安倍川もち

Abekawa Mochi (Rice Cakes with Sweet Soybean Flour)

安倍川もち 1

画像: Wikimedia Commons

安倍川もちは、つきたての餅にきな粉をまぶし、白砂糖をかけた静岡市の名物菓子です。こしあんで包んだ餅と一緒に出されることも多く、江戸時代から東海道の名物として旅人に親しまれてきました。名前は、静岡市を流れる安倍川(あべかわ)のほとりの茶店で売られて有名になったことに由来するといわれます。徳川家康が名付けたという言い伝えもあり、きな粉を安倍川の砂金に見立てて「金な粉餅」と呼んだという逸話が残ります。江戸時代、白砂糖はとても珍しいものだったため、砂糖をかけた餅は旅人に喜ばれました。十返舎一九の『東海道中膝栗毛』にも、安倍川の名物として登場します。戦時中は砂糖が手に入りにくくなって姿を消しましたが、戦後に復活しました。今も安倍川橋のたもとの老舗で味わえるほか、静岡土産の定番として親しまれています。

発祥

安倍川もちは、江戸時代に安倍川の渡しの茶店で出されたのが始まりとされます。名前の由来には、徳川家康が名付けたという説と、安倍川の茶屋の名物だったからという説があります。家康の逸話では、慶長年間(1596〜1615年)に安倍川のほとりで、つきたての餅にきな粉をまぶしたものが家康に出されました。安倍川上流の金山で採れる砂金にちなみ、きな粉を「金な粉」と呼んだことから、家康が気に入って「安倍川餅」と名付けたと伝えられます。

歴史

江戸時代、安倍川橋のたもとにあたる弥勒(みろく)には茶店が並び、安倍川もちは東海道の名物として知られました。十返舎一九の『東海道中膝栗毛』にも、弥勒で安倍川もちが名物であることが書かれています。明治時代の初めにも多くの茶店がありましたが、東海道線の開通で数が大きく減りました。戦時中は白砂糖が不足して一時姿を消しましたが、戦後に復活し、1950年(昭和25年)には土産用の安倍川もちが静岡駅で売られ始めました。

特徴

つきたての柔らかい餅に、きな粉をまぶしてから白砂糖をかけるのが本来の作り方です。今は砂糖を混ぜたきな粉をかけることもあります。きな粉の餅と、こしあんで包んだ餅を組み合わせて出すのが一般的です。古くは焼いた餅を湯にくぐらせ、黒蜜に浸してからきな粉をまぶしたとも記されています。老舗では、わさびじょうゆで食べる「からみ餅」も出しています。

主な食材

もち米きな粉白砂糖こしあん(小豆)

食文化

安倍川もちは、東海道を行き交う旅人の名物として江戸時代から親しまれてきました。今では静岡を代表する土産菓子として知られ、静岡市の認証制度で市民投票1位となった商品もあります。お茶うけとして、静岡の緑茶と一緒に味わう人も多くいます。

家庭料理との違い

家庭では、市販の餅を柔らかくして、きな粉と砂糖をまぶして手軽に作れます。老舗では、注文を受けてから餅を丸め、きな粉やあんをつけて出す店もあります。つきたての餅は柔らかくよく伸びるのが魅力ですが、日持ちしないため、なるべく早く食べるのがおすすめです。

有名店

石部屋(せきべや)

静岡県静岡市葵区弥勒2-5-24

安倍川橋のたもとにある、1804年(文化元年)創業の安倍川もち専門店です。往時の茶店から続く唯一の店とされ、客の顔を見てから餅を丸める手作りを守っています。きな粉とこしあんの安倍川もちは各4個入りで800円程度で、わさびじょうゆのからみ餅もあります。

かごや

静岡県静岡市葵区弥勒2-4-12

安倍川橋に近い弥勒にある、創業100年以上とされる安倍川もちの店です。朝についた餅に、注文を受けてからきな粉やあんをつける「生あべ川もち」が人気です。営業は日曜と年末年始、大型連休、お盆の時期のみで、持ち帰りは16粒1,000円程度〜です。

やまだいち「安倍川もち」一口大のきな粉餅とあん餅を組み合わせた、静岡駅土産の定番です。1950年(昭和25年)に静岡駅で販売が始まりました。静岡市の「しずおか葵プレミアムAWARD2017」では、市民投票で1位となりグランプリに選ばれています。4人前は1,590円程度です。購入先を見る →PR

よくある質問

Q. 安倍川もちの名前は徳川家康が付けたのですか?

A. 家康が名付けたという説と、安倍川の茶屋で売られて名物になったことからこの名が付いたという説があります。家康の逸話では、きな粉を安倍川の金山の砂金に見立てて「金な粉餅」と呼んだといわれます。家康の命名説は、言い伝えとして語り継がれているものです。

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