高松張子(たかまつはりこ)は、粘土や木の型に和紙を張り重ねて作る、香川県高松市の張子人形です。香川県によると、江戸時代に松平頼重(まつだいらよりしげ)が讃岐高松藩に入った際に製法が伝えられたとされます。代表作の「奉公さん(ほうこうさん)」は、赤い着物を着た丸顔の少女の人形です。病気の姫の身代わりになった娘「おマキ」の伝説にちなむと伝わり、子どもの病気の守りや嫁入り人形として親しまれてきました。ほかにも鯛持ち戎(えびす)や獅子頭、虎など、百種類以上の張子があるとされます。1985年度(昭和60年度)に香川県の伝統的工芸品の第1次指定品目となり、現在は香川県伝統工芸士の乃村七重さんと臼井融さんが制作を続けています。
発祥
高松張子の製法は、1642年(寛永19年)に松平頼重が高松藩主として入った際、家臣が伝えたとされます。高松城下の鍛冶屋町(かじやまち)には、古くから玩具や人形を扱う店が多く並んでいたと伝わります。張子は子どもの遊び道具として親しまれ、人形のほか「デコさん」と呼ばれる面なども作られました。
歴史
明治になると、旧高松藩士の梶川政吉が高松張子の名を広めたといわれます。大正時代ごろには郷土玩具の番付で上位を占め、大阪や京都にも出荷されました。戦時色が濃くなると下火になりますが、政吉の二女・宮内フサが人形づくりを再び盛り上げ、以前を上回る注目を集めました。フサは1985年に102歳で亡くなる直前まで絵筆を握ったと伝わります。
特徴
代表作の奉公さんは、筒形の胴に丸顔の少女をかたどった素朴な人形で、着物には松竹梅などの縁起のよい柄が描かれます。伝説では、おマキが仕えていた姫の病を自分に移し、離れ小島で亡くなったとされます。その姿が人形になったと語られ、子どもに抱かせて病気平癒を願うほか、嫁入り道具やお守りとしても用いられてきました。
技法
型に和紙を張り重ねる
高松張子は、粘土や木で作った型に和紙を何枚も張り重ねて形を作ります。香川県立ミュージアムのワークショップでも、原型づくりと絵付けの二段階で工程が紹介されています。奉公さんの表情は、職人が一体ずつ筆で描き入れます。
使用される素材
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職人・工房
乃村七重
高松市の張子職人で、香川県伝統工芸士。2002年の報道によると、父の跡を継いで高松張子を作り続けており、当時は高松張子で唯一の伝統工芸士だった。讃岐おもちゃ美術館の絵付け体験では、乃村さんが作った張子の土台が使われている。
臼井融
高松市の張子職人で、香川県伝統工芸士。神戸市出身で、香川大学を卒業後に玩具制作会社で技術を学び、独立した。2002年の報道では、高松張子に加えて創作人形にも取り組み、張子の新たな可能性を探っていると紹介されていた。
購入方法
- かがわ物産館 栗林庵
- 栗林公園の東門横(高松市栗林町1丁目20-16)にある香川県のアンテナショップで、香川漆器や高松張子など県内の伝統的工芸品を扱っている。営業時間は9時〜17時が目安で、時期によって変わる。取り扱い品目も時期により異なる。購入先を見る →PR
体験施設
讃岐おもちゃ美術館 shop・cafe
香川県高松市大工町8-1 丸亀町くるりん駐車場1階
伝統工芸士・乃村七重さんが作った奉公さんや招き猫の張子に、自由に絵付けをする体験が1,500円で行われてきました。所要時間は約1時間で、前日15時までの予約制です。開催期間が限られる場合があるため、事前に確認してください。
よくある質問
Q. 奉公さんにはどんな言い伝えがありますか?
A. 病気になった姫に仕えていたおマキという娘が、病を自分に移して身代わりとなり、離れ小島で亡くなったと伝わります。人々はおマキを「奉公さん」とたたえ、その姿が人形になったとされます。物語の時代を生駒氏が治めていたころとする説明もあります。
Q. 香川県の「張子虎」とは違うのですか?
A. 高松張子にも虎の張子がありますが、三豊市で作られる「張子虎」は、香川県の別の伝統的工芸品として指定されています。張子虎は子どもの健やかな成長を願って端午の節句などに飾られ、振子式の首が揺れるユーモラスな姿が特徴です。