保田紙(やすだがみ)は、和歌山県有田川町の清水(しみず)地区で漉かれている手漉き和紙です。楮(こうぞ)の皮を原料とし、白くて破れにくい丈夫な紙質が特徴です。旧紀州藩にちなんで「紀州手漉き和紙」とも呼ばれます。江戸時代の初め、紀州藩主の徳川頼宣が領内での紙づくりを命じ、庄屋の笠松左太夫(かさまつさたゆう)が紙漉きを興したのが始まりと伝わります。技術は奈良の吉野から学んだとされ、最盛期には傘や扇子、書類用の紙を漉く家が約400軒あったといいます。1900年代に入ると、大量生産の紙や洋傘の普及で需要が減り、1953年の大水害で多くの紙漉き場が被害を受けました。1979年に残った職人たちが技術の伝承に乗り出し、現在は「体験交流工房わらし」で紙漉きが受け継がれています。1988年(昭和63年)に和歌山県知事指定の郷土伝統的工芸品となりました。
発祥
1619年に紀州藩主となった徳川頼宣は、領内に米と塩はあっても紙の生産がないことを知り、紙づくりを命じたと伝わります。命を受けた庄屋の笠松左太夫は、他藩で技術を学ぼうとして断られました。そこで3人の若者を吉野の紙漉きの里に移り住ませます。若者たちは地元の紙漉きの女性と結婚し、技術を携えて有田川へ戻ったといいます。
歴史
笠松左太夫は山保田組の初代大庄屋で、明暦元年(1655年)には水路を開いて棚田「あらぎ島」を拓きました。隠居した万治年間(1658〜1661年)には、小峠地区を紙漉きの村として開いています。紙漉きは豊富な水と霧を生かした女性の仕事で、貴重な収入源でした。1953年の紀州大水害や洋傘の普及で、昭和40年ごろには途絶えかけましたが、1979年に職人たちが伝承に乗り出しました。
特徴
保田紙は、白くて破れにくい丈夫さが特徴です。原料には1月に刈り取った楮の皮を使い、ネリ(トロロアオイの根から採る粘液)を加えて漉きます。ネリの量は湿度や気温に合わせて変え、配合は職人の経験と感覚で決めます。原料づくりから昔ながらの製法を守り、気温や配合、漉く力加減によって一枚ごとに表情が変わる味わいがあります。
技法
ネリの調合
楮の繊維を水の中に均一に広げるため、トロロアオイの根から採る粘液「ネリ」を加える。湿度や気温で適量が変わるため、配合は職人の経験と感覚だけが頼りである。
板干し
漉いた紙を圧搾して水を切り、刷毛で木の乾燥板に一枚ずつ張り付けて天日で干す。刷毛が強すぎると紙が破れ、弱すぎると板に密着せず乾くときに縮むため、力加減が難しい。
使用される素材
制作工程
- 1
楮の刈り取り・皮はぎ
1月に楮を刈り取り、皮をはいで洗う。清水地区では、棚田の畦(あぜ)にも楮が植えられてきた。
- 2
さらし・煮熟
皮を冬の風にさらしてから煮て、不要な部分をきれいに取り除く。
- 3
叩解(こうかい)
煮た皮を水の中で叩いて柔らかくし、繊維をほぐす。
- 4
紙漉き
ほぐした繊維とネリを水に入れ、木枠の道具をくぐらせて揺すり、繊維を均一に広げる。
- 5
圧搾・乾燥
漉いた紙を圧搾して水を切り、刷毛で木の乾燥板に張って天日で干す。
| 主な産地 |
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体験施設
体験交流工房わらし
和歌山県有田郡有田川町清水1218-1
保田紙の紙すきを体験できる工房。紙すきは600円程度で所要約10分。うちわ作りやわらぞうり作りの体験もある。受付は当日15時までで、水・木曜と祝日、年末年始は休館。人数制限があるため事前に相談したい。
よくある質問
Q. 保田紙の技術はどこから伝わったのですか?
A. 紀州藩主・徳川頼宣の命を受けた笠松左太夫が、奈良の吉野へ若者を移り住ませて技術を学ばせたと伝わります。若者たちは紙漉きの女性と結婚し、技術を携えて戻ってきたといいます。
Q. 産地の近くで一緒に見たい景色はありますか?
A. 笠松左太夫が1655年に水路を開いて拓いた棚田「あらぎ島」があります。「日本の棚田百選」に選ばれ、周辺は2013年に国の重要文化的景観に選定されました。紙漉きと棚田は、同じ人物の業績でつながっています。
Q. 保田紙はどのような用途に使われてきましたか?
A. 最盛期には、傘や扇子、書類などに使う紙が漉かれていました。白くて破れにくい丈夫さが生かされましたが、洋傘の普及などで需要が減りました。現在は工房で紙すき体験ができます。