
郡内織物は、山梨県東部の郡内地域、とくに富士山麓の富士吉田市と西桂町を中心に織られてきた先染めの織物です。平安時代の法令集『延喜式』には甲斐国が布を納める国として記され、千年以上続く織物の産地とされています。江戸時代には郡内縞などの絹織物が井原西鶴の浮世草子に登場するほど知られました。南蛮貿易で伝わった「海気(かいき)」を源流とする甲斐絹(かいき)は、羽織の裏地に使われる高級絹織物として、江戸時代から昭和初期まで盛んに織られました。甲斐絹そのものは1940年代に姿を消しましたが、「先染め・細番手・高密度」の技術は今も受け継がれています。現在は傘地やネクタイ地、服地、インテリア生地などを手がけ、国産ネクタイ生地の4割に使われています。機屋(はたや)が集まる富士吉田は「ハタオリマチ」とも呼ばれます。
発祥
郡内の織物を記した最も古い記録は、康保4年(967年)に施行された『延喜式』とされます。甲斐を含む28か国が、その国で作る布を税として納めると記されました。この布は麻布だったと考えられています。郡内が商品として織物を作るようになったのは、大消費地の江戸が発達した戦国時代末期の頃です。甲斐絹の源流は、元亀・天正から慶長年間に南蛮貿易で伝わった「海気」という織物だといわれます。
歴史
江戸時代初期、郡内領主の秋元家は米の少ない土地柄から、絹織物を売った代金で年貢を納めさせ、養蚕や新式の織機の導入を進めました。元禄の頃には郡内縞が井原西鶴の『好色五人女』などに登場し、京都で「にせ郡内」が出回るほど評判になります。明治期に甲斐絹は最盛期を迎え、明治27年(1894年)には甲斐絹改良組合が西桂村に設立されました。昭和に入ると他の品目が増え、太平洋戦争を境に甲斐絹の生産は途絶えました。
特徴
甲斐絹は、織る前に生糸を精練して染める「先練り・先染め」の絹織物です。撚りをかけない細い糸を使い、緯糸を1寸(約3.8cm)に200〜280本も打ち込む高密度の平織りで仕上げます。軽く薄手ながら腰があり、独特の光沢とさらりとした風合いを持ちます。見えない裏地に凝る趣向は、奢侈禁止令の下で育った江戸の町人文化に端を発するといわれます。現代の郡内織物も、この先染め・細番手・高密度の技術を受け継いでいます。
技法
玉虫甲斐絹(たまむしかいき)
経糸と緯糸に異なる色の糸を使って平織りにした甲斐絹です。玉虫の羽のように、見る角度によって色が変わって見えます。羽織の裏地に青や紫の玉虫色を使い、表からは見えない部分におしゃれを凝らしました。
絵甲斐絹(えがいき)
手織機に掛けた経糸に、手描きや型紙で模様を付けてから織る甲斐絹です。模様の部分を織り終えるたびに絵付けを繰り返す、根気のいる作業でした。織機の上で型染めをする独特の技法は、明治10年頃に生まれたとされます。
ほぐし織(解し織)
いったん仮織りした経糸に絵柄を付け、仮の緯糸をほどいて経糸だけを織機に掛け直してから本織りする技法です。経糸がわずかにずれることで、柄がやわらかくにじんだような風合いになります。現在も傘地などに生かされています。
使用される素材
制作工程
- 1
経づくり(へづくり)
経枠(へわく)を使って経糸をそろえ、経玉(へだま)を作る。
- 2
精練
生糸に付いた膠質(セリシン)を取り除き、しなやかにする。
- 3
染色・乾燥
織る前に糸を染め、よく乾かす。
- 4
糊付け
糸に糊を付けて、織りやすく整える。
- 5
筬ぬき・濡れ巻き
経糸を筬(おさ)に通し、湿らせながら巻き取る。
- 6
製織
緯糸を高密度で打ち込んで織る。絵甲斐絹は絵付けと並行して織り進める。
- 7
絹打(きぬた)
織り上がった生地を打って仕上げる。
| 主な産地 |
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職人・工房
槙田商店
慶応2年(1866年)創業の、西桂町小沼にある傘生地・服地のメーカー。先染めの糸をジャカード織りで織り、柄を立体的に表現した生地を得意とする。甲斐絹の時代から続く郡内の機屋の一つ。
羽田忠織物
富士吉田市上暮地にある、ネクタイを専門に織る機屋。国内でも珍しい「紗織り(しゃおり)」の生地を使ったネクタイを手がけ、ファクトリーショップで色彩豊かな製品を販売している。
購入方法
- 槙田商店 売店
- 西桂町小沼1717の工場に併設された売店。傘をはじめ、槙田商店の生地で作った洋服や生地を販売しており、立体的に柄を織り出した生地を実際に手に取って選べる。
- OPEN FACTORY(オープンファクトリー)
- 富士吉田の機屋の多くが、毎月第3土曜日に直営店を開いてきた工場直売の催し。稼働中の織機を見学しながら買い物ができる。その月の参加店は、ハタオリマチ案内所などで確かめられる。
体験施設
ハタオリマチ案内所
山梨県富士吉田市上吉田2丁目5-1
富士急行線の富士山駅にある案内所で、入場無料。営業は10時〜16時30分。富士吉田産の生地の展示や織物産業の歴史紹介があり、工場見学の情報も得られる。くるみボタン作りなど予約制のワークショップもある。
よくある質問
Q. 甲斐絹は今も作られていますか?
A. 甲斐絹が最後に織られたのは1940年代とされ、羽織などの和服が日常着だった時代の終わりとともに姿を消しました。熟練の職人が手織機で織る製法が、機械化の流れの中で難しくなったと考えられています。ただし、その技術は現在の郡内織物に受け継がれています。
Q. 「甲斐絹」という名前の由来は何ですか?
A. 南蛮貿易で伝わった織物「かいき」には、「海気」「海機」「改機」など様々な字が当てられ、明治30年頃までは地元でも「海気」が使われていました。「甲斐絹」の字は明治以降に広まったもので、初代県知事の藤村紫朗が名付けたという説と、民間から広まったという説があります。
Q. 吉田のうどんと織物にはどんな関係がありますか?
A. 富士吉田市周辺では織物業に女性が多く携わっていたため、男性が食事の支度をしていました。そのため手早く作れて、腰が強く歯ごたえのあるうどんがよく作られるようになったといわれます。郷土料理の吉田のうどんは、ハタオリマチの暮らしから生まれた味です。