1 / 2尾戸焼(おどやき)は、高知市で作られている陶器です。1653年(承応2年)に土佐藩の藩窯(はんよう)として始まり、高知城の北にあった尾戸(現在の小津町)に窯が開かれたことからこの名があります。端正で薄作りの器が多く、淡い地肌に呉須(ごす)と呼ばれる藍色の顔料で、松竹梅や雲鶴、季節の草花などを描くのが特徴です。江戸時代には茶道具を中心に作られ、将軍家や諸大名への贈答品にも用いられて、土佐の国焼として知られました。1820年(文政3年)に窯は能茶山(のうさやま)へ移り、明治時代に藩窯が廃止されると、技は民間の窯に受け継がれました。現在は高知市鴨部(かもべ)にある「谷製陶所」と「土居窯」の2軒が伝統を守っています。底がとがって飲み干すまで置けない「べく杯(はい)」や、底が平らで倒れにくい「舟徳利(ふなどっくり)」など、酒どころ高知らしい酒器も人気です。
発祥
1653年、土佐藩2代藩主・山内忠義の時代に、大坂から陶工の久野正伯(くのしょうはく)を招き、高知城北側の尾戸に窯を開いたのが始まりです。開窯を主導したのは家老の野中兼山だったとされます。藩主が趣味で焼かせる「御庭焼(おにわやき)」の性格もあわせ持っていました。名称は地名の「小津(おづ)」が転じたものといわれます。
歴史
正伯の技は山崎平内や森田久右衛門に受け継がれました。17世紀後半から18世紀初めには、茶道具などの高級品が中心でした。1727年(享保12年)の大火で窯場が焼けた後に再建され、日用品も多く作られるようになります。1820年に窯は能茶山へ移り、明治に至るまで磁器も焼かれました。1871年(明治4年)に藩窯が廃止されると、能茶山周辺に民間の窯が開かれました。
特徴
器は端正で薄作りのものが多く、淡い地肌に呉須の藍色で絵付けします。絵柄は松竹梅や雲鶴、山水、季節の草木など伝統的なものです。陶土には能茶山の土が使われてきました。谷製陶所では、工房の裏手にある能茶山の草花を手本に絵付けしています。焼成によって桃色の窯変(ようへん)が現れ、一つひとつ表情が異なります。
技法
呉須の絵付け
淡い色の地肌に、呉須と呼ばれる藍色の顔料で筆を使って絵を描きます。松竹梅や雲鶴、季節の草花などの絵柄が多く、薄作りの端正な器と相まって、上品な印象に仕上がります。
灰釉(かいゆう)
木などを燃やした灰から作る釉薬をかけて焼く技法です。炎の当たり方や釉薬の濃淡によって、意図しない景色や土肌の表情が生まれます。谷製陶所では、藁灰(わらばい)の釉薬も自ら精製していると紹介されています。
使用される素材
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職人・工房
購入方法
- 窯元のギャラリー
- 谷製陶所(高知市鴨部1366)にはギャラリーがあり、県外からも観光客が訪れると紹介されています。土居窯(高知市鴨部1311-1)でも、作業場に併設したギャラリーで4代目と5代目の作品を見て購入できます。購入先を見る →PR
- はりま家本店
- 高知市の案内では、谷製陶所の器の販売場所として、はりまや橋近くの「はりま家本店」(高知市はりまや町1-1-28)が紹介されています。市の中心部で尾戸焼を手に取ることができます。購入先を見る →PR
- 通信販売
- 雑誌『サライ』の通信販売では、谷製陶所の舟徳利とべく杯、または灰釉の徳利とぐい呑みを組み合わせた酒器セットが、税込6,600円から紹介されています。価格は変わることがあります。購入先を見る →PR
体験施設
谷製陶所
高知県高知市鴨部1366
一般向けの陶芸教室や1日体験(要予約)を開いていると紹介されています。近隣の学校や幼稚園への出張体験教室も行っています。駐車場があります。問い合わせは088-844-4743です。
詳細を見る →よくある質問
Q. 「べく杯」とはどのような器ですか?
A. 底が独楽(こま)のようにとがっていて、酒を飲み干すまで卓に置けない杯です。谷製陶所では、赤茶の陶肌に白と青が淡く色づいたべく杯を作っています。酒席を楽しむ高知らしい器として、舟徳利と組み合わせて紹介されています。
Q. 「舟徳利」はなぜ底が広いのですか?
A. 底を平らで広くして安定させ、揺れる船の上でも倒れにくく、酒をこぼしにくくするためです。谷製陶所の舟徳利は1合サイズと紹介されています。土居窯では、舟徳利を小さくした一輪挿しも作っています。