画像: Wikimedia Commons秋田県
豊かな秋田杉の森と日本有数の米どころに育まれ、木工・漆器・金工など手仕事の技と、米・麹を活かした食文化がともに深く根付く県。大館曲げわっぱや樺細工、川連漆器といった国指定の伝統的工芸品に加え、角館の白岩焼・楢岡焼など復興を遂げた焼き物も息づく。食では、比内地鶏の出汁が香るきりたんぽ鍋や日本三大うどんの一つ稲庭うどん、燻したくあんのいぶりがっこなど、雪国ならではの知恵が生んだ郷土料理が数多く伝わる。角館の武家屋敷や八郎潟、田沢湖など四季折々の自然景観も魅力で、夏には秋田竿燈まつりや大曲の花火が県内外から多くの人を集める。
秋田の伝統工芸

大館曲げわっぱ
Odate Magewappa
大館曲げわっぱは、秋田県大館市で作られる木工品で、天然秋田杉の柾目材を薄く剥いで熱湯につけて柔らかくし、円筒形に曲げてから山桜の樹皮で縫い留める技法を用います。大館郷土博物館には平安時代のものとされる曲げ物の遺物も所蔵されており、素朴な曲げ物づくり自体は古くから行われていたと考えられていますが、産業として本格的に発展したのは17世紀後半のこと。大館城主・佐竹西家が領内の財政難と下級武士の困窮を打開するため、豊富な秋田杉資源を活用した曲げ物づくりを副業として奨励したことが直接の起源とされます。杉特有の美しい木目に加え、適度な調湿性・通気性を持つことから、詰めたご飯の余分な水分を吸収して美味しさを保つとされ、弁当箱やおひつとして近年改めて注目を集めています。1980年(昭和55年)10月には経済産業大臣指定の伝統的工芸品に指定されました。

川連漆器
Kawatsura Shikki
川連漆器は、秋田県湯沢市川連町(旧・稲川町)一帯で作られる漆器で、約800年の歴史を持つとされます。伝承によれば、1193年に源頼朝の家臣で稲庭城主・小野寺重道の弟である道矩公が古四王野尻に館を築いた際、家臣に命じて刀の鞘や弓、鎧などの武具に漆を塗らせたのが始まりとされ、その後は日用の椀づくりへと発展していきました。江戸時代初期の元和年間(1615年頃)から元禄期にかけて川連村を中心に約26戸が椀師稼業を営むようになり、江戸時代後期には藩の許可を得て販路を拡大、椀・膳・重箱など幅広い漆器がつくられ、沈金や蒔絵の装飾も加わって産業としての基盤を築きました。上塗り後に研ぎ・磨きを行わず刷毛目を生かしてそのまま仕上げる「花塗り」の技法と、堅牢な下地作りが最大の特徴で、実用性の高い日用漆器として親しまれています。国指定の伝統的工芸品です。

樺細工
Kabazaiku
樺細工は、秋田県仙北市角館町で作られる、山桜の樹皮(樺)を用いた木工品です。天明年間(1781〜1789年)、角館の下級武士であった藤村彦六が、秋田県北部の合川町鎌沢の神官・御処野家からその製法を習得し、角館の武士の間に広めたのが起源とされます。当時は大凶作と飢饉が続く時代で、元手のかからない山桜の樹皮を材料に、下級武士の手内職として印籠や根付などが作られました。明治以降は長松谷商店(屋号・丸亀)など有力な問屋の出現によって産業として安定し、明治30年頃には木を挽いて成形する「木地もの」の技法も加わりました。大正〜昭和期には小野東三が中興の祖と称され、柳宗悦との出会いを機に昭和17年の伝習会から技術復興が進みました。昭和51年(1976年)には経済産業大臣指定の伝統的工芸品に指定され、翌昭和53年には角館樺細工伝承館が開館しています。茶筒や盆、煙草入れなどが代表的な製品です。
秋田杉桶樽
Akita Sugi Oke-Taru
秋田杉桶樽は、日本三大美林の一つに数えられる秋田杉を用いて作られる桶・樽で、秋田県能代市・大館市・北秋田市などを主な産地とします。秋田市の秋田城跡からは平安時代後期のものと推定される桶が出土しており、桶・樽づくりの歴史は古くまでさかのぼると考えられています。江戸時代の享保年間には佐竹藩の保護のもとで産地が形成され、豊富な秋田杉資源を背景に生産が発展しました。秋田杉は年輪が均一で狂いが少なく、香りが良いうえに水漏れしにくいという特性を持つため、酒樽や味噌桶、おひつなど水や食品を扱う容器に適しています。柾目材を使う桶と板目材を使う蓋付きの樽とで用途が分かれ、箍(たが)には真竹や銅、真鍮が用いられます。1984年(昭和59年)5月には経済産業大臣指定の伝統的工芸品に指定されました。
イタヤ細工
Itaya-zaiku
イタヤ細工は、秋田県仙北市角館町雲然(くもしかり)地区で作られる、イタヤカエデの若木を薄い帯状に裂いて編み上げるかご細工です。寛政年間(1790年頃)に、農家の冬期間(農閑期)の副業として始まったとされ、200年以上にわたり受け継がれてきました。かつては魚籠のような腰籠「カッコベ」や、農作業用の籠、箕(み)といった実用の農具が中心に作られていましたが、時代とともに手提げかごや盛皿、玩具のイタヤ馬など工芸品としての製品へと幅を広げています。材料となるイタヤカエデの幹は1mm以下の厚さまで均一に裂かれ、職人の手作業によってかご編み技法で編み上げられます。軽くて丈夫なうえ、使い込むほどに飴色に変化し味わいを深めていく経年変化が魅力で、秋田県指定の伝統的工芸品となっています。現在、雲然地区で製造・販売を続けているのはわずか2軒のみです。

秋田銀線細工
Akita Ginsen Zaiku
秋田銀線細工は、純度の高い銀を直径0.2〜0.3mmほどの細い線に加工し、撚り合わせて渦巻きや唐草模様のパーツ「平戸」を作り、銀枠にはめ込んで組み上げる金属工芸です。慶長7年(1602)、佐竹義宣が常陸国から秋田へ国替えとなった際に金銀細工師を伴ったことが起源とされ、院内銀山をはじめとする秋田の鉱山開発と歴代藩主佐竹家の保護によって、刀装具や装飾金具の技術として発展しました。明治以降、武家需要の減少とともに、ブローチやペンダントなどの装身具づくりへと用途を広げ、ポルトガル船によって伝わったとされる「平戸細工」の技法を取り入れながら独自の様式を確立しました。純銀ならではの落ち着いた輝きと、精緻な線模様が織りなす繊細な意匠が最大の魅力で、昭和30年(1955)には国の無形文化財に選択され、現在は秋田県伝統工芸品・秋田市指定無形文化財として受け継がれています。

楢岡焼
Naraoka-yaki
楢岡焼は秋田県大仙市南外の楢岡地区で焼かれる陶器で、県内で最も長い歴史を持つ焼き物とされています。文久3年(1863)、地元の旧家・小松清治が陶工を招いて窯を築いたのが始まりで、創業当初はオリーブ色の茶器などが中心でしたが、明治中期以降、青みを帯びた重厚な「海鼠釉(なまこゆう)」を用いた作品が主流となりました。現在は明治41年(1908)に移転した南外高野地区で、地元産の土と釉薬を使い、登り窯による薪焼きで作陶が続けられています。窯元の楢岡陶苑は5代にわたって窯を守り続けており、昭和初期には陶芸家の加藤唐九郎や濱田庄司の指導を受け技術改良を重ねたことでも知られます。深みのある群青色の器は、秋田新幹線E6系グリーン車の内装にもイメージが用いられました。

白岩焼
Shiraiwa-yaki
白岩焼は仙北市角館町白岩地区で焼かれる陶器で、秋田県内で最も古い歴史を持つ焼き物とされています。明和8年(1771)、陸奥国相馬(現・福島県)の陶工・松本運七が角館の武士たちの支援を受けて開窯したのが始まりで、以後複数の窯が開かれ、最盛期には年間4万個を超える生活雑器が生産されました。しかし明治維新後は藩の庇護を失ったうえ、磁器の流入や地震による窯の損壊が重なり、明治33年(1900)に130年の歴史にいったん幕を閉じます。昭和49年(1974)、陶芸家・濱田庄司との出会いをきっかけに復興の機運が高まり、翌昭和50年(1975)、地元有志が「和兵衛窯」を開いて技術を復活させました。赤みを帯びた土色と青みがかった海鼠釉のコントラストが特徴で、現在も和兵衛窯が伝統を受け継いでいます。
中山人形
Nakayama Ningyo
中山人形は横手市平鹿町中山地区で作られる土人形で、丸みを帯びた愛らしい形と鮮やかな彩色が持ち味です。明治中頃、地元の樋渡ヨシが夫を亡くしたのち、生活の糧として姉様人形や押し絵をヒントに粘土細工を作り始めたのが起こりとされ、約150年の歴史を数えます。当初は雛人形や歌舞伎物など節句向けの人形が中心でしたが、その後かまくらや竿燈、梵天、秋田犬といった秋田ならではの題材や、干支をかたどった土鈴も手がけられるようになりました。3代目・樋渡義一が考案した「十二支土鈴」は、昭和54年(1979)に年賀切手の図案に採用されたことで全国に知られるようになります。現在も横手市の樋渡人形店が伝統を受け継いでおり、令和3年(2021)1月には秋田県伝統的工芸品に指定されました。
秋田八丈
Akita Hachijo
秋田八丈は、ハマナスの根皮やカリヤス、レンゲツツジといった植物染料で染め上げた絹糸を用いる、鳶色(とびいろ)を基調とした縞・格子模様の絹織物です。天明4年(1784)頃、石川滝右衛門らによって織物の技術がもたらされたのが始まりとされ、伊豆諸島の「本場黄八丈」に通じる草木染めの技法を土台に、文化年間には上州桐生から職人を招いて改良が重ねられました。明治36〜37年(1903〜1904)頃に生産の最盛期を迎えましたが、その後は徐々に生産者が減少し、最後まで生産を続けていた滑川織物工場(秋田市)が2003年に廃業したことで、一度は途絶えます。2006年、同工場の元従業員だった奈良田登志子氏が設備を譲り受けて北秋田市に工房を設立し、技術を一人で復活させました。2023年には工房を移転して「秋田八丈はまなす工房」と改称、現在も奈良田氏がただ一人の生産者として糸の染めから織りまでを手がけながら、地域おこし協力隊員への技術継承にも取り組んでいます。
秋田の郷土料理

きりたんぽ鍋
Kiritanpo Nabe
きりたんぽ鍋は、半搗きにしたご飯を秋田杉の丸棒に巻き付けて焼き上げた「きりたんぽ」を、比内地鶏の出汁で煮込む秋田県を代表する郷土料理です。発祥の地とされるのは大館市・鹿角市を中心とする県北地方で、炭焼きや杉の伐採のため山にこもった労働者が、残ったご飯を棒に付けて焼いて食べたのが始まりと伝えられます。比内地鶏の旨味が溶け出した醤油味の出汁に、ごぼう・舞茸・せり・長ねぎといった秋田の山の幸を合わせ、最後にきりたんぽを加えて短時間煮ることでほどよく出汁を含ませます。新米の季節から冬にかけて各家庭でつくられ、冠婚葬祭や来客をもてなす席にも欠かせない一品として親しまれています。

稲庭うどん
Inaniwa Udon
稲庭うどんは、秋田県湯沢市稲庭町を発祥とする手延べ製法の干しうどんです。生地を練り、綯って熟成させながら手で細く延ばしていく独特の工程を経てつくられ、平打ちで断面が扁平な麺は、つるりとした喉越しと強いコシを兼ね備えています。江戸時代前期の寛文5年(1665年)に製法が確立されたと伝わり、約100年後には秋田藩主・佐竹家の御用達にも指定されました。讃岐うどん・水沢うどんと並んで「日本三大うどん」の一つに数えられることもあります。手間のかかる手延べ製法のため生産量が限られ、贈答品としても高い人気を誇る秋田県を代表する麺料理です。

いぶりがっこ
Iburigakko
いぶりがっこは、大根を囲炉裏の煙で燻して乾燥させたのち、米糠と塩で漬け込む秋田県内陸南部発祥の漬物です。「いぶり」は燻すこと、「がっこ」は秋田弁で漬物を指す言葉に由来します。積雪が多く天日干しが難しい秋田の気候の中で、農家が大根を家の梁につるし、囲炉裏の熱と煙を利用して乾燥させる知恵から生まれたとされ、起源は室町時代にまでさかのぼるといわれています。燻された香ばしい香りとポリポリとした食感が特徴で、横手市を中心とする地域で発達しました。2019年には国の地理的表示(GI)保護制度にも登録され、秋田を代表する発酵食品として全国に知られています。
しょっつる鍋
Shottsuru Nabe
しょっつる鍋は、ハタハタなどの魚を塩とともに長期間発酵させてつくる魚醤「しょっつる」を出汁に使う、男鹿半島を中心とした秋田県沿岸部の鍋料理です。しょっつるは能登の「いしる」、香川の「いかなご醤油」と並ぶ日本三大魚醤の一つに数えられます。江戸時代初期頃から、男鹿をはじめとする秋田の漁村で大量に水揚げされるハタハタを樽に塩漬けし、じっくり発酵させて魚醤をつくる技術が受け継がれてきました。ハタハタや豆腐、白菜、きのこなどを土鍋でしょっつる仕立ての出汁で煮込む鍋は、魚醤ならではの濃厚な旨味と独特の風味が持ち味で、冬の男鹿を代表する味覚として親しまれています。

だまこ鍋
Damako Nabe
だまこ鍋は、半搗きにしたご飯を一口大に丸めた「だまこもち」を、比内地鶏の出汁でごぼう・せり・きのこなどとともに煮込む秋田県の郷土料理です。八郎潟周辺の南秋地方が発祥の地とされ、もとは焼いたワカサギやフナを味噌で仕立てた「つけご」という食べ方が原型でした。八郎潟の干拓によって漁獲量が減ったことから、魚に代わって鶏のガラと肉を使うようになったと伝えられています。杉の串に巻き付けて焼き上げるきりたんぽとは異なり、串を使わず焼く工程もないため手軽につくれるのが特徴で、もちもちとした食感の家庭料理として、きりたんぽと並んで秋田の冬を代表する鍋料理です。

ハタハタ寿司
Hatahata-zushi
ハタハタ寿司は、秋田県の県魚として知られるハタハタを、米・米麹・野菜とともに樽に漬け込み、乳酸発酵させて作る秋田を代表する馴れずしです。塩漬けにしたハタハタの塩を抜き、麹を混ぜ込んだ飯と人参などの野菜、昆布を交互に樽へ重ねて重石をのせ、3〜4週間ほどかけてじっくり発酵させて仕上げます。ハタハタは産卵期に雷鳴の轟く時期の海に大群で現れることから「霹靂神(はたはたがみ)」の名を得たとされる魚で、秋田では古くから「ハタハタなしでは正月を迎えられない」と言われるほど暮らしに根付いてきました。麹の甘みと発酵による酸味、ハタハタの旨みが渾然一体となった味わいは、大晦日や正月の祝い膳に欠かせないものとして今も受け継がれています。

横手やきそば
Yokote Yakisoba
横手やきそばは、秋田県横手市発祥のご当地焼きそばです。太めの茹で角麺にひき肉と刻んだ紅生姜を混ぜ込んだ甘口のウスターソースで炒め上げ、仕上げに半熟の目玉焼きと福神漬けを添えるのが最大の特徴です。第二次世界大戦直後、横手市内で屋台のお好み焼き屋を営んでいた店主が新たなメニューを模索したことから生まれ、地元の製麺業者との試行錯誤を経て昭和28年(1953年)頃に現在の麺の形が完成したと伝えられています。手軽さと美味しさから瞬く間に広まり、最盛期には市内に約100店舗の焼きそば店があったともいわれます。平成13年(2001年)には「横手やきそば暖簾会」が発足し、地域ブランドとして全国への発信とまちおこしが続けられています。
じゅんさい鍋
Junsai Nabe
じゅんさい鍋は、秋田県三種町の特産であるじゅんさい(蓴菜)を主役にした夏の鍋料理です。じゅんさいはスイレン科の水生植物で、水面に浮かぶ若葉の下から伸びる新芽をゼリー状のぬめりごと食用にします。三種町の角助沼周辺は自生地として知られ、地域ぐるみで沼を整備してきたことで今では全国有数の産地に発展しました。5月から8月にかけての収穫期には、箱舟に乗った摘み取り人が一芽ずつ手作業で摘み取る光景が初夏の風物詩となっています。鶏ガラや比内地鶏でとった出汁で鶏肉やごぼうを煮込み、仕上げにじゅんさいを入れて色が鮮やかな緑に変わったらすぐに食べるのがコツで、つるりとしたのどごしとぷりっとした食感を楽しむ、秋田の夏らしいもてなし料理です。
なた漬け
Nata-zuke
なた漬けは、生の大根を厚刃の鉈(なた)でざっくりと乱切りにし、米麹や甘酒、砂糖などで短期間漬け込む秋田の即席漬物です。切り口がわざとささくれ立つように大根を割ることで麹の味が内部までしみ込みやすくなり、シャキシャキとした歯ざわりと自然な甘みが特徴の浅漬けに仕上がります。秋田県は良質な秋田杉をはじめ山林資源が豊富で林業が盛んだったことから、多くの家庭に鉈があり、それを使って大根を漬け込んだことが名前の由来と伝わります。燻して乾燥させた大根を漬け込む「いぶりがっこ」とは異なり、なた漬けは生の大根を用いて数日で漬け上がる点が大きな違いで、秋田の食卓に欠かせない冬の「がっこ(漬物)」の一つとして親しまれています。
秋田諸越
Akita Morokoshi
秋田諸越は、小豆粉に砂糖などを混ぜて木型で成形し、じっくりと焼き上げる落雁の一種の郷土菓子です。江戸時代の宝永2年(1705年)、久保田藩4代藩主・佐竹義格が家臣の功をねぎらうために煎米菓子を作らせたことが始まりとされ、その後、菓子店「杉山壽山堂」の初代・杉山良作が小豆粉を用いた菓子を義格に献上したところ「諸々の菓子を越えて風味よし」と高く評価され、この一言が「諸越」という名の由来になったと伝わります(呼び名の起源には中国由来の「もろこし」に通じるとする説もあり、諸説あります)。300年以上にわたり作り継がれてきた歴史を持ち、口の中でほろりと溶ける上品な甘さと小豆の香ばしい風味が特徴で、今も秋田を代表する土産菓子として親しまれています。
モデルコース
大館・鹿角で木の匠と郷土鍋を楽しむコース
秋田杉の柾目材を曲げてつくる大館曲げわっぱの工房やハンディクラフトスタジオで製作体験を楽しんだのち、比内地鶏の出汁が決め手のきりたんぽ鍋で締めくくる、県北ならではの木工と食の半日コース。
湯沢で漆器の技と稲庭うどんを味わうコース
研がずに刷毛目を生かす「花塗り」が特徴の川連漆器伝統工芸館で漆器づくりに触れたのち、日本三大うどんの一つに数えられる稲庭うどんの老舗・佐藤養助総本店で手延べ麺を味わう、湯沢市内をめぐるコース。