伝統工芸ジャンル
文具
全国各地の文具を横断的に紹介します。
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9 件
甲州手彫印章
Koshu Hand-carved Seals
甲州手彫印章は、山梨県で作られる手彫りのはんこです。印面の文字のデザインから字割り、字入れ、荒彫り、仕上げまで、すべての工程を昔ながらの道具で手作業により行います。始まりは、御岳山系で良質で大きな水晶の鉱脈が見つかったことでした。水晶を加工する職人や篆刻家(てんこくか:印を彫る芸術家)が育ち、その技が印章づくりへと受け継がれていきます。中心産地の市川三郷町六郷地区は「日本一のはんこの里」と呼ばれ、彫刻から卸、印章ケースの製造まで、はんこに関わる業種が集まっています。印材には水晶のほか、ツゲや水牛の角なども使われます。水晶の手彫り印章は、山梨県以外ではほとんど作られていません。1994年に山梨県郷土伝統工芸品、2000年に国の伝統的工芸品に指定されました。六郷の印章資料館では、印章の歴史に触れられ、篆刻体験もできます。

甲州雨畑硯
Koshu Amehata Inkstone
甲州雨畑硯は、山梨県早川町の雨畑地区で採れる「雨畑真石(あめはたしんせき)」を彫って作る硯です。黒く緻密な粘板岩(ねんばんがん:泥が固まってできた、薄く割れやすい岩)で、石むらがありません。表面の細かく均一な粒子「鋒鋩(ほうぼう)」がほどよく墨をおろし、水を吸いにくいので水持ちも良好です。古くから中国の硯にも勝る良石と評価されてきました。始まりは元禄3年(1690年)、雨宮孫右衛門が身延山へ参詣する途中、早川の河原で黒い石を拾い、硯にしたことと伝えられます。地元には、日蓮の弟子・日朗上人にまつわる、さらに古い伝説も残ります。現在の産地は早川町と富士川町で、富士川町鰍沢には代々続く硯の工房があります。1994年に山梨県郷土伝統工芸品に指定されました。早川町の「雨畑硯の里 硯匠庵」では、銘硯を見学でき、硯づくりも体験できます。

雄勝硯
Ogatsu Suzuri
雄勝硯は宮城県石巻市雄勝町で作られる硯で、原料となる玄昌石(雄勝石)は約2億3千万~5千万年前の地層からとれる黒色硬質粘板岩です。粒子が均質できめ細やかな上、圧縮や曲げに強く吸水率が低いため経年変化しにくく、硯石として最高水準の性質を備えています。室町時代の1396年頃にはすでに雄勝で硯石が産出されていたと伝わり、江戸時代には伊達政宗に献上されたという600年以上の歴史を持ちます。1985年5月22日に経済産業大臣指定の伝統的工芸品となり、最盛期には国内で生産される硯の9割以上を雄勝硯が占めていました。2011年の東日本大震災では雄勝町全体が津波の甚大な被害を受け、職人の住居や工房、採石場も失われました。それでも職人たちは瓦礫の中から見つけた硯や道具を手がかりに生産を再開し、硯だけでなくテーブルウェアなど新たな商品開発にも取り組みながら復興を進めています。
鈴鹿墨
Suzuka Sumi (Suzuka Inksticks)
鈴鹿墨(すずかすみ)は、三重県鈴鹿市で作られている書道用の固形墨です。煤(すす)を膠(にかわ:動物の皮や骨から作る接着剤)で練り固め、木型に入れて成形し、長い時間をかけて乾かして仕上げます。起源は延暦年間(782〜806年)とも伝わり、鈴鹿の山の松を燃やして煤を採ったのが始まりとされます。江戸時代には紀州藩の保護を受け、大名の家紋書きや寺子屋の広がりとともに需要が増えました。発色がよく、上品で深みがあり、線の芯とにじみがよく調和する墨として、多くの書家に愛用されています。1980年(昭和55年)、墨として初めて国の伝統的工芸品に指定されました。現在、鈴鹿墨を作るのは鈴鹿市寺家の進誠堂のみとされます。伝統工芸士の伊藤亀堂さんと、息子の伊藤晴信さんが技を受け継いでいます。

雲平筆
Umpei-fude
雲平筆は、和紙を軸に巻き込んで穂を仕立てる「巻筆」の技法を今に伝える書道用の毛筆です。祖は元和年間(1615年頃)に京都で創業したと伝わる筆司・藤野雲平で、宮中の御用を務め、書道の家として知られる有栖川宮家とも縁が深かったとされます。正徳年間には五代目雲平が時の関白・近衛家熙から「攀桂堂」の号を賜り、以後この名で代々の筆司が技術を受け継いできました。現在は滋賀県高島市安曇川町に工房を構え、十五代目藤野雲平とその子が、和紙で穂首を巻き固める巻筆づくりを手がける日本で唯一の作り手として知られています。狸や羊、鼬など複数の獣毛を用いて仕立てられる穂は墨含みがよく、力強い線を生み出すとされ、書家をはじめ多くの愛好者に親しまれてきました。1966年には十四代目が滋賀県指定無形文化財の保持者に認定され、雲平筆自体も滋賀県知事指定の伝統的工芸品となっています。

大津絵
Otsu-e
大津絵は、江戸時代初期に東海道の大津宿(追分・大谷周辺)で旅人向けの土産物として売られた民画です。寛永年間(1624~1644年)頃、仏教的な題材を描いた仏画として始まったとされ、松尾芭蕉が「大津絵の筆のはじめは何仏」と詠んだことでも知られています。やがて世俗的な画題へと広がり、文化・文政期(1804~1829年)には「鬼の念仏」「藤娘」など代表的な十種の画題「大津絵十種」が定まりました。それぞれの絵には道歌や護符としての意味が込められ、鬼の念仏は子どもの夜泣き封じ、藤娘は良縁祈願の縁起物として親しまれています。現在も大津市三井寺周辺で、明治初年創業の「大津絵の店」を営む高橋松山家が伝統の技法を受け継ぎ、大津市指定無形文化財として大津絵を描き続けています。
豊橋筆
Toyohashi Fude
豊橋筆は、愛知県豊橋市を中心に田原市・豊川市などでもつくられている書道用を主とした毛筆で、書道用のほか日本画用、化粧用など数百種類以上が生産されています。始まりは文化元年(1804年)、京都から吉田藩(現・豊橋)に招かれた鈴木甚左衛門が筆づくりを伝えたことにさかのぼるとされます。最大の特徴は「練りまぜ」と呼ばれる独自の技法で、タヌキやイタチなどの獣毛を水で柔らかくしながら混ぜ合わせ、毛の種類・太さ・長さを巧みに組み合わせることで、なめらかな書き心地と優れた墨含み・墨はけを実現しています。選別から毛もみ、寸切り、練りまぜ、上毛かけ、仕上げ、刻銘まで約36の工程をすべて手作業で行います。生産量では熊野筆(広島県)に次ぐ全国第2位ですが、書道家向けの高級筆の産地としては全国有数の地位を占め、年間およそ180万本が全国に流通しています。1976年、経済産業大臣指定の伝統的工芸品に指定されています。
奈良筆
Nara Fude
奈良筆は奈良市を中心に作られる書道用・化粧用の毛筆で、経済産業大臣指定の伝統的工芸品です。奈良時代、遣唐使として唐に渡った空海(弘法大師)が筆の製法を修め、帰国後に大和国今井の坂名井清川に伝授したのが起源と伝わります。以来1200年余りにわたり、日本の筆づくりの発祥地として技術が受け継がれてきました。最大の特徴は「練り混ぜ法」と呼ばれる技法で、リス・イタチ・タヌキ・ヒツジ・ウマなど十数種類の獣毛を毛質に応じて配分・寸法を決めて丹念に混ぜ合わせ、一本の筆に仕上げます。この工程は最も難度が高く、一人前の筆匠となるには長い年月を要するとされます。1977年(昭和52年)には経済産業大臣指定の伝統的工芸品に指定され、書道用の毛筆だけでなく化粧筆の分野でも高い評価を得ています。
奈良墨
Nara Sumi
奈良墨は奈良市を中心に作られる書道用の墨で、国内生産量のおよそ9割を占めるとされる、日本最大の墨の産地です。室町時代初期、興福寺二諦坊で油煙(油を燃やして採った煤)を用いた製墨が始められたのが起源と伝わり、この墨は当時の奈良の異名にちなんで「南都油煙」と呼ばれ、良質な墨の代名詞として広く知られるようになりました。江戸時代には奈良市内に約40軒の墨屋があったとされますが、現在は10軒に満たないところまで数を減らしながらも、油煙を採る採煙から膠(にかわ)との配合、練り、型入れ、乾燥、貝殻による磨き、彩色まで、すべての工程を手作業でおこなう伝統的な製法が受け継がれています。2018年(平成30年)11月には経済産業大臣指定の伝統的工芸品に指定され、書家や愛好家から高い評価を得ています。