江戸押絵羽子板

Edo Oshie Hagoita

江戸押絵羽子板 1

画像: Wikimedia Commons

厚紙に綿を詰めて布でくるむ「押絵」の技法により、歌舞伎役者や役者見立ての人物像を立体的に表現した羽子板です。押絵の技術は江戸時代の文化・文政期(1804〜1829年)に発達し、歌舞伎の流行や浮世絵の普及を背景に役者の似顔絵をあしらった「役者羽子板」が江戸の町人文化の中で人気を博しました。戦後、東京・浅草周辺に代々暮らしていた押絵羽子板の職人たちが、羽子板の板材に適した良質な桐材を求めて埼玉県春日部市に移り住んだことから、春日部が一大産地として発展し、昭和52年(1977年)には埼玉県の伝統的手工芸品に指定されました。1枚の羽子板を仕上げるまでに50〜70種類もの材料を組み合わせ、およそ200もの手作業の工程を要するとされ、綿の詰め方や布の使い方で人物の表情や仕草を立体的に描き分ける高度な技術が受け継がれています。雛人形・五月人形の産地として知られる岩槻区でも、人形店が羽子板の製造・販売を手がけています。

発祥

押絵の技法は江戸時代の文化・文政期(1804〜1829年)に発達したとされ、町人文化の成熟と歌舞伎の隆盛を背景に、浮世絵師が手がけた役者絵をもとに歌舞伎役者の似顔絵を立体的に表現した「役者羽子板」が生み出されました。羽子板そのものはさらに古く、室町時代の永享4年(1433年)の正月に宮中で羽根つきが行われた記録が残り、古来より魔除けや厄払いの意味を持つ縁起物とされてきました。

歴史

太平洋戦争後、良質な桐材を求めて東京・浅草周辺から埼玉県春日部市へ移り住んだ押絵羽子板職人たちにより、春日部の地場産業として本格的な生産が始まりました。桐材の産地であった春日部と押絵の技術が結びついたことで生産が定着し、昭和52年(1977年)には「春日部押絵羽子板」として埼玉県の伝統的手工芸品に指定されています。人形のまちとして知られるさいたま市岩槻区でも、雛人形・五月人形の技術を持つ人形店が羽子板の製造・販売を担ってきました。

特徴

1枚の羽子板を仕上げるのに50〜70種類の材料と、およそ200もの工程を要する手仕事が最大の特徴です。厚紙に綿を重ねて布でくるむ「押絵」により、人物の顔や着物の柄を立体的に表現し、綿の詰め方や布の引き方で歌舞伎役者などの躍動感ある表情・仕草を描き分けます。職人が1面ずつ手描きする「面相」の表情には作り手の個性が表れ、初正月を祝う縁起物として今も広く用いられています。

職人・工房

羽子板のさか田(匠一好)

春日部市の押絵羽子板工房。他工房に比べて多くのパーツを使い、立体感と表現力に優れた羽子板を手がけ、面相(顔)を職人が1面ずつ手描きすることで知られる。

公式サイト →

購入方法

羽子板のさか田(匠一好)
春日部押絵羽子板の老舗工房で、オーダーメイドの羽子板を1本3万円程度から公式サイトで注文できる。購入先を見る →PR
岩槻本舗
さいたま市岩槻区にある人形・羽子板専門店。五月人形や雛人形とともに押絵羽子板の製造・販売を手がける。
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