信州打刃物は、長野県北部の上水内郡信濃町を中心に作られる鍛造の刃物です。鉄と鋼を炉で熱し、鎚(つち)で一本ずつ打ちのばして形を作ります。代表的な製品は「信州鎌」で、背が厚く、刃は非常に薄いため、丈夫でよく切れるのが持ち味です。柄の差し込み部分を反らせる「芝付け」と、刃面を内側に湾曲させる「つり」により、刈り払った草が手元に寄ってきます。起こりは16世紀半ば、川中島の合戦の頃と伝わります。武具や刀剣の修理に訪れた鍛冶職人から、里の人々が技を習ったのが始まりとされます。江戸時代末期に今の信州鎌の原型が生まれ、明治時代に信越線が開通すると全国へ販路が広がりました。1982年に国の伝統的工芸品に指定されています。現在は鎌のほか、鍬(くわ)や鉈(なた)、包丁なども作られています。
発祥
信州打刃物の始まりは、16世紀半ばの川中島の合戦の頃と伝えられています。武具や刀剣の修理のためにこの地を訪れた鍛冶職人から、里の人々が鍛冶の技を習い、農具や山林用の道具づくりに生かしたといわれます。北国街道沿いの信濃町は刃物の原料となる鉄や鋼が手に入りやすく、薄刃の鍛冶に適した松炭を作る松林にも恵まれていました。
歴史
江戸時代末期、柏原村(現・信濃町)の野鍛冶・久保専右衛門が「芝付け」や「つり」を考案しました。同じ頃、古間村の荒井津右衛門が両刃の鎌を薄い片刃に改良したといわれ、両者の工夫が信州鎌の原型となりました。鎌は善光寺参りの土産などとして広まり、明治21年(1888年)の信越線開通で販路が一気に全国へ拡大します。明治中頃には鎌などを打つ野鍛冶が200人ほどいたとされ、1982年に国の伝統的工芸品に指定されました。
特徴
信州鎌は、地鉄に極めて軟らかい鋼、刃に純度の高い炭素鋼を用い、鍛錬と均一な焼入れ・焼き戻しで、適度な硬さと粘りを持たせています。刃幅が広く、鋼の部分は鎌全体の厚さの6分の1ほどと非常に薄いのが特徴です。柄を水平に持っても鎌身が斜めに立つため、草の根元からきれいに刈れます。砥石で簡単に研げるので、長く使い続けられます。
技法
芝付け
鎌の柄に差し込む部分を反らせる加工です。江戸時代末期に柏原村の久保専右衛門が考案したとされます。峯を厚くして重みを付けることで、草が根元から刈れ、しかも刈り払った草が手元へ寄ってくるようになります。
つり
刃面を内側にわずかに湾曲させる加工です。刃を薄くしても手元が狂わないようにする工夫で、芝付けとともに信州鎌ならではの使いやすさを生んでいます。炉で加熱した鎌を手槌で打つ「小ならし」の工程で付けられます。
泥塗り焼入れ
刃物に泥を塗ってから780℃ほどに均一に加熱し、水槽に入れて急冷する工程です。鋼に硬さと粘りを与えます。その後の焼き戻しで適度な粘りを持たせ、刃こぼれを防いで切れ味を良くします。
使用される素材
制作工程
- 1
鍛接(地切り)
地鉄に刃となる鋼を接合する。
- 2
先のばし・コミのばし
刃先と、柄に差し込むコミの部分を打ちのばす。
- 3
広げ
所定の形まで打ち広げ、おおよその鎌の形を作る。
- 4
荒打ち・小ならし
加熱して打ち、厚さを整えながら「つり」「芝付け」を付ける。
- 5
焼入れ・焼き戻し
泥を塗って加熱し、水で急冷した後、焼き戻して粘りを持たせる。
- 6
研ぎ・刃付け
裏面を磨き、丸砥石で刃を付けて仕上げ、柄を取り付ける。
| 主な産地 |
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職人・工房
信州打刃物工業協同組合
1981年に設立された、信州打刃物の職人と問屋でつくる産地組合。信濃町に事務所を置き、鍛冶職人や問屋など10の事業者が加盟している。信州鎌は2007年に組合を権利者として地域団体商標に登録された。
公式サイト →購入方法
- 信州打刃物オンライン
- 信州打刃物工業協同組合の公式オンラインショップ。鎌・包丁・農具を扱い、信州型薄鎌(180mm)は4,500円程度から。若い鍛冶師が伝統工芸士の指導のもとで打った「修行中シリーズ」の鎌も販売している。購入先を見る →PR
- 信州手打ち包丁
- 職人が鉄を叩いて鍛え上げた黒打ちの包丁も、組合のオンラインショップで購入できる。菜切型や三徳型(135mm)は4,000円程度から。そば打ちに使う黒打そば切包丁も、26,000円程度から扱っている。購入先を見る →PR
よくある質問
Q. 信州鎌は普通の鎌とどこが違いますか?
A. 背が厚く刃が非常に薄いため、丈夫でありながらよく切れます。芝付けとつりの加工により、柄を水平に持っても鎌身が斜めに立ち、草の根元から刈れて、刈った草が手元に寄ってきます。用途に合わせて薄鎌や中厚鎌など多くの形があります。
Q. 鍛冶の工房は見学できますか?
A. 信州打刃物工業協同組合では、職人の作業を見られる工房見学を受け付けてきましたが、2026年10月時点では当面の間休止しています。再開の日程は組合の公式サイトで案内されるため、訪問前に確認するのがおすすめです。
Q. 昔の鎌づくりはどのように行われていましたか?
A. かつては夫婦二人の家内工業が多く、主人がハンマーで打ち、妻が合いの手を務める重労働でした。昭和10年代、野尻湖畔に住むカナダ人宣教師ストーン氏が、古間の綿貫恒雄氏らと動力ハンマーを備えた鎌工場を建て、機械化の道を開いたと伝わります。
Q. 昔の野鍛冶の作業場は残っていますか?
A. 信濃町柏原の旧中村家には、茅葺き屋根の民家の土間全体を使った野鍛冶の作業場が残ります。火床(ほど)やフイゴ、金床、鏨(たがね)などの道具もそのまま遺されており、信濃町の有形文化財に指定されています。