
川越いも料理は、埼玉県川越市周辺で古くから栽培されてきたさつまいも「川越いも」を使った大学いもや干し芋、いも菓子などの総称です。川越藩が位置する武蔵野台地は関東ローム層に覆われ、水はけのよい土壌と落葉堆肥を活かした栽培により、甘みが強く風味豊かなさつまいもが育つことで知られてきました。江戸時代には川越から江戸日本橋までの距離が十三里(約52km)であったことと「栗(九里)より(四里)うまい」という語呂合わせが結びつき、「栗より美味い十三里」という言葉が広まって川越いもの名声を高めたと伝えられます。現在も川越の代表的な観光地「菓子屋横丁」では大学いもを中心としたいも菓子を扱う店が軒を連ね、川越いもは埼玉を代表する食文化の一つとして親しまれています。
発祥
川越藩の位置する武蔵野台地は関東ローム層に覆われ、水はけのよい土壌に落葉堆肥を施すことで甘みの強いさつまいもが育ちました。江戸時代、川越から江戸日本橋までが十三里(約52km)であったことにちなみ「栗(九里)より(四里)うまい十三里」という洒落言葉が江戸で評判となり、川越いもの名を広めました。
歴史
菓子屋横丁は江戸時代、養寿院門前で数人の菓子職人が「江戸っ子好みの気取らない駄菓子」を作り始めたのが起源です。明治の初めには菓子職人・鈴木藤左衛門が「松本屋」を開き、以後ののれん分けで横丁が形成されました。大正12年(1923年)の関東大震災で東京の駄菓子業者の多くが被災し供給が滞ると、被害の少なかった川越に南関東からの需要が殺到しました。これにより未曽有の好景気となり、最盛期の昭和初期には約70軒が軒を連ねる一大産地となりました。
特徴
川越いもを使った大学いもは、蜜を絡めた甘さと素材の風味を活かした調理法が特徴です。「大学いも」の名は、大正初期に東京帝国大学赤門前の氷屋「三河屋」が売り出し学生や教授の間で評判になった説や、学費を稼ぐ学生が自ら製造販売した説など諸説あります。明治31年(1898年)には大宮台地・木崎村針ヶ谷の主婦・山田いちが突然変異した鮮紅色の新品種を発見し、「紅赤」と名付けられて川越いもの名を全国に広めました。菓子屋横丁を中心に干し芋や芋けんぴ、スイートポテトなど多彩ないも菓子が作られています。
主な食材
食文化
川越いもは「栗より美味い十三里」として江戸で人気を博し、いも料理・いも菓子は川越の観光と結びついた食文化として発展しました。菓子屋横丁は昭和レトロな街並みとともに、いも菓子を求める観光客で賑わう名所となっています。
有名店
大学いも 川越いわた
埼玉県川越市新富町1-8-17
1926年創業の暖簾を受け継ぐ大学いも専門店。大学いも200gが580円程度〜