伝統工芸ジャンル
和紙
全国各地の和紙を横断的に紹介します。
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30 件

越前和紙
Echizen Washi
越前和紙は、福井県越前市の今立地区で漉かれてきた手漉き和紙です。産地は大滝・岩本・不老・新在家・定友の5つの集落からなり、「五箇(ごか)」と呼ばれます。およそ1500年前、岡太川の上流に現れた女神「川上御前」が村人に紙漉きを教えたという伝説が残り、女神は紙祖神として岡太神社に祀られています。奈良時代には写経用紙として使われ、やがて武家に重んじられた高級紙「越前奉書」を生みました。江戸時代の福井藩札や明治新政府の太政官札の用紙も、この地で漉かれています。原料は楮・三椏・雁皮で、奉書紙や鳥の子紙、襖紙など、用途に応じた多彩な紙を作り分けます。1976年に国の伝統的工芸品に指定されました。越前和紙の里では、紙漉きの見学や体験ができます。
美濃和紙
Mino Washi
美濃和紙は岐阜県美濃市で1300年以上にわたり漉き継がれてきた手漉き和紙で、奈良の正倉院に伝わる大宝2年(702年)の戸籍用紙に美濃国産の紙が用いられていたことが知られる、日本三大和紙の一つです。楮・三椏・雁皮を原料とし、薄くムラがないのに強靭という相反する性質を兼ね備えている点が最大の特徴で、江戸時代には障子紙として幕府の保護を受けました。中でも伝統的な製法を守り続ける「本美濃紙」は2014年にユネスコ無形文化遺産に登録されています。1985年に国の伝統的工芸品に指定され、現在も美濃市を中心に紙漉き職人が技術を継承しています。

岐阜提灯
Gifu Chochin
岐阜提灯は岐阜県岐阜市を中心に作られる盆提灯で、美濃地方の良質な竹ひごと薄く強靭な美濃和紙を主材料に、秋草や風景などを描いた繊細優美な火袋が特徴です。江戸時代から300年余りの歴史を持ち、1904年のセントルイス万博で銀賞、1905年のリエージュ万博で金賞、1937年のパリ万博でも金賞を受賞するなど、海外でも高く評価されてきました。吊り下げ型の「御所提灯」、据え置き型の「大内行灯」「廻転行灯」など種類が豊富で、灯りをともした際の優雅な風情と涼やかな季節感が人々に親しまれています。1995年に国の伝統的工芸品に指定され、現在も岐阜市の老舗提灯店が手作業で技術を継承しています。

高崎だるま
Takasaki Daruma
高崎だるまは群馬県高崎市で作られる縁起だるまで、年間約90万個が生産され、全国の張り子だるまの生産量の約8割を占める日本一の産地として知られています。江戸時代後期の寛政年間、少林山達磨寺の近くに住んでいた山縣友五郎が、同寺九代目住職・東嶽和尚に彫ってもらった木型に和紙を張り重ねて作ったのが始まりと伝えられています。当初は座禅姿に近い形でしたが、養蚕農家が「蚕の起き」と「だるまの起き上がり」を重ね合わせて縁起物として神棚に祀るようになったことから、次第に丸みを帯びた現在の形へと変化しました。眉を鶴、ひげを亀に見立てて描き、肩には「商売繁盛」「家内安全」などの縁起文字を入れる点が、他産地のだるまには見られない高崎だるまならではの特徴です。毎年1月6日・7日に少林山達磨寺で開かれる「七草大祭だるま市」は、高崎の冬の風物詩として多くの人でにぎわいます。

小川和紙(細川紙)
Ogawa Washi (Hosokawa-shi)
小川和紙は埼玉県小川町・東秩父村に伝わる手漉き和紙で、なかでも楮(こうぞ)を原料とする伝統技法「細川紙」は、昭和53年(1978年)に国の重要無形文化財に指定され、平成26年(2014年)11月には本美濃紙(岐阜県)・石州半紙(島根県)とともに「和紙:日本の手漉和紙技術」としてユネスコ無形文化遺産に登録されました。これは埼玉県における初のユネスコ登録でもあります。細川紙という名称は、紀伊国細川村(現在の和歌山県)で漉かれていた紙の技法が小川に伝わったことに由来するとされます。国産楮のみを原料とし、蒸す・煮る・塵より・叩解といった伝統的な工程を経て、ネリ(トロロアオイの粘液)を加えた「流し漉き」で一枚ずつ漉き上げます。強靭さと光沢のある美しい風合いを兼ね備え、古文書の修復用紙としても高く評価されています。
水うちわ
Mizu Uchiwa
水うちわは岐阜県岐阜市の川原町付近で作られてきた夏の風物詩で、水に浸してあおぐと気化熱によってひときわ涼しい風を感じられる、他に類を見ないうちわです。極限まで薄く漉いた雁皮紙にニスを引いて仕上げるため、向こう側の景色が透けて見えるほどの透明感が魅力で、室町時代から続くとされる岐阜うちわの歴史の中で独自に発展しました。長良川鵜飼の土産物として発展した歴史を持ちますが、原料の雁皮の入手難などにより一時生産が途絶え、2005年の愛・地球博を機に復活を遂げました。現在も職人が一本一本手作業で仕上げています。
内山紙
Uchiyama-gami (Uchiyama Paper)
内山紙は、長野県北部の飯山市を中心に漉かれている手漉き和紙です。江戸時代初期の寛文元年(1661年)、内山村(現在の木島平村内山)の萩原喜右ヱ門(はぎわらきうえもん)が美濃で製法を学び、帰郷して漉いたのが始まりと伝わります。名前は、この地名に由来します。原料には楮(こうぞ)だけを使い、洋紙のパルプを混ぜません。豪雪地帯ならではの「雪晒し(ゆきざらし)」で楮の皮を雪の上にさらし、自然な白さを引き出すのが大きな特徴です。丈夫で通気性や保湿性にすぐれ、日焼けしにくいことから、障子紙として重宝されてきました。1976年に国の伝統的工芸品に指定されました。飯山市や木島平村には、紙漉きを体験できる施設があります。

白石和紙
Shiroishi Washi
白石和紙は宮城県白石市に伝わる手すき和紙で、江戸時代に仙台藩主・伊達家の産業奨励により発展しました。仙台藩の御用紙として幕府や朝廷への献上品にも用いられ、奉書から厚紙、ちり紙まで約60種類もの紙が漉かれていたと伝わります。強靭でふくよかな質感が特徴で、清少納言や紫式部の時代から東北の紙は「ふくよかに、清く、うるわしく」と評されてきました。その強さを生かし、紙を揉んでやわらかくした「紙子(かみこ)」という素材としても発展し、防寒着や袋物などにも用いられてきました。明治以降、洋紙の普及とともに一時は生産が途絶えかけましたが、1940年に設立された奥州白石民芸研究所で遠藤忠雄が伝統技術を復活させ、1982年12月1日には宮城県指定の伝統的工芸品となりました。現在は拓本染めの技法を用いた紙子づくりなど、新たな表現を交えながら手すきの技が受け継がれています。

八女提灯
Yame Chochin
八女提灯は福岡県八女市(旧福島町)で生まれた盆提灯を代表する伝統的工芸品です。文化年間(1813年頃)に荒巻文右衛門が創製したのが始まりとされ、後に吉永太平が竹ひごを一本につないで螺旋状に巻く「一条螺旋式」を考案。薄い和紙を用いて内部の灯りが仄かに透けるようにしたことで品質が飛躍的に向上しました。火袋には花鳥風月を描いた繊細な彩色画が施され、住吉提灯や大内行灯、御殿丸(御天丸)など多彩な種類があります。現在の提灯づくりの主流である一本の骨を螺旋状に巻く構造は、八女提灯が起源とされています。平成13年(2001年)に国の伝統的工芸品に指定され、生産量は日本一を誇り、海外へも出荷されています。仏事に用いる盆提灯としての需要が中心ですが、近年は若手職人による現代的なデザインの製品づくりも進んでいます。
名尾手漉和紙
Nao Tesuki Washi
名尾手漉和紙は、佐賀市大和町名尾地区で300年以上受け継がれてきた手すき和紙です。江戸時代中期の1690年(元禄3年)、名尾村の庄屋・納富由助が筑後国溝口村(現・福岡県八女市)で紙すきの技術を習得して持ち帰ったことに始まります。耕地の少ない山間の名尾では、この技術が農家の貴重な副業として広まり、最盛期の昭和初期には100軒近い家が紙すきを営む一大産地となりました。原料には一般的な楮ではなく地区に自生・栽培される梶の木を用いるのが最大の特徴で、繊維が長く絡み合うため薄くても丈夫な紙に仕上がり、提灯紙や番傘、合羽、障子紙などとして重用されてきました。しかし機械化や生活様式の変化により従事者は減少を続け、現在は「名尾手すき和紙」を営む谷口家一軒のみがその技術を継承しています。7代目・谷口弦氏が工房を守り、伝統を生かしながら新しい和紙製品づくりにも取り組んでいます。
深山和紙
Miyama Washi
深山和紙は山形県白鷹町の深山地区で受け継がれる手漉き和紙で、原料には地元で栽培された楮を用います。その起源は約400年前に遡るとされ、上杉藩の御用紙として京の都でも用いられるなど、長く厳しい冬を過ごす山あいの村の家内工業として代々受け継がれてきました。江戸時代には米沢藩主・上杉鷹山が財政再建策の一環として楮の栽培を奨励し、多くの村人が農閑期の副業として紙漉きに携わりました。あたたかみのある独特の風合いを持ち、便箋やちぎり絵、和紙人形、さらにはウエディングドレスの素材としても利用されています。1978年には山形県の無形文化財に指定され、現在は深山和紙振興研究センターが技術の継承と紙漉き体験の拠点となっています。

越谷だるま
Koshigaya Daruma
埼玉県越谷市を中心に作られる張子(はりこ)だるまで、白みを帯びた肌色と、やや高い鼻筋、上品で穏やかな表情が特徴とされています。江戸時代中期の享保年間(1716〜1736年)頃、越谷市間久里(まくり)の人形師「だる吉」が、当時流行していた起き上がり小法師に座禅を組む達磨大師の姿を描いたのが始まりと伝えられます。型に和紙を重ねて貼り込み、乾燥させてから型抜きし、下地塗りから彩色、最後にひげや眉を描き入れるまで、すべての工程が手作業で行われます。とりわけひげ描きは穂先の長い面相筆を使い、だるまの大きさに関わらず同じ筆で仕上げる熟練の技が求められます。「七転八起」の縁起物として正月の縁起物市などで親しまれ、現在も越谷市の複数の工房が製造を続けており、1984年には埼玉県指定の伝統的手工芸品となりました。
西嶋和紙
Nishijima Washi
西嶋和紙は、山梨県南巨摩郡身延町の西嶋地区で漉かれている手漉き和紙です。元亀2年(1571年)、武田信玄の命で伊豆の修善寺で紙漉きを学んだ望月清兵衛が、故郷に製法を持ち帰ったのが始まりと伝わります。三椏(みつまた)を主原料とする滑らかで光沢のある紙は信玄に喜ばれ、「西未」の名を与えられました。江戸時代には富士川流域で広く漉かれ、明治以降も手漉きを守り続けます。第二次世界大戦後は、中国から書画用の紙が入らなくなったことを受け、故紙や稲わらを混ぜた手漉きの画仙紙(がせんし)を全国に先駆けて開発しました。墨の発色やにじみ、筆ざわりに優れ、書道家に愛用されています。平成6年(1994年)に山梨県郷土伝統工芸品に指定されました。2025年には道の駅「にしじま和紙の里 かみすきパーク」が開業し、紙漉き体験もできます。

赤べこ
Akabeko
赤べこは福島県会津地方を代表する張り子の郷土玩具で、赤く彩色された牛の姿をしています。「べこ」は東北の方言で牛を意味し、由来はおよそ1200年前、会津柳津の福満虚空蔵尊圓蔵寺の本堂建立の際、多くの牛が力尽きる中、最後まで木材運びを担い通した赤毛の牛の伝説にあるとされます。張り子の製法自体は天正年間(1573〜1592年)、会津領主となった蒲生氏郷が殖産振興のために招いた技術者から伝わったといわれます。正徳3年(1713年)に会津地方で天然痘が流行した際、赤べこを持っていた子どもは病にかからなかったという言い伝えが広まり、以来、赤べこは厄除け・疫病除けの縁起物として親しまれてきました。体の赤色は魔除け、描かれた斑点は疱瘡(天然痘)の跡を表すとされ、頭を揺らすと軽やかに動く姿は今も会津土産の代表格です。
飯田水引
Iida Mizuhiki
飯田水引は、長野県南部の飯田市とその周辺で作られる水引です。水引は、和紙をよって紐状にし、水糊で固めて色を付けたもので、祝儀袋や結納品などの贈り物を飾るのに使われます。飯田は古くから和紙づくりが盛んな土地で、江戸時代にはその和紙を使った元結(もとゆい)の産地として名を上げました。元結は髷(まげ)を結い束ねる紙の紐で、元禄時代に桜井文七が改良した品は「文七元結」として江戸でも評判になりました。明治時代に断髪令で元結の需要が激減すると、その技術を生かして丈夫で光沢のある水引が作られるようになります。現在、飯田地方は全国の水引製品の約7割を生産しています。金封や結納品に加え、鶴や松竹梅をかたどった水引細工やアクセサリーなども作られています。2014年に長野県知事指定の伝統的工芸品に指定されました。

岐阜和傘
Gifu Wagasa
岐阜和傘は岐阜市加納地区で作られてきた和傘で、畳むと細くまとまる「細物」の技術と豊富な装飾技法を特徴とします。起源は江戸時代初期の寛永16年(1639年)、兵庫県明石から来た傘職人が加納で傘づくりを始めたことに遡るとされ、1756年(宝暦6年)には加納藩主・永井直陳が困窮する下級武士の内職として和傘づくりを奨励したことで、藩の後押しを受けて産業として発展しました。良質な竹と美濃和紙の産地に近いという地理的条件にも恵まれ、最盛期の昭和20年代半ば(1950年頃)には600軒以上の問屋が集まり、月間120万〜130万本もの和傘が生産されました。洋傘の普及により需要は大きく減少しましたが、現在も数軒の問屋・工房が伝統を守り、雨傘・日傘のほか、七五三や結婚式など晴れの場を彩る和傘としても用いられています。
市川大門手漉和紙
Ichikawa Daimon Washi
市川大門手漉和紙は、山梨県西八代郡市川三郷町の市川大門地区で漉かれてきた和紙です。甲斐の紙の記録は奈良時代にさかのぼり、宝亀4年(773年)の正倉院文書に甲斐が紙の産地として記されています。市川では、甲斐源氏の祖とされる源義清に仕えた紙工の甚左衛門が、紙漉きの技を里人に伝えたのが始まりとされます。武田氏の時代には「美人の肌のように美しい」とたとえられた「肌吉紙(はだよしがみ)」が漉かれ、紙漉き職人は「肌吉衆」として手厚く保護されました。江戸時代には幕府の御用紙として献上されます。その後は障子紙の一大産地となり、生産量日本一を誇ってきました。原料は楮(こうぞ)と三椏(みつまた)で、美術紙や画仙紙にも向きます。平成7年(1995年)に山梨県郷土伝統工芸品に指定されました。
白河だるま
Shirakawa Daruma
白河だるまは福島県白河市で作られる張り子のだるまで、眉を鶴に、口ひげを亀に見立て、顔の両側に松と梅、口の下に竹を配した独特の絵付けから「白河鶴亀松竹梅だるま」とも呼ばれています。白河でのだるま作りは江戸時代前期にはすでに行われていたと伝えられますが、天明3年(1783年)の天明の大飢饉で疲弊した地域産業を立て直すため、白河藩主となった松平定信が、お抱え絵師・谷文晁にだるまの意匠を描かせて奨励したことで、現在に続く原型が完成したと伝えられています。毎年2月11日(建国記念の日)には白河市中心部で「白河だるま市」が開催され、約15万人もの人出でにぎわう、白河の冬を代表する風物詩となっています。
八女和紙
Yame Washi
八女和紙(八女手すき和紙)は、福岡県八女市を中心につくられる伝統の手すき和紙です。天正年間(1590年代)に越前国(現在の福井県)出身の僧・日源上人が八女を訪れ、矢部川流域の水質や気候が製紙に適していることを見出して製法を伝えたのが始まりと伝えられています。矢部川の清らかな水と、この地方特有の繊維が長く太い楮(こうぞ)を用いることで、他産地には見られない強靭な和紙に仕上がるのが特徴です。繊維が太く腰が強いため耐久性に富み、掛軸や障子紙、ふすまの内張りなど表装用の和紙として高い評価を受けており、国宝の修復に用いられたこともあるといいます。九州でも最も古い和紙産地の一つとされ、福岡県指定特産工芸品にも指定されています。
修善寺紙
Shuzenji Gami (Shuzenji Washi Paper)
修善寺紙(しゅぜんじがみ)は、静岡県伊豆市修善寺の紙谷(かみや)地区で漉かれてきた和紙です。起源ははっきりしませんが、平安時代ごろから漉かれていたともいわれ、千年に及ぶ歴史を持つとされます。『平家物語』にもその名が見え、源頼朝が挙兵の際に関東の武士へ送った文書にも使われたと伝わります。江戸時代には徳川家康がその質を認めて奨励し、幕府の御用紙として用いられたといわれます。古くは薄紅色を帯びた薄い紙で、簾目(すだれめ)の模様が表れるのが特徴でした。明治から大正にかけて、洋紙の普及などにより生産は途絶えます。1985年に地元住民の協力で紙谷に工房が建てられ、復元への取り組みが始まりました。現在は修善寺紙谷和紙工房で紙漉きが続けられ、紙漉き体験も行われています。
小国和紙
Oguni Washi
小国和紙は、新潟県長岡市小国町で漉かれている手すきの和紙です。豪雪地帯の小国では、雪を生かした独自の製法が受け継がれてきました。原料の楮(こうぞ)の皮を雪の上で天日にさらして漂白する「雪晒し」や、漉いた紙を重ねた紙床を春まで雪に埋めて保存する「かんぐれ」がその代表です。漉いた紙を板に貼り、雪の上で乾かす「雪上天日干し」も行われます。記録では天和2年(1682年)に、農家の冬仕事として楮の栽培と紙漉きが行われていたとされます。江戸時代には、水田のない山間の集落から年貢として納められていました。昭和初期には一冬に2,200万枚もの紙が生産され、現在は小国和紙生産組合がその技を伝えています。雪を使った製法は国の選択無形文化財と新潟県無形文化財となり、2022年には新潟県伝統工芸品に指定されました。書道や絵画の用紙、清酒のラベルなどに使われています。
二俣和紙
Futamata-washi
二俣和紙は、金沢市二俣町で1300年以上にわたり漉き継がれてきた手漉き和紙です。奈良時代の養老年間(717〜724年)、僧・泰澄が医王山に寺を開いたことが紙漉きの始まりと伝えられ、文禄年間(1592〜1596年)には加賀藩の御用紙を漉く紙漉き場として保護を受け発展しました。天正11年(1583年)に加賀国に入った前田利家は、二俣がすでに紙の産地であったことを知り紙を注文して保護を加え、以後加賀藩は正式な儀礼用紙「御料紙」として二俣紙を用いたと伝わります。二俣の気候風土は楮の繊維を短く育てるため、強靭でありながら繊細な紙質を生み出すことが特徴で、書道用紙や色紙、金沢箔を打つ際に用いる箔打紙、格式高い加賀奉書などに用いられてきました。現在も現地の職人によって楮の栽培から紙漉きまでが一貫して手がけられ、伝統の製法が守られています。
京表具
Kyo-hyogu
京表具は、掛軸・屏風・襖・額装など、書画や染織品を裂地や和紙で仕立てて飾り、保存する京都の伝統工芸である。仏教伝来とともに中国から伝わった経巻の表装を起源とし、都が置かれた京都では仏画の礼拝や書院造の床の間文化、茶の湯の興隆と結びついて技術が磨かれてきた。湿度の高い盆地気候が、糊と和紙を幾重にも重ねて乾燥させる表具の製作に適していたことも技術発達を後押ししたとされる。表具師(経師)は掛軸や屏風の新調にとどまらず、古書画や文化財の修理・修復も手掛け、国宝や重要文化財の修復現場でもその技術が頼りにされている。1997年に国の伝統的工芸品指定を受け、2007年には地域団体商標にも登録された。
宇陀紙
Uda-gami
宇陀紙は、奈良県南部の吉野地方で漉かれる手漉き和紙です。楮を原料とし、軽石を砕いた白土を漉き込むことで、強靭さとしなやかさ、独特の柔らかな風合いを兼ね備えた紙に仕上がります。産地は吉野川上流の吉野町国栖地区で、もともとは「国栖紙」と呼ばれていましたが、江戸時代に経済的な結びつきの強かった大和国宇陀郡(現在の宇陀市周辺)の商人がこの紙を仕入れて全国に売り歩いたことから、次第に「宇陀紙」の名で知られるようになったと伝えられています。白土を漉き込むことで紙の収縮や虫害を防ぎ、巻いても跳ね返りにくいという特性を持つため、書画の掛軸や屏風を仕立てる表具の裏打ち用紙として最高級品とされ、国宝や重要文化財の修理にも用いられています。この製法は国の選定保存技術「表具用手漉和紙(宇陀紙)製作」に指定されており、現在は吉野町国栖の老舗和紙工房がその技術を継承しています。

烏山和紙
Karasuyama Washi
烏山和紙は栃木県那須烏山市に伝わる手すき和紙で、鎌倉時代の建保年間(1213〜1219年)にこの地を治めた那須氏が越前(現在の福井県)から紙漉き職人を招き、向田村(現・那須烏山市)で「那須奉書」を漉かせたのが起源と伝わる。楮を原料に手すきで作られる厚手で緻密な紙質が特徴で、江戸時代中頃には越前奉書・美濃紙・西ノ内と並ぶ良質な紙として知られた。なかでも下境地区に伝わる「程村紙」は、那須地方特産の良質な楮「那須楮」を原料とし、独特の「半流し」という漉き方といちょう板を使った天日乾燥などの伝統技法によって作られる厚紙で、強靭さと品格を兼ね備えた紙として1977年(昭和52年)に国の選択無形文化財に指定された。現在、那須烏山市に唯一残る「福田製紙所」がこの伝統を受け継いでおり、卒業証書や工芸品、山あげ祭の山車の装飾など幅広い用途に使われている。
越中和紙
Ecchu Washi
越中和紙は、富山市八尾町の「八尾和紙」、南砺市の「五箇山和紙」、下新川郡朝日町の「蛭谷和紙」という3つの産地でつくられる手すき和紙の総称で、1984年(昭和59年)に経済産業大臣指定伝統的工芸品に指定された。その歴史は古く、奈良時代の774年に成立した「図書寮解」に紙の産地として越中の名が記され、正倉院文書にも「越中国紙」の記載が見られる。平安時代の「延喜式」では租税として和紙を納めていた記録もあり、江戸時代には富山藩2代藩主・前田正甫が売薬を奨励したことで、薬包紙や顧客名簿である懸場帳の材料として八尾和紙の需要が飛躍的に高まった。楮(こうぞ)や三椏(みつまた)、雁皮(がんぴ)を原料とし、丈夫で温かみのある質感を持つ点が共通の特徴で、八尾和紙は鮮やかな型染めの技法、五箇山和紙は雪さらしなどにより強靭さと白さを併せ持つ紙として知られる。現在も日用品からインテリア、工芸品まで幅広く活用されている。
水府提灯
Suifu Chochin
水府提灯は茨城県水戸市に伝わる提灯で、江戸時代の水戸の異称「水府」を冠する。約400年前、財政難に苦しむ水戸藩の下級武士が内職として提灯づくりを始めたのが起源とされ、藩が特産品として奨励したことで発展した。最大の特徴は、輪にした篠竹に糸を一本ずつからめて補強する「一本掛け」という独自の製法で、丈夫で長持ちする提灯に仕上がる。近郊で漉かれる丈夫な和紙「西ノ内紙」を張ることも特徴の一つで、現在も岐阜・八女と並ぶ日本三大提灯産地の一つに数えられている。最盛期には水戸市内に30軒以上あった工房は近年数軒にまで減ったが、蔭山利兵衛商店や青野商店など老舗が伝統技法を今に伝え、祭礼用の提灯から観光客向けの体験まで幅広く手がけている。
西ノ内紙
Nishinouchi Washi
西ノ内紙は茨城県常陸大宮市(旧山方町西野内)を中心に漉かれる手漉き和紙で、ミツマタやガンピを混ぜずコウゾのみを原料とする点に特徴がある。原料には常陸大宮市や大子町周辺で栽培される「那須楮」を用い、昼夜の寒暖差により絹に例えられるほど適度な太さと長さの繊維が育つとされる。江戸時代には水戸藩の紙専売仕法(1688年)により藩が全量を買い上げる重要産業となり、強靭さと保存性の高さから江戸の商家では大福帳にも用いられた。1971年(昭和46年)12月2日には茨城県の無形文化財(工芸技術)に指定され、現在も少数の漉き手により伝統の技が受け継がれている。
津山箔合紙
Tsuyama Hakuaishi
津山箔合紙は、岡山県津山市横野地区(上横野・下横野)で作られている三椏(みつまた)を原料とした手漉き和紙です。薄くかさばらないのに強く、表面がなめらかで金箔・銀箔を傷つけないことから、金箔工芸に欠かせない「箔合紙」として京都や金沢の金箔職人たちに愛用されてきました。やや赤みを帯びた光沢のある紙肌が特徴で、古文書の修復や、ドイツ・カナダなど海外での銅版画・エッチング用紙としても用いられています。原料の三椏は美作地方の特産で、財務省印刷局に紙幣原料として納められる「局納ミツマタ」の産地としても知られます。昭和56年(1981年)1月に岡山県の伝統的工芸品に指定されましたが、現在この津山箔合紙を漉いているのは全国でただ一軒、横野地区の上田手漉和紙工場(横野和紙工房)のみとなっており、貴重な手仕事が続けられています。
東山和紙
Tozan Washi
東山和紙は、岩手県一関市東山町に約800年伝わる手漉き和紙です。発祥については、平安時代末期に鎌倉勢に滅ぼされた奥州藤原氏の落人がこの地に土着し、農耕の傍ら生活用品として紙を漉き始めたとする説や、平泉・中尊寺の造営に伴い写経用の紙が大量に必要となり、近隣の東山町で漉かれるようになったとする説が伝えられています。「東山」という地名は、中尊寺近くの束稲山から東方を望む風景が京都の東山に似ていたことに由来するといわれ、町内には文字どおり「紙生里(かみあがり)」という地名も残っています。楮(こうぞ)をほぼ唯一の原料とする、素朴で強靭な紙質が特徴です。