ローカルフードジャンル
肉料理
全国各地の肉料理を横断的に紹介します。
地域(複数選択可)
44 件

すき焼き
Joshu Sukiyaki
群馬県のすき焼きは、主要食材である牛肉・ねぎ・こんにゃく・しいたけのすべてを県内産でまかなえる、全国でも珍しい「すき焼き自給率100%」の土地で育まれてきた郷土料理です。ブランド牛「上州牛」、甘くとろける下仁田ねぎ、生産量日本一を誇るこんにゃく、白菜や春菊、生しいたけまで、群馬の畑と牧場の恵みがひとつの鍋に集まります。2014年に群馬県は「すき焼き応援県」を宣言し、「ぐんま・すき焼きアクション」を通じて県産農畜産物の魅力を発信してきました。11月29日の「ぐんま・すき焼きの日」には県内の学校給食にもすき焼きが登場し、地域ぐるみで食文化を受け継いでいます。関東風の割り下仕立てはもちろん、関西風に肉を先に焼くスタイルや、上州軍鶏を使ったアレンジなど、店ごとに個性豊かな味わいが楽しめる懐の深さも魅力です。

牛たん焼き
Gyutan Yaki (Grilled Beef Tongue)
牛たん焼きは、仙台市を中心に食べられる牛のタンを厚切りにして塩味で炭火焼きにした宮城県を代表するご当地グルメです。昭和23年(1948年)、東京で修業した山形県出身の料理人・佐野啓四郎が、洋食の素材として扱われていた牛タンに着目し、日本人の味覚に合うよう塩焼きとして仕立て直したのが始まりとされています。1950年に仙台市内で専門店「太助」を開業したことで牛たん焼きが誕生し、戦後の食糧難のなか米の代わりに麦飯を添え、当時は活用されにくかった牛の尾を使ったテールスープを組み合わせる定食スタイルが確立されました。現在では仙台駅周辺や国分町を中心に数十軒の専門店がひしめき、麦飯・テールスープ・南蛮味噌・浅漬けを添えた「牛たん定食」が定番として全国に知られる仙台名物となっています。

ゴーヤーチャンプルー
Goya Chanpuru
ゴーヤーチャンプルーは、夏野菜のゴーヤー(にがうり)を島豆腐や卵、豚肉やポークランチョンミートと一緒に炒め合わせた沖縄の代表的な家庭料理です。「チャンプルー」は沖縄の言葉で「混ぜこぜにしたもの」という意味で、マレー語やインドネシア語の「チャンプール(campur、混ぜるの意)」に由来するといわれています。豆腐や炒め合わせる主な食材の名前を頭に付けて「〇〇チャンプルー」と呼ぶのが沖縄流で、ゴーヤーを使ったものが特に広く知られています。ゴーヤー特有の苦味は加熱しても壊れにくいビタミンCを豊富に含み、食欲を増進させる働きもあることから夏バテ防止の一皿として親しまれ、テレビや雑誌で紹介されたことをきっかけに全国の家庭料理としても定着しました。

ソースカツ丼
Sauce Katsudon
群馬県桐生市を中心に親しまれるソースカツ丼は、揚げたてのとんかつをウスターソースベースの特製だれにくぐらせ、卵でとじずにご飯へのせる、いわゆる「ソースカツ丼」文化圏を代表する郷土の味です。1926年創業の桐生市の食堂「志多美屋」が、うなぎのたれにウスターソースを合わせた独自のたれを考案したのが始まりとされ、織物業で栄えた桐生では冷めてもおいしいソースカツ丼が出前の定番として広まりました。現在も桐生市内で「カツ丼」といえば卵とじではなくソースカツ丼を指すほど生活に根づいており、「桐生ソースかつ丼会」が結成されるなど、地域を挙げてご当地グルメとして発信されています。使用するソースの配合や肉の部位に明確な決まりはなく、店や家庭ごとの違いを食べ比べる楽しみもあります。

近江牛
Omi-gyu
近江牛は、滋賀県内で肥育されたブランド和牛で、松阪牛・神戸牛とともに「日本三大和牛」の一つに数えられます。その歴史は江戸時代前期にまでさかのぼり、記録に残るブランド和牛としては日本最古とも言われます。江戸時代は仏教の影響で表向き肉食が禁じられていましたが、彦根藩では牛肉を味噌漬けにした「反本丸(へんぽんがん)」を養生薬と称して将軍家や御三家へ献上しており、これが近江牛の名を全国に広める端緒となりました。きめ細やかな霜降りと、赤身の旨みと脂の上品な甘さのバランスに定評があり、すき焼き・しゃぶしゃぶ・ステーキなど幅広い料理で親しまれています。現在も滋賀県内で一貫した肥育管理のもと生産され、県を代表する食のブランドとして国内外に知られています。

鶏ちゃん
Keichan
鶏ちゃん(けいちゃん)は、鶏肉と季節の野菜を味噌や醤油ベースの特製だれに漬け込み、鉄板やジンギスカン鍋で焼きながら食べる岐阜県奥美濃・飛騨南部の郷土料理です。郡上市や下呂市、中津川市北部を中心に古くから親しまれ、それぞれの店や家庭ごとに味付けや漬け込み方が異なるのが特徴です。かつて多くの家庭で鶏を飼育し、卵を産まなくなった親鶏を盆や正月などのハレの日に振る舞ったのが始まりとされます。昭和30年代以降、下呂や郡上の精肉店・飲食店が味付けを工夫して提供するようになり、安価な鶏肉の普及とともに家庭料理から外食メニューへと広がりました。現在は下呂市だけで30軒以上の飲食店が独自の鶏ちゃんを提供しており、下呂温泉や郡上八幡の観光名物としても人気を集めています。

佐賀牛
Saga Gyu
佐賀牛は、JAグループ佐賀管内で飼育された黒毛和種の中から、日本食肉格付協会による肉質等級が4等級以上、かつ脂肪交雑の指標であるBMSナンバーが7以上の牛肉のみが名乗ることを許されるブランド牛肉です。厳格な基準を満たしたものだけが「佐賀牛」を名乗れる仕組みにより、きめ細かな霜降りと柔らかな肉質を安定して届けることを実現しています。1984年に関西の食肉市場で佐賀牛のシールを添付して販売したのがブランドとしての始まりとされ、2000年には商標登録も取得しました。全国的にも格付け基準の厳しさで知られ、仙台牛に次ぐ厳格さとも評されるブランド牛として、佐賀県を代表する食のブランドに育っています。2007年にはJAグループ佐賀の統合に伴い、JAさが管内で肥育された黒毛和種全体が対象となり、産地・生産者を問わず統一した品質基準のもとでブランドが管理される体制が整えられました。

治部煮
Jibuni
治部煮は、そぎ切りにした鴨肉や鶏肉に小麦粉をまぶして煮込み、金沢特産の「すだれ麩」や百合根、椎茸などの季節野菜を合わせた、加賀料理を代表する煮物です。小麦粉のとろみが具材に絡みつき、まろやかな口当たりに仕上がるのが最大の特徴で、仕上げに添えられるおろしわさびの香りが味を引き締めます。少なくとも江戸時代から武家の間で食べられていたとされる歴史ある料理で、加賀藩ゆかりの料亭や割烹では今も冬の定番として供されています。発祥については、キリシタン大名・高山右近が宣教師から製法を学び加賀藩に伝えたという説、豊臣秀吉配下の岡部治部右衛門が朝鮮から伝えたという説、名前が「じぶじぶ」と煮える音に由来するという説など諸説があり、定説はありません。金沢を訪れた際にはぜひ味わいたい代表的な郷土料理です。

浜松餃子
Hamamatsu Gyoza
浜松餃子は、静岡県浜松市で親しまれているご当地餃子です。キャベツをたっぷり使ったあっさりした餡に、豚肉のコクを合わせた味わいが特徴です。焼いた餃子をフライパンの形のまま円形に並べ、中央にゆでたもやしを添える盛り付けがよく知られています。戦後に浜松駅の周辺で営業した屋台がルーツの一つとされ、1953年(昭和28年)創業の「石松餃子」は浜松餃子の元祖ともいわれます。2000年代半ばには市民有志が「浜松餃子学会」を立ち上げ、餃子の街としてのPRに取り組んできました。総務省の家計調査では、餃子の1世帯当たり年間支出金額で宇都宮市などと首位を争っています。浜松市は2011年に初めて全国1位となり、2025年の調査では3年連続の1位でした。市内には専門店や持ち帰りの店が多く、外食でも家庭の食卓でも身近な料理です。

味噌カツ
Misokatsu
味噌カツは、豚肉のとんかつに八丁味噌をベースにした甘辛い味噌だれをかけて食べる、名古屋を代表する郷土料理です。愛知県は江戸時代から豆味噌(八丁味噌)を使う食文化が根付いており、戦後の名古屋でとんかつに味噌だれを合わせる食べ方が広まりました。発祥については諸説あり、屋台でとんかつを味噌田楽のたれにつけて食べたのが始まりとする説や、天丼のたれをヒントに味噌だれのカツ丼を考案したとする説などが伝わります。矢場とんや味処叶といった老舗が名古屋名物として全国に知られるまでに育て上げ、現在では単品の味噌カツのほか、味噌カツ丼、味噌カツサンドなど多彩な形で提供されています。濃厚でコクのある赤味噌の風味とサクサクの衣の対比が魅力です。

ラフテー
Rafute
ラフテーは、皮付きの豚三枚肉を泡盛や醤油、砂糖でじっくりと甘辛く煮込んだ、沖縄を代表する豚肉料理です。琉球王朝時代、中国との冊封関係を通じて豚肉を食べる文化が発達したことを背景に生まれた宮廷料理で、中国料理の東坡肉(トンポーロウ)と起源を同じくすると考えられています。かつては冷蔵技術のない時代の保存食として濃い味付けで仕込まれていましたが、時代を経るにつれて味付けは穏やかになり、現在は法事や祝いの席で振る舞われる客膳料理として位置付けられています。長時間じっくり煮込むことで皮までとろけるように柔らかく仕上がるのが特徴で、「琉球料理は豚に始まり豚に終わる」といわれるほど、沖縄の食文化を象徴する一品です。

円盤餃子
Enban Gyoza
円盤餃子は、小ぶりの餃子20〜30個をフライパンいっぱいに隙間なく並べて焼き上げ、そのまま円盤のような形でお皿に盛り付けて提供する福島県のご当地グルメです。戦後、満州からの引き揚げ者が現地で覚えた餃子の作り方を屋台や食堂で提供したことが始まりとされ、発祥地の福島市を中心に、郡山市をはじめとする県内各地の食堂や専門店に受け継がれてきました。白菜をたっぷり使った餡と手のべした皮を大切にする店が多く、一皿を家族や仲間で取り分けながら食べるスタイルが定着しています。2024年には文化庁の「100年フード」にも認定されるなど、地域に根づいたソウルフードとして幅広い世代に親しまれています。ラーメンや馬刺しと並んで、福島県を代表するB級グルメの一つに数えられています。

串カツ
Kushikatsu (Deep-fried Skewers)
串カツは、牛肉や野菜、魚介類などを一口大に切って串に刺し、衣とパン粉をつけて油で揚げた大阪の名物料理です。揚げたてを、テーブルに置かれた容器のソースにくぐらせて食べます。ソースは客同士で共有するため、「ソースの二度づけ禁止」が鉄則として広く知られています。起源には諸説ありますが、通天閣のある新世界で、大正末期から昭和初期に生まれたとする説が有力です。昭和4年(1929年)創業の「だるま」は、初代の女将が近くで働く労働者のために出したのが始まりとしており、大阪式串カツの元祖とされます。安くて腹持ちがよく、すぐに食べられるよう、薄い牛肉に厚めの衣をつけて揚げたのが原型です。2000年代には串カツを主力とするチェーン店が全国に広がり、大阪名物として知られるようになりました。今も新世界の通りやジャンジャン横丁には、多くの串カツ店が軒を連ねています。

新潟タレカツ丼
Niigata Tarekatsu-don
新潟タレカツ丼は、薄く揚げたカツを甘辛い醤油ダレにくぐらせ、ご飯の上にのせた新潟市発祥の丼です。全国的に一般的な卵とじのカツ丼とは異なり、卵でとじずにタレの味だけで仕上げるシンプルな作りが特徴です。昭和初期、新潟市中心部の堀沿いに並んだ屋台の一つ「とんかつ太郎」で、初代店主の小松道太郎が考案したとされます。当時モダンな洋食だったカツレツを醤油ダレにくぐらせ、ご飯にのせて出したところ大評判になりました。薄めのカツを複数枚のせるのが一般的で、甘辛いタレがご飯にもほどよく染みます。発祥店のとんかつ太郎では、今も品名を単に「かつ丼」としています。「タレカツ丼」の呼び名は、1990年頃にとんかつ政ちゃんの2代目が考案して広めたものです。現在は新潟市を中心に、県内のとんかつ店や食堂で定番メニューとして親しまれています。

飛騨牛料理
Hida Gyu Ryori
飛騨牛(ひだぎゅう)は、岐阜県が誇る全国屈指のブランド和牛です。岐阜県内で生まれ育てられた黒毛和種のうち、社団法人日本食肉格付協会の格付けで「歩留等級A・B」かつ「肉質等級3等級以上」を満たしたものだけが「飛騨牛」の名称を名乗ることができます。きめ細やかな霜降りとやわらかな肉質、上品な甘みが特徴で、焼肉・すき焼き・しゃぶしゃぶ・ステーキなど幅広い食べ方で楽しまれています。飛騨高山や下呂温泉などの観光地では、飛騨牛を使ったステーキ丼や握り寿司、朴葉味噌焼きなど、地元ならではのメニューを提供する飲食店が数多くあり、旅行者に人気のご当地グルメとなっています。全国和牛能力共進会で最高位に輝いた実績もあり、海外でも評価が高まっています。

福井のソースカツ丼
Fukui Sauce Katsudon
福井のソースカツ丼は、薄く切った豚肉にきめ細かいパン粉をつけて揚げ、ウスターソースベースのたれをくぐらせてご飯にのせた丼です。福井では「カツ丼」と注文すると、卵とじではなくソースカツ丼が運ばれてくるのが当たり前とされています。元祖とされるのは、福井市の洋食店「ヨーロッパ軒」です。創業者の高畠増太郎はドイツで料理を学び、1913年(大正2年)に東京でこの料理を披露しました。関東大震災で被災したのち郷里の福井へ戻って店を再開し、ソースカツ丼は福井の味として根づきました。現在はのれん分けの店が県内に広がり、県民のソウルフードとして親しまれています。カツは箸で切れるほど柔らかく、甘みと酸味のバランスが取れたソースが食欲をそそります。キャベツを敷かず、ご飯とカツだけで構成するシンプルさも特徴です。

名古屋手羽先
Nagoya Tebasaki
名古屋手羽先(手羽先唐揚げ)は、鶏の手羽先をカラッと二度揚げし、甘辛いたれと胡椒やごまなどの薬味で仕上げた名古屋の居酒屋料理です。昭和38年(1963年)に名古屋市熱田区で創業した「風来坊」が、若鶏の丸焼き「ターザン焼き」のたれを手羽先の唐揚げにつけて提供したところ評判を呼び、看板メニューへと成長しました。その後「世界の山ちゃん」が独自のスパイスを効かせた手羽先で人気を博し、両店を筆頭に名古屋を代表する居酒屋グルメとして全国に知られるようになりました。骨付きのまま手で持って食べるスタイルと、甘辛だれ・スパイシー系など店ごとの個性が魅力で、ビールのつまみとしても定番の一品です。
シシリアンライス
Sicilian Rice
シシリアンライスは、佐賀市発祥とされるご当地グルメです。温かいご飯の上に、玉ねぎとともに甘辛いタレで炒めた薄切り肉と、レタス・トマト・きゅうりなどの生野菜を彩りよく盛り付け、仕上げにマヨネーズをかけて食べます。1975年(昭和50年)頃、佐賀市中心街の喫茶店でまかない料理として生まれたのが始まりとされ、名前の由来にはトマトの赤・卵の白・野菜の緑がイタリア国旗を思わせることと映画「ゴッドファーザー」の舞台シチリア島にちなんだ説など複数の説があります。使う食材や味付けは提供する店によって幅があり、佐賀牛のステーキを使った高級店のアレンジも見られる、自由度の高いご当地グルメとして親しまれています。決まったレシピや商標がないため、佐賀市観光協会のサイトなどでも「由来がはっきりしないのも魅力」として紹介されています。

甲府鳥もつ煮
Kofu Torimotsu-ni
甲府鳥もつ煮は、鶏の砂肝やハツ(心臓)、レバー、きんかん(産まれる前の卵)などを、砂糖と醤油の甘辛いたれで照り煮にした甲府市の料理です。「もつ煮」といっても、汁気の多い煮込みではありません。少量のたれを強火で短時間煮詰め、あめ状になったたれでもつを包むように仕上げます。戦後まもない1950年(昭和25年)ごろ、甲府市の蕎麦店「奥藤(おくとう)」で考案されたといわれます。捨てられていた鶏のもつを生かそうとしたのが始まりです。その後、蕎麦店から他の飲食店へ広がり、ほうとうや煮貝と並ぶ甲府の食文化になりました。2008年には甲府市職員の有志が「みなさまの縁をとりもつ隊」を結成し、全国にPRを始めました。2010年の「第5回B-1グランプリin厚木」では、初出場で最高賞のゴールドグランプリを獲得しています。

米沢牛
Yonezawa Beef
米沢牛は、山形県の置賜地方で肥育される黒毛和種のブランド牛で、松阪牛・神戸牛と並ぶ「日本三大和牛」の一つに数えられ、東日本では唯一の存在として知られています。その歴史は1871年(明治4年)、藩校・興譲館の教師として米沢に招かれたイギリス人チャールズ・ヘンリー・ダラスが、故郷を懐かしんで現地の牛肉を食べたことに始まるとされます。1875年に任期を終えたダラスは、米沢の牛を1頭連れて横浜の外国人居留地に戻り、仲間に振る舞ったところその味わいが評判となりました。牛肉の大消費地であった横浜で高い評価を得たことをきっかけに、ダラスが米沢の家畜商と横浜の問屋を仲介し、「米沢牛」として売り出されました。これが、松阪牛・神戸牛とは異なるルートで全国に知られるようになった始まりです。現在は米沢牛銘柄推進協議会により、黒毛和種の未経産雌牛で置賜地域で肥育され、出荷月齢33か月以上、肉質等級3等級以上などの基準を満たしたものだけが「米沢牛」を名乗ることができます。

松阪牛
Matsusaka Beef
松阪牛は、三重県松阪市を中心とする地域で肥育される黒毛和種のブランド牛です。読み方は「まつさかうし」または「まつさかぎゅう」です。出産経験のない雌牛(未経産牛)に限られ、一頭ずつ「松阪牛個体識別管理システム」に登録されています。松阪地方では古くから、但馬(現在の兵庫県北部)生まれの若い雌牛を農耕用の役牛として迎えてきました。明治以降、その牛を長い期間かけて肥育し、肉牛として東京などへ出荷するようになりました。1935年(昭和10年)の全国肉用畜産博覧会で最高の名誉賞を受け、名声が全国に広がったとされます。きめ細かな霜降りと、低い温度で溶ける脂が持ち味です。加熱すると「和牛香」と呼ばれる甘い香りが立つとされます。地元では、鉄鍋で肉を焼き、砂糖とたまり醤油で味付けするすき焼きが定番です。網焼きやステーキで味わう店もあります。

金沢カレー
Kanazawa curry
金沢カレーは、石川県金沢市で発展したご当地カレーで、濃厚でドロッとしたルーに、キャベツの千切り、とんかつ、ソースを重ねる独特のスタイルが特徴です。金沢カレー協会は「ルーが濃厚でドロッとしている」「付け合わせにキャベツの千切りを添える」「ステンレスの皿に盛る」「フォークまたは先割れスプーンで食べる」「カツを載せソースをかける」という5つの要素を金沢カレーの定義としています。1961年に開業した洋食店「洋食タナカ」を起点に、そこから独立・派生した複数の店が金沢市内に広がり、それぞれが個性を競いながら現在のスタイルを確立しました。「金沢カレー」という呼び名自体は比較的新しく、ゴーゴーカレーが県外に進出した際に使われ始めたもので、地元では長らく「ターバン」「チャンカレ」のように店名で呼ばれてきました。

山賊焼き
Sanzoku-yaki
山賊焼き(さんぞくやき)は、長野県中信地方の松本市や塩尻市を中心に親しまれている鶏肉料理です。鶏もも肉などを一枚のまま、にんにくやたまねぎを効かせたしょうゆだれに漬け込み、片栗粉をまぶして油で揚げます。肉を切り分けずに揚げる豪快さが、一般的な唐揚げとの大きな違いです。名前に「焼き」とありますが、実際は揚げ物です。発祥は塩尻市の居酒屋「山賊」とされ、名前の由来には店主の風貌が山賊に似ていたという説や、「とりあげる」を「鶏揚げる」に掛けたという説などがあります。2009年ごろからは地元の食堂の組合や市民団体が名物として広める活動を進め、今では長野県を代表するご当地グルメの一つになりました。食堂の定食や居酒屋の一品として、地元の人にとっては子どもの頃から身近な味です。

四日市とんてき
Yokkaichi Tonteki
四日市とんてきは、厚切りの豚肉をにんにくと一緒に焼き、黒っぽい濃いめのソースを絡めた三重県四日市市のご当地グルメです。名前は「とん(豚)」と「てき(ステーキ)」を合わせたものです。付け合わせには千切りキャベツをたっぷり添えます。焼き縮みを防ぐために深い切れ目を入れた肉の形が、野球のグローブに似ていることから「グローブ」とも呼ばれます。始まりは戦後間もない頃とされ、市街地の中華料理店の看板メニューだったといわれます。工業地帯で働く人が多かった四日市では、スタミナがつきボリュームのある料理が好まれました。牛肉のステーキより安く、たくさん食べたい人に愛された庶民の味です。2008年からは「四日市とんてき協会」が普及活動を続け、B-1グランプリなどのイベントにも出展しています。現在は中華料理店や定食屋、喫茶店など、さまざまな店で味わえます。

筑前煮(がめ煮)
Chikuzen-ni (Gameni)
筑前煮(がめ煮)は、鶏肉とごぼう、れんこん、里芋、にんじん、こんにゃくなどを油で炒めてから出汁でじっくり煮含めた、福岡県を代表する郷土料理です。地元・博多では「がめ煮」と呼ばれるのが一般的で、博多弁で「寄せ集める」を意味する「がめくりこむ」が名前の由来とされます。かつて博多湾でとれたスッポン(どぶがめ)を用いたのが始まりという説もあり、現在の鶏肉料理に定着したのは後年のことです。正月のおせちや祭り、結婚式など祝いの席に欠かせない一品として、家庭ごとの味を受け継ぎながら今も福岡の食卓を彩っています。
高津のとり飯
Takatsu no Torimeshi
高津のとり飯は、千葉県八千代市高津地区に伝わる、鶏肉を醤油で煮てご飯に混ぜ込むだけのシンプルな混ぜご飯です。小さく切った鶏もも肉を醤油で煮た具を、炊きたてのご飯に混ぜ合わせて作ります。「米1升に飯茶わん1杯の醤油」という分量が代々口伝えで伝えられており、特別な調味料を使わない素朴な味わいが特徴です。この料理は、安産を願う女性たちが集まって子安神を祀る「子安講」や、豊作を祈願する旧暦8月1日の行事「八朔」の際に振る舞われてきた行事食としての側面を持ちます。食材が貴重だった時代に、鶏肉を細かく切ることでみんなに行き渡るよう分け合う工夫だったとも伝えられています。現在も八千代市高津地区の家庭や学校給食、親子料理教室などを通じて次の世代へ受け継がれている郷土料理です。

ボルガライス
Volga Rice
ボルガライスは、オムライスの上にとんかつをのせ、ソースをかけた福井県越前市のご当地グルメです。旧武生市にあたる越前市の武生地区で、30年以上前から親しまれてきたといわれます。地元では特別な料理というより、ごく当たり前の洋食として食べられてきました。決まったレシピはなく、店ごとに作り方や味が異なるのが大きな特徴です。中のご飯はケチャップライスのほか、ピラフやチャーハンを使う店もあります。カツもロースやヒレ、メンチカツなどさまざまで、ソースもデミグラスやトマトソースなど個性豊かです。「ボルガ」という名前の由来ははっきりしておらず、諸説が語られています。2010年には越前市の職員らが「日本ボルガラー協会」を結成し、まちおこしに取り組んできました。当初5店舗ほどだった提供店は20店舗以上に増え、学校給食にも登場しています。

ミミガー
Mimigaa (Pig Ear)
ミミガーは、豚の耳を使った沖縄の郷土料理で、軟骨質のコリコリとした独特の歯ざわりが持ち味の珍味です。名称は「耳」を意味する「ミミ」と、沖縄の方言で「皮」を意味する「ガー」を合わせた呼び名とされます。筋肉部分がほとんどなく軟骨と皮でできているため脂肪が少なく、良質なコラーゲンを含む部位として知られます。毛を直火で焼いて処理した耳を茹でるか蒸したうえで細切りにし、ピーナッツ和えやポン酢、酢味噌などで和えて食べるのが定番の食べ方です。かつて沖縄では豚を「鳴き声以外はすべて食べる」といわれるほど余すところなく活用する食文化が根付いており、ミミガーはその代表格として居酒屋のメニューや家庭のおかず、酒の肴として広く親しまれています。県外ではほとんど流通しない部位を使った、沖縄ならではのユニークな料理です。
鴨なんば
Kamo Nanba
鴨なんばは、鴨肉と九条ねぎをそばやうどんに合わせた、京都で親しまれる冬の麺料理です。「なんば」は上方言葉でねぎを意味し、大阪・難波周辺で栽培されていた「難波ねぎ」に由来するとされます。京都では、難波ねぎの系統を引く地元産の九条ねぎが使われ、加熱すると甘みが増すねぎの風味と、脂の乗った鴨肉の旨味が溶け合った出汁が特徴です。関東では「鴨南蛮」と表記され、上方では「鴨なんば」と呼ばれるなど、東西で呼び名や表記が異なる料理としても知られています。京都の老舗そば処では冬季限定メニューとして提供されることが多く、寒い時期の一杯として親しまれています。

いわて短角牛
Iwate Tankaku Beef
いわて短角牛は、岩手県北部から山間部にかけて育てられる褐毛(あかげ)系の肉用牛「日本短角種」の岩手県産ブランド牛です。寒さに強く放牧に適した体質を活かし、春から秋は広大な高原で母牛と子牛が親子で過ごし、冬は牛舎で育てる「夏山冬里(なつやまふゆさと)」という独自の飼育方式が最大の特徴です。穀物飼料に頼らず牧草を中心に育つため、脂肪分が少なく赤身のうま味が濃いのが持ち味で、噛むほどに肉の風味が広がります。全国の和牛流通量に占める日本短角種の割合はごくわずかとされ、希少性の高い牛肉として知られています。健康志向の高まりとともに赤身肉の魅力が見直され、岩手県を代表するブランド牛として全国的な評価を高めています。
かしわのすき焼き
Kashiwa no Sukiyaki
かしわのすき焼きは、農林水産省「うちの郷土料理」にも掲載される奈良県の郷土料理で、鶏肉を使ったすき焼きです。関西地方では食用の鶏肉を「かしわ」と呼びますが、これは鶏の茶褐色の羽色が柏の葉に似ていることに由来するとされます。天満宮の守護神が牛であることから、天神さんの秋祭りの祝いの席では牛肉ではなく鶏肉のすき焼きが振る舞われてきたと伝わり、祝い事や来客をもてなす際のごちそうとして各家庭で作られてきました。現在は、戦前に名声を博した「大和のかしわ」の味を再現すべく奈良県が開発した「大和肉鶏」を使うことが多く、コクと旨味、程よい脂の乗った肉質が持ち味です。生卵や温泉卵をつけて食べ、仕上げに三輪素麺を加える食べ方も親しまれています。

ザンギ
Zangi
ザンギは、鶏肉に醤油・にんにく・しょうがなどをベースにした下味をしっかりとつけ、小麦粉をまとわせて揚げる北海道の唐揚げです。昭和30年頃、釧路市の繁華街・末広で鶏料理店を営んでいた店が、鶏一羽をぶつ切りにして揚げたのが始まりとされます。名称は中国料理の鶏の唐揚げ「炸鶏(ザーチー)」に由来し、店主が語呂の良さや縁起を担いで文字の間に「ン」を加えたという説が有力です。一般的な唐揚げより下味が濃く、味付けだけで食べられる点が特徴で、下味と衣がしっかり絡んだザクッとした食感が持ち味です。釧路発祥の食べ方では、揚げた鶏にウスターソースベースの特製ダレをかけて味わうスタイルも根強い人気を保っています。家庭のおかずから居酒屋のつまみまで、北海道全域で通年親しまれるソウルフードです。

ジンギスカン
Jingisukan
ジンギスカンは、羊肉を専用の鍋で焼く北海道を代表する肉料理です。中央が盛り上がった鋳物製の鍋は、羊肉を鍋の中心で焼き、滴り落ちる肉汁で外周の野菜を蒸し焼きにする構造になっており、鍋の形がモンゴル兵の兜に似ていることに由来するとの説があります。名称の名付け親には諸説ありますが、満鉄調査部長を務めた駒井徳三が有力とされます。大正期、羊毛の国内自給を目指す「綿羊百万頭計画」により滝川市や札幌市月寒に種羊場が置かれたことが普及の土台となり、戦後の1956年には滝川市で松尾政治が羊肉をタレに漬け込む「味付けジンギスカン」を考案し、全道に広まりました。焼く前にタレへ漬け込む滝川・松尾式と、焼いてからタレをつける札幌・月寒式の2系統があり、店ごとの味わいの違いも楽しめます。

デミカツ丼
Demi Katsudon
デミカツ丼は、揚げたてのとんかつに熱々のデミグラスソースをかけた岡山市発祥のご当地グルメです。1931年(昭和6年)創業の老舗「味司 野村」の創業者が、東京のホテルで味わったデミグラスソースの美味しさに感動し、自店のとんかつに応用したのが始まりと伝えられています。白いご飯の上にとんかつをのせ、たっぷりのデミグラスソースをかけるのが基本のスタイルで、生卵やグリーンピース(岡山では「アラスカ」と呼ぶ店もある)を添えるなど、店ごとに工夫が凝らされています。現在は岡山市を中心に県内約30店舗で提供されており、「デミカツ」「ドミカツ」「洋風カツ」など呼び名もさまざまです。地元では通年親しまれる定番の洋食どんぶりとして、観光客にも人気があります。
とちぎ和牛
Tochigi Wagyu
とちぎ和牛は、栃木県内の指定生産者が丹精込めて育てた黒毛和種のうち、枝肉格付でA・Bの4等級以上という厳しい基準をクリアした牛肉だけに与えられるブランド名です。昭和63年(1988年)、県産和牛のブランド化に取り組む中で命名されました。約200名の指定生産者が、血統の優れた子牛を約30ヶ月という長い期間かけて肥育し、肥育後期には栃木県産米を飼料に添加するなど、肉質と風味の向上に力を注いでいます。県内で飼養される和牛は年間約1万頭にのぼりますが、とちぎ和牛として認定されるのはそのうち年間約3千5百頭ほどにとどまり、きめ細やかな霜降りと柔らかな肉質が特長です。全国肉用牛枝肉共励会など全国規模の品評会でも高い評価を受けており、県内外のすき焼き店・焼肉店で味わうことができます。

よこすか海軍カレー
Yokosuka Kaigun Curry
よこすか海軍カレーは、明治期の旧日本海軍で提供されていたカレーのレシピを現代に再現した、横須賀市発祥の町おこしグルメです。1908年発行の海軍のレシピ集「海軍割烹術参考書」に記されたカレイライスの作り方を再現し、牛乳とサラダを添えて提供することが基本ルールとされています。1999年に横須賀市や商工会議所、海上自衛隊が協力して発足させた「カレーの街よこすか推進委員会」の活動から生まれ、原則として横須賀市内の認定店でのみ提供されています。白米中心の食生活で脚気に悩まされていた明治の日本海軍が、栄養バランスの改善のためイギリス海軍のカレー風シチューを取り入れたことが日本のカレー文化の源流の一つとされ、よこすか海軍カレーはその歴史を今に伝える一皿として親しまれています。

宇都宮餃子
Utsunomiya Gyoza
宇都宮餃子は、栃木県宇都宮市を中心に食べられているご当地餃子で、日本有数の「餃子の街」として全国に知られています。第二次世界大戦中、宇都宮に駐屯していた陸軍第14師団の将兵が満州(現・中国東北部)などへ派遣され、現地で本場の餃子文化に触れたことがきっかけとされ、終戦後の復員に際して製法を持ち帰り、市内に広まったといわれています。1991年には業者団体「宇都宮餃子会」が発足し、餃子像の設置や餃子マップの作成、毎年秋開催の「宇都宮餃子祭り」などの活動を通じて、家計調査の餃子購入額日本一を追い風に町おこしを展開してきました。キャベツやニラ、ねぎなどの野菜をたっぷり使い、にんにくを控えめにした甘みのある餡が特徴で、市内には200店以上の餃子店がひしめき、焼き・水・揚げとさまざまな食べ方で楽しまれています。
奥久慈しゃも
Okukuji Shamo
奥久慈しゃもは、茨城県北部の大子町を主産地とする地鶏で、県内で選抜された気性の穏やかなしゃもに、コクのある肉質で知られる名古屋コーチンと産卵性に優れたロードアイランドレッドを交配して生み出されました。通常の食用鶏の約3倍にあたる期間をかけて飼育され、オスは110日以上、メスは130日以上、28日齢以降は1平方メートルあたり10羽以下のゆとりある環境で育てられます。昭和60年(1985年)に本格的な生産・販売が始まり、昭和63年(1988年)には全国地鶏味比べコンテストで1位を獲得。平成30年(2018年)には地鶏として日本で初めて地理的表示(GI)保護制度に登録され、品質の高さが公的に裏付けられました。脂肪が少なく締まった歯ごたえとジューシーでコクのある旨味が持ち味で、大子町では親子丼やしゃも鍋など多彩な料理で提供されています。

横浜中華街のシュウマイ
Yokohama Chinatown Shumai
横浜中華街のシュウマイは、明治期の開港とともに南京街(現在の中華街)に渡来した中国人料理人たちが伝えた点心文化を背景に発展してきました。豚肉を主体としたあんを小麦粉の皮で包んで蒸し上げる点心の一つで、中華街には創業から数十年から100年近い歴史を持つ老舗が数多く残り、店ごとに配合や食感の異なる自家製シュウマイを提供しています。小ぶりで肉汁を凝縮させた一口サイズが多く、店頭でのテイクアウト販売やお土産用の箱詰めも盛んです。なお横浜の駅弁として全国的に知られる崎陽軒の「シウマイ」もそのルーツは南京街(現中華街)で提供されていた焼売にあるとされ、中華街の点心としてのシュウマイと駅弁シウマイは、同じ横浜の食文化から枝分かれした兄弟のような関係にあります。

十和田バラ焼き
Towada Barayaki
十和田バラ焼きは、牛のバラ肉と大量のタマネギを甘辛い醤油ベースのタレで鉄板焼きにする、十和田市民のソウルフードです。1950年代、隣接する三沢市の在日米軍基地前に立ち並んだ屋台で誕生したと伝えられています。当時、米軍関係者が食用に飼育していた牛のうち、ステーキ用の赤身肉を取った後の脂の多いバラ肉やモツが安く払い下げられ、それを朝鮮半島にルーツを持つ人々がプルコギを参考にタマネギをふんだんに使って調理したのが始まりとされます。1958年の地元紙広告には「牛肉のバラ焼き」の記述が見られ、その後十和田市へと伝わり爆発的に広まりました。現在では市内40店舗以上で提供され、店ごとに異なるタレの味わいを楽しめます。

常陸牛
Hitachi Gyu
常陸牛は、茨城県内で生産される黒毛和種のうち、生後27カ月以上飼育され、日本食肉格付協会の格付でA・B4等級以上、かつ肉質の優れたものだけに与えられる茨城県のブランド和牛です。ルーツは天保3年(1832年)、水戸藩9代藩主・徳川斉昭が現在の水戸市見川町に「桜野牧」を開き、黒牛の飼育を始めたことに遡るとされます。昭和51年(1976年)、茨城県産牛銘柄確立推進協議会が優良な黒毛和種を「常陸牛」と命名し、翌年には茨城県常陸牛振興協会が設立されてブランドとして統一されました。リブロースやサーロイン、ヒレなどは赤身にほどよく脂の入った柔らかな霜降りが持ち味で、肩ロースやもも肉は焼肉やすき焼きに、外もも肉やすねは煮込み料理に向くなど、部位ごとの持ち味を生かした食べ方が楽しまれています。
千屋牛
Chiyagyu Beef
千屋牛(ちやぎゅう)は、岡山県新見市千屋地区を中心に飼育される黒毛和牛のブランド牛です。江戸時代の1830年代、新見の豪農・太田辰五郎が竹の谷集落の牛をもとに造成したとされる蔓牛「竹の谷蔓(たけのたにづる)」を祖先に持ち、体格に優れ丈夫で繁殖力の高い系統として全国に種牛が広まったことから、日本の「和牛のルーツ」の一つに数えられています。中国山地の冷涼な気候と豊かな自然の中で丹念に育てられ、きめ細かな霜降りと赤身の旨みのバランスがよく、脂に上品な甘みがあるといわれます。新見市内ではJA直営の焼肉レストランなどで千屋牛を味わうことができ、産地を巡る食べ歩きマップも作られるなど、地元の誇りとして受け継がれているご当地ブランド牛です。

前沢牛
Maesawa Beef
前沢牛は、岩手県奥州市前沢地区で肥育される黒毛和種のうち、肉質等級4以上の基準を満たしたものだけに許される呼称のブランド牛肉です。1950年代に岡山県や島根県から繁殖雌牛を導入して黒毛和種の生産が始まり、1965年に前沢町農業協同組合の肥育専門部会が発足したことで本格的な肥育が始まりました。1971年に開催された前沢牛枝肉共進会で初めて「前沢牛」の名称が使われ、以降ブランドとして定着しました。奥羽山脈や北上山地からの雪解け水に恵まれた前沢地区は良質な稲作地帯でもあり、地元産の稲わらを粗飼料や敷料に用いる自然循環型の肥育が、きめ細やかな霜降りとしっとりした肉質を生み出します。全国肉用牛枝肉共励会では最多6度の名誉賞を受賞するなど、和牛の最高峰として高く評価されています。
大和牛
Yamato-gyu
大和牛は、奈良県内の指定生産農家で育てられた黒毛和種のうち、一定の規格要件を満たした牛肉だけに与えられるブランド名です。小豆色の赤身にきめ細かなサシが入り、体に良いとされる不飽和脂肪酸オレイン酸を豊富に含むことから、脂の口溶けの良さと豊かな風味が特徴とされています。奈良は鎌倉時代に編まれた牛の絵巻「駿牛絵詞」や「国牛十図」にも良牛の産地として記録が残るほど、和牛の歴史が古い土地です。2003年(平成15年)に大和牛流通推進協議会が設立されて以降、血統や飼料、飼育環境などの情報が一頭ごとに集積管理され、生産から流通までの経路が明確にされるようになりました。現在は12の指定生産農家が飼育を担い、指定販売店や指定卸売業者を通じて県内外に届けられています。中でも肥育期間やオレイン酸含有率などさらに厳しい基準をクリアした牛肉は「奈良県プレミアムセレクト」として認証され、大和牛の中でも特に上質な一頭として扱われています。