
木彫り熊は、北海道を代表する木彫り工芸品として広く知られる熊の木彫像です。発祥は渡島半島の八雲町とされ、尾張徳川家19代当主・徳川義親が1921〜1922年のヨーロッパ視察でスイスに立ち寄った際に見かけた木彫りの熊などの民芸品を持ち帰り、自身が営む八雲農場の冬期間の副業として地元農民に制作を奨励したのが始まりです。酪農家の伊藤政雄が手本を基に彫った作品が北海道第一号とされ、1924年の八雲農村美術工芸品評会で展示されました。八雲では日本画家・十倉金之が確立した繊細な「毛彫り」と、柴崎重行が確立した力強い「面彫り(ハツリ彫り)」の2つの表現が発展しました。一方、旭川では1926年頃にアイヌの熊猟師・松井梅太郎が実体験を基に彫ったことをきっかけに独自の系統が生まれ、面による抽象的な造形を特徴とする「旭川系」として発展しました。北海道土産の定番として全国に知られています。
発祥
木彫り熊の発祥地は渡島半島の八雲町とされています。尾張徳川家19代当主・徳川義親は1921年から1922年にかけてヨーロッパを視察し、1922年4月に立ち寄ったスイスで木彫りの熊を含む民芸品(ペザントアート)を見かけました。八雲農場を営んでいた義親は、冬期間の副業や趣味として木彫りが適していると考え、これらの作品を持ち帰り、地元農民に制作を奨励しました。酪農家の伊藤政雄がスイスの作品を手本に彫った木彫り熊が北海道第一号とされ、1924年3月26日に八雲農村美術工芸品評会で展示されています。
歴史
1927年には伊藤政雄の木彫り熊が北海道奥羽六県連合副業共進会で1等賞を受賞し、1928年には「八雲農民美術研究会」が設立されました。八雲では日本画家・十倉金之が繊細な「毛彫り」を確立する一方、農家出身の柴崎重行は木肌の力強さを生かした独自の「面彫り(ハツリ彫り/柴崎彫り)」を極めました。八雲とは別に、旭川でも1926年頃、アイヌの熊猟師・松井梅太郎が熊との格闘経験を基に彫ったことをきっかけに広がり、陸軍第七師団が置かれていた旭川ではアイヌ細工店を通じて軍人向け土産として流通し、独自の「旭川系」を築きました。
特徴
木彫り熊は制作地・作者によって表現が大きく異なる点が特徴です。八雲の「毛彫り」は一筋ずつ丁寧に毛並みを刻む繊細な表現、同じく八雲の「面彫り(ハツリ彫り)」は斧で割ったような力強い面構成が持ち味です。旭川系はマキリ(小刀)を用いた面による抽象的な造形を特徴とし、八雲とは異なる独自のスタイルを確立しました。鮭をくわえた四つん這いの熊の姿は後年広まった型のひとつで、発祥地の八雲町の初期の作品には見られない構図です。
技法
毛彫り
日本画家・十倉金之が日本画の表現方法を取り入れて確立した技法。一筋ずつ丁寧に毛並みを彫り込み、写実的で繊細な質感を表現する、スイスの流れを汲む彫り方とされる。
面彫り(ハツリ彫り)
農家出身の柴崎重行が極めた技法で、斧で木を割ったような大胆な面構成が特徴。毛を彫らず木肌の力強さをそのまま生かして熊の姿を表現する独自の作風。
旭川系の面彫り
旭川ではマキリ(小刀)を用い、木塊から面で熊の姿を彫り出す独自の表現が発展した。八雲の毛彫り・ハツリ彫りとは異なる系統として知られる。
使用される素材
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職人・工房
購入方法
- 八雲町木彫り熊資料館 周辺の土産店
- 発祥地である八雲町の資料館周辺には木彫り熊を扱う土産店が点在しており、地元作家の手による作品を購入することができる。購入先を見る →PR
体験施設
よくある質問
Q. 木彫り熊はいつから鮭をくわえているのですか。
A. 発祥地である八雲町の初期の木彫り熊は鮭をくわえていません。鮭をくわえた四つん這いの姿は、その後の時代に別の系統で広まり定番化した型とされています。