
川口鋳物は、荒川と芝川に挟まれた川口市で発展した鋳造業の総称で、「鋳物のまち川口」として知られています。発祥には平安時代説・鎌倉時代説・南北朝時代説・戦国時代説など複数の説があり定かではありませんが、遅くとも中世には鋳物師が定着していたとされます。荒川・芝川流域で鋳型に適した良質な砂や粘土が採れたことに加え、大消費地である江戸・東京に隣接し水運にも恵まれていたことから、江戸時代以降、鍋や釜、農具、梵鐘などをつくる一大産地として発展しました。明治以降は工場制生産や技術革新が進み、1942年には単独市として生産量日本一を達成、映画『キューポラのある街』の舞台としても知られています。近年は生活雑貨や工業製品まで幅広い分野で、軽量化やデザイン性を追求した製品づくりが続けられています。
発祥
川口鋳物の起源には諸説あり、平将門の乱(940年頃)の際に従軍した鋳物師が土着したとする説、鎌倉時代に南宋からの渡来鋳物師が伝えたとする説、南北朝時代に河内国から鋳物師が移住したとする説、戦国時代に岩槻城主の御用鋳物師が関わったとする説などが伝わりますが、文献が乏しく確定していません。いずれの説でも、荒川・芝川流域で鋳型づくりに適した良質な砂と粘土が採れたことが、この地に鋳物業が根付いた背景として共通して挙げられます。
歴史
江戸時代、川口は大消費地である江戸に隣接し水運の便にも恵まれたことから、日用品鋳物の一大産地として発展しました。幕末には大砲や弾丸の鋳造も手がけ、梵鐘製造の技術が活かされたと伝わります。1905年(明治38年)には鋳物業者による組合が組織され、明治から大正にかけて技術革新と製造品目の多様化が進みました。1942年には単独市として鋳物生産量日本一を達成し、1973年には生産量が年間40万7千トンとピークを迎えています。戦後は日用品から機械鋳物へと重心が移り、映画『キューポラのある街』(1962年)の舞台になるなど「鋳物のまち」として全国に知られるようになりました。
特徴
鍋・釜・農具といった日用品から、マンホールの蓋、機械部品、近年は軽量化・デザイン性を追求した調理器具まで、時代の需要に応じて製造品目を広げてきた点が特徴です。荒川・芝川流域の良質な砂・粘土を使う伝統的な砂型鋳造の技術を土台に、コンピュータシミュレーションなど現代的な技術も組み合わせながら、多品種の鋳物製品が生産されています。川口駅東口の「キュポ・ラ広場」に設置されたキューポラ(銑鉄を溶かす円筒炉)のモニュメントは、鋳物のまちの象徴として親しまれています。
使用される素材
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職人・工房
伊藤鉄工株式会社
昭和6年創業の川口の鋳物メーカー。ダグタイル鋳鉄製の鍋・フライパンブランド「Ferramica(フェラミカ)」を展開し、従来の鋳物鍋から約4割の軽量化を実現した製品を手がける。
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- Ferramica(伊藤鉄工)
- 川口鋳物職人の技術を活かした軽量ダグタイル鋳鉄鍋・フライパンのブランド。オンラインショップで購入できる。購入先を見る →PR