堺手織緞通(さかいておりだんつう)は、江戸時代後期に堺で始まった手織りの敷物です。緞通(だんつう)は厚手の織物の敷物のことで、技法は中国から伝わり、肥前の鍋島藩を経て播州赤穂と泉州堺に広まったとされます。堺では天保2年(1831年)、糸物商の藤本庄左衛門が泉利兵衛に織らせて「堺緞通」として売り出したのが始まりです。明治10年(1877年)の第1回内国勧業博覧会への出品で、広く知られるようになりました。庄左衛門の孫で「緞通王」と呼ばれた藤本荘太郎は技術を改良し、自ら渡米して海外への普及に努めます。明治中期には国内外へ盛んに出荷され、最盛期を迎えました。熟練を要する手織りの技法で、丈夫で重厚な仕上がりになります。1986年(昭和61年)に大阪府の伝統工芸品に指定されました。2006年(平成18年)には、その技術が大阪府の無形民俗文化財にも指定されています。
発祥
緞通は、中近東から中国を経て日本に伝わった敷物の技法です。堺市によれば、江戸時代に肥前の鍋島藩で作られたのが日本での起こりで、江戸時代後期には播州赤穂と泉州堺でも生産が始まりました。堺では天保2年(1831年)、糸物商の藤本庄左衛門が泉利兵衛に織らせ、「堺緞通」として売り出しました。大阪府は、堺の商人の手で改良されて堺手織緞通が生まれたと紹介しています。
歴史
明治10年の第1回内国勧業博覧会への出品をきっかけに、堺緞通は広く知られるようになりました。藤本荘太郎は技術の改良に加え、渡米して販路を開き、明治中期には海外輸出で隆盛を迎えます。堺市博物館によれば、輸出先はアメリカが中心でした。その後、堺の敷物づくりは機械織りの絨毯やフック緞通、チューブマットなどへ広がり、南大阪は全国有数の敷物産地となります。手織りの技術は、現在は堺式手織緞通技術保存協会が伝承しています。
特徴
大阪府は、堺手織緞通を羊毛を素材とする敷物とし、熟練を要する手織りで丈夫さと重厚さを備えると紹介しています。一方、堺市博物館によれば、明治時代の堺緞通は木綿製の一畳サイズ(幅90cm)が基本でした。明治20年代に盛んに輸出されたのは主に麻製で、日本の暑い夏にも向くため国内向けにも作られました。明治時代には広幅の織機も開発され、幅153cmの品を何枚も連ねて大広間に敷いた例もあります。
使用される素材
制作工程
- 1
染色・合糸
羊毛の糸を染め、複数の糸を合わせて(合糸)、織りに使う糸を用意する。
- 2
整経
織機に掛ける経糸(たていと)を、必要な本数と長さにそろえる。
- 3
織り
手描きの図面「線図(せんず)」をもとに、色糸を手で織り込んで文様を表していく。線図は紋図(もんず)とも呼ばれる。
- 4
糊付け・乾燥・剪毛
織り上げた緞通に糊付けをして乾燥させる。表面の毛を緞通鋏で刈りそろえ(剪毛)、仕上げる。保存協会は、こうした織機や緞通鋏などの道具類も収集している。
| 主な産地 |
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職人・工房
堺式手織緞通技術保存協会
堺手織緞通の技術を伝承する団体。事務局は堺市中区東山693-5の大阪特殊織物工業協同組合内にある。堺市と協力して資料や織機・緞通鋏などの道具を集め、製織の実演やワークショップで技術を伝えている。
購入方法
- 堺伝匠館
- 堺市堺区材木町西1-1-30の伝統産業品の施設。2025年10月には堺手織緞通7点(1点約7万〜53万円)の展示販売と、保存協会による手織りの実演が期間限定で行われた。常時販売しているとは限らないため、事前に確認したい。購入先を見る →PR
体験施設
堺市産業振興センター(堺緞通の実演)
大阪府堺市北区長曽根町183-5
堺市の紹介によれば、2階で毎週月曜の13〜16時に堺緞通の実演が行われており、織機で緞通を織る様子を見学できる。最寄りは地下鉄御堂筋線・南海高野線などの中百舌鳥駅。
堺市博物館
大阪府堺市堺区百舌鳥夕雲町2丁 大仙公園内
堺緞通を収蔵し、企画展を開いてきた。保存協会による大型織機での製織実演や、簡易器具でミニ緞通を織るワークショップ(無料・要申込)が開かれたこともある。開催は不定期のため事前に確認したい。
詳細を見る →よくある質問
Q. 鍋島緞通や赤穂緞通とはどんな関係ですか?
A. 緞通の技法は中国から肥前の鍋島藩に伝わり、江戸時代後期に播州赤穂と泉州堺へ広まったとされます。堺緞通は堺の商人の手で改良され、独自に発展しました。大阪府の無形民俗文化財への指定も、手織緞通の技術として独自の発展を遂げた点が評価されたものとされます。
Q. 「緞通王」と呼ばれたのは誰ですか?
A. 堺緞通を売り出した藤本庄左衛門の孫、藤本荘太郎です。技術の改良を重ね、自ら渡米して海外への普及に努めました。その結果、明治時代中期には堺緞通が国内外へ盛んに出荷されるようになりました。