市川大門手漉和紙は、山梨県西八代郡市川三郷町の市川大門地区で漉かれてきた和紙です。甲斐の紙の記録は奈良時代にさかのぼり、宝亀4年(773年)の正倉院文書に甲斐が紙の産地として記されています。市川では、甲斐源氏の祖とされる源義清に仕えた紙工の甚左衛門が、紙漉きの技を里人に伝えたのが始まりとされます。武田氏の時代には「美人の肌のように美しい」とたとえられた「肌吉紙(はだよしがみ)」が漉かれ、紙漉き職人は「肌吉衆」として手厚く保護されました。江戸時代には幕府の御用紙として献上されます。その後は障子紙の一大産地となり、生産量日本一を誇ってきました。原料は楮(こうぞ)と三椏(みつまた)で、美術紙や画仙紙にも向きます。平成7年(1995年)に山梨県郷土伝統工芸品に指定されました。
発祥
市川和紙の始まりは、甲斐源氏の祖とされる源義清(武田冠者)にまつわる伝承にあります。義清が市川の地に移り住んだとき、家臣の甚左衛門が紙漉きの技に長けており、その技術を里人に伝えたといいます。甚左衛門は没後、生前の功績をたたえて紙の神を祀る神明社に祀られました。市川大門には、義清の居館跡とされる場所も残っています。
歴史
甲斐の紙は正倉院文書の宝亀4年(773年)の記録に見え、延応2年(1240年)には市川に多くの漉き家があったとされます。中世末からは武田家の御用紙として保護され、武田家の滅亡後も徳川家の御用紙として幕府に献上されました。近代には障子紙の産地として栄える一方、機械漉きへの転換が進みます。町は令和2年(2020年)に後継者育成の「市川手漉き和紙夢工房」を設けましたが、令和7年(2025年)3月に廃止しました。
特徴
市川大門手漉和紙は、楮と三椏を原料に、一枚一枚手作業で漉かれてきました。「肌吉紙」の名は、美人の肌のようにきめ細かく美しい紙肌と、丈夫さが評価されたことに由来します。手漉きの紙は美術紙や画仙紙に向き、町では子どもたちの卒業証書を手漉きで作る伝統行事も続いてきました。障子紙の産地として培われた技術は、機械漉きの障子紙や和紙製品にも生かされています。
使用される素材
制作工程
- 1
水漬
原料の皮を水に漬けて、柔らかくする。
- 2
煮熟(しゃじゅく)
原料を煮て、繊維をほぐれやすくする。
- 3
洗浄・漂白
水で洗ってあくや汚れを落とし、白く整える。
- 4
叩解(こうかい)
繊維を叩いてほぐし、紙料にする。
- 5
紙漉き
簀桁(すげた)で紙料を汲み、一枚ずつ漉き上げる。
- 6
搾水・乾燥
湿紙の水を絞り、乾かす。
- 7
選別・断裁
仕上がりを選り分け、寸法に合わせて裁つ。
| 主な産地 |
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|---|
職人・工房
株式会社大直
市川三郷町高田に本社を置く和紙メーカー。昭和35年(1960年)に手漉きから機械漉きに転換し、昭和49年(1974年)に現在の社名となった。障子紙のほか、深澤直人氏と開発した紙製品ブランド「SIWA|紙和」や「めでたや」を展開している。
公式サイト →金長特殊製紙株式会社
市川三郷町にある、創業160年の老舗の和紙漉屋。ポリエステル糸を漉き込んだ丈夫な「糸和紙」を手がけ、その紙を使って牛若丸と弁慶などの武者絵を描いた和凧も作っている。
購入方法
- めでたや 河口湖店
- 大直の直営店で、富士河口湖町大石1477-1の富士大石ハナテラス内にある。市川の和紙で季節の行事やめでたさを小物に仕立てた「めでたや」の商品を扱う。営業は9時30分〜17時。購入先を見る →PR
- 市川三郷町ふるさと納税(金長特殊製紙)
- 市川三郷町のふるさと納税の返礼品として、金長特殊製紙の「甲州和紙(糸和紙)を使用した和凧」を扱っている。幅67cm・長さ98cmで、5種類の絵柄から選べる。糸和紙は丈夫で風に強く、長時間の凧揚げにも耐える。購入先を見る →PR
よくある質問
Q. 神明の花火と和紙にはどんな関係がありますか?
A. 市川三郷町の神明の花火は、紙漉きを伝えた甚左衛門の命日に、神明社の祭礼として花火を奉納したのが始まりとされます。正徳元年(1711年)には「市川大門神明の花火」の記録があり、市川の花火は江戸時代に日本三大花火の一つに数えられたといわれます。
Q. 今も手漉き和紙の体験はできますか?
A. 町が後継者育成のために設けた「市川手漉き和紙夢工房」では、はがきの紙漉き体験を行っていました。しかし同工房と町立製紙試験場は、令和7年(2025年)3月31日で廃止されています。体験を希望する場合は、市川三郷町に最新の状況を確かめてください。