画像: Wikimedia Commons福岡県
九州の玄関口として大陸との交流の歴史を色濃く残す福岡県。博多織・博多人形をはじめとする伝統工芸は貿易都市・博多の繁栄とともに育まれ、上野焼・小石原焼・久留米絣など県内各地に個性豊かな産地が広がる。食文化も豚骨ラーメンやもつ鍋、水炊きといった博多グルメから、辛子明太子や梅ヶ枝餅のような土産物まで層が厚く、屋台文化とともに独自の食のスタイルを築いてきた。工芸・食ともに大陸文化を柔軟に取り込みながら独自に発展させてきた点が福岡らしさといえる。
福岡の伝統工芸

博多人形
Hakata Ningyo
博多人形は福岡市博多区を中心に作られてきた素焼きの土人形で、経済産業大臣指定伝統的工芸品です。起源は1600年、黒田長政の筑前入国に伴って多くの職人が博多に集められ、その中から素焼き人形づくりの技が生まれたと伝えられています。木偶師による細工物人形、瓦師の系譜を引く宗七焼、江戸末期に土俗玩具を手がけた中ノ子吉兵衛の系譜など複数の流れが合わさって発展しました。彩色を施した後に絵付けをせず焼き締める点や、写実性の高い「美人もの」をはじめ、歌舞伎や能、武者、干支、福助など多彩な題材を写実的かつ繊細に表現する点が特徴です。明治期にはパリ万国博覧会など海外の博覧会で高い評価を受け、日本を代表する人形として世界に知られるようになりました。

博多織
Hakata Ori
博多織は福岡市博多地区で織られてきた絹織物で、経済産業大臣指定伝統的工芸品です。起源は1241年、博多の商人・満田弥三右衛門が禅僧・円爾(聖一国師)とともに宋(中国)へ渡り、織物の技術を持ち帰ったことに始まるとされます。江戸初期の1600年、筑前を治めた黒田長政が幕府への献上品として博多織を選び、毎年帯地を献上する慣例が始まったことから「献上博多織」の名が広まりました。仏具の独鈷と華皿を図案化した紋様に、親が子を守る「親子縞」、子が親を慕う「孝行縞」を組み合わせた献上柄が代表的な意匠です。経糸を密に配して緯糸を強く打ち込む独特の製織法により、厚みと張りのある生地が生まれ、締めるほどに解けにくい帯地として古くから重用されてきました。1976年に国の伝統的工芸品に指定され、これまでに2人の人間国宝を輩出しています。

上野焼
Agano-yaki
上野焼は福岡県田川郡福智町を中心に、香春町・大任町にまたがる地域で焼かれる陶器で、経済産業大臣指定伝統的工芸品です。1602年、豊前小倉藩主・細川忠興が朝鮮出身の陶工・尊楷を招き、福智山の麓・上野の地に開窯したのが始まりとされます。その後、細川氏・小笠原氏という歴代藩主の庇護のもと藩窯として発展し、江戸時代には遠州七窯の一つに数えられるほど茶人に愛されました。極めて軽く薄づくりであることが最大の特徴で、絵付けをほとんど行わず、深い青緑色が薄い白肌の上を流れ落ちる「緑青流し」をはじめ、鉄釉・灰釉・藁白釉・三彩釉など多彩な釉薬が生む窯変の美しさで知られています。1983年に国の伝統的工芸品に指定され、現在も福智町上野地区を中心に約20の窯元が伝統を受け継いでいます。

小石原焼
Koishiwara-yaki
小石原焼は福岡県朝倉郡東峰村の小石原地区一帯で焼かれる陶器で、経済産業大臣指定伝統的工芸品です。1682年、筑前福岡藩3代藩主・黒田光之が、当時焼き物の産地として栄えていた伊万里にならい、陶工を招いて窯を開かせたのが起源とされています。開窯当初は磁器も焼かれていましたが、次第に日用の陶器づくりが主流となり、約340年にわたり技術が受け継がれてきました。最大の特徴は、ろくろを回しながら刃先を当てて規則的な削り目を生む「飛び鉋」や、刷毛で模様を描く「刷毛目」など、道具と手の動きから生まれる幾何学的な文様です。「用の美」を体現する暮らしの器として民藝運動の中でも高く評価され、1975年には陶磁器として日本で初めて国の伝統的工芸品に指定されました。現在も約50の窯元が集まり、春と秋には産地最大の陶器市「民陶むら祭」が開催されます。

久留米絣
Kurume Kasuri
久留米絣は福岡県久留米市を中心とする旧久留米藩地域で織られてきた藍染めの木綿絣で、伊予絣・備後絣と並ぶ日本三大絣の一つです。創始者は江戸時代後期の女性・井上伝で、13歳のとき着古した藍染めの着物の色落ちした部分に白い斑点が浮かんでいるのを見て、糸をあらかじめ括って染め分ける技法を考案し、紺と白のまだらな糸で織り上げる絣模様「加寿利」を生み出したと伝えられています。糸を括って防染し藍で染める「くくり」、染めた糸を解いて柄合わせをしながら織る工程まで、機械化が進んだ現在も約30の工程を経て仕上げられ、完成までに数か月を要します。輪郭がにじんだような素朴で温かみのある風合いが特徴で、1957年に重要無形文化財に指定され、1976年には国の伝統的工芸品にも指定されています。

八女提灯
Yame Chochin
八女提灯は福岡県八女市(旧福島町)で生まれた盆提灯を代表する伝統的工芸品です。文化年間(1813年頃)に荒巻文右衛門が創製したのが始まりとされ、後に吉永太平が竹ひごを一本につないで螺旋状に巻く「一条螺旋式」を考案。薄い和紙を用いて内部の灯りが仄かに透けるようにしたことで品質が飛躍的に向上しました。火袋には花鳥風月を描いた繊細な彩色画が施され、住吉提灯や大内行灯、御殿丸(御天丸)など多彩な種類があります。現在の提灯づくりの主流である一本の骨を螺旋状に巻く構造は、八女提灯が起源とされています。平成13年(2001年)に国の伝統的工芸品に指定され、生産量は日本一を誇り、海外へも出荷されています。仏事に用いる盆提灯としての需要が中心ですが、近年は若手職人による現代的なデザインの製品づくりも進んでいます。
八女福島仏壇
Yame Fukushima Butsudan
八女福島仏壇は福岡県八女市(旧福島町)で作られる、金箔と漆塗りを施した壮麗な楼閣造りの仏壇です。文政4年(1821年)、指物大工の遠渡三作が仏閣建築の夢を見たことをきっかけに、大工仲間の井上利久平・平井三作とともに製作を始めたと伝えられ、1850年頃には製作技術が確立しました。江戸時代末期には塗り・金具・彫刻・仏像・木地の各分野の職人が集まる一大産業へと発展しました。木地師・宮殿師・彫刻師・金具師・塗師・蒔絵師による分業体制のもと、木地から宮殿づくり、彫刻、金具、漆塗り、蒔絵・金箔押しまでおよそ80の工程を経て一基の仏壇が完成します。1977年(昭和52年)3月30日に経済産業大臣指定伝統的工芸品の指定を受け、福岡県を代表する仏壇産地としての地位を確立しました。
大川組子
Okawa Kumiko
大川組子は福岡県大川市で発展した木工技法で、釘や金具を一切使わずに、薄く細く加工した木片を幾何学的な文様に組み上げていく繊細な技術です。文化年間(1804〜1818年頃)に中国から伝わった組子の技術が、家具・建具のまちとして知られる大川の指物・建具づくりと結びつき、書院障子や欄間、衝立などに用いられて発展してきました。三角形の地組みを基本単位とする「三組手」に、麻の葉をはじめ200種類以上ともいわれる図柄を組み込み、多いときには数万点もの部材を組み合わせて仕上げます。見た目は繊細で華奢に見えながら、部材同士が精巧に噛み合うことで一枚の板のような強度を持つ点が最大の特徴です。1987年(昭和62年)に福岡県知事指定特産工芸品に指定され、豪華寝台列車「ななつ星in九州」の内装にも採用されるなど、伝統技術は現代のインテリアにも生かされています。
八女和紙
Yame Washi
八女和紙(八女手すき和紙)は、福岡県八女市を中心につくられる伝統の手すき和紙です。天正年間(1590年代)に越前国(現在の福井県)出身の僧・日源上人が八女を訪れ、矢部川流域の水質や気候が製紙に適していることを見出して製法を伝えたのが始まりと伝えられています。矢部川の清らかな水と、この地方特有の繊維が長く太い楮(こうぞ)を用いることで、他産地には見られない強靭な和紙に仕上がるのが特徴です。繊維が太く腰が強いため耐久性に富み、掛軸や障子紙、ふすまの内張りなど表装用の和紙として高い評価を受けており、国宝の修復に用いられたこともあるといいます。九州でも最も古い和紙産地の一つとされ、福岡県指定特産工芸品にも指定されています。
博多曲物
Hakata Magemono
博多曲物は、杉やヒノキの薄板を丸く曲げて成形し、桜の皮でとじて底をはめ込んだ木工品で、金属釘を一切使わないのが特徴です。その起源は古く、博多の柴田家が400年以上にわたって曲物づくりを家業として受け継いでおり、現当主は十八代目にあたる柴田玉樹氏です。江戸時代には東区の筥崎宮の神具としても奉納されてきた歴史を持ちます。飯びつ(おひつ)や弁当箱、茶びつなどの生活道具として親しまれ、特におひつは杉が余分な水分を吸放出することでご飯をふっくらと保つ性質があり、寿司職人をはじめ多くの料理人に愛用されています。使い方や手入れ次第では50年にわたって使い続けられるとも言われ、令和7年(2025年)3月には福岡県指定無形文化財(工芸技術)に新たに指定されました。
福岡の郷土料理

博多ラーメン
Hakata Ramen
博多ラーメンは、福岡市博多エリアを中心に食べられている豚骨ラーメンの一種です。豚骨を強火で長時間炊き出すことで生まれる白濁したとんこつスープと、島原素麺の技術を応用したといわれる極細ストレート麺の組み合わせが最大の特徴で、ゆで時間が短くて済むことから屋台の回転を上げる工夫として定着しました。麺がすぐに伸びてしまうため、少量ずつ何度でも麺だけを追加できる「替え玉」の文化が生まれたことでも知られます。紅しょうがや辛子高菜、白ごま、きくらげなど卓上の薬味を自分好みに加えて味を変化させながら食べるのも楽しみ方の一つです。戦後の屋台文化の中から生まれ、今では福岡を代表するご当地ラーメンとして全国、さらには海外にも店舗を展開する有名店を数多く輩出しています。

博多うどん
Hakata Udon
博多うどんは、福岡市博多区を中心に食べられている、コシの強さよりもやわらかさとだしの旨みを重視したうどんです。鎌倉時代に宋から帰国した聖一国師(円爾)が製粉技術とともにうどんを日本に伝えたとされ、博多はうどん発祥の地の一つとして知られています。博多うどんの麺はゆで置きされたやわらかい麺が主流で、あご(トビウオ)や昆布、厚削りなどでとった甘みのあるだしとよく絡みます。具材として代表的なのがカリッと揚がったごぼう天やふわふわの丸天で、これらを乗せた「ごぼう天うどん」は博多うどんの定番メニューとして親しまれています。駅の立ち食いうどん店から老舗の専門店まで、幅広い形態で市民の日常食として根付いています。

もつ鍋
Motsunabe
もつ鍋は、牛や豚のもつ(内臓肉)をキャベツやニラ、にんにく、唐辛子とともに醤油や味噌ベースのスープで煮込む、福岡・博多発祥の鍋料理です。終戦直後の食糧難の時代、安価に手に入る牛もつを野菜と一緒にアルミ鍋で煮て食べたのが始まりと伝えられています。その後、食材事情の改善とともにキャベツが加わり、もつ・にら・キャベツ・醤油ベースのスープ・〆のちゃんぽん麺という現在の形に確立されました。1980年代後半から博多市内で専門店が急増し、1990年代前半に全国的な「もつ鍋ブーム」が起こったことで、福岡を代表するご当地グルメとして定着しました。プリプリとした食感のもつと、たっぷりの野菜を一度に摂れる栄養バランスの良さも人気の理由です。
水炊き
Mizutaki
水炊きは、鶏ガラや骨付き鶏肉をじっくり煮込んで白濁したスープをとり、鶏肉や白菜、豆腐などの具材を煮ながらポン酢でいただく博多を代表する鍋料理です。名前に反してスープは透明ではなく、長時間の加熱でコラーゲンが溶け出した白く濃厚な仕上がりになるのが博多水炊きの特徴です。明治38年(1905年)、長崎出身の林田平三郎が香港で学んだ西洋料理のコンソメと中国料理の白湯(パイタン)の技法を組み合わせて考案し、博多の店「水月」で提供を始めたのが発祥とされています。海外との交流が盛んだった港町・博多らしく、外来の食文化を独自にアレンジして根付かせた料理であり、農林水産省の「うちの郷土料理」にも福岡を代表する一皿として選定されています。

辛子明太子
Karashi Mentaiko
辛子明太子は、スケトウダラの卵巣(たらこ)を唐辛子入りの調味液に漬け込んで作る、福岡・博多を代表する海産加工品です。スケトウダラの卵を辛味とともに食べる文化は朝鮮半島にルーツがあり、幼少期を釜山で過ごした川原俊夫が、現地で食べた「メンタイ(明太の唐辛子漬け)」の味が忘れられず、日本人の味覚に合うよう独自に研究を重ねて完成させました。1948年に博多・中洲で創業した「ふくや」が1949年に日本で初めて辛子明太子を商品化し、以降、福岡を象徴する食品として全国に知られるようになりました。ご飯のお供としてはもちろん、パスタやおにぎりの具、調味料としても幅広く使われ、福岡土産の定番として国内外の観光客からも根強い人気を誇ります。

おきゅうと
Okyuto
おきゅうとは、エゴノリという海藻を煮溶かして寒天状に固めた、福岡市を中心に食べられてきた郷土料理です。江戸時代から博多の朝食に欠かせない一品として親しまれ、戦前までは天秤棒を担いだ「おきゅうと売り」が毎朝町を売り歩いていました。ぷるんとした独特の食感と磯の香りが特徴で、生姜やかつお節、刻みねぎなどの薬味をのせ、醤油や酢醤油をかけていただきます。低カロリーで食物繊維が豊富なことから、近年はダイエット食としても注目され、コンビニやスーパーでも手軽に購入できます。学校給食にも取り入れられ、若い世代にも受け継がれる福岡の食文化を象徴する一品です。

筑前煮(がめ煮)
Chikuzen-ni (Gameni)
筑前煮(がめ煮)は、鶏肉とごぼう、れんこん、里芋、にんじん、こんにゃくなどを油で炒めてから出汁でじっくり煮含めた、福岡県を代表する郷土料理です。地元・博多では「がめ煮」と呼ばれるのが一般的で、博多弁で「寄せ集める」を意味する「がめくりこむ」が名前の由来とされます。かつて博多湾でとれたスッポン(どぶがめ)を用いたのが始まりという説もあり、現在の鶏肉料理に定着したのは後年のことです。正月のおせちや祭り、結婚式など祝いの席に欠かせない一品として、家庭ごとの味を受け継ぎながら今も福岡の食卓を彩っています。
ぬかだき
Nukadaki
ぬかだきは、いわしやさばなどの青魚を、唐辛子や山椒を加えて発酵させたぬか床とともに長時間じっくり煮込む、北九州市小倉地域に伝わる郷土料理です。「ぬかみそ炊き」「じんだ煮」とも呼ばれます。約400年前、小倉藩の初代藩主・小笠原忠真が信州から国替えで小倉に入った際に持ち込んだ糠味噌と、玄界灘や周防灘で豊富に獲れる青魚が出会って生まれたと伝えられます。骨まで柔らかくなるまで煮込まれ、ぬか床の香ばしさと甘辛い煮汁が青魚特有の臭みを和らげ、ご飯のおかずにも酒の肴にも合う濃厚な味わいに仕上がります。各家庭や店で継ぎ足されるぬか床は、味の要として代々受け継がれてきました。

梅ヶ枝餅
Umegae-mochi
梅ヶ枝餅は、あんこを餅生地で包み、梅の刻印が入った専用の焼き型で香ばしく焼き上げた、太宰府天満宮の参道名物です。学問の神様・菅原道真公にゆかりの深い餅菓子として知られ、天満宮の参道には焼きたてを提供する茶屋や餅屋が軒を連ね、香ばしい匂いが参道全体に漂います。名前の由来は、道真公に梅の枝に刺した餅を届けたという老婆の逸話にちなむと伝えられます。江戸時代にはすでに参道の名物として知られ、大正11年(1922年)創業の「かさの家」をはじめとする老舗が今も焼きたてにこだわり続けています。外はパリッと香ばしく、中はもちもちとした食感で、上品な甘さの粒あんとの相性が抜群です。焼きたてを頬張りながら参道をそぞろ歩く食べ歩きが定番の楽しみ方です。

鶏卵素麺
Keiran Somen
鶏卵素麺は、卵黄を細く糸状に流し入れて糖蜜で煮上げた、素麺のように見える南蛮菓子です。16世紀に南蛮文化とともに長崎を経て博多に伝わったとされ、金平糖やカステラと並ぶ「日本三大銘菓」の一つに数えられることもあります。江戸時代初期、福岡藩の御用菓子司であった松屋利右衛門が製法を確立し、1673年(延宝元年)に藩主から屋号を許されて以来、350年以上にわたり作り続けられてきました。卵黄と砂糖だけで作られる濃厚な甘さと、糸のように細く繊細な食感が特徴で、慶事の引き出物や贈答品として今も福岡で愛されています。
モデルコース
イベント
博多どんたく港まつり
毎年5月3日〜4日 / 福岡市内中心部(明治通り・博多駅周辺ほか)