徳島鏡台

Tokushima Kyodai (Tokushima Dressing Tables)

徳島鏡台 1

徳島鏡台(とくしまきょうだい)は、徳島市を中心に作られてきた鏡台で、「阿波鏡台」とも呼ばれます。徳島では藍染やしじら織と並んで木工業が盛んで、明治時代には「安宅物(あたけもの)」と呼ばれる仏壇や鏡台が地場産業として栄えました。江戸時代に手鏡を置く箱として始まった鏡台は、大正時代に大型化し、昭和初期には西洋風の鏡台も作られるようになりました。昭和30年代から50年代ごろには業者が大きく増え、徳島は静岡と並ぶ鏡台の二大産地と言われました。引き出しなどの内部に桐を白木のまま使い、切り込みを入れて組み合わせた箱を基本とするのが特徴です。鏡台は嫁入り道具として求められ、塗装の工夫を重ねて時代に合った製品が作られてきました。しかし暮らしの変化で、生産は大きく減っています。現在は徳島市の江淵鏡台店などが、指物の技術で鏡台や家具を作り続けています。

発祥

徳島の木工は、1585年(天正13年)に蜂須賀家政が安宅(あたけ)に御舟役場を置いたことに始まるとされます。そこに勤める船大工が、内職として指物などを作ったのが起こりです。鏡台は、江戸時代に手鏡を置く箱として作られ始めました。明治時代までは比較的小型で、船大工や細工人の技を生かした安宅物の一つとして盛んに作られるようになりました。

歴史

大正時代に鏡台は大型化し、作業の分担も進みました。台を作る業者、鏡を支える立てや枠を作る業者、塗装の業者、仕上げと卸売を担う業者の四つに分かれます。昭和初期には西洋風の鏡台が作られ始めました。昭和30年代に暮らしの洋風化が進むと、脚が付いて椅子に座って使う三面鏡の鏡台が一気に広まります。昭和30年代から50年代ごろには業者数が急増し、徳島は静岡と並ぶ二大産地と言われるようになりました。

特徴

阿波鏡台の内部は、引き出しを含めほとんどを桐で作り、塗装しない白木のまま仕上げます。板に切り込みを入れて組み合わせた箱が、基本の構造です。外側の塗装は時代とともに変わりました。戦前は黒塗りが一般的で、上等品には貝殻を貼る螺鈿(らでん)を施しました。1948年(昭和23年)に北海道から桂材が大量に入ると、明るい色の塗装が流行しました。

技法

ツキ板と富喜塗り

大正時代には、木目を人工的に作る技法や、薄く削いだ木を貼るツキ板など、合板を使う製法が取り入れられました。これに茶黄色の漆で仕上げる「富喜塗り(ふきぬり)」を施し、高級品に次ぐ品として売り出しました。これらは主に静岡で生まれた技術で、徳島でもすぐに取り入れられました。

塗装の移り変わり

明治時代には、漆の代わりに安価なニス塗りが使われ始めました。大正末期にラッカー塗装が登場すると、漆塗りやニス塗りに取って代わります。1956年(昭和31年)以降はポリエステル塗装が入りました。小さな工場の多い徳島では、刷毛で塗れる粘り気の樹脂を開発する必要がありました。

後塗り(あとぬり)

江淵鏡台店は「後塗り(あとぬり)」と呼ぶ塗装を得意とし、注文主が望む微妙な色合いを再現しています。木地作りから塗装、仕立てまでを一つの工場で行う体制で、この技法を生かしています。

使用される素材

桐桂松桧ツキ板漆
主な産地
  • 徳島市

職人・工房

江淵鏡台店

徳島市末広1丁目1-40にある鏡台・家具の製造所である。昭和初期に初代の江渕栄が「江淵木工所」を始め、白木の木地を関西へ出荷した。1972年(昭和47年)に2代目の江淵達人が有限会社江淵鏡台店とし、木地から塗装、仕立てまで一貫して行う体制を整えた。達人は「阿波の名工」に選ばれている。現在は家具調仏壇の製造も多い。

公式サイト →

購入方法

江淵鏡台店(オリジナル鏡台)
江淵鏡台店は、2026年6月に初のオリジナル鏡台ブランドを発売した。白い天板となめらかな曲線を持つ「GRACE VANITY」シリーズなどがある。AIで色味を提案し、受注生産で作る。購入先を見る →PR

体験施設

江淵鏡台店(阿波鏡台歴史館)

徳島県徳島市末広1丁目1-40

鏡台の研究者が調査に訪れた「阿波鏡台歴史館」が、江淵鏡台店の中にあるとされます。阿波ナビでは、見学や木工細工の体験は無料と案内されています。日曜と祝日は休みです。歴史館の公開状況は、事前に店へ確認してください。

詳細を見る →

よくある質問

Q. 徳島の鏡台は、どのくらい作られていましたか?

A. 江淵鏡台店によると、最盛期の1973年(昭和48年)には全国で27万本が販売されました。婚礼の需要が多く、全国に出荷されていました。しかし同店がクラウドファンディングで発信した時点では、前年の販売は100本ほどだったといいます。

Q. 鏡台とドレッサーは違うものですか?

A. 鏡と箪笥を組み合わせた鏡台を、徳島市の清水商店が「ドレッサー」と名付けたとされます。1966年(昭和41年)の物品税改正で、ドレッサーは箪笥として課税の対象になりました。業界の異議を受けて、収納部の大きさが一定未満のものは鏡台として扱われることになりました。

Q. 嫁入り道具としての鏡台には、どんな製品がありましたか?

A. 昭和30年代から、徳島の鏡台は高級品を目指しました。徳島市の丸二は、1960年(昭和35年)ごろからフランス製の特殊ガラスを使った製品を開発しました。総桐製で真っ白な「白鳥セット」は、西洋風の暮らしにあこがれる花嫁に人気を集めました。

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