍋や常陸牛など海と大地の恵みを生かした郷土料理が息づく地域です。全国有数の農業県・漁業県として納豆や干しいも、れんこんなどの生産量日本一を誇る一方、真壁石燈籠や水府提灯といった手仕事も今なお受け継がれています。

結城紬笠間焼水戸納豆あんこう鍋干しいも

茨城の伝統工芸

ひたち竹人形
木工茨城

ひたち竹人形

Hitachi Take Ningyo

ひたち竹人形は、福井県の伝統工芸「越前竹人形」の技術を受け継ぐ竹人形師が、茨城県日立市大みか町に構える工房で製作する竹細工の人形である。全国に3軒ほどしかないとされる越前系竹人形の作り手の一つで、竹人形師の柴田重光氏が福井で技術を学んだのち、1972年に日立で工房を開いたのが始まりとされる。竹は3年ものを選んで採取した後、さらに3年寝かせてから使用するため、伐採から完成までに実に6年を要する。真竹やさらし竹、ごま竹、黒竹、紋竹、虎竹など用途に応じてさまざまな竹を使い分け、能や歌舞伎、郷土芸能を題材にした人形を製作する。竹本来のたたずまいを生かした造形が特徴で、時を経るごとに飴色に変化する竹の色合いも楽しめる、茨城県を代表する竹工芸品の一つである。

粟野春慶塗
漆器茨城

粟野春慶塗

Awano Shunkei-nuri

粟野春慶塗は茨城県東茨城郡城里町粟に伝わる漆器で、室町時代の延徳元年(1489年)に稲川山城守源義明が地元に自生する漆・檜・梅を用いて塗物を考案したのが始まりと伝えられる。江戸時代には稲川家8代・興兵衛が水戸藩2代藩主・徳川光圀の前で紀州の漆工と技を競い、その仕上がりが優れていたことから水戸藩の塗物御用達となった。木地に黄や赤の下地色をつけたうえに透明な透漆を塗り重ねて木目を透かして見せる技法を用い、岐阜の飛騨春慶塗、秋田の能代春慶塗と並ぶ「日本三春慶」の一つに数えられる。1989年(平成元年)1月25日に茨城県指定無形文化財となったが、現在は稲川家1軒のみが伝統の技を継承している。

笠間焼
陶器茨城

笠間焼

Kasama Ware

笠間焼は茨城県笠間市を中心に生産される陶器で、江戸時代中期の安永年間(1772〜1781年)、箱田村(現在の笠間市箱田)の久野半右衛門が近江国信楽から招かれた陶工・長右衛門の指導を受けて窯を築いたのが始まりとされる。幕末から明治にかけては江戸に近い立地を生かし、水瓶や徳利などの日用雑器の大量生産地として発展した。戦後はプラスチック製品の普及で需要が落ち込んだが、官民一体で日用雑器から工芸陶器へと転換を図り、1992年(平成4年)10月8日に経済産業大臣指定の伝統的工芸品に指定された。「特徴のないのが特徴」といわれるほど作風の自由度が高く、現在も約300人の陶芸家・窯元が個性豊かな作品を生み出している。

結城桐箪笥
木工茨城

結城桐箪笥

Yuki Paulownia Chest

結城桐箪笥は茨城県結城市で作られる桐材の箪笥で、室町時代末期に領主・結城家の御殿調度品として欅(けやき)を用いた箪笥づくりが行われていたことに遡るとされる。結城家が領内に桐を植栽していたことから、通気性がよく燃えにくい桐材の特性が衣類収納に適しているとして、江戸時代後期以降は桐箪笥づくりが広まった。桐は湿度が高いと膨張して密閉性を高め、乾燥すると収縮して通気を良くする性質を持ち、着物や貴重品をカビや虫食いから守る収納具として重宝されてきた。昭和33年(1958年)には茨城県の特産物に指定され、結城市は現在も全国8大産地の一つに数えられている。女児の誕生時に桐を植えれば嫁入りの頃に箪笥が仕立てられるといわれ、婚礼調度品としても親しまれてきた。

結城紬
織物栃木・茨城

結城紬

Yuki-tsumugi

結城紬は現在の茨城県結城市を中心に、鬼怒川を挟んだ栃木県小山市一帯にかけて織り継がれてきた絹織物である。原型は奈良時代に常陸国から朝廷へ献上された「絁(あしぎぬ)」とされ、鎌倉時代には見た目が質素で丈夫なことから関東の武士に好まれて結城地方が生産の中心となり、室町時代には「結城紬」の名で幕府へ献上される特産品として知られるようになった。慶長年間(1596〜1615年)には代官・伊奈忠次による改良振興を経て技法が確立し、1977年3月30日に経済産業大臣指定伝統的工芸品の指定を受け、2010年にはユネスコ無形文化遺産にも登録された。最大の特徴は、真綿を手でつむいだほぼ無撚りの糸を、経糸を織り手の腰に結わえて体全体で織る「地機(いざり機)」の技法にあり、生糸で織った反物より軽く、絣模様の細やかさとともに独特のやわらかな着心地を生み出している。

常陸獅子
木工茨城

常陸獅子

Hitachi Jishi

常陸獅子は茨城県石岡市に伝わる獅子頭で、角を持たず、太く力強い眉と勇壮な表情を特徴とする。石岡の獅子舞に関する最古の記録は江戸末期の1854年(安政元年)の文書に見られ、当初は僧侶が経を唱えながら町を練り歩き悪魔祓いを行う「行道」の獅子として発展したと伝わる。近代以降、地域最大の祭礼である常陸国総社宮例大祭(石岡のおまつり)に各町内の獅子が一堂に会するようになり、獅子頭作りの需要とともに技術が磨かれてきた。現代の職人による製作では、地元産の桐材を木地に用い、耳・眉・目・鼻・上下顎などを部位ごとに彫り出して組み合わせ、本漆と純金箔で仕上げるのが特徴。石岡市内には獅子頭の制作技術を教える教室や工房があり、飾り獅子として購入することもできる、全国的にも珍しい「生きた」郷土工芸である。

真壁石燈籠
石工茨城

真壁石燈籠

Makabe Stone Lantern

真壁石燈籠は茨城県桜川市真壁町周辺で切り出される良質な花崗岩「真壁石」を用いて作られる石燈籠で、起源は16世紀頃に真壁の地で仏石づくりが始まったことに遡るとされる。真壁町内の寺院境内には文政7年(1824年)製作とみられる石燈籠が現存し、江戸時代末期の石工・久保田吉兵衛を祖として厳しい師弟相伝により技法が確立された。切り出しから仕上げまで18の技法を駆使し、突彫りや沈め彫り、透かし彫りなど繊細な彫刻を施すのが特徴で、1995年(平成7年)4月5日には経済産業大臣指定の伝統的工芸品に指定された。県内では結城紬、笠間焼に次ぐ3番目の指定品目であり、桜川市真壁地区は愛知県岡崎、香川県庵治と並ぶ石材三大産地の一つに数えられている。

水府提灯
和紙茨城

水府提灯

Suifu Chochin

水府提灯は茨城県水戸市に伝わる提灯で、江戸時代の水戸の異称「水府」を冠する。約400年前、財政難に苦しむ水戸藩の下級武士が内職として提灯づくりを始めたのが起源とされ、藩が特産品として奨励したことで発展した。最大の特徴は、輪にした篠竹に糸を一本ずつからめて補強する「一本掛け」という独自の製法で、丈夫で長持ちする提灯に仕上がる。近郊で漉かれる丈夫な和紙「西ノ内紙」を張ることも特徴の一つで、現在も岐阜・八女と並ぶ日本三大提灯産地の一つに数えられている。最盛期には水戸市内に30軒以上あった工房は近年数軒にまで減ったが、蔭山利兵衛商店や青野商店など老舗が伝統技法を今に伝え、祭礼用の提灯から観光客向けの体験まで幅広く手がけている。

西ノ内紙
和紙茨城

西ノ内紙

Nishinouchi Washi

西ノ内紙は茨城県常陸大宮市(旧山方町西野内)を中心に漉かれる手漉き和紙で、ミツマタやガンピを混ぜずコウゾのみを原料とする点に特徴がある。原料には常陸大宮市や大子町周辺で栽培される「那須楮」を用い、昼夜の寒暖差により絹に例えられるほど適度な太さと長さの繊維が育つとされる。江戸時代には水戸藩の紙専売仕法(1688年)により藩が全量を買い上げる重要産業となり、強靭さと保存性の高さから江戸の商家では大福帳にも用いられた。1971年(昭和46年)12月2日には茨城県の無形文化財(工芸技術)に指定され、現在も少数の漉き手により伝統の技が受け継がれている。

雪村うちわ
木工茨城

雪村うちわ

Sesson Uchiwa

雪村うちわは茨城県常陸太田市に伝わる茨城県郷土工芸品指定のうちわで、室町時代に同地に滞在した画僧・雪村周継が水墨画を描いたうちわを配ったことに始まると伝えられる。地元産の真竹を細く裂いた骨にい草を交差させて編み、常陸大宮市で漉かれる丈夫な和紙「西ノ内紙」を貼って仕上げる。図柄には馬や朝顔、案山子、水戸八景など雪村ゆかりの山水花鳥画が用いられ、水戸藩2代藩主・徳川光圀も愛用したと伝えられている。伐採から仕上げまで33にも及ぶ全工程を手作業で行うため、年間の製造数は2,000本ほどにとどまる。江戸時代から200年以上にわたり一軒の店が家業として技を受け継いでおり、現在は4代目が唯一の担い手として制作を続けている。

茨城の郷土料理

あんこう鍋
鍋料理茨城

あんこう鍋

Anko Nabe

あんこう鍋は、大洗町や北茨城市の平潟・大津、ひたちなか市の那珂湊などの漁港で水揚げされるあんこうを主役にした、茨城を代表する冬の鍋料理です。あんこうは江戸時代、鶴・雲雀・鷭・鯛と並んで「三鳥二魚」と呼ばれる五大珍味の一つに数えられた高級食材で、水戸徳川家から将軍家へ献上されていたことを示す資料も残っています。骨以外ほとんど捨てるところがなく、「ぬの(卵巣)・えら・とも(ひれ)・水袋(胃)・肝・柳肉(身)・皮」の「あんこうの七つ道具」を余さず鍋に仕立てるのが特徴です。もともとは漁師が船上で真水を使わずに仕立てた「どぶ汁」が原型とされ、あん肝を溶き入れた濃厚な味噌仕立ての出汁で身や内臓を煮込む、冬の茨城を代表するもてなし料理として親しまれています。

そぼろ納豆(しょぼろ納豆)
発酵食品茨城

そぼろ納豆(しょぼろ納豆)

Shoboro Natto

そぼろ納豆(しょぼろ納豆)は、糸引き納豆と割り干し大根(寒干し大根)を調味液に漬け込んだ、水戸市の郷土料理です。「しょぼろ」は「そぼろ」の水戸方言とされます。江戸時代、台風が来る前に収穫できる早生の小粒大豆で納豆づくりが盛んに行われた水戸では、秋に仕込んだ納豆を近所やお寺に配ることが習わしとなっており、余った納豆や糸引きの良くない納豆を長く食べられるよう、寒干し大根と合わせて漬け込む工夫が生まれたと伝わります。納豆そのものではなく、納豆を漬物のように加工した保存食である点が、ブランドとしての水戸納豆との大きな違いです。ポリポリとした割り干し大根の歯ざわりと納豆のほくっとした食感の対比が持ち味で、現在は水戸の老舗漬物店や納豆店が製造・販売し、ご飯のお供や酒の肴、水戸土産として親しまれています。

つけけんちん
麺類茨城

つけけんちん

Tsuke Kenchin

つけけんちんは、里芋や大根、ごぼう、にんじん、こんにゃくなど根菜をふんだんに使い、味噌と醤油、みりんで味付けした温かい「けんちん汁」に、太めのそばを別添えでつけて食べる茨城県の郷土料理です。江戸時代後期にはすでに食べられていたと伝わり、旧暦の新年(現在の節分の頃)にそばを食べる風習が水戸藩から茨城県内に広まったとされています。農作物の収穫が一段落する11月半ば、祭りのごちそうの一つとしてよく作られてきた料理で、そばを汁の中に入れて食べる他県の「けんちんそば」とは異なり、そばとけんちん汁を別々に用意してつけ麺のように食べるのが茨城ならではの特徴です。現在も新そばの出る秋から冬にかけて特によく食べられ、県内全域、とりわけ県北地域の食堂や家庭に深く根づいています。

奥久慈しゃも
肉料理茨城

奥久慈しゃも

Okukuji Shamo

奥久慈しゃもは、茨城県北部の大子町を主産地とする地鶏で、県内で選抜された気性の穏やかなしゃもに、コクのある肉質で知られる名古屋コーチンと産卵性に優れたロードアイランドレッドを交配して生み出されました。通常の食用鶏の約3倍にあたる期間をかけて飼育され、オスは110日以上、メスは130日以上、28日齢以降は1平方メートルあたり10羽以下のゆとりある環境で育てられます。昭和60年(1985年)に本格的な生産・販売が始まり、昭和63年(1988年)には全国地鶏味比べコンテストで1位を獲得。平成30年(2018年)には地鶏として日本で初めて地理的表示(GI)保護制度に登録され、品質の高さが公的に裏付けられました。脂肪が少なく締まった歯ごたえとジューシーでコクのある旨味が持ち味で、大子町では親子丼やしゃも鍋など多彩な料理で提供されています。

霞ヶ浦のわかさぎ料理(帆引き船漁)
海鮮茨城

霞ヶ浦のわかさぎ料理(帆引き船漁)

Kasumigaura Wakasagi Cuisine (Hobikibune Fishing)

霞ヶ浦のわかさぎ料理は、明治13年(1880年)頃に地元漁師・折本良平が考案したとされる帆引き船漁によって育まれてきた、かすみがうら市・土浦市周辺の魚食文化です。帆引き船は、大きな帆で風を受けて船体ごと横滑りさせながら袋状の網を曳く独特の漁法で、シラウオ漁として考案された後にワカサギ漁の主力となり、昭和42年(1967年)頃に動力船へ切り替わるまで約100年にわたり霞ヶ浦漁業の中心を担いました。水揚げされたわかさぎは、甘辛く煮た佃煮・甘露煮や、から揚げ・天ぷらなど、淡水魚らしい淡白な味わいと骨ごと食べられる食感を生かした料理に加工され、地元の食事処や土産物店で親しまれています。現在は往時の光景を伝える観光帆引き船が季節ごとに運航され、湖の食文化と漁の歴史をあわせて楽しむことができます。

干しいも
甘味茨城

干しいも

Hoshi Imo (Dried Sweet Potato)

干しいもは、蒸したさつまいもを薄く切って天日干しにした保存食で、ひたちなか市・東海村を中心とする茨城県沿岸部が全国生産量の大半を占める一大産地です。茨城での製造は明治41年(1908年)頃、静岡で見た製法を照沼勘太郎が持ち帰ったことをきっかけに、那珂湊(現ひたちなか市)の煎餅屋・湯浅藤七らが干しいもづくりを始めたことに由来するとされます。大正期から昭和初期にかけて製造戸数が着実に増え、戦後は県の奨励もあって生産が急拡大し、昭和30年(1955年)頃には発祥地の静岡県を上回って全国一の産地となりました。冬場の潮風と日照に恵まれた沿岸部の気候を生かし、昔ながらの「玉豊」や近年人気の「べにはるか」など、品種ごとの甘みと食感の違いを楽しめるのが持ち味で、今も茨城を代表する土産物として親しまれています。

吉原殿中
郷土菓子茨城

吉原殿中

Yoshiwara Denchu

吉原殿中は、水戸藩9代藩主・徳川斉昭の時代に、奥女中の吉原が残り飯を乾燥させて焼き、きな粉をまぶしたのが始まりと伝えられる水戸の郷土菓子です。倹約を重んじた斉昭がこの菓子をたいそう気に入り、考案した奥女中の名にちなんで「吉原殿中」と名付けたという逸話が残っています。もち米で作ったあられを水飴で固めて棒状に成形し、たっぷりのきな粉をまぶしてオブラートで包んだ素朴な味わいが特徴で、水戸市内の菓子店でつくられ続けています。昭和38年(1963年)に商標登録が出願され、水戸菓子工業協同組合に加盟する店だけが「吉原殿中」の名称を使うことができる、水戸を代表する銘菓のひとつです。

常陸牛
肉料理茨城

常陸牛

Hitachi Gyu

常陸牛は、茨城県内で生産される黒毛和種のうち、生後27カ月以上飼育され、日本食肉格付協会の格付でA・B4等級以上、かつ肉質の優れたものだけに与えられる茨城県のブランド和牛です。ルーツは天保3年(1832年)、水戸藩9代藩主・徳川斉昭が現在の水戸市見川町に「桜野牧」を開き、黒牛の飼育を始めたことに遡るとされます。昭和51年(1976年)、茨城県産牛銘柄確立推進協議会が優良な黒毛和種を「常陸牛」と命名し、翌年には茨城県常陸牛振興協会が設立されてブランドとして統一されました。リブロースやサーロイン、ヒレなどは赤身にほどよく脂の入った柔らかな霜降りが持ち味で、肩ロースやもも肉は焼肉やすき焼きに、外もも肉やすねは煮込み料理に向くなど、部位ごとの持ち味を生かした食べ方が楽しまれています。

常陸秋そば
麺類茨城

常陸秋そば

Hitachi Akisoba

常陸秋そばは、茨城県常陸太田市の金砂郷地区(旧金砂郷村)を発祥とするそばのブランド品種で、「玄そばの最高峰」とも称されます。1978年(昭和53年)、茨城県農業試験場が茨城ならではのそばブランドを育成しようと、県内の在来種の中から常陸太田市赤土町の系統をもとに選抜育成を開始したのが始まりです。選抜から7年をかけて品種として確立し、1985年(昭和60年)に茨城県の奨励品種に採用されました。1993年には常陸秋そば振興協議会が設立され、認証店制度を通じて品質管理とブランドの普及が図られています。香りの高さと甘み、コクのある味わいが特徴で、現在では茨城県内で栽培されるそばのほぼすべてを占め、常陸太田市をはじめ県内複数の市で栽培される、茨城を代表するそば品種として定着しています。

水戸納豆
発酵食品茨城

水戸納豆

Mito Natto

水戸納豆は、茨城県水戸市周辺で作られる納豆のブランド名で、粒がそろって糸引きの良い小粒大豆を使うのが特徴です。水戸市周辺は那珂川流域を中心に水害に強い小粒大豆の栽培が盛んで、この地の大豆が納豆づくりに適していたことから発展しました。1889年(明治22年)に初代笹沼清左衛門が「天狗納豆」を創業し、同年の鉄道開通にあわせて水戸駅前で売り出したことをきっかけに、水戸の納豆は全国にその名を知られるようになりました。稲わらに包んだ「わらづと納豆」など伝統的な製法も受け継がれ、現在も水戸市は「納豆のまち」を掲げて7月10日を「納豆の日」とする条例を制定するなど、納豆の街としてのブランドを発信し続けています。

モデルコース

水戸市内で歴史とご当地グルメを巡る半日コース

午前は水戸市内で水府提灯の店を訪ね、江戸時代から続く提灯づくりの技を見学。昼は水戸納豆やそぼろ納豆を扱う老舗で名物を味わい、水戸藩ゆかりの銘菓・吉原殿中を土産に選ぶ、水戸の歴史と味覚を一度に楽しめるコース。

笠間・桜川で伝統工芸を巡る一日コース

笠間市で笠間焼の窯元めぐりや陶芸体験を楽しんだ後、桜川市真壁地区へ移動して真壁石燈籠の展示庭園を見学。帰り道には常陸太田市の常陸秋そばを味わい、茨城の手仕事と蕎麦どころをあわせて堪能するコース。

大洗・霞ヶ浦で海と湖の幸を味わうコース

冬は大洗町であんこう鍋を、それ以外の季節はかすみがうら市で霞ヶ浦名物のわかさぎ料理と観光帆引き船を楽しむ、茨城の水辺の食文化を巡るコース。石岡市に足を延ばせば、常陸国総社宮例大祭で使われる常陸獅子の彫刻も見学できる。

イベント

水戸の梅まつり

毎年2月中旬〜3月下旬(2026年は2月11日〜3月22日) / 偕楽園・弘道館(水戸市)

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笠間の陶炎祭(ひまつり)

毎年4月29日〜5月5日 / 笠間芸術の森公園(笠間市笠間2345)

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