
三川内焼(みかわちやき)は、長崎県佐世保市の三川内地区で作られている磁器です。1598年(慶長3年)、平戸藩主の松浦鎮信(まつらしげのぶ)が朝鮮から連れ帰った陶工が、平戸島で窯を開いたのが始まりとされます。その後、良い原料を求めて三川内へ移り、1637年(寛永14年)には平戸藩の御用窯が開かれました。藩の手厚い保護のもとで採算を度外視した献上品づくりが行われ、高い技術が磨かれたと紹介されています。透き通るような白磁に、呉須(ごす)で描く繊細な染付が特徴です。唐子(からこ)が遊ぶ「唐子絵」は代表的な図柄です。光が透けるほど薄い「卵殻手(らんかくで)」や透かし彫り、菊花飾細工(きっかかざりざいく)などの細工物も知られます。1978年に国の伝統的工芸品に指定され、現在も十数軒の窯元が伝統を受け継いでいます。
発祥
文禄・慶長の役の後、平戸藩主の松浦鎮信が朝鮮の陶工を連れ帰りました。1598年、陶工の巨関(こせき)が藩主の命で平戸島の中野に窯を開いたのが始まりとされます。平戸では良い陶石が得られず、陶工たちは原料を求めて移りました。1633年には2代目の三之丞(さんのじょう)が網代(あじろ)陶石を見つけ、磁器づくりへ進んだと紹介されています。
歴史
1637年、平戸藩は三川内に御用窯を開き、朝廷や将軍家への献上品を焼かせました。3代目の今村弥次兵衛(やじべえ)は天草陶石を取り入れ、純白の白磁を完成させたとされます。江戸後期からは「平戸焼」の名で海外にも輸出されました。明治に入り藩の後ろ盾を失うと苦境に陥りますが、1899年(明治32年)に豊島政治が「三川内陶磁器意匠伝習所」を作り、技術を受け継ぎました。
特徴
純白の白磁に、呉須で描く藍色の繊細な染付が持ち味です。藩の保護のもとで採算を考えずに作られたことから、薄作りや透かし彫り、細工物など、手間のかかる技術が発達しました。2016年には日本遺産「日本磁器のふるさと 肥前」の構成文化財にも認定されています。現在の窯元は14〜15軒ほどとされ、伝統の技法と現代の器づくりを両立させています。
技法
唐子絵
中国風の装いをした子ども「唐子」が遊ぶ様子を描いた図柄で、三川内焼を代表する絵柄です。唐子の人数には意味があり、7人は将軍家や朝廷への献上品、5人は公家や大名家、3人は一般向けとされたと伝えられています。
卵殻手(薄胎)
卵の殻のように薄く、光が透けるほどの磁器です。天保年間(1830〜1843年)に池田安次郎らが完成させ、ヨーロッパで「エッグシェル」と呼ばれて評判になりました。一時途絶えましたが、2006年に藤本岳英さんが復活させたと紹介されています。
透かし彫り・置上げ
透かし彫りは、生地に模様を彫り抜いて透かす技法で、香炉などに用いられます。置上げ(おきあげ)は、筆先で土を盛り上げて浮き彫りのような模様を作る技法で、1680年ごろに完成したとされます。
菊花飾細工
菊の花をかたどった飾りを器に施す細工技法です。平戸洸祥団右ヱ門窯に伝わる「平戸菊花飾細工」は長崎県の無形文化財に指定されています。菊花の虫かごは、天皇陛下の即位の際の献上品になったと紹介されています。
使用される素材
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職人・工房
購入方法
- 三川内陶器市・はまぜん祭り
- 毎年11月下旬に三川内陶器市が開かれ、2026年は11月20日〜23日の開催予定と紹介されています。三川内焼伝統産業会館から会場へシャトルバスが出ます。毎年5月1日〜5日には「はまぜん祭り」も開かれます。購入先を見る →PR
体験施設
よくある質問
Q. 卵殻手はどのくらい薄いのですか?
A. 輸出用に作られた卵殻手には、厚さ約1ミリのカップもあり、光が透けるほどです。藩の求めた「箸より軽い茶碗」を目指して生まれたとされ、針尾島の網代陶石だけを使い、手作業で成形すると紹介されています。
Q. 三川内焼は「平戸焼」とも呼ばれるのですか?
A. はい。三川内焼は平戸藩の御用窯として発展し、江戸後期から明治にかけて「平戸焼」の名で海外にも知られました。江戸時代の藩窯で作られた作品は、一般に「古平戸」とも呼ばれていると紹介されています。