夏みかん菓子は、萩市を中心に作られている、夏みかんの皮を砂糖で煮て仕上げる郷土菓子です。厚い皮を細く切ってゆでこぼし、苦みを和らげてから、砂糖を数回に分けて加え、白い部分が透き通るまで煮ます。最後にグラニュー糖をまぶして乾かすと、ほろ苦さと甘みをあわせもつ菓子になります。夏みかんは長門市仙崎の大日比(おおひび)で生まれた柑橘で、明治時代に萩で、禄を失った士族を救うために栽培が広まりました。農林水産省の「うちの郷土料理」によると、甘いものが少なかった時代には貴重なおやつで、今も萩では家庭で作られています。萩の菓子店では、皮の砂糖煮のほか、皮の中に白羊羹を詰めた「夏蜜柑丸漬(なつみかんまるづけ)」なども作られ、萩の土産として親しまれています。
発祥
夏みかんの原樹は長門市仙崎の大日比にあり、江戸時代中頃の18世紀に、浜に流れ着いた果実を拾った西本チョウが種をまいたと伝えられています。この原樹は1927年(昭和2年)に国の史跡・天然記念物に指定されました。萩には文化年間(1804〜1818年)の初めにもたらされ、当初はゆずの代わりに使われていたとされます。幕末の頃から、夏に収穫した実を食べるようになったといわれます。
歴史
1863年(文久3年)に藩庁が萩から山口へ移り、明治維新後には士族が禄(給与)を失ったため、萩の武士たちは苦しい暮らしを強いられました。旧萩藩士の小幡高政(おばたたかまさ)は1876年(明治9年)、士族授産の結社「耐久社」をつくり、空き家同然の武家屋敷に夏みかんを植えて苗木を配りました。1889年(明治22年)には夏みかんの収益が萩の財政を上回るほどになりました。1880年ごろには、萩の光國本店が皮を糖蜜で煮た菓子を作り始めたとされます。
特徴
夏みかんは皮が厚く、白いわたの部分が多いのが特徴で、菓子にはこの皮を使います。皮を1cmほどの幅に切ってやわらかくなるまでゆで、水を替えて一晩さらし、苦みを和らげます。皮の重さの8割から同量ほどの砂糖を数回に分けて加え、弱火で白い部分が透き通るまで煮ます。蜜を切って冷まし、グラニュー糖をまぶして乾かせばできあがりです。
主な食材
食文化
夏みかんの収穫期にあたる4月から6月ごろ、萩の家庭で手作りされてきた素朴なおやつです。萩市によると、大正15年に萩を訪れた皇太子(のちの昭和天皇)が「この町には香水がまいてあるのか」と話したほど、町には夏みかんの香りが満ちていたといいます。
有名店
光國本店
山口県萩市熊谷町41
1858年(安政5年)創業とされる、夏みかん菓子を専門とする萩の老舗です。1880年ごろから作る「萩乃薫(はぎのかおり)」は、夏みかんの皮を細切りにして糖蜜で煮た菓子で、袋入は648円程度からです。10〜11月には若い実を使った「青切り」も加わるとされます。
| 夏蜜柑丸漬(光國本店) | 夏みかんの皮を蜜で煮込み、中に白羊羹を詰めた光國本店の看板菓子である。皮のほろ苦さと羊羹の甘さを一度に味わえる。旅行ガイドの案内では1,458円程度とされ、観光シーズンには品切れになることもあるという。 |
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よくある質問
Q. 夏みかんは昔から「夏みかん」と呼ばれていたのですか?
A. 長門市の大日比で生まれた当初は、「ダイダイ」「ナツダイダイ」「ナツカン」などと呼ばれていました。冬を越して翌年の夏に食べごろになることが名の由来とされます。「夏蜜柑」の名は、明治時代に大阪の仲買商人の助言で商品名として広まったと伝えられています。