
甲州雨畑硯は、山梨県早川町の雨畑地区で採れる「雨畑真石(あめはたしんせき)」を彫って作る硯です。黒く緻密な粘板岩(ねんばんがん:泥が固まってできた、薄く割れやすい岩)で、石むらがありません。表面の細かく均一な粒子「鋒鋩(ほうぼう)」がほどよく墨をおろし、水を吸いにくいので水持ちも良好です。古くから中国の硯にも勝る良石と評価されてきました。始まりは元禄3年(1690年)、雨宮孫右衛門が身延山へ参詣する途中、早川の河原で黒い石を拾い、硯にしたことと伝えられます。地元には、日蓮の弟子・日朗上人にまつわる、さらに古い伝説も残ります。現在の産地は早川町と富士川町で、富士川町鰍沢には代々続く硯の工房があります。1994年に山梨県郷土伝統工芸品に指定されました。早川町の「雨畑硯の里 硯匠庵」では、銘硯を見学でき、硯づくりも体験できます。
発祥
県などの資料では、元禄3年(1690年)に雨宮孫右衛門が身延山へ参詣する途中、富士川支流の早川の河原で黒一色の石を拾い、硯にしたのが始まりとされます。一方、早川町雨畑には、永仁5年(1297年)に日蓮の弟子・日朗上人が七面山開山の帰り道、雨畑川上流の河原で青黒い石を見つけたという伝説も伝わっています。
歴史
天明4年(1784年)に一橋公へ硯を献上したことで、雨畑硯の名は広く知られるようになりました。一時は幕府が原石の採掘を禁じましたが、14代将軍徳川家茂に献上した後、再び採掘が許されます。明治時代に最盛期を迎え、雨畑の硯職人は100人を超えたといわれます。大正時代には偽物の流通を防ぐため雨畑硯製造販売組合が設けられ、硯の裏に「雨畑真石」と彫るようになりました。
特徴
雨畑真石は緻密で粒子が細かく、石むらのない黒い粘板岩です。墨のおりが良く、水分を吸いにくいため、書家からは日本の墨に最も合う硯ともいわれます。原石は坑道から掘り出しますが、硯に向くのは坑道内の40〜50cmほどの幅の層だけです。実用の硯に加え、デザイン性の高い硯づくりにも力を入れており、芸術作品としても評価されています。
技法
ノミによる彫り
硯の形は、幅や刃先の角度が異なる何本ものノミを使い分けて彫り出します。富士川町の硯匠には、図面を描かずに石と向き合いながら形を決めていく人もいます。貴重な石を無駄にしないよう、石の性質を見極めて彫り進めます。
磨きと仕上げ
彫り上げた硯は、荒磨き、中磨き、仕上げ磨きと段階を追って磨きます。その後、繕いなどの工程を経て完成し、1面を仕上げるには最低でも数日かかります。漆を用いて仕上げ、表現の幅を広げる職人もいます。
使用される素材
制作工程
- 1
石取り
硯に向く原石を採り出す。
- 2
原石切断・石ごしらえ
原石を切断し、硯の大きさに整える。
- 3
原石ケガキ
石の面に、硯の形を書き入れる。
- 4
縁立て・荒彫り
硯の縁を決め、ノミで大まかな形を彫る。
- 5
仕上げ彫り
墨をする面や墨をためる部分を、細部まで彫り整える。
- 6
荒磨き・中磨き・仕上げ磨き
段階を追って磨き、表面を滑らかにする。
- 7
繕い・仕上げ
細部を繕い、硯として仕上げる。
| 主な産地 |
|
|---|
職人・工房
雨宮弥太郎(甲斐雨端硯本舗)
元禄3年(1690年)創業と伝わる甲斐雨端硯本舗の13代目硯匠。東京藝術大学で彫刻を学んだ。「硯は伝統を礎とした現代彫刻である」と語り、図面を描かずに石と向き合って形を生み出す。工房は富士川町鰍沢にある。
雨宮正美(峯硯堂本舗)
富士川町鰍沢にある峯硯堂本舗の4代目で、雅号は雨宮峯硯。石選びから仕上げまでを一人で手がける。2017年に「現代の名工」に選ばれ、2018年には黄綬褒章を受章した。
購入方法
- 雨畑硯の里 硯匠庵
- 早川町雨畑にある雨畑硯の展示・体験施設で、館内で硯や和紙などを販売している。開館は9時から17時で、火曜(祝日の場合は翌日)と年末年始が休み。
体験施設
雨畑硯の里 硯匠庵
山梨県南巨摩郡早川町雨畑709-1
2000年に開館し、雨畑硯をはじめとする銘硯や古文書を展示する。入館料は一般200円程度。原石から硯を彫る体験や、仕上げと磨きを行う体験は4,000円程度から(税別)で、要予約。
よくある質問
Q. 雨畑硯の石はどこで採れますか?
A. 早川町雨畑地区の雨畑川上流、その支流の稲又川沿いにある坑道から、今も原石が掘り出されています。原石はどこでも採れるわけではなく、坑道の中でも硯に適しているのは40〜50cmほどの幅の層だけです。
Q. 硯の裏に彫られた「雨畑真石」とは何ですか?
A. 大正時代、雨畑硯の人気が高まって偽物が出回ったため、雨畑硯製造販売組合がつくられました。雨畑で採れた石を雨畑で彫った硯である証しとして、裏面に原石名「雨畑真石」と職人の名前を彫り入れるようになりました。
Q. 雨畑硯の職人は今もいますか?
A. 明治時代の最盛期には100人を超える職人がいたといわれますが、高齢化や需要の減少で数は減りました。県の資料では、現在の職人は6人ほどとされています。富士川町鰍沢の工房や早川町の硯匠庵で、技が受け継がれています。