赤間硯

Akama Suzuri (Akama Inkstones)

赤間硯 1

画像: Wikimedia Commons

赤間硯(あかますずり)は、山口県の宇部市と下関市で作られている硯(すずり)です。名前は、下関の古い呼び名である赤間関(あかまがせき)に由来するとされます。原料は赤間石と呼ばれる赤紫色の石で、石英や鉄分を多く含み、緻密で粘りがあるため細かな彫刻にも向いています。硯の表面には鋒鋩(ほうぼう)と呼ばれる目に見えないほど細かな突起が密に立っています。このため墨が早くすれ、発色がよく伸びのある墨汁が得られます。鎌倉時代の初めに鶴岡八幡宮へ奉納された硯が赤間硯とされ、800年以上の歴史を持つといわれます。江戸時代には長州藩の名産として贈答にも用いられました。1976年(昭和51年)に国の伝統的工芸品に指定されています。現在、原石は宇部市万倉(まぐら)の岩滝地区で、職人自らが坑道を掘って採っています。採石から手がける職人はわずか数人とされ、貴重な手仕事となっています。

発祥

宇部市によると、源頼朝が1191年(建久2年)に鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)へ奉納した硯が赤間硯とされ、12世紀末には生産が始まっていたと考えられています。ただし起源を裏づける史料は乏しく、室町時代の1395年(応永2年)には作られていたことが確かめられています。当初は赤間関で作られる下関の名産品で、江戸時代初期の文献にはすでに「赤間硯」の名が見えます。

歴史

江戸時代には赤間関の大森家が「天下一」を称する硯師として知られ、毛利輝元所用と伝わる硯箱にもその銘を刻んだ硯が残ります。1645年刊の『毛吹草』には、萩焼などと並ぶ長州の名物として挙げられています。原石の産地は藩が管理し、一般の立ち入りは禁じられていました。18世紀には採石の中心が宇部市側へ移ります。明治以降は習字の普及で生産が盛んになりましたが、戦後は職人が大きく減りました。

特徴

赤間石は赤みを帯びた紫色の石で、緑色の層を含むものや、目玉のような模様の石眼(せきがん)が現れるものもあります。石の種類は、赤色頁岩(せきしょくけつがん)とも輝緑凝灰岩(きりょくぎょうかいがん)とも説明されます。硬く緻密でありながら粘りがあり、縁を薄く立てたり、透かし彫りを施したりできます。鋒鋩が細かく密なため、墨を細かくすり下ろし、さらりとした伸びのよい墨汁になります。

技法

坑道掘りによる採石

赤間石は乾燥に弱いため、山に掘った坑道から職人自らが掘り出す。坑道にたまった水をポンプでくみ出して入り、深さ5〜40mほどで石の層に達する。厚さ10m前後の層のうち硯に使えるのは1m余りで、金づちで叩いた音を聞いて使える石を選び分ける。

加飾彫り

陸(おか、墨をする所)と海(墨のたまる所)を彫った後、幅2〜10mmほどのノミで手彫りの装飾を加える。形を浮き上がらせる浮かし彫り、穴を抜く透かし彫り、石肌を見せるたたき彫り、細い線を刻む毛彫りなどがあり、精巧な品は数日がかりとなる。

目立てと漆仕上げ

砥石や耐水ペーパーで磨いた後、墨をする陸の部分は目立て石で仕上げ、鋒鋩を整える。磨きすぎると墨がすりにくくなるため加減が要る。陸と海以外には漆を薄く塗って拭き取る作業を繰り返し、風化を防ぎつつ光沢を出す。

使用される素材

赤間石漆砥石

制作工程

  1. 1

    採石・選別

    坑道から赤間石を掘り出し、叩いた音で硯に適した石を選ぶ。

  2. 2

    形作り

    カッターやタガネ、ハンマーでおおまかな形に整える。

  3. 3

    じぎり

    水と珪砂を研磨剤にして、表と裏を平らに削りそろえる。

  4. 4

    縁立て

    陸と海の境目を彫り、硯の縁を立てる。

  5. 5

    彫り

    粗彫りで陸と海、両者をつなぐ「胸」を作り、仕上げ彫りで彫り跡を消す。

  6. 6

    磨き

    砥石や耐水ペーパーで磨き、陸を目立て石で仕上げる。

  7. 7

    漆塗り・仕上げ

    陸と海以外に漆を塗っては拭き取り、最後に刷毛で磨いて仕上げる。

主な産地
  • 宇部市
  • 下関市

職人・工房

日枝玉峯堂(日枝陽一)

宇部市西万倉にある赤間硯の工房で、山口県赤間硯生産協同組合もここに置かれている。4代目の日枝陽一は、宇部市の山中で坑道を掘り、地下30mにある赤間石の採石から制作、販売までを手がける。父の三代日枝玉峯とともに日本伝統工芸展での受賞・入選を重ねてきた。

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堀尾信夫

下関市の作硯家で、山口県指定無形文化財「赤間硯」の技術保持者である。日本伝統工芸展に長年出品を続け、2023年には下関市立美術館で企画展「赤間関硯 堀尾信夫の挑戦」が開かれた。父の堀尾卓司の作品もあわせて紹介された。

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よくある質問

Q. 赤間硯と吉田松陰にはどんな関係がありますか?

A. 赤間硯は幕末の志士にも愛用されました。吉田松陰は愛用の赤間硯を「功臣」にたとえたといわれ、その硯は萩市の松陰神社に御神体として祀られています。

Q. 赤間硯の産地はなぜ下関と宇部の二か所なのですか?

A. 赤間硯はもともと赤間関(下関)で作られていましたが、江戸時代に原石の採石地が移り、18世紀には採石の中心が宇部市側になりました。それ以来、宇部市と下関市の両方が産地となり、現在は宇部市万倉の岩滝地区で原石が採られています。

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