ローカルフードジャンル
郷土菓子
全国各地の郷土菓子を横断的に紹介します。
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45 件

焼きまんじゅう
Yaki Manju
焼きまんじゅうは、小麦粉と米麹で発酵させた生地を蒸してこぶし大の丸いまんじゅうにし、串に刺して甘辛い味噌だれをたっぷり塗りながら炭火で香ばしく焼き上げる、群馬県を代表するソウルフードです。あんこの入らない蒸しまんじゅうを串焼きにするという独特のスタイルは全国的にも珍しく、前橋・高崎・伊勢崎・沼田など県内各地に専門店や老舗が点在しています。江戸時代末期、前橋の原嶋類蔵が考案した「味噌づけまんじゅう」が始まりとされる説が有力で、当時は珍しかったどぶろくを発酵剤に使う製法や、まんじゅうを串に刺すという発想が評判を呼びました。祭りの屋台や縁日で提供されてきた歴史があり、現在も花見や夏祭りなど地域の行事に欠かせない存在として親しまれています。

草加せんべい
Soka Senbei
草加せんべいは、埼玉県草加市を発祥とする、うるち米を蒸して搗いた生地を天日干しし、炭火などでじっくり焼き上げてから醤油を塗って仕上げる堅焼きの醤油せんべいです。草加は古くから米どころとして知られ、日光街道の宿場町として旅人相手の茶店が軒を連ねたことから、保存食であった団子状の干し飯を焼き餅にして売る商いが発展したと伝えられます。幕末に醤油づくりが盛んになると、焼いた生地に醤油を塗る現在のスタイルが定着し、明治以降は専門の煎餅屋が増えて草加の名物として広まりました。ぱりっとした歯ごたえと香ばしい醤油の香りが特徴で、現在も市内には製造・販売を手がける店が数多く残り、埼玉県を代表する土産菓子として親しまれています。

十万石饅頭
Jumangoku Manju
十万石饅頭(十万石まんじゅう)は、埼玉県行田市の菓子舗「十万石ふくさや」が製造する薯蕷(じょうよ)まんじゅうで、白あんを求肥入りのしっとりとした生地で包んだ上品な甘さが特徴の埼玉県を代表する銘菓です。名称は、行田市がかつて忍藩十万石の城下町として栄えた歴史にちなんで名付けられました。1952年(昭和27年)、砂糖の統制が解除されたのを機に和菓子店「福茶屋」が創業して売り出し、1960年に社名を「十万石ふくさや」に改めてブランド化を進めました。版画家・棟方志功が手掛けたとされる「うまい、うますぎる!」のキャッチコピーによるテレビ埼玉のローカルCMで広く知られるようになり、今では県内外の土産物店で見かける埼玉土産の定番として定着しています。

五家宝
Gokabo
五家宝は、蒸したもち米を炒って作った麦芽(おこし種)を水飴で棒状に固め、外側にきな粉をまぶした埼玉県熊谷市発祥の郷土菓子です。中山道の宿場町として栄えた熊谷では、良質な「石原米」や大豆、水飴の原料となる大麦が豊富に取れたことから、文政年間(1818〜1829年)頃に「五嘉棒」の名で売り出されたのが始まりと伝えられます。その後「五穀は家の宝である」という願いを込めて「五家宝」の字が当てられるようになりました。発祥については群馬の菓子商に由来する説や下総国五霞村を起源とする説など複数の説があり、諸説入り混じりながら北関東一帯に広まった歴史を持ちます。きな粉の香ばしさと水飴のやさしい甘さ、もちもちとした食感が特徴で、現在も熊谷市内の老舗菓子店を中心に製造が続けられています。
小城羊羹
Ogi Yokan
小城羊羹は、佐賀県小城市で明治期以降に発展した羊羹の名産品です。江戸時代、長崎と小倉を結ぶ長崎街道は南蛮貿易で運ばれた砂糖が行き交ったことから「シュガーロード」とも呼ばれ、砂糖の集積地であった小城でも菓子づくりが盛んになりました。1899年に創業した村岡総本舗の初代が、長崎の羊羹職人から製法を学んで羊羹を作り始め、二代目の村岡安吉が「小城羊羹」の名称を初めて用いたと伝えられています。人口5万人ほどの小さな町に二十数軒もの羊羹店が集まる全国的にも珍しい産地で、2020年には「砂糖文化を広めた長崎街道~シュガーロード~」として日本遺産の構成資産にも認定されました。小城が城下町として栄えた鍋島藩の土地であったことも、菓子文化が花開く土壌になったと伝えられています。

おやき
Oyaki
おやきは、小麦粉やそば粉で作った皮で、野菜や山菜、きのこ、あんこなどを包んで焼いたり蒸したりした長野県の郷土料理です。長野市の西側に広がる西山地域(小川村や旧中条村、旧信州新町など)が発祥といわれます。米作りに向かない冷涼な山間部では、小麦やそばが米の代わりとなり、おやきは人々の食を支えてきました。具には野沢菜漬けやなす、切り干し大根、かぼちゃなどが使われ、味噌やしょうゆで味をつけます。昔は囲炉裏の灰に埋めて蒸し焼きにする「灰焼きおやき」が主流でした。今では焼く、蒸す、焼いてから蒸す、揚げてから焼くなど、地域や店によって作り方がさまざまです。主食にもおやつにもなる、信州を代表する粉もの料理です。
丁稚羊羹
Decchi Yokan
丁稚羊羹は、こしあんに小麦粉などを混ぜて練り、竹の皮に包んで蒸し上げた素朴な羊羹で、滋賀県近江八幡市発祥の郷土菓子です。一般的な練り羊羹に比べて甘さが控えめで、竹の皮のほのかな香りが移った、もちりとした食感が特徴です。名前の由来には、大坂や関東の商家へ奉公に出ていた丁稚(見習い小僧)が薮入りで里帰りする際、少ない給金でも買える手頃な値段だったためという説や、「こね合わせる」を意味する方言「でっちる」からきたという説があります。文久3年(1863年)創業の老舗「和た与」が発祥の店として知られ、竹の産地であった近江八幡ならではの工夫から生まれた菓子として、今も地元の土産物として親しまれています。近江八幡だけでなく、近江商人の交流を通じて三重県伊賀市など他地域にも同様の菓子が伝わりました。

五平餅
Gohei Mochi
五平餅は、うるち米のご飯をつぶして串に刺し、くるみや白ごま、落花生などを使った甘辛いたれを塗って炭火で香ばしく焼き上げる郷土料理です。岐阜県東濃地方(中津川市・恵那市など)から長野県木曽・伊那地方、愛知県三河地方にかけて広く食べられており、地域や家庭によって団子型、わらじ型、丸形など形状もさまざまです。起源は江戸時代中期の木曽地域にあるとされ、木こりたちが山仕事の合間に木の切れ端に飯を握りつけてたき火で焼き、味噌をつけて食べたのが始まりと伝えられます。やがて山の神への供え物や、新米の収穫祝い・祭事の際に作られる特別な食べ物としても定着しました。名前の由来には、神に捧げる「御幣(ごへい)」の形に似ているからという説や、五平という人物が作ったからという説があり、地域によって語り継がれ方が異なります。

ちんすこう
Chinsuko
ちんすこうは、小麦粉・砂糖・ラードを主原料に焼き上げる沖縄を代表する伝統菓子です。ザクッとした独特の歯ごたえと、ラードならではの香ばしいコクが特徴で、沖縄土産の定番として全国的に知られています。ルーツは琉球王朝時代の宮廷菓子にあり、王侯貴族や中国からの冊封使をもてなす特別な菓子として、限られた人々だけが口にできたと伝えられます。名称は「珍しい菓子」を意味する「珍楚糕」、あるいは「高価な菓子」を意味する「金楚糕」に由来するなど諸説あり、はっきりとは分かっていません。当初は菊の花をかたどった丸い形でしたが、後に一口サイズの棒状へと改良され、現在のなじみ深い姿になりました。プレーンな味わいのほか、紅芋や黒糖、雪塩などを加えた多彩な派生商品も生まれ、沖縄を訪れる観光客に長く愛され続けています。

八ツ橋
Yatsuhashi
八ツ橋は米粉に砂糖と肉桂(ニッキ)を加えて蒸し、薄く伸ばして焼き上げた京都を代表する銘菓。三日月のように反り返った独特の形が特徴で、江戸時代の箏曲家・八橋検校にちなむという説と、『伊勢物語』に登場する三河国八橋の板橋の形に由来するという説がある。かつては堅焼きの煎餅のみだったが、昭和以降に生地を焼かずやわらかく仕上げた「生八ツ橋」が考案され、餡を包んだ三角形の生八ツ橋がお土産の主流となった。現在は抹茶やチョコレート、季節限定のいちごなど味のバリエーションも豊富で、京都八ツ橋商工業協同組合に加盟する十数社がそれぞれの製法で製造・販売している。

笹団子
Sasa Dango
笹団子は、よもぎを練り込んだ団子で小豆餡を包み、数枚の笹の葉でくるんでスゲやイグサのひもで縛り、蒸し上げた新潟県を代表する郷土菓子です。俵のような形で、ひもで両端を結んだ姿が特徴です。新潟の中越・下越地方と福島県会津地方の一部で、およそ500年前から食べられてきたといわれます。笹の葉の殺菌作用を生かした戦国時代の携行保存食で、上杉謙信が携帯食にしたという説がある一方、年貢米にならないくず米をおいしく食べる知恵から生まれたという説もあります。かつては旧暦4月8日に薬師様へ供えたり、5月5日の端午の節句にたくさん作ったりする行事の菓子でした。昭和39年(1964年)の新潟国体で県と市の推薦土産品になったことを機に全国へ知られ、今では新潟土産の定番となっています。

信玄餅
Shingen Mochi
信玄餅は、きな粉をまぶしたやわらかな餅に黒蜜をかけて食べる、山梨県を代表する銘菓です。ひと口大の餅が小さな容器に入り、香ばしいきな粉がたっぷりと添えられています。1968年(昭和43年)に笛吹市の桔梗屋が「桔梗信玄餅」を発売し、山梨土産の定番として全国に知られるようになりました。北杜市の老舗・金精軒も「信玄餅」を製造しており、両社の商品がそれぞれ親しまれています。名前は甲斐の戦国大名・武田信玄にちなみます。信玄が出陣の際に非常食とした餅に由来するとも、山梨でお盆に食べる安倍川餅をヒントに生まれたともいわれます。桔梗信玄餅はビニールの風呂敷で一つずつ包まれ、その結び目は職人の手作業です。笛吹市の工場では製造工程の見学やお菓子の詰め放題も楽しめます。
くじら餅
Kujira Mochi
くじら餅は、新庄市・最上地方を中心に伝わる郷土菓子で、うるち米やもち米の粉に砂糖、くるみなどを混ぜて型に流し蒸し上げた、平たく長い餅菓子です。名前とは異なり鯨の肉は使われていません。その由来には「久しく持ちが良い『久持良(くじら)』から」「かつて米一升で作った大きさが鯨に例えられた」「見た目が塩漬けの鯨肉に似ている」など諸説があります。江戸時代、新庄藩3代藩主・戸沢正庸の頃に兵糧として用いられたのが始まりとされ、旧暦の桃の節句(4月3日)にひな菓子として供える風習とともに、各家庭で作り継がれてきました。現在は新庄市内の菓子店が製造・販売する新庄土産の代表格として親しまれています。

ぽっぽ焼き
Poppo-yaki
ぽっぽ焼きは、小麦粉に黒砂糖と水、重曹を混ぜた生地を専用の焼き器で細長く焼き上げた、新潟県下越地方の郷土菓子です。茶褐色でやや平たい棒状をしており、もちもちとした食感と黒砂糖の素朴な甘さが持ち味です。明治の終わり頃、城下町の新発田市で町民の焼きねり菓子として考案されたのが始まりといわれ、新発田市を中心とする阿賀野川以北では「蒸気パン」とも呼ばれます。主に祭りや縁日、花見会場などの屋台で売られ、焼き器から立ちのぼる湯気と甘い香りは新潟の祭りの風物詩です。販売は新発田市・新潟市・村上市など下越地方を中心に、中越の三条市にも広がり、近年は上越地方での出店も増えています。常設で販売する店や真空パックの商品もあり、祭り以外の時期にも味わえるようになっています。
阿闍梨餅
Ajari Mochi
阿闍梨餅は、餅粉に卵や砂糖を練り合わせた生地で丹波大納言小豆の粒餡を包み、鉄板で焼き上げた半生菓子。むっちりとした歯ごたえの生地と香ばしい焼き色、つぶ餡のあっさりとした甘さが調和し、京都みやげの定番として広く親しまれている。名前と中央が盛り上がった独特の形は、比叡山で千日回峰行を行う「阿闍梨」が被る網代笠に由来するとされる。京都の老舗菓子舗「満月」が大正時代に考案して以来、100年以上にわたり同店の看板商品として作り続けられており、近年は他の菓子舗も類似の商品を手がけるなど京都を代表する和菓子のひとつになっている。

羽二重餅
Habutae Mochi
羽二重餅は、餅粉を蒸して砂糖と水あめを加えて練り上げ、薄く伸ばして四角く切り分けた福井県の郷土菓子です。材料は餅粉、砂糖、水あめの3つが基本という、素朴な餅菓子です。名前は、明治以降の福井を代表する絹織物「羽二重(はぶたえ)」に由来します。羽二重は、なめらかで光沢のある平織の高級絹織物です。その白さときめ細かな肌触りを、餅菓子で表現したのが羽二重餅です。口に入れるとふんわりととろけるような柔らかさが持ち味です。誕生は明治期とされ、農林水産省は「羽二重餅」と命名された菓子の登場を1905年(明治38年)としています。ただし元祖として知られる店は複数あり、起源には諸説があります。現在は福井土産の定番として、多くの菓子店がそれぞれの配合で作っています。きな粉をまぶしたものや、あんを包んだもの、もなかに挟んだものなど、派生した菓子も豊富です。

枯露柿
Koshu Korogaki
枯露柿(ころがき)は、大きな渋柿の皮をむいて天日で干し上げた、山梨県甲州市などに伝わる干し柿です。主に甲州市産の「甲州百目柿(こうしゅうひゃくめがき)」を使い、表面に白い粉が吹くまでじっくりと乾燥させます。名前は、干す間に日光がまんべんなく当たるよう、実をころころ転がして向きを変えたことに由来するといわれます。武田信玄が陣中食として生産を奨励したのが始まりとも伝わり、江戸時代には甲州名産として幕府への献上品にも使われました。甲州市塩山の松里(まつさと)地区は名産地として知られ、11月上旬から12月初旬には民家の軒先がオレンジ色の柿すだれで彩られます。深みのある甘さと肉厚な食感が魅力の、山梨の冬の味覚です。
柚餅子
Yubeshi
柚餅子(ゆべし)は、柚子を器のようにくり抜き、その中に味噌や餅米粉などを詰めて燻し、半年ほどかけてじっくり乾燥させて作る石川県輪島の伝統菓子です。特に柚子を丸ごと一つ使う輪島産のものは「丸柚餅子」と呼ばれ、能登地方を代表する銘菓として知られています。起源は源平時代の保存食・携行食にさかのぼるとされ、室町時代の古文書にもその原型とみられる記述が残っています。長期保存が利くことから、かつて全国を行商して回った輪島塗の職人や商人たちの携行食や、得意先への手土産として重宝され、各地にその名が広まりました。製法は一子相伝で家族内に受け継がれてきた歴史があり、現在も昔ながらの手仕事によって作り続けられています。

あんぽ柿
Anpogaki (Semi-dried persimmon)
あんぽ柿は、福島県伊達市梁川町五十沢地区で生まれた半生タイプの干し柿です。渋柿を硫黄で燻蒸してから乾燥させることで、鮮やかなオレンジ色の果肉と、とろりと柔らかいゼリーのような食感に仕上がります。一般的な干し柿がカチカチに乾燥させるのに対し、あんぽ柿は水分を多めに残すのが特徴で、そのまま食べても、スプーンですくっても楽しめる上品な甘さが魅力です。全国のあんぽ柿の発祥地とされる五十沢地区では、大正時代の初め頃から100年以上続く柿農家の技術が受け継がれ、冬の福島を代表する味覚として全国に出荷されています。かつて養蚕が盛んだった地域が、生糸相場の変動に左右されない新しい特産品として柿づくりに力を注いだ歴史があり、今では伊達市全体が全国有数のあんぽ柿産地として知られています。

粟おこし・岩おこし
Awa Okoshi and Iwa Okoshi (Osaka Puffed Rice Crackers)
粟おこし・岩おこしは、大阪を代表する郷土菓子です。おこしは、蒸して乾燥させた米や粟などを、水飴や砂糖で固めた干菓子です。もとは粟やひえなどの雑穀で作る庶民の菓子でしたが、江戸時代中期の大阪では、米を細かく砕いて粟状にした「粟おこし」が生まれました。天下の台所と呼ばれた大阪に、全国から良質な米や水飴、砂糖が集まったことが背景にあります。米をさらに細かく砕いて硬く固め、生姜や黒砂糖をきかせたものが「岩おこし」です。「身をおこし、家をおこし、国をおこし、福をおこす」縁起の良い菓子として、大阪名物に定着しました。1805年(文化2年)創業のあみだ池大黒などの老舗が、今も製造を続けています。2024年度(令和6年度)には、粟おこしが文化庁の「100年フード」(伝統の100年フード部門)に認定されました。

安倍川もち
Abekawa Mochi (Rice Cakes with Sweet Soybean Flour)
安倍川もちは、つきたての餅にきな粉をまぶし、白砂糖をかけた静岡市の名物菓子です。こしあんで包んだ餅と一緒に出されることも多く、江戸時代から東海道の名物として旅人に親しまれてきました。名前は、静岡市を流れる安倍川(あべかわ)のほとりの茶店で売られて有名になったことに由来するといわれます。徳川家康が名付けたという言い伝えもあり、きな粉を安倍川の砂金に見立てて「金な粉餅」と呼んだという逸話が残ります。江戸時代、白砂糖はとても珍しいものだったため、砂糖をかけた餅は旅人に喜ばれました。十返舎一九の『東海道中膝栗毛』にも、安倍川の名物として登場します。戦時中は砂糖が手に入りにくくなって姿を消しましたが、戦後に復活しました。今も安倍川橋のたもとの老舗で味わえるほか、静岡土産の定番として親しまれています。
笹巻き
Sasamaki
笹巻きは、水に浸したもち米を笹の葉で三角形や俵型に包み、いぐさなどの紐で結んで熱湯でゆで上げた山形県の郷土食で、他県で「ちまき」と呼ばれるものにあたります。端午の節句(旧暦5月5日)に、子どもの健やかな成長を願って各家庭で作られてきました。笹の葉には防腐性・抗菌性があるとされ、古くから保存食や携帯食を包む材料として重宝されてきました。巻き方には地域差があり、最上地域では円すい型、置賜地域ではげんこつ型に巻かれるほか、鶴岡市南部では灰汁水で煮る独特の製法が伝わります。食べるときは笹の葉をほどき、きなこと黒蜜(または砂糖)をかけていただくのが基本です。

小布施の栗菓子
Obuse Chestnut Confections
小布施の栗菓子は、長野県北部の上高井郡小布施町で作られる、地元の栗を使った和菓子の総称です。小布施の栗の栽培は室町時代にさかのぼるとされ、水はけのよい扇状地の酸性の土が栗の生育に合っていました。江戸時代には品質のよい栗が将軍家への「献上栗」とされ、「小布施栗」の名が広まりました。栗菓子の始まりは1808年(文化5年)で、桜井甘精堂の初祖・桜井幾右衛門が「栗落雁(くりらくがん)」を作ったのが最初とされます。その後、栗ようかんや栗かの子が生まれ、明治時代には缶詰の技術で一年中味わえるようになりました。現在も町の中心部には栗菓子の老舗が軒を連ね、栗おこわやモンブランなど新しい栗の味も楽しめます。秋の新栗の季節には、多くの観光客でにぎわいます。

赤福餅
Akafuku Mochi
赤福餅は、やわらかな餅の上にこし餡をのせた、三重県伊勢市の名物菓子です。作っているのは、伊勢神宮内宮前のおはらい町に本店を構える赤福で、1707年(宝永4年)の創業とされます。餡につけた3本の筋は、神宮の境内を流れる五十鈴川の清流を表しています。白い餅は、川底に沈む小石を表しているといわれます。屋号は「赤心慶福(せきしんけいふく)」という言葉に由来します。赤子のようないつわりのない心で、自分や他人の幸せを喜ぶという意味です。江戸時代、桑名から伊勢へ向かう参宮街道は「餅街道」とも呼ばれ、参拝客をもてなす名物餅が街道沿いに数多く生まれました。赤福餅はその代表格です。本店では、朱塗りのかまどで沸かしたほうじ茶とともに、できたての赤福餅を味わえます。毎月1日だけ販売される「朔日餅(ついたちもち)」も人気です。
長生殿
Chouseiden
長生殿は、石川県金沢市の老舗菓子司・森八が作る紅白の落雁で、新潟県の「越乃雪」、島根県の「山川」と並んで「日本三大銘菓」の一つに数えられています。江戸時代前期、加賀藩3代藩主・前田利常が七夕のための菓子作りを命じたことに始まり、茶道遠州流の開祖である小堀遠州の助言によって菓子の意匠が定められ、名前も遠州によって付けられたと伝わります。四国産の和三盆糖と北陸産のもち米粉を用い、小堀遠州直筆の「長生殿」の文字を彫り込んだ木型で一つひとつ打ち上げる伝統の製法が今も守られています。かつては加賀藩主専用の菓子として尊ばれ、後水尾天皇や徳川将軍家にも献上された格式高い歴史を持ち、現在も金沢を代表する土産菓子として親しまれています。

梅ヶ枝餅
Umegae-mochi
梅ヶ枝餅は、あんこを餅生地で包み、梅の刻印が入った専用の焼き型で香ばしく焼き上げた、太宰府天満宮の参道名物です。学問の神様・菅原道真公にゆかりの深い餅菓子として知られ、天満宮の参道には焼きたてを提供する茶屋や餅屋が軒を連ね、香ばしい匂いが参道全体に漂います。名前の由来は、道真公に梅の枝に刺した餅を届けたという老婆の逸話にちなむと伝えられます。江戸時代にはすでに参道の名物として知られ、大正11年(1922年)創業の「かさの家」をはじめとする老舗が今も焼きたてにこだわり続けています。外はパリッと香ばしく、中はもちもちとした食感で、上品な甘さの粒あんとの相性が抜群です。焼きたてを頬張りながら参道をそぞろ歩く食べ歩きが定番の楽しみ方です。
がんづき
Ganzuki
がんづきは、小麦粉に重曹(またはベーキングパウダー)、黒砂糖、水などを混ぜて型に流し入れ、蒸し上げて作る宮城県の郷土菓子で、ふんわりしながらも食べ応えのある蒸しパンです。名前の由来には諸説あり、蒸し上がった生地の色や見た目が雁(がん)の肉に似ていることに由来するという説、丸い形と表面に散らした胡麻の様子が月と雁を思わせることに由来するという説などが伝えられています。仙台藩では稲作が奨励され、収穫した米の多くを年貢として納めなければならなかった農民の間で小麦栽培と粉食文化が広まったことが、がんづきのような小麦粉を使う郷土菓子が発達した背景とされています。黒砂糖を使う「黒がんづき」が代表的ですが、白砂糖を使う「白がんづき」や、味噌・醤油・くるみ・ごまを加えるものなど地域や家庭ごとにバリエーションが豊富です。日常のおやつとして親しまれる一方、法事や祝い事の際に作られる行事食としての一面も持っています。

ままどおる
Mamadoru (Milk-filled butter cake)
ままどおるは、バターを練り込んだ生地でミルク風味の餡を包んで焼き上げた福島県を代表する郷土菓子です。福島県郡山市の老舗菓子店「三万石」が昭和42年(1967年)に発売して以来、半世紀以上にわたり愛され続けるロングセラー商品で、福島土産の定番として広く知られています。名前はスペイン語で「お乳を飲む子」を意味する言葉に由来するとされ、優しいミルクの香りとしっとりした生地の組み合わせが特徴です。発売当時は珍しかった洋風の焼き菓子として評判を呼び、今では福島県のみならず東北を代表する銘菓の一つに数えられています。黄色を基調とした包装は発売当初から大きく変わっておらず、世代を問わず親しまれる素朴な味わいが長年支持されている理由といえます。

伊賀のかたやき
Iga Katayaki (Hard-Baked Ninja Crackers)
かたやきは、三重県の伊賀市や名張市に伝わる、とても硬い焼き菓子です。小麦粉と砂糖を主な原料にした生地を鉄板で焼き、黒ごまや青のりで風味をつけます。その名のとおり硬く、「日本一硬いせんべい」ともいわれます。かさばらず栄養があり、長く保存できることから、伊賀忍者が携帯食にしていたと伝えられ、「忍菓」とも呼ばれます。合戦の場では保存食として重宝されたともいわれます。昔は刀の鞘(さや)や鍔(つば)で割って食べたという記録も残っています。今は付属の木槌でたたいたり、かたやき同士を打ちつけたりして割るのが一般的です。お茶や牛乳に浸して、やわらかくして食べる方法もあります。現在の甘いかたやきは、200年以上前に形が整ったと考えられています。伊賀上野の城下町などには製造元が点在し、焼く様子を見学できる店もあります。
秋田諸越
Akita Morokoshi
秋田諸越は、小豆粉に砂糖などを混ぜて木型で成形し、じっくりと焼き上げる落雁の一種の郷土菓子です。江戸時代の宝永2年(1705年)、久保田藩4代藩主・佐竹義格が家臣の功をねぎらうために煎米菓子を作らせたことが始まりとされ、その後、菓子店「杉山壽山堂」の初代・杉山良作が小豆粉を用いた菓子を義格に献上したところ「諸々の菓子を越えて風味よし」と高く評価され、この一言が「諸越」という名の由来になったと伝わります(呼び名の起源には中国由来の「もろこし」に通じるとする説もあり、諸説あります)。300年以上にわたり作り継がれてきた歴史を持ち、口の中でほろりと溶ける上品な甘さと小豆の香ばしい風味が特徴で、今も秋田を代表する土産菓子として親しまれています。
成田の栗羊羹
Narita Kuriyokan
成田の栗羊羹は、成田山新勝寺の表参道に店を構える明治32年(1899年)創業の老舗和菓子店「なごみの米屋」が生み出した和菓子です。創業者の諸岡長蔵が、成田山新勝寺の精進料理で供されていた甘味「栗羹」にヒントを得て、地元でとれる小粒の栗「芝栗」を練り込んだ栗羊羹を日本で初めて考案し、成田山参詣の土産物として売り出したのが始まりとされています。以来、成田山表参道を代表する土産物として親しまれ、總本店には「成田羊羹資料館」も併設され、創業からの歴史や羊羹づくりの道具などが展示されています。芝栗の風味を生かした上品な甘さが特徴で、参道の食べ歩きや帰省・観光の土産として、今も多くの人に選ばれ続けています。
追分羊かん
Oiwake Yokan (Bamboo-Wrapped Steamed Yokan)
追分羊かんは、静岡県静岡市清水区追分の「追分羊かん本店」が作る、竹の皮に包んだ蒸し羊羹です。店は1695年(元禄8年)の創業とされます。旧東海道の江尻宿(えじりしゅく)のはずれ、久能山(くのうざん)へ向かう久能道との分かれ道(追分)に店を構えています。東海道を行き交う旅人に親しまれ、300年以上にわたって街道の名物として受け継がれてきました。小豆のあんにもち米を混ぜ、竹の皮で包んで蒸し上げるため、竹の香りが移ります。ねっとりとした独特の舌触りで、甘さは控えめの素朴な味わいです。竹の皮の上から包丁で切り分け、皮をはがして食べるのも特徴です。江戸幕府最後の将軍、徳川慶喜が好んだとも伝わります。東海道の旅をテーマにした日本遺産「日本初『旅ブーム』を起こした弥次さん喜多さん、駿州の旅」の構成文化財の一つにもなっています。
引千切(ひちぎり)
Hikichigiri
引千切(ひちぎり)は、雛祭りの頃に京都で作られる伝統的な上生菓子です。よもぎ餅などの生地を杓子のような形に伸ばし、端を引きちぎったような形に仕上げて、中央のくぼみに餡やきんとんをのせます。宮中の儀式に由来する菓子とされ、京都では雛人形と共に飾られる特別な存在として親しまれてきました。忙しさのあまり餅を丸める手間を省いて引きちぎったという逸話が名前の由来とされ、独特の形はアコヤ貝を思わせることから、子どもの成長を守り育てる願いが込められているとも伝えられます。ルーツは宮中で誕生や着帯の儀式に用いられた「戴餅(いただきもち)」とされ、生地によもぎを混ぜて緑色に仕上げるものが多く見られます。
かんこ焼き
Kanko-yaki
かんこ焼きは、相模原市緑区の津久井地域に江戸時代から伝わる郷土料理で、小麦粉を練った生地に山菜やきのこ、あずき、かぼちゃ、漬物など季節の具材を包み、焼いてから蒸し上げた素朴なおやきです。津久井地域は稲作に適さない山間地であったため、古くから麦や豆の栽培が盛んで、小麦を中心とした粉食文化が根付いていました。江戸時代には、アユのはらわたの塩漬けである「うるか」や味噌を生地で包み、囲炉裏の熱い灰で蒸し焼きにして食されており、農作業の合間の食事やおやつとして親しまれてきました。名前は、雅楽で使われる太鼓「鞨鼓(かっこ)」に形が似ていることに由来するといわれます。2007年には農林水産省の「農山漁村の郷土料理百選」に神奈川県の郷土料理として選ばれています。

きび団子
Kibi Dango
きび団子(吉備団子)は、岡山を代表する銘菓で、桃太郎伝説と結びついた岡山土産の定番として全国的に知られています。漢字では「吉備団子」と書き、岡山県のかつての国名「吉備国」にちなむ名称で、穀物の「黍(きび)」を使った団子という意味ではありません。もともとは黍の粉を蒸して作る素朴な団子で日常的に食べられていましたが、安政3年(1856年)創業の菓子舗「廣榮堂」が、当時の岡山藩家老・伊木三猿斎の指導のもと、茶席にもふさわしい上品な求肥菓子へと作り変えたことで銘菓としての地位を確立しました。昔話「桃太郎」のもとになったとされる吉備津彦命と温羅の伝説ゆかりの地が岡山に数多く残ることから、桃太郎の「黍団子」のイメージと結びつき、岡山みやげの代表格として親しまれるようになりました。

べこ餅
Bekomochi
べこ餅は、白と黒(または茶)の生地を組み合わせてつくる北海道の郷土菓子で、木の葉のような模様が特徴です。上新粉や白玉粉に砂糖を加えた生地を、黒糖を混ぜた生地と組み合わせて成形し、蒸し上げてつくります。もちもちとした柔らかい食感と、黒糖のやさしい甘みが持ち味です。北海道では主に5月の端午の節句に食べられる風習があり、特に道南地方で盛んにつくられてきました。名前の由来には、白黒の配色が乳牛(ホルスタイン)を連想させ「べこ(牛)」と呼ばれるようになった説、黒糖部分の色合いが鼈甲(べっこう)に似ていることに由来する説、米粉(べいこ)が主原料であったことに由来する説など諸説あり、はっきりとした定説はありません。道南地域を中心に、木の葉形以外にもよもぎを混ぜた緑色の生地や、あんこを包んだものなど、店ごとに個性豊かなべこ餅がつくられています。

一関・平泉のもち料理
Ichinoseki Mochi Cuisine
一関・平泉のもち料理は、岩手県一関市と平泉町に伝わる、300種類以上ともいわれる多彩なもち料理から成る食文化です。正月だけでなく、冠婚葬祭や田植え・稲刈りなどの節目、人生の通過儀礼のたびにもちをつく風習が今も残り、「もちの里」と呼ばれるほど暮らしに深く根付いています。あんこもちのほか、じゅうね(エゴマ)もち、ふすべもち(大根おろしと醤油だれ)、沼えびもちなど、山の幸・川の幸を生かした変わりもちが豊富なのが特徴です。正式な席では「もち本膳」という作法にのっとり、進行役の指示で複数の味を順番に味わう独自の食事様式も伝えられており、江戸時代に一関地方を治めた伊達藩の慣習に由来するとされています。
吉原殿中
Yoshiwara Denchu
吉原殿中は、水戸藩9代藩主・徳川斉昭の時代に、奥女中の吉原が残り飯を乾燥させて焼き、きな粉をまぶしたのが始まりと伝えられる水戸の郷土菓子です。倹約を重んじた斉昭がこの菓子をたいそう気に入り、考案した奥女中の名にちなんで「吉原殿中」と名付けたという逸話が残っています。もち米で作ったあられを水飴で固めて棒状に成形し、たっぷりのきな粉をまぶしてオブラートで包んだ素朴な味わいが特徴で、水戸市内の菓子店でつくられ続けています。昭和38年(1963年)に商標登録が出願され、水戸菓子工業協同組合に加盟する店だけが「吉原殿中」の名称を使うことができる、水戸を代表する銘菓のひとつです。
御城之口餅
Oshiro-no-kuchi-mochi
御城之口餅は、大和郡山市の老舗菓子店「本家菊屋」が400年以上作り続ける、粒あんを求肥で包んできな粉をまぶした一口サイズの餅菓子です。天正13年(1585年)、初代・菊屋治兵衛が豊臣秀吉の弟・秀長に伴われて郡山城下に入り、店を構えたのが本家菊屋の始まりと伝わります。秀長が兄・秀吉を茶会でもてなす際、治兵衛に珍しい菓子を作るよう命じてこの餅菓子が生まれ、秀吉はこれをたいそう気に入り「鶯餅」と名付けたとされています。後に、店が郡山城の入り口にあたる城下町の一等地に構えられていたことから、「御城之口餅」の名で親しまれるようになりました。うぐいすの姿を思わせるような淡い緑がかったきな粉と、しっとりとした求肥、上品な甘さの粒あんの組み合わせが特徴で、うぐいす餅の元祖の一つともいわれる菓子です。大和郡山を訪れた際の土産物として、また地元の慶事などにも用いられています。
小麦まんじゅう
Komugi Manju
小麦まんじゅうは、小麦粉の皮で小豆あんを包んで蒸しあげた栃木県の郷土菓子です。生地に重曹(炭酸)を加えてふっくらと膨らませることから「炭酸まんじゅう」とも呼ばれ、素朴で優しい甘さが特徴です。栃木県は米に加えて麦の二毛作が盛んな土地柄で、古くからうどんやまんじゅうなど小麦を使った料理が暮らしに根づいてきました。小麦の収穫を終え、新しい小麦粉が出回るお盆の時期には特に欠かせない一品とされ、仏壇へのお供えや、親戚・近所への振る舞いに用いられてきました。栃木県北部の那須地方では、8月1日の「釜蓋(かまのふた)朔日」にこのまんじゅうを供える風習も伝わっており、地域の年中行事と深く結びついた家庭の味として今も受け継がれています。

人形焼
Ningyoyaki
人形焼は、カステラに似た卵風味の生地に、餡(多くはこしあん)を包んで人形や名所をかたどった木型で焼き上げる、東京を代表する焼き菓子です。発祥については諸説ありますが、芝居町として栄えた日本橋人形町で明治40年(1907年)頃に生まれ、七福神や役者などをかたどった木型で焼かれたのが始まりとされています。大正時代には、人形町で修業した職人が浅草へと店を移し、雷門や五重塔、提灯、鳩など浅草の名所をモチーフにした木型を考案、当初は「名所焼」とも呼ばれて浅草土産の定番となりました。ふんわりとした生地の香ばしさと、しっとりとした餡の甘さが調和した素朴な味わいは、焼きたてを店先で購入できる手軽さも相まって今も高い人気を誇ります。人形町・浅草それぞれに老舗が現存し、東京土産として全国に知られています。

大手まんじゅう
Ote Manju
大手まんじゅう(大手まんぢゅう)は、天保8年(1837年)創業の菓子舗「大手饅頭伊部屋」が作る岡山を代表する酒饅頭です。備前米から仕込んだ甘酒を生地に練り込み、北海道産小豆の漉し餡を薄い皮で包んで蒸し上げたもので、甘酒のほのかな香りとコクが上品な甘さの餡と調和した味わいが特徴です。店は岡山城の大手門近くの京橋町に構えられたことから「大手まんじゅう」と名付けられ、江戸時代には岡山藩主・池田家の茶会にも備前焼の茶器とともに供されていたと伝えられています。以来、岡山藩ゆかりの銘菓として親しまれ、現在も岡山土産の代表格として広く販売されています。

長命寺桜もち
Chomeiji Sakuramochi
長命寺桜もちは、小麦粉を薄く焼いた皮であんを巻き、塩漬けの桜の葉で包んだ江戸風(関東風)桜もちの元祖とされる和菓子です。享保2年(1717年)、隅田川沿いの向島にある長命寺の門番であった山本新六が、境内の桜の落ち葉を掃除する中で、この葉を塩漬けにして餅に使うことを思い立ち、長命寺の門前で売り始めたのが始まりと伝えられています。道明寺粉のつぶつぶした食感を活かす「道明寺(関西風)」の桜もちに対し、長命寺桜もちは小麦粉の生地をクレープ状に薄く焼き、こしあんを巻き込んで作るのが特徴で、2〜3枚の桜葉で包む店独自のスタイルを今に伝えています。花見の季節には隅田堤を訪れる客でにぎわい、創業からおよそ300年にわたり向島の地で一貫して桜もち専門店として営業を続ける「山本や」は、江戸の花見文化を今に伝える名店として親しまれています。

南部せんべい
Nanbu Senbei
南部せんべいは、青森県南東部から岩手県北部にかけての旧南部藩領で古くから作られてきた小麦粉の焼き菓子です。小麦粉に塩と水を混ぜた生地を、鶴亀や松竹梅などの模様が入った鉄製の丸い焼き型に挟んで両面をパリッと焼き上げます。起源には諸説ありますが、南北朝時代に南朝方の長慶天皇が南部の地を訪れた際、家臣・赤松助左衛門が鉄兜を鍋代わりにそば粉と胡麻を焼いて献上したという伝承がよく知られています。冷害が多く米の収穫が安定しなかった南部地方では、日持ちのする小麦・そば粉を使ったせんべいが貴重な保存食・主食として重宝され、明治期には八戸周辺だけで140軒もの製造店があったといわれるほど暮らしに根付きました。胡麻やピーナッツを練り込んだ豆せんべいなど種類も豊富で、そのままはもちろん、汁物に入れて煮込む郷土料理「せんべい汁」の主原料としても欠かせない存在です。
薄氷
Usugori
薄氷は、江戸時代中期の宝暦2年(1752年)に富山県小矢部市の老舗菓子舗「薄氷本舗 五郎丸屋」が創製した、氷が張ったように薄く繊細な干菓子です。北陸の深い雪が解け始める早春、水面や田んぼにできる薄い氷の美しさを表現したとされ、富山県特産の新大正もち米から作った極薄の煎餅生地に、上質な阿波和三盆糖を丁寧に塗り重ねて仕上げます。口に含むとまるで氷が溶けるようにすっと儚く消えていくことから薄氷と名付けられ、加賀藩主・前田家を通じて幕府や宮中にも献上されたと伝わるほど、古くから格式の高い銘菓として評価されてきました。明治以降は宮内省御用達となり、今も茶道の世界で愛用されるなど、270年以上にわたり富山の四季の美しさを伝える伝統菓子として受け継がれています。