燕鎚起銅器は、新潟県燕市で作られる銅器です。一枚の平らな銅板を金鎚で繰り返し打ち起こし、継ぎ目のない立体的な器に仕上げます。「鎚起(ついき)」とは、鎚で打ち起こすという意味です。燕では江戸時代初期に農家の副業として和釘づくりが広まり、金鎚を扱う技術が根づいていました。近郊の弥彦山で銅が採れたことも背景に、明和5年(1768年)に仙台の渡り職人・藤七が鎚起の製法を伝えたとされます。文化13年(1816年)創業の玉川堂は、200年以上この技術を受け継いできた代表的な工房です。湯沸や急須、酒器、花器などが作られ、注ぎ口まで一枚の板から打ち出す高度な技や、使うほど色合いが深まる着色が魅力です。1981年に国の伝統的工芸品に指定されました。
発祥
燕では1630年頃、水害に苦しむ農民を救うため江戸から鍛冶職人が招かれ、副業として和釘づくりが奨励されたと伝えられます。1700年頃に近郊の弥彦山から銅が産出されると、和釘とともに銅細工も盛んになりました。そして明和5年(1768年)、仙台の渡り職人・藤七が、銅板を金鎚で打ち縮めて形を作る鎚起銅器の製法を燕に伝えました。これが燕鎚起銅器の始まりとされています。
歴史
文化13年(1816年)、玉川覚兵衛がこの技術を受け継いで玉川堂を創業し、地元向けのやかんなどを作りました。明治に入ると彫金の技術が取り入れられて美術工芸品としての評価が高まり、1873年のウィーン万国博覧会にも出品されています。1958年に新潟県無形文化財、1981年に国の伝統的工芸品に指定され、2010年には玉川宣夫氏が鍛金の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されました。
特徴
一枚の銅板を「当て金(あてがね)」と呼ぶ鉄製の道具に掛け、金鎚で叩いて縮めながら立体に成形する点が最大の特徴です。銅は叩くと硬くなるため、火で熱して柔らかくする焼き鈍しを繰り返しながら形を整えます。表面に残る鎚目(つちめ)が生む柔らかな光沢と、使い込むほど色が深まり艶が増す経年変化が魅力です。色合いは宣徳色や紫金色など、職人や工房によってさまざまです。
技法
打ち起こし・打ち絞り
銅板を鳥口(とりぐち)などの当て金に当て、金鎚で叩いて少しずつ縮めながら器の形に起こしていく技法です。叩く場所や作る形に応じて、20本余りの当て金を使い分けるとされます。
口打出(くちうちだし)
湯沸や急須の胴体と注ぎ口を、一枚の銅板から継ぎ目なく打ち出す技術です。注ぎ口のある器まで打ち出せる点は、燕鎚起銅器の高度な技術を象徴するものとされています。
加飾と着色
模様打ちや彫金、切嵌(きりばめ:地金を切り抜いて別の金属をはめ込む技法)で装飾を施します。仕上げに緑青と硫酸銅を合わせた液で煮込み、銅の表面に色を出します。
使用される素材
制作工程
- 1
打ち起こし
銅板を当て金に掛け、金鎚で叩いて形を起こす。
- 2
焼き鈍し
叩いて硬くなった銅を火で熱し、柔らかくする。
- 3
打ち絞り・成形
叩きと焼き鈍しを繰り返し、器の形を整える。
- 4
彫金・加飾
模様打ちや彫金で装飾を施す。
- 5
着色仕上げ
緑青と硫酸銅を合わせた液で煮込み、色を出す。
| 主な産地 |
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職人・工房
購入方法
- 玉川堂 燕本店
- 工房に併設された本店で、湯沸や急須、酒器、花器などを販売している。営業は8時30分〜17時30分で、日曜・祝日は休み。東京・銀座のGINZA SIX内にも直営店がある。購入先を見る →PR
- 玉川堂 オンラインショップ
- 玉川堂の公式オンラインショップ。ぐい呑は17,000円台程度からで、縞打や玉打、水玉など、打ち模様や色合いの異なる品がそろう。一点ずつの手仕事のため、品切れとなっている品も多い。購入先を見る →PR
体験施設
よくある質問
Q. 鎚起銅器の色は使ううちに変わりますか?
A. 銅ならではの経年変化があり、使い込むほど色合いが深まり、光沢が増していきます。玉川堂では、この変化を特色とする独自の着色技法を受け継いでいます。
Q. 職人として一人前になるにはどれくらいかかりますか?
A. 鎚起銅器の技術の習得には、6〜10年ほどの修業が必要とされます。20本余りの当て金を使い分け、形に応じて叩き分ける感覚を身につけるには長い経験が欠かせません。
Q. 燕のほかの金属製品とはどんな関係がありますか?
A. 燕では和釘づくりや鎚起銅器で培われた技術が、江戸時代の煙管(きせる)、明治以降のヤスリや洋食器づくりへと広がりました。鎚起銅器は、金属加工の町・燕の発展の基礎となった産業の一つです。