伝統工芸ジャンル
金工
全国各地の金工を横断的に紹介します。
地域(複数選択可)
29 件
安中打刃物
Annaka Uchihamono
安中打刃物は、群馬県安中市で受け継がれてきた鍛造の農具・刃物です。安中市はかつて養蚕が盛んな土地で、明治時代から農作業に欠かせない鍛造農具を作る鍛冶職人が数多く活動し、旧安中市内には鍛冶にちなんだ地名が今も残っています。熱した鉄や鋼を何度もハンマーで打ち鍛えて成形する「打ち刃物」の技法は、日本刀づくりの技術に連なるもので、型を使って大量生産される刃物とは異なり、一本一本を職人の手で仕上げるのが特徴です。草カキや手鍬といった農具は耐久性としなやかな使い心地を備え、包丁や刈込鍬などの刃物は鋭い切れ味を誇ります。現在も本家松永製作所や山崎製作所といった鍛冶屋が、昔ながらの手仕事を守りながら、修理を重ねて長く使い続けられる道具を作り続けています。

堺打刃物
Sakai Uchihamono (Sakai Forged Knives)
堺打刃物(さかいうちはもの)は、大阪府堺市を中心に作られている包丁や鋏などの刃物です。16世紀にポルトガルから鉄砲とたばこが伝わると、堺ではたばこの葉を刻む「たばこ包丁」が作られるようになりました。江戸幕府はその品質を認め、「堺極(さかいきわめ)」の極印を打って売ることを許したとされます。これが全国に名を広め、やがて出刃包丁などの料理包丁へと発展しました。製作は、刃の形を打ち出す「鍛造」、刃を研ぎ上げる「刃付け(研ぎ)」、柄をすげる「柄付け」の分業で行われます。軟らかい地金に硬い刃金を鍛接した包丁は、折れず曲がらずよく切れるといわれます。プロの料理人が使う和包丁では、国内シェアの約9割を占めるともいわれます。1982年(昭和57年)に国の伝統的工芸品に指定されました。
山形鋳物
Yamagata Imono
山形鋳物は山形市を中心に約900年の歴史を持つ鋳物工芸です。平安時代後期の康平年間(11世紀半ば)、源頼義に従軍した鋳物師が馬見ヶ崎川流域の砂と土質が鋳型づくりに適していることを見出し、この地に住み着いたのが始まりと伝えられています。江戸時代には最上義光が城下町を整備した際、鋳物師町(現在の銅町)を設けて職人を集住させ、産地としての基盤を築きました。南部鉄器の重厚で装飾的な作風に対し、山形鋳物は薄肉で繊細な鋳肌を活かした簡素な美しさが特徴とされ、茶の湯釜や鉄瓶、花瓶といった生活工芸品から梵鐘や灯籠まで幅広く手がけられています。1975年(昭和50年)、経済産業大臣指定の伝統的工芸品に指定されました。近年は鉄瓶や風鈴に加え、インテリア雑貨など現代の暮らしに合う新しい製品づくりにも取り組まれています。
千葉工匠具
Chiba Koshogu
千葉工匠具は、千葉県内の鍛冶職人が伝統の技法によって作り続けている鎌・鍬・包丁・洋鋏などの刃物・手道具の総称です。2017年(平成29年)11月30日、房州うちわに続き千葉県で2件目となる国の伝統的工芸品に指定されました。房総半島では文禄3年(1594年)に始まる利根川東遷や、享保9年(1724年)の印旛沼干拓など、江戸時代を通じて大規模な土木・新田開発事業が行われ、開墾に用いる鎌や鍬といった手道具の需要が高まったことが産地形成の背景にあります。刀鍛冶と農具鍛冶の技術交流により、優れた刃付けの技術が地域に根付きました。明治時代には全国に先駆けて洋鋏の製造が始まり、断髪令に伴う理美容鋏の生産も盛んになりました。現在も柏市・館山市・成田市・流山市など県内各地の工房で、女性鍛冶職人を含む職人たちが一つ一つ手作業で刃物を鍛え続けています。
大阪浪華錫器
Osaka Naniwa Suzuki (Osaka Naniwa Pewterware)
大阪浪華錫器(おおさかなにわすずき)は、大阪市などで作られている錫(すず)の器です。錫は金や銀に次ぐ貴重な金属で、古くは宮中の食器や神社仏閣の神仏具に使われてきました。錫器づくりは京都で起こったとされ、江戸時代中期には大坂が一大産地となります。心斎橋や天神橋、天王寺に錫屋が集まり、酒器や茶器が作られました。溶かした錫を型に流し込む「鋳込み」と、ろくろで削って形を整える「ろくろ挽き」が中心の技法です。錫は酸化しにくく、酒の口当たりをまろやかにするといわれ、気密性が高いため茶筒にも向きます。1983年(昭和58年)に国の伝統的工芸品に指定されました。現在は大阪錫器株式会社が技術を受け継ぎ、伝統的な技法による国内の錫器生産の約7割を担っています。
房州鋸
Boshu Nokogiri
房州鋸は、南房総地域に450年以上の歴史を持つ鋸(のこぎり)鍛冶の技術です。戦国時代、房総を治めた里見家に仕えた鍛冶が、貿易などに用いる和船を造るための「船鋸」として生み出したのが起源とされています。江戸時代には安房沿岸部一帯に技術が広まり独自の発展を遂げ、盗人が土蔵を破る際に房州鋸を使ったことから幕府にその切れ味の良さが知られ、広く名が知られるようになったという逸話も伝わっています。日本刀と同じ鋼を用い、刃の反りや歯の立て方に房州鋸独自の工夫が凝らされており、薄くしなやかでありながら抜群の切れ味と耐久性を誇ります。効率よりも品質を優先し、20以上の工程すべてを手作業で行う伝統的な製法が今も守られています。しかし後継者は育っておらず、現在は日本でただ一人の職人によってのみ、その技術が受け継がれているという厳しい状況にあります。

越前打刃物
Echizen Uchihamono
越前打刃物は、福井県越前市で作られている鍛造の刃物です。約700年前の南北朝時代、京都の刀匠・千代鶴国安が刀づくりに適した良質な水を求めて府中(現在の越前市)に移り住み、近隣の農民のために鎌を作ったことが始まりとされます。江戸時代には福井藩の保護を受けて発展しました。全国を巡る越前の漆掻き職人が鎌を携えて売り歩いたことで、その名は各地に広まります。刃を2枚重ねて叩き延ばす「二枚広げ」など、火造り鍛造と手仕上げの技が受け継がれてきました。薄く軽く、切れ味に優れた刃が特徴で、現在は包丁やナイフが中心です。1979年には、打刃物として初めて国の伝統的工芸品に指定されました。市内のタケフナイフビレッジでは、職人の仕事を間近で見学できます。
金沢箔
Kanazawa-haku
金沢箔は石川県金沢市を中心に生産される金箔で、国内で使用される金箔の99%以上を占める一大産地です。始まりは文禄2年(1593年)、加賀藩祖前田利家が豊臣秀吉の朝鮮出兵に従軍した陣中から金沢に箔の製造を命じたことに遡るとされます。江戸時代、幕府は金銀の生産地を江戸と京都に限る「箔打ち禁止令」を出しましたが、加賀藩は密かに製造を続け、少ない材料で質の高い金箔を大量に作る技術を磨き上げました。元治元年(1864年)には職人たちの尽力により公儀御用としての箔製造がついに公認されます。明治維新後は江戸の箔屋が衰退する一方、金沢の箔産業は発展を続けました。純金にわずかな銀・銅を加えた合金を1万分の1ミリほどの厚さまで均一に打ち延ばす職人技と、金沢の気候・水質に恵まれたことが、他産地の追随を許さない技術水準を生んでいます。1977年に伝統的工芸品の材料として指定されました。

尾張七宝
Owari Shippo
尾張七宝は愛知県あま市(旧七宝町)を中心に作られる、金属素地にガラス質の釉薬を焼き付ける工芸品です。江戸時代後期の天保年間(1830〜1844年)、尾張国の梶常吉がオランダ船によって伝来した七宝の皿を手本に製造法を研究・改良したことが始まりとされます。銅や銀の素地表面に、図柄の輪郭となる銀線を立てて釉薬を焼き付ける「有線七宝」を代表技法とし、花鳥風月や風景を精緻に表現します。1867年のパリ万国博覧会への出品を機に世界的に名を知られるようになり、明治期には輸出工芸品としても発展しました。現在もあま市七宝町を中心に花瓶・額・装身具などが作られ、1995年に国の伝統的工芸品に指定されています。
燕鎚起銅器
Tsubame Tsuiki Doki
燕鎚起銅器は、新潟県燕市で作られる銅器です。一枚の平らな銅板を金鎚で繰り返し打ち起こし、継ぎ目のない立体的な器に仕上げます。「鎚起(ついき)」とは、鎚で打ち起こすという意味です。燕では江戸時代初期に農家の副業として和釘づくりが広まり、金鎚を扱う技術が根づいていました。近郊の弥彦山で銅が採れたことも背景に、明和5年(1768年)に仙台の渡り職人・藤七が鎚起の製法を伝えたとされます。文化13年(1816年)創業の玉川堂は、200年以上この技術を受け継いできた代表的な工房です。湯沸や急須、酒器、花器などが作られ、注ぎ口まで一枚の板から打ち出す高度な技や、使うほど色合いが深まる着色が魅力です。1981年に国の伝統的工芸品に指定されました。

秋田銀線細工
Akita Ginsen Zaiku
秋田銀線細工は、純度の高い銀を直径0.2〜0.3mmほどの細い線に加工し、撚り合わせて渦巻きや唐草模様のパーツ「平戸」を作り、銀枠にはめ込んで組み上げる金属工芸です。慶長7年(1602)、佐竹義宣が常陸国から秋田へ国替えとなった際に金銀細工師を伴ったことが起源とされ、院内銀山をはじめとする秋田の鉱山開発と歴代藩主佐竹家の保護によって、刀装具や装飾金具の技術として発展しました。明治以降、武家需要の減少とともに、ブローチやペンダントなどの装身具づくりへと用途を広げ、ポルトガル船によって伝わったとされる「平戸細工」の技法を取り入れながら独自の様式を確立しました。純銀ならではの落ち着いた輝きと、精緻な線模様が織りなす繊細な意匠が最大の魅力で、昭和30年(1955)には国の無形文化財に選択され、現在は秋田県伝統工芸品・秋田市指定無形文化財として受け継がれています。
尾張仏具
Owari Butsugu
尾張仏具は、名古屋市南部の門前町・大須周辺を中心に作られてきた仏具の総称で、木地に幾重にも漆を塗り重ねた深い光沢と、金箔・金粉による華やかな加飾、精緻な錺金具(かざりかなぐ)を特徴とします。始まりは1609年の名古屋城築城にさかのぼり、城下町「南寺町」の造営に携わった宮大工たちが、のちに仏具づくりへと転じたことによります。江戸後期には下級武士の内職であった錺金具づくりの技術も取り込まれ、木曽檜など良質な木材を用いて木地・彫刻・漆塗り・金箔押し・錺金具の高度な分業体制のもとで発展しました。明治以降は問屋を中核とした流通網が整い、尾張地域が交通の要衝であったことも後押しして、尾張仏具は全国の寺院・在家へと広く供給されるようになりました。現在も宗旨宗派や用途に応じて1000種類以上の仏具が作られており、須弥壇や香炉、燭台、輪灯など機能性と装飾性を兼ね備えた造形が特徴で、2017年には国の伝統的工芸品に指定されています。

越後三条打刃物
Echigo Sanjo Uchihamono
越後三条打刃物は、新潟県三条市で作られる鍛造の刃物です。鉄や鋼を炉で赤くなるまで熱し、金鎚で叩いて形を作る「自由鍛造」の技術を生かし、多彩な品目を生み出してきました。包丁や切出小刀、鉋・鑿などの大工道具、鎌や鉈、木鋏、ヤットコ、和釘までがそろいます。始まりは江戸時代初期の寛永2年(1625年)とされます。河川の氾濫に苦しむ農民を救うため、大谷清兵衛が江戸から釘鍛冶を招き、副業として和釘づくりを広めたと伝えられています。やがて専業の鍛冶職人が生まれ、会津方面から鋸や鉈の製法が伝わると、製品は刃物全般へと広がりました。用途ごとに特化した形状と材質で扱いやすく、切れ味が長く続く点が評価され、2009年に経済産業大臣指定の伝統的工芸品となりました。市内の三条鍛冶道場では、鍛冶仕事を気軽に体験できます。

関の刃物
Seki Hamono
関の刃物は岐阜県関市で作られる刃物の総称で、日本の家庭用刃物の全国出荷額の約半分を関市が占める一大産地です。起源は鎌倉時代に刀匠・元重が関の地に移り住み刀づくりを始めたことに遡るとされ、南北朝時代には正宗十哲の一人・金重や兼氏らが「美濃伝」と呼ばれる独自の鍛刀技術を確立し、日本刀の五箇伝の一つに数えられるまでになりました。室町時代には刀匠が300人を超え、「折れず、曲がらず、よく切れる」と評された関の刀は全国にその名を広めました。江戸時代以降は刀剣需要の減少に伴い、鍛冶職人たちは包丁やかみそり、ハサミなど生活刃物づくりへと技術を転換し、明治以降は近代的な刃物産業として発展しました。現在は特許庁の地域団体商標「関の刃物」の認可を受け、世界三大刃物産地の一つに数えられています。
信州打刃物
Shinshu Uchihamono (Shinshu Forged Blades)
信州打刃物は、長野県北部の上水内郡信濃町を中心に作られる鍛造の刃物です。鉄と鋼を炉で熱し、鎚(つち)で一本ずつ打ちのばして形を作ります。代表的な製品は「信州鎌」で、背が厚く、刃は非常に薄いため、丈夫でよく切れるのが持ち味です。柄の差し込み部分を反らせる「芝付け」と、刃面を内側に湾曲させる「つり」により、刈り払った草が手元に寄ってきます。起こりは16世紀半ば、川中島の合戦の頃と伝わります。武具や刀剣の修理に訪れた鍛冶職人から、里の人々が技を習ったのが始まりとされます。江戸時代末期に今の信州鎌の原型が生まれ、明治時代に信越線が開通すると全国へ販路が広がりました。1982年に国の伝統的工芸品に指定されています。現在は鎌のほか、鍬(くわ)や鉈(なた)、包丁なども作られています。
山形打刃物
Yamagata Uchihamono
山形打刃物は山形市を中心に受け継がれる鍛冶の技による打刃物です。その始まりは南北朝時代の1356年、最上氏の始祖・斯波兼頼が山形に入部する際に鍛冶師を伴い、鍛冶集落を形成して武具や農具を作らせたことに遡るとされます。江戸時代には山形藩主・最上義光が城下に鍛冶町を置いて鍛冶師を優遇し、歴代領主の庇護のもとで技術が磨かれました。江戸後期には刀剣の名匠・庄司直胤を輩出し、明治以降は刀剣需要の減少とともに、包丁や鎌、鋏、鍬など生活に根ざした刃物づくりへと軸足を移しました。軟らかい鉄と硬い鋼を火造りで接合して打ち鍛える「自由鍛錬」という技法を今に伝え、切れ味と粘り強さを両立させた刃物として評価されています。
越谷甲冑
Koshigaya Katchu
端午の節句に飾る五月人形の鎧・兜を仕立てる、埼玉県越谷市の伝統技術です。金工・漆工・皮革工芸・組紐など、江戸時代から伝わる複数の工芸技法を組み合わせて一領の甲冑に仕立て上げる点が特徴で、鮮やかな色彩と威厳のある風格を備えています。甲冑師と呼ばれる職人が、兜の鉢や吹返し、鎧の縅(おどし)などの部位ごとに専門技術を駆使して製作し、すべて手作業で仕上げられるため、人形師の技量が仕上がりの良し悪しを左右します。昭和34年(1959年)創業の甲冑工房朝比奈をはじめとする越谷市内の工房が中心となって技術を継承しており、平成8年(1996年)には「越谷甲冑」として埼玉県指定の伝統的手工芸品に指定されました。戦国武将にちなんだ意匠の甲冑も人気を集め、端午の節句の贈り物として今も需要があります。
鯖江のめがね
Sabae Eyewear
鯖江のめがねは、福井県鯖江市を中心に作られる眼鏡フレームです。国の伝統的工芸品ではなく、明治時代に始まった地場産業ですが、職人の技と分業体制によって世界に知られる産地を築いてきました。1905年(明治38年)、足羽郡麻生津村生野(現在の福井市生野町)の増永五左衛門が大阪からめがね職人を招き、雪深い冬の農家の副業としてめがねづくりを広めたのが始まりです。技術はやがて鯖江へと広がり、市は「めがねのまちさばえ」を掲げるまでになりました。1983年には、世界で初めてチタン製めがねフレームの開発・生産に成功しています。現在、日本製めがねフレームの約95%が福井県で作られており、その中心が鯖江市です。市内のめがねミュージアムでは、産地の歴史を学べるほか、フレームの手作り体験や県内メーカー製品の購入ができます。

桑名鋳物
Kuwana Imono (Kuwana Cast Metalwork)
桑名鋳物(くわないもの)は、三重県桑名市で作られている鋳物です。1601年(慶長6年)、本多忠勝が桑名藩の初代藩主となり、鋳物師を招いたのが始まりとされます。藩の奨励のもとで鉄砲の製造などが行われ、鋳物産業が根づきました。江戸時代には灯籠や梵鐘、鍋などが作られ、桑名宗社(春日神社)の青銅鳥居が名高い作例です。明治時代には製麺機や水道器具などの機械鋳物が始まり、「東の川口、西の桑名」と並び称される産地に育ちました。東海道の宿場町として栄えた桑名は、今も「鋳物の街」として知られます。現在はマンホールの蓋や機械部品などの工業用鋳物が中心ですが、鉄瓶や鍋などの日用品も作られています。2026年(令和8年)には、ケトルベルと鉄鍋を対象に三重県指定伝統工芸品となりました。

川口鋳物
Kawaguchi Imono
川口鋳物は、荒川と芝川に挟まれた川口市で発展した鋳造業の総称で、「鋳物のまち川口」として知られています。発祥には平安時代説・鎌倉時代説・南北朝時代説・戦国時代説など複数の説があり定かではありませんが、遅くとも中世には鋳物師が定着していたとされます。荒川・芝川流域で鋳型に適した良質な砂や粘土が採れたことに加え、大消費地である江戸・東京に隣接し水運にも恵まれていたことから、江戸時代以降、鍋や釜、農具、梵鐘などをつくる一大産地として発展しました。明治以降は工場制生産や技術革新が進み、1942年には単独市として生産量日本一を達成、映画『キューポラのある街』の舞台としても知られています。近年は生活雑貨や工業製品まで幅広い分野で、軽量化やデザイン性を追求した製品づくりが続けられています。
中新田打刃物
Nakaniida Uchihamono
中新田打刃物は宮城県加美郡加美町(旧中新田町)に伝わる鍛冶技術による打刃物で、江戸時代の寛文年間(1661~1673年ごろ)、仙台藩の刃匠・舟野五郎兵衛が鎌づくりを始めたことに起源を持つと伝えられています。以来300年以上にわたり、日本刀づくりと同じ鍛錬技術を用いて鉄と鋼を打ち鍛える「空打式」と呼ばれる製法が受け継がれてきました。刃を上向きに使う独自の形状の鎌は土との摩擦を減らして刃こぼれしにくく、研ぎ直しもしやすいと評価されています。鎌のほか、菜切り包丁や皮剥き包丁など各種の打刃物も手がけられています。最盛期には11軒の鍛冶屋が軒を連ねていましたが、後継者不足により現在は「石川刃物製作所」の4代目・石川美智雄氏がただ一人の職人としてその技術を守り続けています。1982年(昭和57年)に宮城県知事指定伝統的工芸品に指定されました。
京仏具
Kyo-butsugu
京仏具は、香炉・燭台・花瓶(けびょう)や仏像、荘厳具など寺院や家庭の仏事に用いる道具類の総称で、木工・漆工・金工・染織など多様な技術を結集した総合工芸品である。仏具の製作は6世紀の仏教伝来とともに始まったとされ、京都では11世紀初頭に仏師定朝が七条に「七条仏所」を設けたことで本格化し、以来千年余りの歴史を刻んできた。宗派ごとに仏具の意匠や仕様が異なるため大量生産になじまず、四十余りの専門職種による分業体制のもとで一点一点手作業により仕上げられる。現在、京都で製作される仏具の約7割は寺院用とされ、全国の寺院で使われる仏具の多くを京都が供給している。1976年に経済産業大臣指定の伝統的工芸品となった。

高岡銅器
Takaoka-doki
高岡銅器は富山県高岡市を中心に生産される鋳物工芸で、日本国内の銅器生産の大部分を占める一大産地として知られる。起源は1611年(慶長16年)、加賀藩二代藩主・前田利長が高岡城下の産業振興のため、砺波地方などから7人の鋳物師を金屋町に招いたことにさかのぼる。当初は鍋や農具などの日用鉄器が中心だったが、江戸後期に銅器生産へと展開し、仏具や梵鐘、美術工芸品づくりへと発展した。1867年のパリ万国博覧会に出品されて高い評価を得たことを契機に、明治・大正期には生産量が飛躍的に拡大し、国内外に高岡の名を知らしめた。最大の特徴は、双型・焼型・蝋型・生型といった多様な鋳造技法に、毛彫りや透かし彫りなどの彫金、鉄漿色や青銅色などを発色させる着色技法を組み合わせる総合力にあり、小さな置物から寺院の梵鐘、屋外の大型モニュメントまで幅広く手がけられる。1975年に経済産業大臣指定伝統的工芸品に指定され、現在は仏具から現代アート、生活雑貨まで幅広い製品が作られている。
小田原鋳物
Odawara Imono
小田原鋳物は、神奈川県小田原市に伝わる金属工芸で、室町時代末期の1534年(天文3年)、河内から来住した山田治郎左衛門が鋳物業を開いたことに始まるとされます。江戸時代の1702年(元禄15年)には柏木家が鋳物業を興し、銅とスズを独自の比率で配合した合金「砂張(さはり)」を用いた鳴物づくりで名を高めました。現在では風鈴やおりん(仏具の鈴)、振鈴など、澄んだ余韻の長い音色を持つ「鳴物」が主力製品となっており、小田原に唯一残る鋳物工房・柏木美術鋳物研究所がその伝統を今に伝えています。同工房は黒澤明監督の映画『赤ひげ』で使用された御殿風鈴を手がけたことでも知られ、工房内の「砂張ギャラリー鳴物館」で風鈴やおりんなどの製品を展示・販売するとともに、近年は箱根寄木細工とのコラボレーション商品にも取り組んでいます。
津軽打刃物
Tsugaru Uchihamono
津軽打刃物は、藩政時代の弘前城下に軒を連ねた刀鍛冶・農具鍛冶の技を起源とする鍛造刃物です。江戸初期の弘前には「鍛冶町」という町名が残るほど多くの鍛冶職人が集まり、刀や大砲づくりの技術が、時代とともに鎌や鍬、和包丁といった暮らしに根差した道具づくりへと受け継がれてきました。伝統的な「火造り」と「泥塗り」による焼き入れ技術で鍛えられた刃は、優れた切れ味と耐久性を兼ね備えています。青森県はりんごの一大産地であることから、剪定や摘果に用いる鋏やのこぎりも津軽打刃物の重要な製品となっており、弘前のりんご栽培を支える道具としても発展してきました。平成8年3月には青森県伝統工芸品に指定され、現在も鍛冶場では火造りから仕上げまで一貫した手仕事が続けられています。

天明鋳物
Temmyo Imono
天明鋳物は、栃木県佐野市に伝わる鋳物の伝統技術です。伝承によれば天慶年間(938〜947年)、河内国から移住した5人の鋳物師が藤原秀郷の命により兵器類を鋳造したのが始まりとされ、現存する鋳物産地としては国内最古級、千年以上の歴史を持つといわれています。鎌倉時代末期には雑炊釜や湯沸かしなど日用の鋳物釜の生産が盛んになり、茶の湯の流行とともに素朴で野趣に富んだ肌合いの茶釜が茶人に愛され、福岡の芦屋釜と並んで「西の芦屋、東の天明」と称されました。千利休や織田信長、豊臣秀吉も天明の茶釜を愛用したと伝えられます。現在も佐野市内の鋳物師が江戸時代さながらの砂型鋳造技法を守り、風鈴や茶釜、梵鐘などを一つひとつ手作業で仕上げています。2024年3月には「佐野の天明鋳物生産用具及び製品」が国の重要有形民俗文化財に指定され、その価値が改めて注目されています。
東京銀器
Tokyo Ginki
東京銀器は東京都台東区・荒川区・文京区などで作られる銀製の工芸品で、鍛金・彫金・切嵌・鑞付けといった伝統技法により茶道具や装身具、酒器などが作られている。日本における銀製品の歴史は古く、平安時代の法典「延喜式」にはすでに銀製の食器や酒器の記録が見える。江戸時代中期になると経済力をつけた町人の間で銀製品が広く用いられるようになり、飾り職人や銀師(しろがねし)と呼ばれる専門の職人が育っていった。明治以降は西洋の精練技術も取り入れられ、1867年のパリ万博では日本の銀器の完成度の高さが海外の専門家を驚かせたと伝えられる。純度1,000分の925以上の銀を用い、金鎚で叩いて模様を打ち出す槌目や、岩石目・ゴザ目など独特の質感を生み出す技法が特徴で、使い込むほどに手になじむ道具として今も茶道具やアクセサリーなど幅広く愛用されている。1979年(昭和54年)に経済産業大臣指定の伝統的工芸品となった。

南部鉄器
Nanbu Tekki
南部鉄器は岩手県盛岡市と奥州市水沢を二大産地とする鉄鋳物で、約400年の歴史を持ちます。盛岡では17世紀中頃、南部藩主が京都から茶釜師を招いて茶の湯釜を作らせたのが始まりとされ、水沢では平安時代末期に奥州藤原氏が近江国から鋳物師を招いたのが起源と伝えられています。両地域は砂鉄や川砂、粘土、木炭など鋳造に適した資源に恵まれ、古くから鋳物づくりが盛んでした。1975年には経済産業大臣指定伝統的工芸品に指定されています。質実剛健で丈夫、熱が均一に伝わり保温性に優れることから鉄瓶や急須、鍋、風鈴などが作られ、近年は海外でも茶器として高い人気を集めています。現在も焼型による手仕事の技法が受け継がれています。

備前刀(長船)
Bizen-to (Osafune)
備前刀は、旧備前国(現在の岡山県瀬戸内市・岡山市東部一帯)で作られた日本刀の総称で、なかでも吉井川沿いの長船(現・瀬戸内市長船町)を拠点とした「長船派」は、日本刀史上最大規模の刀工集団として知られます。備前国は吉井川下流域に良質な砂鉄(赤目砂鉄)を産し、中世を通じて日本刀生産の一大中心地となりました。日本刀の五大流派「五箇伝」のうち「備前伝」を形成し、国宝・重要文化財に指定された日本刀のおよそ4割を備前刀が占めるとも言われます。戦乱や需要の変化により衰退した時期もありましたが、大正〜昭和期に今泉俊光が独学と口伝により作刀技術を研究・復興し「備前刀復興の祖」と称されました。現在も瀬戸内市長船町には現役の刀匠が拠点を構え、備前長船刀剣博物館・備前おさふね刀剣の里では鍛刀や研磨などの工程を見学できます。