
讃岐うどん(さぬきうどん)は、香川県で古くから食べられてきたうどんです。強いコシと、なめらかなのどごしが特徴です。香川は雨が少なく、冬も温暖なため、米の裏作として小麦がよく作られてきました。坂出(さかいで)などの塩、伊吹島(いぶきじま)のいりこ、小豆島の醤油と、うどんに必要な材料が県内でそろっていたことも、うどん文化が根づいた理由とされます。温かいだしをかける「かけ」、濃いめのつゆをかける「ぶっかけ」、ゆでたての麺をゆで湯ごと出す「釜揚げ」、冷水でしめた麺をつゆにつける「ざる」など、食べ方はさまざまです。うどんは、県民の日常の食事として親しまれています。農林水産省の2009年の調査では、うどん用小麦粉の消費量で香川県が全国1位とされています。2011年からは香川県が「うどん県」を名乗る観光キャンペーンを行い、全国に知られるようになりました。2025年度(令和7年度)には、文化庁の「100年フード」にも認定されています。
発祥
香川には、讃岐国(現在の香川県)の生まれとされる弘法大師空海が唐からうどんの製法を持ち帰ったという言い伝えがあります。綾川町(あやがわちょう)の滝宮天満宮には、空海の弟子の智泉(ちせん)が製法を伝えたとする伝承が残り、毎年4月24日にはうどんなどを供える行事が行われます。ただし、これらは史実としては確かめられておらず、伝説として語られています。うどんの原形は、奈良時代に唐から伝わった食べ物だとする説が一般的です。
歴史
江戸時代の1702〜1703年ごろに描かれた「金毘羅祭礼図屏風(こんぴらさいれいずびょうぶ)」には、金刀比羅宮の門前で生地をこね、延ばし、切るうどん屋が描かれています。明治時代には夜に屋台でうどんを売る商いがありました。「讃岐うどん」という呼び名は、1960年の雑誌記事にすでに見られるとされます。1960年代半ばには、客が自分で麺を温めるセルフ店が生まれたとされます。1988年の瀬戸大橋開通などを機にブームが重なり、2002年ごろからはセルフ店のチェーンが県外にも広がりました。
特徴
麺は小麦粉、塩、水で作り、太めでしっかりしたコシがあります。だしは、伊吹島産などのいりこ(カタクチイワシの煮干し)を使うことが多いとされます。店の形もさまざまで、店員が注文を受ける「一般店」、客が自分で麺を温めて具を取る「セルフ店」、製麺所の一角で食べる「製麺所型」があります。公正競争規約では、県内で作られ、加水量や塩の量、熟成時間などの基準を満たすものだけが「本場」などと名乗れます。この基準では、ゆで時間はおよそ15分とされています。
主な食材
食文化
香川では、田植えが終わる半夏生(はんげしょう、7月2日ごろ)に、手伝ってくれた人へうどんをふるまう風習がありました。この風習にちなみ、1980年に7月2日が「うどんの日」と定められたとされます。昔は、季節の変わり目や祝い事に出される「ハレの日」の食べ物でもありました。
家庭料理との違い
家庭では、冬に季節の野菜を煮込んだ汁をうどんにかける「しっぽくうどん」が、代表的な郷土料理として作られてきたとされます。1974年に発売された冷凍の讃岐うどんなど、家庭で手軽に食べられる商品もあります。店では、ゆでたての麺を味わえるほか、セルフ店で天ぷらなどの具を自分で選ぶ楽しみがあります。
有名店
日の出製麺所
香川県坂出市富士見町1-8-5
坂出市にある製麺所で、昼の短い時間だけ店内でうどんを食べられる製麺所型の店です。食事の時間は1日1時間ほどと紹介されています。うどん小は130円程度からと紹介されていますが、時間や価格は変わることがあります。
山越うどん
香川県綾歌郡綾川町羽床上602-2
綾川町にある人気店で、ゆでたての麺に生卵をからめる「かまたま」で知られています。観光ガイドでは、かまたま1玉が350円程度、かけ1玉が300円程度と紹介されています。営業は午前中から昼過ぎまでとされます。
中野うどん学校 琴平校
香川県仲多度郡琴平町796
金刀比羅宮のある琴平町で、手打ちうどん作りを体験できる施設です。生地をこね、足で踏み、切るまでを自分で行います。予約制で、2名以上の場合、1人1,760円程度からと紹介されています。
よくある質問
Q. 香川県の外で作られたうどんも「讃岐うどん」と呼べるのですか?
A. 「さぬきうどん」という名前自体は、香川県外で作られた商品にも広く使われています。一方、公正競争規約では「本場」「名産」「特産」などの表示に条件があります。香川県内で作られ、加水量40%以上、食塩3%以上、熟成2時間以上などの基準を満たす必要があるとされます。
Q. 空海がうどんを伝えたというのは本当ですか?
A. 香川では、弘法大師空海が唐からうどんの製法を持ち帰ったという話が広く知られています。しかし、これを裏づける確かな史料は見つかっておらず、研究者の間でも史実とは確認されていません。空海の故郷である讃岐ならではの、親しまれた言い伝えとして受け止めるのがよいでしょう。