
粟おこし・岩おこしは、大阪を代表する郷土菓子です。おこしは、蒸して乾燥させた米や粟などを、水飴や砂糖で固めた干菓子です。もとは粟やひえなどの雑穀で作る庶民の菓子でしたが、江戸時代中期の大阪では、米を細かく砕いて粟状にした「粟おこし」が生まれました。天下の台所と呼ばれた大阪に、全国から良質な米や水飴、砂糖が集まったことが背景にあります。米をさらに細かく砕いて硬く固め、生姜や黒砂糖をきかせたものが「岩おこし」です。「身をおこし、家をおこし、国をおこし、福をおこす」縁起の良い菓子として、大阪名物に定着しました。1805年(文化2年)創業のあみだ池大黒などの老舗が、今も製造を続けています。2024年度(令和6年度)には、粟おこしが文化庁の「100年フード」(伝統の100年フード部門)に認定されました。
発祥
おこしは、日本で最も古い歴史を持つ菓子の一つといわれます。大阪府粟起工業協同組合は、『日本書紀』に糒(ほしいい:蒸して乾かした米)を蜜で固めたものが記されていると紹介しています。江戸時代初期の料理書『料理物語』には、安価な粟やハト麦などを使った製法が書かれ、おこしは庶民の菓子として親しまれていました。江戸時代中期の大阪には各地の年貢米が船で運び込まれ、堂島の米市では先物取引が行われるほど栄えました。原料が手に入りやすくなり、米と砂糖・飴で作る粟おこしや岩おこしが人気を呼びました。
歴史
1805年(文化2年)、あみだ池大黒が大阪でおこしの製造・販売を始めました。屋号は、阿弥陀池の近くに店を構えたことと、米を原料とすることから五穀豊穣の神・大黒様にちなんだとされます。水路工事が盛んだった大阪では、掘ると岩がごろごろ出たことから「大阪の掘りおこし、岩おこし」というしゃれも生まれ、評判が広まったと伝わります。日露戦争の際には、明治天皇から戦地への慰問品として菊の紋章入りのおこし35万箱の注文があったと組合は伝えています。戦前の任意組合には253名の組合員がいましたが、戦後に設立された大阪府粟起工業協同組合の組合員は、現在7社です。
特徴
粟おこしは、炒った米に水飴、砂糖、胡麻を合わせた菓子で、サクサクとした軽い食感と香ばしさが特徴です。岩おこしは、米粒をさらに細かく砕いて固めるため隙間がほとんどなく、歯ごたえのある硬さがあります。生姜のきりっとした風味と、黒砂糖のこくをきかせたものが一般的です。大阪のおこしには、象徴として「梅鉢紋」が描かれます。九州の大宰府へ向かう菅原道真に村人が粟おこしを贈り、お礼に梅鉢紋の小袖を授かったという伝承に由来するとされます。
主な食材
食文化
「おこす」という言葉にちなみ、身や家、国、福をおこす縁起菓子として親しまれてきました。日持ちのする干菓子のため大阪土産の定番となり、新大阪駅の土産物売り場などでも販売されています。大阪府粟起工業協同組合の加盟業者は、明治時代から全国菓子博覧会におこしを出品し続けています。
有名店
あみだ池大黒 本店
大阪府大阪市西区北堀江3-11-26
1805年(文化2年)創業のおこしの老舗です。昔ながらの粟おこしや岩おこしのほか、一口サイズの「福の花」など多くの商品をそろえています。1906年(明治39年)にピーナッツを配合した「福おこし」は、1915年のサンフランシスコ万国博覧会にも出品されました。
梅仙堂
大阪府大阪市北区芝田2-1-3
梅田の芝田にあるおこしの老舗です。「天狗おこし」の名で、昔ながらの硬い岩おこしや粟おこしを作り続けています。たこ焼と粟おこしを組み合わせた「たこのすけ」や、小粒の「浪速姿」など、新しい味も手がけています。
| あみだ池大黒「岩おこし 10枚束」 | 生姜と黒砂糖の風味がきいた、昔ながらの岩おこしを10枚束ねたものです。大阪産(もん)名品にも認証されています。価格は756円程度です。 |
|---|---|
| 梅仙堂「粟おこし 10枚束」 | 米を粟状にして固めた、伝統的な粟おこしを10枚束ねたものです。サクッとした軽い食感で、価格は648円程度です。 |
よくある質問
Q. 粟おこしは粟で作られているのですか?
A. 大阪の粟おこしは、主に米で作られています。もとは粟やひえで作られていましたが、大阪では良質な米が手に入ったため、米を細かく砕いて粟状にして作るようになりました。名前に「粟」が残っているのはそのためです。
Q. 粟おこしと岩おこしはどう違いますか?
A. 粟おこしは、粟粒ほどに砕いた米を胡麻などとともに水飴と砂糖で固めたもので、サクサクと軽い食感です。岩おこしは米をさらに細かく砕いて固めるため隙間が少なく、岩のように硬いのが特徴です。生姜と黒砂糖で風味を付けたものが一般的です。